ここ最近、ずっと新型コロナウイルス関連の記事を投稿してきました。
一言で言えば、私の立場は慎重論であり、原則として休校解除は時期尚早だという意見です。
文科省が、「諸々に留意して学校を再開させなさい」というガイドラインを出しましたが
「そんなことに留意しなくても良くなってから再開するのが妥当だろう」とも思っています。
一方で、私の意見に対して、反論も一定数ありました。
「学びの機会はどうするんだ」
「学力格差が広がるぞ」
「塾に行けない子はどうするんだ」
「共働き家庭にどうしろと言うんだ」
という具合です。
そんな中、とても良い記事を見つけたので、皆さんに紹介します。
是非読んでください。
休校延長か、学校再開か 3つの価値の衝突 安全第一だが、子どもたちの学びはどこへ?
さて、この記事を踏まえて、少し自分の意見を書こうと思います。
この記事に書かれている
「学校で、密集と密接を完全に避けることは不可能だろう。」
「政治家の方らは、学校を再開する場合でも、感染症対策には「万全を期して」などとおっしゃるが、「万全」とはいかない。「万全」とは、全く完全で、すこしも手落ちがないことを意味する日本語である。いますぐ40人学級が解消されるわけではないし、分散登校にしても限界はあるので、3密を避けることは限定的となる。」
この辺は、私の先日の記事と、おおむね同じですね。
その上で、この記事は
「安全」
「教育上の価値」
「福祉上の価値」
この3つが競合していると指摘しています。
なるほど要するに
「学校を再開するべきか、それとも休校を継続すべきか」
という議論は、この3つの価値のうちどれを優先すべきだろうか?という議論であると置き換えることができるわけです。
たいへんよく整理された図だと思いました。
さて、その上で改めて私の意見を書きますが
やはり、学校は安全第一であり、子どもの安全が脅かされる教育活動は排除されるべきだと思っています。
だから、組み体操や、愛知・名古屋のトーチトワリング、過剰な部活動指導や体罰などが批判されるわけです。
「感染症が拡大するかも」というリスクを背負ってまで行う教育活動は、いかがなものかと思います。
「塾はやっているじゃないか、あれはいいのか?」と言われることがあるのですが
塾は、任意参加のものです。
一方で、公立小中学校は、ある意味強制参加です。
というわけで、責任の所在が異なるわけです。
「責任とりたくないだけじゃないの?」
と言われそうですが
責任がとりたくないと言うよりは、楽観論で学校を再開して、感染者が増大したり、重病者や死者が出ちゃったりしたら、首長も教育委員会も教師も責任なんてとれませんよ。
ちなみに、感染者数でかなり上位にランクインしている愛知県ですが
大村知事は、「うつっていく、うつって治る、というのが感染症」というコメントをし、
予定通り新学期をスタートさせると表明しました。
たとえばこの場合は、「安全」よりも「教育上の価値」と「福祉上の価値」を優先したといえるわけです。
この判断が正しかったかどうかは、数週間後にわかることでしょう。
皆さんは、「安全」「教育上の価値」「福祉上の価値」どれを優先させるべきだと思いますか?
こちらでご回答ください。
一言で言えば、私の立場は慎重論であり、原則として休校解除は時期尚早だという意見です。
文科省が、「諸々に留意して学校を再開させなさい」というガイドラインを出しましたが
「そんなことに留意しなくても良くなってから再開するのが妥当だろう」とも思っています。
一方で、私の意見に対して、反論も一定数ありました。
「学びの機会はどうするんだ」
「学力格差が広がるぞ」
「塾に行けない子はどうするんだ」
「共働き家庭にどうしろと言うんだ」
という具合です。
そんな中、とても良い記事を見つけたので、皆さんに紹介します。
是非読んでください。
休校延長か、学校再開か 3つの価値の衝突 安全第一だが、子どもたちの学びはどこへ?
さて、この記事を踏まえて、少し自分の意見を書こうと思います。
この記事に書かれている
「学校で、密集と密接を完全に避けることは不可能だろう。」
「政治家の方らは、学校を再開する場合でも、感染症対策には「万全を期して」などとおっしゃるが、「万全」とはいかない。「万全」とは、全く完全で、すこしも手落ちがないことを意味する日本語である。いますぐ40人学級が解消されるわけではないし、分散登校にしても限界はあるので、3密を避けることは限定的となる。」
この辺は、私の先日の記事と、おおむね同じですね。
その上で、この記事は
「安全」
「教育上の価値」
「福祉上の価値」
この3つが競合していると指摘しています。
なるほど要するに
「学校を再開するべきか、それとも休校を継続すべきか」
という議論は、この3つの価値のうちどれを優先すべきだろうか?という議論であると置き換えることができるわけです。
たいへんよく整理された図だと思いました。
さて、その上で改めて私の意見を書きますが
やはり、学校は安全第一であり、子どもの安全が脅かされる教育活動は排除されるべきだと思っています。
だから、組み体操や、愛知・名古屋のトーチトワリング、過剰な部活動指導や体罰などが批判されるわけです。
「感染症が拡大するかも」というリスクを背負ってまで行う教育活動は、いかがなものかと思います。
「塾はやっているじゃないか、あれはいいのか?」と言われることがあるのですが
塾は、任意参加のものです。
一方で、公立小中学校は、ある意味強制参加です。
というわけで、責任の所在が異なるわけです。
「責任とりたくないだけじゃないの?」
と言われそうですが
責任がとりたくないと言うよりは、楽観論で学校を再開して、感染者が増大したり、重病者や死者が出ちゃったりしたら、首長も教育委員会も教師も責任なんてとれませんよ。
ちなみに、感染者数でかなり上位にランクインしている愛知県ですが
大村知事は、「うつっていく、うつって治る、というのが感染症」というコメントをし、
予定通り新学期をスタートさせると表明しました。
たとえばこの場合は、「安全」よりも「教育上の価値」と「福祉上の価値」を優先したといえるわけです。
この判断が正しかったかどうかは、数週間後にわかることでしょう。
皆さんは、「安全」「教育上の価値」「福祉上の価値」どれを優先させるべきだと思いますか?
こちらでご回答ください。