抜き打ち避難訓練がありました。
抜き打ちと言っても、生徒はもちろん、教職員にすらも知らされずの抜き打ちです。
私も一瞬、信じてしまいました。
今日の掃除の時間、いきなりコールサインがなりました。
こんな時間にコールサインとは、ただ事では無い。
教室にいた私は「静かにしてくれ!」と叫びました。
すると、教頭先生が、放送で
「東海地震注意情報が発令されました……」と言っている。
おいやべーやつじゃん、と思い、生徒に安全確保指示を飛ばす。
とりあえず教室で安全確保が完了すると、続けて
「訓練、訓練。生徒のみなさんは、校庭に避難して下さい」
「おい訓練かよ!」と私は叫んでしまいました。
訓練なら、近隣住民のこともありますから、第一報の段階で、「訓練」と言うべきだったんじゃないですかねぇ?
そして、校庭に行くと、教頭先生からのお叱り。
曰く
「君たちの、しゃべりながらもたもた移動する様子を見て、とても心配になった。これが本当の地震だったら、死者が出たのでは無いか」
とのこと。
ちなみに、私はこの地域の出身者ではありません。
東北出身者で、東日本大震災経験者です。
あのときは休暇で実家におり、実家は震度6強でした。
あれは経験しないとわからないとおもいますが、すさまじい恐怖です。
事前に揺れが来ると分かっており、安全も保証されている、地震体験機とは、異次元の恐怖です。
あの経験を根拠に言いますが
あのような有事に、子どもに「落ち着いて、しゃべらず、整然と移動」を要求することに、そもそも無理があります。
あのクラスの地震だと、大の大人でも悲鳴を上げてしまうレベルです。
あれで落ち着いていられるなんて、消防隊員とか自衛官とか、一部の特殊な訓練を受けている人々くらいでしょう。
だから、訓練で落ち着きや整然さを求めることに、果たして意味があるのか、私はとても疑問でした。
私は教頭先生とは別意見で
生徒の挙動には問題は無かったと思います。
あの突然の避難指示で、うちの子達はとてもよく動いたと思います。
ただ、このままでは死者がでるだろうという点では同意見です。
問題点は、施設・設備にあります。
まず、私はそのとき、教室にいました。
実は明日、我が校は授業参観です。
だから、今日はいつにもまして気合いを入れて掃除をしようという話になっていて
廊下が汚かったので、教室掃除のぞうきん担当の子を廊下に回してまで、廊下を掃除していました。
教室には、黒板掃除係の数名の生徒と、私しかいませんでした。
だから、私はコールサインを聞き取れましたが
廊下や他の場所にいた、多くの生徒や教員は、そもそもコールサインすら聞こえなかったと言います。
あんな昭和の骨董品みたいな放送設備では、それが限界なのです。
そもそも、本当に有事に備えるなら
まず、放送設備に予備電源が無いのが致命的です。
停電を想定するべきですが、残念ながらうちの学校の設備は、停電したら使い物になりません。
また、緊急地震速報もありません。
こんな施設・設備では、とても心配です。本当の地震が来たら、それこそ死者がでるのでは無いでしょうか。
生徒の訓練への態度を責める前に、生徒の身の安全を確保できるような設備を整えるべきです。
このように、道具や設備を改善せず
人間の猛訓練で状況を打破しようとするのは
この国および日本人の悪いところだと思います。
本気で地震に備えるならば
まず昭和の骨董品みたいな放送設備は全面改修するべきです。
予備電源も用意し、停電しても使えるようにする。
そして、緊急地震速報とも連動させ、速報を受信したらすべてオートで警報を発する。
学校の場合、休み時間等ではどうしても喧噪が生まれます。
音だけで警報を発するのがそもそもナンセンスです。
教室と廊下に、緊急時に点灯する赤色灯を設置する。
そして生徒には「これがついているときは本当の緊急事態だから、頼むから静かにしてくれ」と指導をすれば良いのです。
避難経路も、避難経路図を紙に書いて掲示して、生徒に覚えろと言うのではなくて
廊下に電光掲示板でも設置して、有事の際は避難誘導の矢印を非常電源で表示させるべきです。
本当の有事の時には、生徒の真面目不真面目にかかわらず、焦って避難経路なんて頭から吹き飛ぶに決まっているのです。
辛辣に書きましたが
このような学校設備に関する権限は、教師にはありません。
市町村立学校の場合は、市町村の役場にあります。
だから、私達がいくらこのようなことを訴えても、役場がGOを出してくれなければ、変わりません。
あの震災で、あれだけの死者を出しながら
この国は、残念ながら変わることができていないようです。
この状況を変えることが出来るのは、市民の声のみです。
我々教師が役場に訴えても、何も変わりません。
煙たがられるだけです。
是非、授業参観に参加される際は、我が子とその教師だけでは無くて、学校の設備を見て下さい。
そして、おかしいと思う点があれば、役場に
「うちの子が通っている学校は、……だったが、これでは震災時に子どもの安全を確保できるのか不安だ」
と意見を言って下さい。
そんな声が大きくなれば、役場が動き、状況が動きます。
抜き打ちと言っても、生徒はもちろん、教職員にすらも知らされずの抜き打ちです。
私も一瞬、信じてしまいました。
今日の掃除の時間、いきなりコールサインがなりました。
こんな時間にコールサインとは、ただ事では無い。
教室にいた私は「静かにしてくれ!」と叫びました。
すると、教頭先生が、放送で
「東海地震注意情報が発令されました……」と言っている。
おいやべーやつじゃん、と思い、生徒に安全確保指示を飛ばす。
とりあえず教室で安全確保が完了すると、続けて
「訓練、訓練。生徒のみなさんは、校庭に避難して下さい」
「おい訓練かよ!」と私は叫んでしまいました。
訓練なら、近隣住民のこともありますから、第一報の段階で、「訓練」と言うべきだったんじゃないですかねぇ?
そして、校庭に行くと、教頭先生からのお叱り。
曰く
「君たちの、しゃべりながらもたもた移動する様子を見て、とても心配になった。これが本当の地震だったら、死者が出たのでは無いか」
とのこと。
ちなみに、私はこの地域の出身者ではありません。
東北出身者で、東日本大震災経験者です。
あのときは休暇で実家におり、実家は震度6強でした。
あれは経験しないとわからないとおもいますが、すさまじい恐怖です。
事前に揺れが来ると分かっており、安全も保証されている、地震体験機とは、異次元の恐怖です。
あの経験を根拠に言いますが
あのような有事に、子どもに「落ち着いて、しゃべらず、整然と移動」を要求することに、そもそも無理があります。
あのクラスの地震だと、大の大人でも悲鳴を上げてしまうレベルです。
あれで落ち着いていられるなんて、消防隊員とか自衛官とか、一部の特殊な訓練を受けている人々くらいでしょう。
だから、訓練で落ち着きや整然さを求めることに、果たして意味があるのか、私はとても疑問でした。
私は教頭先生とは別意見で
生徒の挙動には問題は無かったと思います。
あの突然の避難指示で、うちの子達はとてもよく動いたと思います。
ただ、このままでは死者がでるだろうという点では同意見です。
問題点は、施設・設備にあります。
まず、私はそのとき、教室にいました。
実は明日、我が校は授業参観です。
だから、今日はいつにもまして気合いを入れて掃除をしようという話になっていて
廊下が汚かったので、教室掃除のぞうきん担当の子を廊下に回してまで、廊下を掃除していました。
教室には、黒板掃除係の数名の生徒と、私しかいませんでした。
だから、私はコールサインを聞き取れましたが
廊下や他の場所にいた、多くの生徒や教員は、そもそもコールサインすら聞こえなかったと言います。
あんな昭和の骨董品みたいな放送設備では、それが限界なのです。
そもそも、本当に有事に備えるなら
まず、放送設備に予備電源が無いのが致命的です。
停電を想定するべきですが、残念ながらうちの学校の設備は、停電したら使い物になりません。
また、緊急地震速報もありません。
こんな施設・設備では、とても心配です。本当の地震が来たら、それこそ死者がでるのでは無いでしょうか。
生徒の訓練への態度を責める前に、生徒の身の安全を確保できるような設備を整えるべきです。
このように、道具や設備を改善せず
人間の猛訓練で状況を打破しようとするのは
この国および日本人の悪いところだと思います。
本気で地震に備えるならば
まず昭和の骨董品みたいな放送設備は全面改修するべきです。
予備電源も用意し、停電しても使えるようにする。
そして、緊急地震速報とも連動させ、速報を受信したらすべてオートで警報を発する。
学校の場合、休み時間等ではどうしても喧噪が生まれます。
音だけで警報を発するのがそもそもナンセンスです。
教室と廊下に、緊急時に点灯する赤色灯を設置する。
そして生徒には「これがついているときは本当の緊急事態だから、頼むから静かにしてくれ」と指導をすれば良いのです。
避難経路も、避難経路図を紙に書いて掲示して、生徒に覚えろと言うのではなくて
廊下に電光掲示板でも設置して、有事の際は避難誘導の矢印を非常電源で表示させるべきです。
本当の有事の時には、生徒の真面目不真面目にかかわらず、焦って避難経路なんて頭から吹き飛ぶに決まっているのです。
辛辣に書きましたが
このような学校設備に関する権限は、教師にはありません。
市町村立学校の場合は、市町村の役場にあります。
だから、私達がいくらこのようなことを訴えても、役場がGOを出してくれなければ、変わりません。
あの震災で、あれだけの死者を出しながら
この国は、残念ながら変わることができていないようです。
この状況を変えることが出来るのは、市民の声のみです。
我々教師が役場に訴えても、何も変わりません。
煙たがられるだけです。
是非、授業参観に参加される際は、我が子とその教師だけでは無くて、学校の設備を見て下さい。
そして、おかしいと思う点があれば、役場に
「うちの子が通っている学校は、……だったが、これでは震災時に子どもの安全を確保できるのか不安だ」
と意見を言って下さい。
そんな声が大きくなれば、役場が動き、状況が動きます。