先日、中間テストでした。
教師である我々は、採点をし、提出物(一般的にはノートとワーク)の評価をします。
すると、生徒は大雑把に4種類に分けられることが分かります。
A 点数が良く、提出物の取り組みも良好な生徒
B 点数は良いが、提出物の取り組みに難がある生徒
C 点数は悪いが、提出物の取り組みが良好な生徒
D 点数が悪く、提出物の取り組みにも難がある生徒
Aには良い評定が与えられ、Dには悪い評定が与えられるのは、自明です。
さて、問題になるのは、BとCです。
より褒められるべきは、どちらでしょうか。
私個人としての意見は、Bのほうを褒めたい。
Bには「少ない努力で良い結果を残せているのだから、素晴らしいじゃないか」と思う一方で
Cには「結果残せてないってことは、そのワークに対する取り組みに意味があったのか疑問」と思ってしまう。
繰り返しますが、これは私人としての見解。
教師という立場にたつと、また変わってくる。
努力の価値をどれほどのものなのだろうか。
教師である我々は、採点をし、提出物(一般的にはノートとワーク)の評価をします。
すると、生徒は大雑把に4種類に分けられることが分かります。
A 点数が良く、提出物の取り組みも良好な生徒
B 点数は良いが、提出物の取り組みに難がある生徒
C 点数は悪いが、提出物の取り組みが良好な生徒
D 点数が悪く、提出物の取り組みにも難がある生徒
Aには良い評定が与えられ、Dには悪い評定が与えられるのは、自明です。
さて、問題になるのは、BとCです。
より褒められるべきは、どちらでしょうか。
私個人としての意見は、Bのほうを褒めたい。
Bには「少ない努力で良い結果を残せているのだから、素晴らしいじゃないか」と思う一方で
Cには「結果残せてないってことは、そのワークに対する取り組みに意味があったのか疑問」と思ってしまう。
繰り返しますが、これは私人としての見解。
教師という立場にたつと、また変わってくる。
努力の価値をどれほどのものなのだろうか。
結果ではなく努力や過程を褒めることは、子どものモチベーション維持につながる可能性がある一方で
「やったからOK」という、結果を顧みず努力しただけで満足をしてしまう生徒を生み出してしまうリスクをはらんでいると考えています。
そのリスクを認識せず、自分を「褒めて伸ばす教師だ」と言っている人も、いるのでは、と心配になります。
いつも、拝見させてもらってます。
自分も結果が全てだろうと思います。自分は自動車レースをやっていました。そのせいか結果こだわります。そういう世界だったと思います。
ブログ。変わらずに教師の本音をどんどん教えてください。本音と建前は必ずありますよね。