最近よく耳にする「子どもの貧困」という言葉に違和感を感じている。
冷静に考えてみて欲しい。子どもにはそもそも経済力は無いのだ。
すなわち、貧困なのは子どもでは無く保護者の方である。
子どもはその保護者の貧困のあおりを受けているに過ぎない。
この間、ある報道番組を見た。
それによれば、「子ども7人に1人が貧困状態である」のだそうだ。
私は「7家庭に1家庭の保護者が子どもをちゃんと育てられる経済状況に無い」というのが正確であると考える。
ではなぜ「保護者の貧困」または「親の貧困」と言わずに「子どもの貧困」と呼ぶのだろうか。
これは完全にニュアンスの問題であるが
前者の表現を使うと「保護者個人の問題」という色が強くなり
後者の表現を使うと「社会の問題」という色が強くなるからだろう、と私は推測している。
テレビ局からしてみたら、保護者の問題であるという色が強くなると、「シングルマザー叩きだ」と批判されるリスクが大きくなるから、やりたくないと言うことなのだろうか。
でもそれでは問題の本質がボケてしまいやしないか。
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冷静に考えてみて欲しい。子どもにはそもそも経済力は無いのだ。
すなわち、貧困なのは子どもでは無く保護者の方である。
子どもはその保護者の貧困のあおりを受けているに過ぎない。
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それによれば、「子ども7人に1人が貧困状態である」のだそうだ。
私は「7家庭に1家庭の保護者が子どもをちゃんと育てられる経済状況に無い」というのが正確であると考える。
ではなぜ「保護者の貧困」または「親の貧困」と言わずに「子どもの貧困」と呼ぶのだろうか。
これは完全にニュアンスの問題であるが
前者の表現を使うと「保護者個人の問題」という色が強くなり
後者の表現を使うと「社会の問題」という色が強くなるからだろう、と私は推測している。
テレビ局からしてみたら、保護者の問題であるという色が強くなると、「シングルマザー叩きだ」と批判されるリスクが大きくなるから、やりたくないと言うことなのだろうか。
でもそれでは問題の本質がボケてしまいやしないか。
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