原稿用紙の隅っこ

声を大にしてまで言いたいわけではないけど、中の下くらいの声でなら言ってみたいこと。

Eテレの安心感

2018-02-28 18:12:43 | 日記

 オリンピックやパラリンピックに興味を持てたことが、今まで1度もないです。だから平昌オリンピックの楽しみは、あえていうなら「閉会式」でしたね。早く終わってほしいとずっと思ってました。どの局もオリンピックの話題ばっかりでつまらなかったです。そんな中で通常通りだったのがEテレです。安心感さえ覚えたほどです。


それは本当に「間違い」なのか

2018-02-28 15:15:13 | 日記

 「情けは人の為ならず」「敷居が高い」「爆笑する」などなど、間違えやすい日本語というのが紹介されているのをよく見ますが、それは本当に「間違い」なんでしょうか。

 いや「間違い」ではあると思うんですよ。でも、「正しい」ことと「通じる」ことで言えば、これは言葉ですから「通じる」ことの方が大事なんだと思いますよ。こう、したり顔で、その言葉の本来の意味はこうです、と指摘ことには、あまり意味がないと思います。その言葉が通じている場面においては、の話ですけど。

 「旦那」という言葉は、誰でも知っているように、女性の婚姻相手のことを言いますよね。でも、旦那という言葉は〝本来は〟仏教用語で「ダーナ」といい、これは「お布施をする人」という意味なんです。でも、今は女性の婚姻相手のことを指します。それで充分に通じます。この場合はむしろ、それを訂正した側が、なんだかおかしな奴と思われてしまうかもしれません。

 言葉やその意味というのは変わっていくものですから、「本来の意味はこう」という考え方は、失礼や恥にならない限り必要ないと思われます。豆知識程度には楽しめますが、その程度だと思います。変わっていって、「本来の意味」が失われたとしても、何の不都合もないです。


偽物の解決

2018-02-28 15:11:10 | 日記
 「明るく元気に」とか「何事も前向きに」とか、ポジティブに日々を送ることをアドバイスするような記事や本をよく見るんですけど、「ポジティブに過ごそう!」とか「前向きに考えよう!」っていうその考え方自体がすでにそれらの考え方とは逆に向かっているような気がしてならないです。
 「前向きに考えよう!」って思っている時に何かしらの出来事があって気持ちが落ち込んでしまったら、その出来事に加えて「前向きに考えられなかった」という落ち込みもあると思います。2重に落ち込んでしまいますよね。
 「前向きに考えよう!」っていうその思い自体が、強迫観念になってしまっています。そんな考えがなかったら、「前向きになれなかった」ことで落ち込むということはないはずです。
 他にも、失敗や苦い経験をした時も「いずれは何かの役に立つ」という考え方がありますが、それが間違っているとは言いませんし、実際に役に立つとは思いますが、その根本にあるものが、例えば「あの本には、〝どんなことも役に立つと考えよう〟と書いてあったからそう考えよう」という考えなら、たぶんそれは「前向き」ではないと思います。絶対にそうとは言いきれませんが、落ち込みたくない、傷つきたくない、という思いをカバーするために「前向きさ」を心がけているとするならば、逆に言えば「自分は落ち込みたくないと思っているし、傷つくことを恐れている。そして、今まさに落ち込んで傷ついている」ということになるからです。そうでなくては、無理と本の内容を真似する必要はありません。
 水の中に飛び込んだら「水の中にいる」という実感があります。それが慣れてきたとしても「水の中にいる」という感覚はなくなりません。でも魚は、水の中にいるのが当たり前なので、いちいち「今水の中にいる」などと感じたりはしないと思います。ちょうど僕ら人間が、普段空気の中にいるということをとくに気にしていないのと同じです。
 意識しているうちは、それは本物の考え方じゃないんです。
 だから本当の「ポジティブ」や「前向き」というのは、何でもかんでもそうプラスに変換するんじゃなくて、「前向きであるに越したことはないけど、前向きじゃなくてもいい。そして今は前向きじゃない」という意識を持っても平気でいられるくらいのもののことをいうんだと思います。
 まあ、人それぞれですけど、僕なんかはその、何でもかんでもポジティブやら前向きやらということにはちょっと賛成しかねます。

喧嘩を売られたわけですが・・・・・・

2018-02-23 22:17:27 | 日記
 なんだか無茶苦茶なことを言われましたね。
 スーパーのレジに並んでいたら、割り込みをされたわけですよ。相手が「どけ」と言うから、「なぜ」と問うたら、
「邪魔だ」
 と言うから癪にさわって、
「僕から見たらあなたが邪魔だ。邪魔だからどかなくてはいけないなら、あなたもまたどくべきだ」
 と言い返してみました。以下、あまり明瞭に覚えているわけではないですが、だいたいこんなやりとりでした。
「うるせえな」
「そっちが絡んできたんだろう。うるさいのが厭なら始めから話しかけなければいい」
「黙ってどけばいいんだよ」
「黙って命令に従う義務はない。あるならそれをここで示してみろ。示せたら堂々とどいてやろう」
 そこで殴ってきそうな勢いを感じたので、とっさに先制。
「殴っても構わないが、殴ったら僕は怪我をするし、あなたは刑務所行きだ。これだけの人がいるのだから証拠不十分ということにはまずならない。豚箱に入る覚悟があるなら殴ればいい」
 これは正直いって賭けでしたが、ようやくここで店の人の仲裁で収束。
 あの時、もし仲裁が入らないか、相手が頭に血を昇らせて殴ってきていたら、本当に僕は怪我をして、奴も刑務所行きになっていたかもしれないです。
 喧嘩は売るのも買うのも危険です。

成功の秘訣(嘘)

2018-02-22 13:39:00 | 日記
「成功したければ、人と違うことをしなくてはならない」

 こんな言葉を見かけました。成功例として、Amazonの創設者などの経営者が挙げられていて、なかなか具体的に書かれているように見えました。
 でも、これは片面しか見ていないんですね。人と違うことをやった人は、確かに成功したかもしれません。でも、人と違うことをして失敗した例だってたくさんあるわけです。
 また、成功した人は他人と違うことをしていたのかもしれませんが、他人と違うことをすれば成功するというものでもありません。
 需要とかコストとか時間とか技術とか、そういった条件がたくさん揃っていたから、あるいは揃えることができたから成功したわけです。成功して振り返ってみたら「人と違っていた」という結果論にすぎません。
 また、他人と同じことをするというのを否定するなら、それは多くの人が証明している「成功はしないけれども失敗もしない」という安全な方法を手放すことにもなるわけです。もっとも、結果的におちぶれて野垂れ死にしてもいいというのなら止めませんが。

 ついでに言うと、「成功する」=「起業する」「大儲けする」っていう定義で話されていた記事なので、それについても疑問は残ります。
 何が自分にとっての成功かをはっきりさせた上で、それにはどんな方法や材料が必要なのかを判断すれば、きっと「成功」します。人と同じか違うかなんてことは、まったく関係ありません。