主演:ヴァサイェガ渉
太宰治「走れメロス」より
始めはうまく内容がつかめなかった。牢番がなぜあんなにセリヌンティウスを構うのか、うるさいなって感じで。
実況で「陽の当たらないシンメの片割れ」って言ってる人がいてめちゃくちゃ納得できた。そしてヴァサもそれ言ってたよね…
セリヌンティウスの発言がどんどん過激になっていく。メロスが帰ってこなければ自分が注目される、王が自分に注目している、多くの人に注目されながら死ぬチャンス…
メロスが帰ってこなくて意気揚々と立ち上がるセリヌンティウス、間一髪でメロスが到着して膝から崩れ落ちる…
市民は、メロスが帰ってくるのか、メロスと友達どっちが殺されるのかというゲームを楽しんでいるんだよね。
唯一当事者に直接関われる牢番は、自分も楽しんでるからあんなにべらべらしゃべりかける。そしてその言葉の中にメロスへの期待しか含まれていないことに絶望するセリヌンティウス。それに気付く牢番…
メロスが帰ってきたら自分に何も光が当たらない。
先週とは違って割と今回は抽象的に描かれていたなって思うから解釈はひとそれぞれって思うけど、結構現代にあてはまる部分も多いかなって思えた。
そして自分にも…
結局セリヌンティウスはメロスのせいにしちゃってるんだよね。メロスを信じてるわけじゃない、メロスみたいな超絶大陽キャが戻ってこないわけない、ギリギリできることをメロスはわかっていて、市民に娯楽を与えているだけなんだ、と…
でも、セリヌンティウスはセリヌンティウスなわけで…まあ確かにセリヌンティウスのムカつく気持ちもめちゃくちゃわかるんだけど…
結局自分の人生は自分で輝くしかないんだよね。
いやー、実況見てなかったら全然掴めてなかったかな…うまく言葉にできない…
実況では、牢番は興味本位→かわいそうでかわいい→担当って解釈でわかりやすかった!まさにそれ!!!言い方悪いかもだけど!
最後にセリヌンティウスの自我というか意思を目覚めさせたのが救いだったな。
ヴァサの凄かったところは、王が注目している(メロスを通してなんだけど…)と聞いたときのギラつきと、自分が殺されるとわかったときの煌めきの表現。
本来輝く内容ではないんだけど、そこを輝く演技にできたのはセリヌンティウスの表現として良かったなって思います。
毎回教訓が得られたりとか考察ができたりとか、忍者のお仕事楽しい!うれしい!