わたしの友達で作家になりたいコがいる。
そのコが、ちょっとかるいノリで占いに行ってみて、自分の夢についてきいてみたところ、こんな風に言われたそうだ。
「あなたには作家になる素質も力もある。ただ一つ足りないのは、変人になる勇気よ。」
その話を聞いたとき、あぁわかるなぁと思った。
まあわたしはヲタなのでゲーノーカイについて思うのですが、
今あたしがいる世界とゲーノーカイには国境線のような…目には見えないけど、何か線引きがされていると思っている。この世とあの世みたいな…ゲーノーカイはリアルに存在する世界だけれども、あたしたちのいる俗世界とは…きっと、何か線で区切られていると思う。
そっちの世界に行くには、そこで住むためには凡人と同じであってはならない。
人を感動させるということは、人の心を動かすということは、並大抵のことではできないことで。凡人と違う何か、それが無いとできないことだと思う。
しかし、その力を身に付けた人は、俗世間では生きていけない。非国民…?そんな感じ。
だから、
そっちの世界に行くなら、こっちの世界を捨てていかなければならない。2つの世界を行き来はできない。あの世とこの世も、行き来できないでしょ???
あたしの友達が言われたのはそういうことのような気がする。
実際その友も占い師に言われたことはわかると言っていた。殻を破る、と、いうのかなぁ???この世界での未練を全て断ち切らないと、いけないんだろうなぁー。
今、東京にいるあたしは、ゲーノーカイというような世界に…
ちょっとのぞいて楽しかったー!凄かったー!おもしろかったー!って宇宙旅行みたいな感じで行ってきた人、
とあるきっかけで行ってしまって、まるで幽霊に会ってきたかのように恐怖心を抱いてる人、
完全に行って帰ってこない人、
いろんな人がいるけれども、そういう話にふれればふれる程、こちらの世界とあちらの世界の境界線を感じて、あたしは不思議だなぁーって思う。
コンサートとか行って、リアルに”ゲーノージン”て言われる人と接してるあたしだけど、どんなに生に接しても、それは”見ている”だけで、”会っている”のではない。それをいつも思う。どんなに近い席でも。ファンサもらったとかでも。やっぱり、あたしとそのタレントさんの間には壁があって、”会っている”という感覚が全く無い。変な話、テレビの画面越しにピースしてきた、そんな感じ。
そんなことを最近よく考えていたら、昨日の夢がそんなような夢だった。
内容は詳しく思い出せないんだけど、あたしは自分のお母さんと二度と会えないんじゃないか、って、そういう思いに駆られた。
で、今日メールしたら普通に返事来たんだけどね。今度箱根行こうってさ。よかった。
本当にあたまおかしいはなしですみません…あくまでも、あたし個人の感覚ですから…