人としての器とよくいうけれど、
私はひとりひとりが
器をたくさん持っていると思います。
お母さんとしての器
妻としての器
女としての器
仕事人としての器
友だちとしての器
役員としての器
それは全て色が違って
カラフルな水が注がれる。
注がれるスピードも違えば、
器の大きさも違う。
だから人としての器は
ひとくくりで表せるものじゃないなと
感じています。
私個人は、
お母さんの器は
すぐにいっぱいになります。
なぜなら自分のお母さんが
笑ってるだけでもうお母さんだったから。
最初こそ
マニュアル通りの子育てを
目指してみたけど挫折して(笑)
そこから、すぐに
母は、ただご機嫌で笑っていればいいと
切り替えられたのは
母の影響が大きいです。
我が家の母も、
夜勤ありの仕事で、
よく働く働き者でした。
そのかわり家では家事は手抜き。
やる時はやるけど、
やらない時はとことんやらない。
そんなオンオフがはっきりした人でした。
そして、
いつも「おかえりー」「ただいまー」の
笑顔が素晴らしかった。
学校で嫌なことがあったときも
「おかえりー」と明るく言ってくれると
心が晴れやかになりました。
料理上手で家は常にキレイに掃除してる
いわゆる『素敵な奥さん』
ではなかったし、
嫌なとこもあるけども、
私にとっては素敵な母。
そんな母が基本になってるから
お母さんの器は小さくて満タンです♡
そう。
器の大きさも注ぐスピードも
結局は自分の思いこみでできてるもの。
だから、人としての器は
他人に測ることはできない。
独り言でした(⊙⊙)☆。.:*・゜