倒壊した家屋の撤去が進んでいます。
重機と排出用ダンプを使って、市内のあちこちで見らます。
そして、市内のあちこちに新しい更地が。
被害を受けた家屋は、そのほとんど持ち主はお年寄りです。
これから新しく住宅を建てられないケースも多いのでは。
避難所を出て、親族の家に行く方も多いです。
加えて、パート従業員の解雇が続いています。
刈羽村では、中越地震の後に開業した大型スーパー「プラント5」
は総菜売り場や生鮮食料品売り場のダメージが大きく、
再建よりも廃業を決定しました。オープンしてわずか3年に満たない撤退です。
正規の従業員は僅かに26人、実質働いていたのは、多くの地元のパート従業員です。
この店舗は、中越地震の被害で開店が遅れ、中越沖地震で撤退を決める
地震の影響を象徴するような出来事です。
また、東電関係でも、下請け、孫請け業者の多くは仕事がなく
毎日のように報道される原発関係のニュースを見ながらも、
早く再開してほしいと願う日々だそうです。
原発城下町のジレンマです。
安心は欲しい。でも、原発は、すでに間違いなく市の財政にとって
大きな位置を占める産業です。
この思いは、安全に電力の供給を受けている東京の人々にとっては
決して理解できなのではないでしょうか。
産業と言えば、世界に冠たる日本の自動車産業に大きな打撃を与えたのも
中越沖地震でした。
以前、仕事がらみで、リケンを取材したことがありました。
「日本で作られる自動車の6割に、当社の製品が使われているのですよ。」
対応してくださった担当者の方から聞いたときには、誇らしく思ったものです。
その帰り道では、すれ違う車を見ながら、
2台に1台以上は、リケンの部品を搭載しているんだと思いました。
今回の震災後(たまたま、通勤ルートにはリケンの裏の道も入っています。)
大勢のメーカーからの復旧協力員の方々を見ました。
トヨタ、ホンダ、日産など各社の方々が、震災翌日から来ていられました。
夜通し、皎皎と工場内の明かりが光り、復旧作業が行われました。
驚異的なスピードで復旧作業は進み、その週の内に工場は稼働し、
各社のみなさんは、自社に戻られていきました。
我が家はリケンに比較的近いです。
22日にいち早く水道が復旧して喜んでいたのですが、翌日は1日
まるまる断水しました。水漏れがあったのだと思っていたのですが、
ある新聞社の記事によると、どうやら、
リケンへの水道水の供給を最優先した結果のようでした。
でも、人口わずか10万人の(平成の市町村合併により増えました。)
地方都市が、日本のトップ産業、自動車メーカーの操業を止めるほどの
影響力をもっていたことが実感できたわたしとしては、
1日間のさらなる断水は
一部には市民の生活を優先しなかったという批判もありましたが、
「日本の車産業」への貢献とすら感じられました。
復旧に協力してくださった、各メーカーのみなさん、
ありがとうございました。
そうそう、更地の問題でした。
応急的なライフラインの復旧は、完了に向かっています。
昨日、夕方、我が家でも待ち望んでいたガスが復旧しました。
電気、水、ガス。生活基盤が整ったとき、
ようやく日常生活を取り戻した心地がしました。
この周辺では、大阪ガスのみなさんが、尽力してくださいました。
梅雨明けとともに連日35℃をこえる猛暑の中、
懸命に作業をしてくださったみなさんのお力です。
今日もまだ、ガスの復旧作業は続いています。
本当にありがたいです。
災害からの一次的な復旧の目処はたってきました。
でも、市内のあちこちで真新しい更地を見るに付け、
市の将来に不安を覚えるのは、展望への心細さを感じるのは
わたしだけではないと思います。
柏崎!!
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