マダム・キラリンのあ~ら、ごめんあそばせ☆★

私、マダム・キラリンが運営する風変わりなブログです。

またまた追記

2012-02-26 13:41:54 | くらくら病
だけど通夜や葬儀では華やかな人生の影にあたる人間関係、裏事情も見てしまった様な気がする。

それだけの人脈や色々な事がありながら、故人の遺志でホールやお寺ではなく自宅で執り行われた。受付・台所など各分担が決められ、私は台所、ダンナは受付であった。しかし現在の住まいと生まれた場所が違い、車で走ればごくわずかなのだが、これまた出身のお寺・習慣でとの遺志であり、誰もその伝達や段取りを聞かされていないために、何もかもめちゃくちゃで、みんなが疲れ果てていた。

私はくらくら病が出かかり、あげくの果ては「○○ちゃんは可愛い顔して怖い子や。口出しばかりしてた」ととある人からおじにチクラれ、母に伝わり叱られ注意され、でも母はそれ以上何にも言わなかった。もう疲れたわ。もう何にもしたくないわ。

追記

2012-02-26 13:39:03 | くらくら病
ふと祭壇を見上げたら大好きなタバコを持ち、満面の笑みを振りまく在りし日の姿。お酒も大好きで、飲み過ぎては良くおばに注意され苦笑いしてた茶目っ気たっぷりの姿に、また私が離婚。大人の事情でこれまた1人暮らしの母の所に転がり込んだ際にも、おじの身内に気を使うおばを制止し、倉庫の二階に住まわせて「今度はおっさんがエエ男見つけて来る」と言ってくれたっけ。

くらくらと愚痴り

2012-02-26 12:43:32 | くらくら病
18日に実家の母と母方のおじ (母の姉のご主人) の見舞いに行こうと連絡しあい、翌日午前中、晴れたら車で、少しでも雪が降ったら電車でと話していた。

以前から体調が優れず、最近は入退院を繰り返し家族は覚悟を決め、今の内に会わせたい人がいるなら連絡する様に宣告されていたらしく、私は欠勤したのであった。
事故でも起こしてはならないと結局電車で行く事にして、母の帰りを待っていたら「亡くなった」との電話がかかり、結局見舞いも叶わず死に目にも会えず。悔やまれてならなかった。
おじは悪性リンパ腫だったらしい。

数多くいる自分の親族や兄弟姉妹の中では一番の出世頭。それ以前は裸一貫苦労を重ね一代で現在の地位に登り詰めたらしい。でもたった1人裸で生まれ、死ぬのは金持ちも貧乏人も一緒なのだ。
おじが変わり果てた姿で帰宅し、ふと祭壇を見上げたら大好きなタバコを持ち、満面の笑みを振りまく在りし日の姿。お酒も大好きで、飲み過ぎては良くおばに注意され苦笑いしてた茶目っ気たっぷりの姿に、また私が離婚。大人の事情でこれまた1人暮らしの母の所に転がり込んだ際にも、おじの身内に気を使うおばを制止し、倉庫の二階に住まわせてくれた。