僕は高校の頃、走り高跳びで熊本県の記録を持っていました。(ちなみに記録は1m96cmです)
数年は一般も含めて県記録だったんですが、県記録は二年位で一般の教員の選手に破られました。
高校記録は7~8年破られなかったと思います。
高校二年の時、うちの高校には着地用のマットがなかったので当時主流の「背面跳び」が出来ず、バーを腹側から飛ぶ「ベリーロール」で跳んでました。 南九州予選は6位までがインターハイの全国大会に行けるんですが、5,6,7位同記録の7位でした。その時の上位6位までは全員背面跳び。僕は悔しくて、大会から帰った次の日から、砂場をスコップで掘り起こしながら、背面跳びの練習を始めました。砂に背中から落ちるんで毎回『キャフーン』と言いながら練習してたら、監督の先生が見かねて校長に直談判してマットを買ってもらいました。
それから記録は順調に伸びていったんですが、3年になっても成績は万年2位 。どうしても優勝できません。。。そんなある日、助走の練習をしてたら、監督の先生が「お前は集中力が足りんとた~俺は自己記録を出した時はかならず、スタート前に助走路が金色に光って見えた」と言うんです。
・・・その時は《んなっ、あほな~》って思ってたんです。
ところが、ある大会で自己タイ記録まで跳んで残ってるのは2人だけ
次の高さを跳べば、まず優勝という場面になり、助走のスタート前に目を閉じて『集中、集中』と心の中でつぶやきながら、助走からクリアまでのシュミレーションを思い浮かべ、そして目を開いたら、・・・・見えたんです。
僕の走る角度に合わせて、一筋の金色に輝く線が確かに見えたんです 。
僕は『今だっ』と助走に入り自己新記録をクリア、優勝しました。。。。
それからは何度も優勝して、県記録も出したんですが、あの金色の助走路はあれ以来一度も見えませんでした。 あれはなんだったんだろうとたまに思い返すんですが、1つ不思議なことも思い出しました。。
当時の助走路はアンツーカー(全天候型の助走路)だったんですが、あの金色に光った助走路には光の両側に平行して『草』が生えてたんです。つまり田んぼのあぜ道が光ってたように見えてたんです。
・・・・今でも不思議ですが、本当の話です。
あ~珈琲豆の焙煎の時、焙煎機が金色に光らないかな~ もしそういうことがあったら僕は究極のコーヒー豆をローストできるかも知れません。。。でもその時は雑草が焙煎機の周りに生えるかも 気持ちわるっ。
※例によって、またまた意味のない長~い文章になってしまいました。読んで頂いた方、お疲れ様でした。
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