今朝寝て居たら。夢で私の中学の頃の出来事が蘇って来た、私には益田と言う同級生が居た。そいつは何時も他力本願で生きて居た。ある日、突然電話が掛かって来て、そして、こう言われた「『〇〇です(私の名前)』って言って!!」、何だと思ったが、「言ってよ!!」と言うのだ、そして仕方がなく言ったら、今度は「『すみませんでした』と言って!!」、と言うのだ。私が何なんだと怒って言うと。とにかく言ってくれと言う。仕方が無いので言うと。「実は好きな女の子が出来て電話を掛けても、何時も居ないと言われるんだ。だからお前の名前ならば出ると思って」と言う。私は飛んだバカヤローだと思った、鼻から嫌われて居るんじゃ無いか???そして私がさっき言った事をラジカセに録音したらしいのだ。そしてそれで電話を掛けたらしい。それでも出なかったらしいが、何と彼からまた電話が掛かって来て
「言い方が悪かったと思う。もう一度吹き込むから言ってくれ」と言うので言ってやった「お前の様なバカは居ねえな!!、相手から完全に嫌われて居るんだろう。バカも休み休み言え、此の大バカ野郎!!」と怒鳴ったら「だって好きなんだ!!」と言うのだ。だから「なんで俺がお前に協力しなければならないんだ。バカヤロー!!!」と言って電話を叩き切った。昔、医大生が好きになった、女の子の気を引こうと、何と友人に頼んでその子の車に車をぶつけて貰い。自分は颯爽と出て行って。まるで王子様のように振る舞って。彼女の心を鷲掴みにしようとしたバカが居た。しかし警察が関与して来て、事故に不自然な点があるのが解りお芝居だと解り、相手の彼女からもご両親からも嫌われて挙げ句の果ては医大を退学になったバカがいた。そいつは、それにも等しいバカだ!!。
そして、そいつはエレキギターを親から買って貰っても全く弾けずに居て、ベースに乗り換えて居たがそれも弾けずに、他のベーシストにタブ譜を書いて貰ってもよく解らずに居て、「これ間違ってるんじゃ無いだろうな!?」と言う始末だった。そして、そいつは私からレコードを3枚借りた侭引っ越して仕舞い。私は彼の引っ越し先を突き止めてレコードを返して貰いに行った事がある。チャイムを押すとお母さんが吃驚して出て来て、「あなた、よくうちが解ったわよね」としらばっくれて居るので言ってやった。「僕のレコードを借りたまま越してしまったので。返して貰いに来ました。」「益田くんの寝室はどこですか?」そう言って。お母さん同伴で寝室に入り、彼のレコード・コレクションに。まるで自分のコレクション見たく飾ってあった。私のレコード3枚を手に取り。「これは僕のだから返して貰います」そして言った。「益田くんのお父さんは弁護士だそうですけど、その御子息が、人のものも自分のものとはねぇ、、呆れた教育方針ですねぇ?」そう言ったら母親は「ハハハ💦」と笑って居た。「だから益田くんが私から持って行ったレコードは此の3枚だけですから」と言って「それでは....。」と帰って来た事がある。親の教育がなっては居ないのですよね。金があり過ぎて。子供は放任主義なのですよね。。。
それから、友達でこう言う奴も高校生の頃に居た。私がブルージーな音を鳴らしたいので3万幾らかのアンプを買いに楽器屋まで行った時だ。1人友達が着いて来た。そいつは私が3万幾らかのアンプを店員に下さいと言おうとすると、「いや、そっちじゃなくて此の1万の安い方のを下さい」と勝手に言って居る。そして私にこう言うのだ。「アンプ何かに金掛ける事は無いよ。浮いた金でギターのアクセサリとか買えるだろ、その方がいいよ。なっ!そうしろよな!!、」、そして言うのだ「俺何かは、レコードは丸井の月賦で月3枚は買えるぜ!!リボ払いなら金掛から無いから、お前もそうしろよな!!」私は言ってやった「バカヤロー!!お前らは益田といい、なんてバカなんだ!!自分の事情と人の事情が違う事も解らないのか!!」そして言った「お前らとは永遠に縁を切る絶好だ!!」その男は、その後、私が会社で働いて居た頃に突然やって来た。そして名刺を差し出し言った。「あの、私は今、こう言う仕事をやって居るのですが」だから私は彼に言った「あの時に縁は切ったと言ったよなぁ、、」そしたら言うのだ。「にゃははは・・・。」と。だから言ってやった。「ああ、お前にあったら言いたい事があったんだ」「何?」「お前をぶん殴ってやるとな!!」そして「僕はウッドベースを買ったんです」だから言った「なら今度持って来いよセッション出来るだろう?」すると持って来れないと必死になって言い訳をする、買ったと言うのは丸嘘なのですよね....。
そして、こう言うのです「僕は、広告代理店で働いて居るから。お宅の会社広告出しませんか?」だから、「出さねえよ....。」と言ったら「僕はシグマ・スポーツに行って来る....。」と言うので「勝手にどうぞ....。」と言って相手にもしなかった。。。それからこう言う呆れた男も居た。高校の頃だ、そいつは、何と女の子と知り合いになったら。いい気になってその子の家に勝手に泊まりに行ったのだそうだ。そうしたら、その子にも親にもよく思われずに、冷めた紅茶を出されたと言う。そいつは高校の国語の授業で先生が私に「主人公が見たら下には何が見えたんだ?」と聞くから「街が見えました」と言ったらその通りだと言われたのだが。そいつ一人が私を見て笑い「先生〇〇の回答間違って居ます。」先生が「間違っては居ないよ」と言っても「間違って居る!!」と言い張るので先生が「じゃあ、何が見えたんだ?」と聞いたら「川が見えたんです」と言うのですよ。教科書には川の下りは一つも書いては居なかった。大分、おかしい奴だった。今、朝方の夢からそんな事を思い出した。。。
昨晩は夜の11時には寝たのです。そして今日は朝早くに起きたので、ブルースのストリーミングをスマホからCDラジカセのBluetoothで繋げて再生して聞いていた。いつもはビンテージ・ラジカセで聞くのだが。今日は気分的にと言うか今度購入したCDラジカセは結構XBASSにしなくても重低音がバスのつまみを回す事で出るのですよね。だからつまみを目一杯の6最高にして聴いて居たら、低音が出過ぎるので3まで抑えて今聴いて居ます。そしてパソコンの机に座ったら、突然、眠気が襲って来て、、音を鳴りっ放しにして、そう言う時は、何時もは二つ折りにして居る、布団の上に倒れ込み其の儘、少しの間寝り込んで仕舞うのだが。今日はウトウトとして居た。トーストと、レタスサラダとコーヒーで朝食を済ませ、起きたのだが、、なぜかと言うと訪問看護師が来るからだ。
本当に毎日、眠たい。夜、11時頃には眠りたいと思っているのだが、昨日は夜中の12時とか1時ぐらいに寝て、朝方の6時過ぎぐらいから起きて居るのですよね。。。。
処で吾妻光良さんと云えば、Blues guitaristとして、尊敬して居る、日本を代表するジャンプ・ジャズ・ブルースの第一人者だが。ギターを弾いている頃は、ライブハウスやコンサート会場にラジカセを持ち込み密かに録音して居た。そして、私は彼のコピーをして居ました。だから、私のギターのフレーズは吾妻さんと酷似して居た。彼のギターの特徴はジャンプ・ブルースとジャズの影響を受けて居て、それを、アルバート・コリンズばりのアグレッシブな弾き方で演奏するスタイルです。彼のライブは漫談に近いトークが繰り広げられます。自作の歌詞も面白いです。皆さんぜひ此処で聴いて行って下さいね。
まあ、下に映像を上げていますので聴いて見て下さい。
吾妻光良&The Swinging Boppers "最後まで楽しもう"
吾妻光良&The Swinging Boppers "150~300"
11.12.10 吾妻光良 & The Swinging Boppers: I am Wine 他
吾妻光良トリオ+長見順+classics "Everyday I Have The Blues "
Shoka Okubo Blues Project vol.1 with 吾妻光良トリオ _ I Wonder~Flip, Flop & Fly.mp4
吾妻光良Vo/Pf ★AfterHoursSPECIAL LIVE映像
まあ、この人は、妹尾さんのファースト・アルバム「メッシング・アラウンド」でリードギターで参加したのが初めで、そして、妹尾さんが居たローラー・コースターと云うバンドで演奏してました。その後、永井隆のバンド、ブルー・ヘブンやら、色々と渡り歩いて、現在は、ザ・スインギング・バッパーズ。吾妻光良トリオで活躍して居ます。
最近、何だか本当にBlues一辺倒だ・・・・
Billy Branch and The SOB's - Son of Juke - Goin' Down - Rosa's Lounge - Chicago
以前に私が通って居る、病院の看護師たちで、作って居るバンドでブルースハープを吹いて見ないかと言われた事がある。まあ、「今はそんな気は余りしないから・・・。」と言って断ったが、最近バンドで吹いては居ないので、体調がまだ万全ではなく、、もっと本腰入れて練習しないとと思って居るので。まあ、バンドで吹ければ又別の時間の過ごし方が出来るとは思うのだけども・・・・体調が万全と行かなくて。最近は何をするにも億劫でまだ身体が慣れて居ないからどう仕様もない。前に若いヘルパーさんが来て、私がパーマを掛けて居るのを見て、やたら興奮して居たのだが(笑)何故だろう?そして歳は幾つだと聞くのでもう老年期だと言ったら、「若い〜〜」とビックリされた???しかし、パーマもなぁ、、以前の入院中に髪が長くて鬱陶しいので、病院の床屋に予約を入れて、食堂でカットして貰ったのがいけなかった。
カットの時に理髪師がどうするのか聞いて来たので、結構短めにしてくれて良いですよと言ったら、目一杯短く切られて仕舞った(笑)でも切る時に「男らしい髪型では無く、どちらかと言うと女性的にですね」と言って居て、まあ、刈り上げたりしないで髪は長くしてと言う事みたいだった。前髪と横はそんなに短くはしなかったが、後ろは遠陵なくバッサリ切られた。そして退院してから、また2年程で、髪が伸びて来たので長髪の状態でパーマを掛けたので、それ以来、髪はボリュウム感が可成り出ては居た(笑)、でも髪は少なく成って来て居る。昨年の11月に入院した時には、病院内の美容室でパーマを掛けた。安かったですよ6千5百円で済んだ。退院してから4月の半ばにまた今度は八幡山の美容室でパーマを掛けた、、だから来月は染めようと思う。金があればまたパーマも掛けたいのですがね....。。
今日は訪問看護師さんが来た。看護師さんは体調はこの「1週間どうでしたか」と聞くので、「此間、幻聴から妄想がまた出てしまって、その妄想に出て来る男と話していた」と言ったら「もしあまりにも酷い時には急速入院をした方がいいですよ」と言って居た。なんか、最近は意識がフッと無くなる事がある。しかし、今又フッと意識がなくなり掛けたが。高井戸保険センターに障害者手帳の書類と切手434円分と返信用封筒に自分で名を書いて、横3センチ縦4センチの写真を八幡山の駅に中に自動写真機があるので、そこまで行って撮らなければ成らないので。今日は朝6時から起きているが、もう夕方の4時半を回って居る、何時もの事ながら、起きて居ると眠くなるのですよ。1日眠たい。
生活保護について書いて見るが。例えば、部屋の家賃は生活保護費で出るのだが上限が決まって居て、東京23区の場合、5万3千7百円と決まって居る。此れ以上高い家賃の所は素人考えで、自分でオーバーしてしまった家賃代を払えば良いのだろうと思った事もあったが、それは許されないとの事だった。例えば、「上限5万3千7百円と決まって居るから、5万4千円、5万6千円の所に住みたい場合、そのアパートの不動産屋に云って経理費として5万3千7百円からはみ出た、残りの金額を上乗せと言う形にして、自分の保護費から払えれば通るらしい。」と以前に今は辞めて居るケアマネージャーに言われては居た......。
以前は自分で1万円分ぐらいの差額分を払っても許されて居たが、最低必要源の暮らしと言う事で、贅沢だと見なされたらしい。しかし自分が住んで居る地域では5万3千円位のアパートは無く、それより安い5万円位の所が多い。部屋も4畳半、良くて6畳間です。キッチンは6畳間に一畳分のスペースが付いて居る。だから、今の此の6畳間と4,5畳間と3畳半のお勝手とトイレと風呂が別なアパートは見っけもんだったのです。家賃も5万7千円だしね。やはり最低限の生活と言う事で、6畳間に住めれば御の字だろうと言う事らしい。私は、あと2年後に取り壊す予定の6畳間と5、5畳のお勝手に住んで居たが。もう、此処の様に6畳間とお勝手5,5畳間の処は無いだろう。それに2年後は私はもう66歳だ年齢制限で引っ掛かるだろうね。厳しいと思っていたが。怪我の功名とはこう言う事を言うのかと思うが、私が昨年遅れに女性の悲鳴を聞いて隣に暴漢がいて、その子を殺そうとして居ると言う妄想を抱いてしまい、表に出て来いとドアを思いっきり蹴って居たのだが、その騒ぎのせいでそのアパートに居られなく成り、そして処置入院をして2ヶ月の間に今のアパートを見つけて引っ越せたのは奇跡に近かった。まあ、何遍も書いて居るからもう知って居るだろうけど。隣の部屋のジョー・カルロスと言う精神病患者にいいようにされたがね。それも解決して、今は良い所に引っ越せたと思って居ますよ。さてと今日は写真を撮りに八幡山まで行くか明日にするか今考え中です。明日にするか.....、切手は買ってきて。封筒に貼ったし434円の切手は封筒の中に入れてあるし返信用の封筒は送る封筒の中に入れたし後は写真だけです。今日はもう遅いので、明日行こうかな・・・・・・。
最近は、普段の練習用にHONNER社の「 OLD STANDBY」と云うbluesharpを購入して居た。この機種は繊細な音がします。普通のbluesharpより小振りですし。値段が3,680円と安かったのですが、最近はハーモニカの値段が高く成って居て、4,800円はするようだ......。
その他、所有しているのは、SEYDEL社の「Solist Pro」とSUZUKI社の「MANJI」です。最近はSEYDEL社製のブルースハープは値段が元々高かったのですが一本で1万円ぐらいに成ってしまいました。ハーモニカ界のベンツと言った処でしょうか?「MANJI 」は低価格のままですね。ほぼ3千幾らかで買う事が出来る様です
以上にも色々なチューニングのBluesharpを所有しています。TOMBOの MINOR・HARPとか、、、後、chromatic harmonicaも1本所有しています。此れらも値上げしました。
ハーモニカ教則『ゼッタイ吹ける!ブルース・ハープ超入門』紅葉 Digest
処で、私はポール・コリアー氏の「新・資本主義論」を評価して居ます。ですので、本の内容を書いて見ました。
資本主義は多くの成果をあげて来たし、繁栄には欠かせない。だが資本主義経済を過度に楽観視すべきではない。ただ市場の圧力や個人の利益の追求に頼って居るだけでは、新たな3つの社会的分裂のどれも修復する事は出来ない。「元気を出して、流れに乗ろうじゃないか」などと言う態度は的外れなだけでなく、あまりに独りよがりだ。私たちに必要なのは積極的な公共政策だ。だが社会的父権主義は失敗を繰り返して来た。左派は国家に任せて於くのが一番だと考えたが、残念ながらそうではなかった。先導者たちが導く国家こそが倫理観を指針とする唯一の存在だと信じたのだが、それは国家の倫理性を過大評価する一方で、家族や企業の倫理観を軽視した。それに対して右派は、国家による規制の束縛を断ち切れば──これはリバタリアンたちの呪文【マントラ】だ──自己の利益の追求が持つ力を解き放ち、すべての人を豊かに出来るとの信念を抱いた。此れは今度は市場の魔法の様な力を極端に強調する一方で、それを倫理的に抑制する必要性を軽視したのだ。私たちには意欲的な国家が必要だが、左派が言うよりも控えめな役割を引き受ける国家でなければならない。私たちには市場も必要だが、倫理観にしっかりと根差した目的意識によって抑制されて居なければならないのです。
他に適切な表現が無い為、社会の溝を無くす為に私が提示する諸政策を「社会的母権主義(ソーシャル・マターナリズム)」と呼ぶ事にする。それによれば、国家は社会と経済の両方の領域で積極的に役割を果たすが、過度に自らの権力を増大させる事はしない。租税政策は強者たちが分不相応な利益を持ち去る事が無い様に抑制するが、喜び勇んで富裕層から所得を奪い取って貧困層に配る様な事はしない。さまざまな規制はするが、それはまさに資本主義が驚異的なダイナミズムを発揮する活動を挫く為では無く、「創造的破壊」──それは競争によって経済発展を促進する──の犠牲者たちが補償を求める事が出来る様にする為だ(1)。「社会的母権主義」のもとでは、愛国心が人びとを結束させる推進力となり、不平不満に基づく個々にばらばらなアイデンティティは重視されなくなる。この指針の哲学的基盤となるのはイデオロギーの排斥だ。とは言え、雑多な思想のごった煮と言う訳ではなく、私たちの多様かつ本能的な道徳的な価値観と、その多様性に当然ながら伴うプラグマティックな妥協とを、進んで受け入れる事を意味している。何か特定の単一な絶対的な理性的原理でもって多様な価値観を退けると言うやり方は、必然的に対立をもたらすだけだ。互いの多様な価値観を認め合う事は、デイヴィッド・ヒュームとアダム・スミスの哲学に根差して居るのだ。左右両極の対立は20世紀の最悪の時期の特徴であり、目下猛烈な勢いで復活しつつあるが、本書が提示する諸政策はそれを乗り越えるのです(2)。
20世紀の種々の大惨事を引き起こしたのは、熱烈にイデオロギーを奉じて居た政治リーダーら──原理を重視した男たち──か、あるいはポピュリズムを売りものにした政治家たち──カリスマ性を持った男たち(そう、たいてい男たちだった)──のどちらかだった。こうしたイデオローグやポピュリストらとは対照的に、20世紀のもっとも成功したリーダーたちはプラグマティストだった。腐敗と貧困にまみれた社会を引き受けたリー・クアンユー〔1923−2015年。元首相〕は、真正面から腐敗撲滅に取り組み、シンガポールを21世紀を代表する繁栄する社会に変えた。分裂目前と言う程に分断された国家を引き受けたカナダのピエール・トルドー〔1919−2000年。元首相〕は、ケベックの分離主義を収束させ、誇り高い国家を築いた。民族虐殺の瓦礫の中から、ルワンダのポール・カガメ〔元副大統領・国防相、現大統領〕はしっかりと機能する社会を再建した。
著書『ザ・フィックス(The Fix)』の中で、ジョナサン・テッパーマンはこのようなリーダーたち10人を研究し、それぞれが深刻な問題を解決した方策を探究した。テッパーマンの結論は、10人の共通点はイデオロギーを退けた事であり、その代わりに核心的な問題に対するプラグマティックな解決策に集中し、進むにつれて状況に合わせて調整して行った事だと言う。彼らは必要とあらば断固とした態度を示した──有力な集団を優遇しないと言う決然とした姿勢が彼らの成功の特徴だった。リー・クアンユーは友人たちであっても投獄する覚悟があった。トルドーは同郷のクベック州の住民たちが熱望したにもかかわらず、独立した地位を与える事を拒んだ。カガメは自らのツチ族の仲間たちが軍事的勝利を収めても、戦利品の山分けと言う旧弊を退けた。そして最終的に成功を勝ち取るまで、彼らは皆激しい批判にさらされたのだった。
本書のプラグマティズムは道徳的価値観にしっかりと、そして一貫して根差して居る。しかしイデオロギーを排するから、あらゆる類のイデオローグたちから不評を買う事は確実だ。それは今日メディアを支配して居る人たちだ。だが「左寄り」と言うアイデンティティは道徳的優越感を感じる為の怠惰な手法となって居る。「右寄り」と言うアイデンティティは自分は「現実的」だと感じる為の怠惰な手法となって居る。皆さんは此れから本書を通じて倫理的な資本主義の未来を探究する事になる──ど真ん中の中道へ、ようこそ。
(注)(1)「創造的破壊」とは、市場における競争を通じ、有能な企業がそうで無い企業を駆逐するプロセスを指す。所得が漸増して行く現象はほぼ此れで説明がつく。これはジョセフ・シュンペーターの造語で(Schumpeter, 1942を参照)、「資本主義の本質的事実」だとシュンペーターは述べた。だからその他の「何々主義」と言う様なものは、どれほど夢想的な魅力に溢れて居ても、良くてもせいぜい的外れにすぎないのだ。私たちの社会の将来は資本主義を打倒する事にでは無く、改良する事にかかって居るのです。
(2)プラグマティズム、繁栄、コミュニティ、倫理、そして社会心理学と言う彼の提言の構成要素はすべて首尾一貫して結びついて居る。それは、いずれもデイヴィッド・ヒュームとその友人のアダム・スミスにまで遡れるからだ。スミスの伝記を書いたジェシー・ノーマンが言う様に(Norman, 2018を参照)、スミスはプラグマティストだった。逆に言えば、プラグマティズムの淵源はスミスに求める事が出来るのである──「彼のニュートン主義的な科学哲学が含意して居たものを、現代に於いてもっとも偉大なかたちで追究したのがパースの思想だった」と、ノーマンは言う。パースはプラグマティズムの創始者だ。スミスとヒュームの倫理観は明らかにコミュニタリアンだった。ノーマンも入念に指摘して居る通り、彼らは原始【プロト】功利主義者では無かったのです。
帰属意識の政治学
彼の主張はマルクス主義のバリエーションではない。マルクス主義のイデオロギーは憎悪に満ちたナラティブに立脚し、それは共有されたアイデンティティではなく、極端な階級的アイデンティティをもたらす。相互的な責務では無く、ほかの階級に属するものを特定の階級が簒奪する権利を主張する。イスラム教原理主義の様に、マルクス主義が言う「啓発された利己心」は、国家が「衰亡する」遥かなる楽園を思い描かせる。だがマルクス主義が実際にもたらす結果は、例外なく証明されて来た通り、社会的な葛藤であり、経済の崩壊であり、衰亡する処か傲慢かつ残忍な権力の支配を強要する国家なのである。この事は現在もベネズエラからの難民たちの脱出と言う形で現れて居て、少しでも関心があれば気づく程、衆目にさらされて居る。理性的な相互主義を基盤として資本主義を操るプラグマティックな社会と、マルクス主義のイデオローグたちが操る社会との違いは、心やすらかな社会と、募るばかりの憎悪によって引き裂かれて居る社会の違いです。
一方、ロールズ主義と功利主義の夢についてだが、家族内の責務を貶め、あらゆる子供たちに対して平等に責務を果たす事を優先したり、国民同士の責務を貶め、世界的な「被害者」集団に対する責務を優先したりしても、エデンの園は創れない。それは「権利に基づく個人主義」と言う闇へと落ち込んで行く社会を次世代に残すだけだ。そんな事になれば、将来振り返って見た時、功利主義とロールズ主義が中道左派を支配した時代は、まさに次の様な時代だったと認識されずには居られまい──傲慢、自信過剰、そして破壊的な時代だ。だがコミュニタリアニズムと言う本来のルーツに戻るにつれて、そして必死に働く世帯の不安に対処する為、信頼に基づく相互的な義務感の網の再建に取り組む事により、中道左派は復活するだろう(*)。同様に、強硬な個人主義が中道右派を支配した時代は、本来は偉大なはずの伝統を「エコノミック・マン」が惑わせた時代として理解される様になるだろう。それは倫理的な姿勢を取り戻すにつれて、「ひとつの国民【ワン・ネーション】」を主眼とする政治に復帰するだろう。今日の新たな不安の数々は極左に丸投げするには深刻すぎる。一方、場所に対する帰属意識は、極右のなすがままにするにはあまりにも力強く、潜在的に建設的なものです。
新たな不安の数々に直面している今、問題とすべき経済的な脅威は、新たに猛威を振るって居る地理的および階級的な格差拡大である事は明らかなはずだ。宗教やイデオロギーに於ける過激主義的なアイデンティティの台頭を前にして、問題とすべき社会的な脅威は、対立的なアイデンティティへの断片化──それはソーシャルメディアの「エコー・チャンバー」によって支えられて居る──である事も明らかなはずだ。ブレグジットとドナルド・トランプの登場以降、問題とすべき政治的な脅威は、排外的なナショナリズムである事は明らかな事となった。処がリベラル勢力は共有された帰属意識と、それが下支えできる温和な愛国主義を遠ざけた事で、社会を団結させ、改善策を進める事の出来る唯一の原動力を手放してしまった。その結果迂闊にも、そして無謀にも、その原動力をいかさまな両極に明け渡してしまったのだ。両極の連中はそれを自分たちの歪んだ目的を実現する為に捻じ曲げながら、ほくそ笑んで居るのです。
私たちはもっと出来る──かつてやった事があるのだから、もう一度出来るはずだ。
政治用語が混乱して居ます。「おれは保守だ」と言う人が居れば、「あんなのは本物の保守では無い」と言う人が居ます。「日本のリベラルは終わった」と言う人が居れば、「あんなのは本物のリベラルでは無い」と言う人が居ます。保守、リベラル、右翼、左翼──。政治的立場を示す此れらの言葉は、論者それぞれが自分独自の定義で使う様になってしまいました。誤解や混乱を避ける為、うかつに使うのを躊躇う程です。一度此れらの言葉から離れて、政策そのものをベースに政治的立場を整理する必要があるでは無いでしょうか?
ちなみに此の本を出した白水社は私の指針として居るショーペン・ハウエルの「孤独と人生」を出版して居る出版社です。古い本ですが・・・。彼が言いたい事と言うのは「孤独を愛さないものは、自由をも愛して居ない」と言う事だったのだと思います。詳しくは、私の過去記事をよく読んで下さいね。
名著紹介。。。「形而上哲学小説・・・・「死霊=指令」」
埴谷雄高氏は戦後の闇の作家とも言えると思う。戦前は、殆んどの政治活動家が非合法の政治活動に参加するのは当たり前みたいな感覚があった様だ。彼はマルクス・レーニン主義にかぶれた。マルクス・レーニン主義は今の時代に力は無い。ベルリンの壁の崩壊。ソ連邦の解体。この際レーニン像は引き摺り下ろされた。それ以降。共産主義は最早人気は無い。彼は若き日、子供心に台湾において「支配者としての日本人」を強く意識し、罪悪感を覚えて日本共産党に入党し、もっぱら地下活動(農民団体」のオルグ活動)に従事し、思想犯取り締まりの為。1932年に逮捕された。彼は幼少の頃、軍人だった父親が台湾人を刀で斬り殺す場面を見せられて、それ以来、アイデンティティーの崩壊を起こして仕舞ったそうだ。だから彼の著作「死霊」では「自同律の不快」と言う観念を戦後打ち出して居る。検挙後埴谷は未決囚として田名刑務所に収監され、形式的な転向によって釈放された...。獄中では、カント。ドストエフスキー。またヘーゲル。ショーペン・ハウエルなどを熟読し、若い頃はマックス・ステェルナーの「唯一者と所有」がそれまでの彼のアナキズムを形作って居たと言う。評価としては三島由紀夫は「埴谷雄高氏は戦後の日本の夜を完全に支配した」として埴谷の文学を絶賛してるし。また吉本隆明は、埴谷の文学作品と政治理論の双方を非常に高く評価し、「死霊」第五章を、「死と言うものを瞬間的にでなく、段階的・思索的にとらえた日本近代文学史上はじめての作品」とし、またその政治理論についても「革命家は行動を起こさなければ行けないと言う観念論ではなく、未来のビジョンを示せば良い言う事を示したコペルニクス的回転である」とした。
埴谷雄高、形而上哲学小説「死霊」
==彼の唯一の形而上長編小説について==
形而上学哲学小説「死霊」は 全十二章を構想し、戦後の約半世紀を費やして執筆されたが、第九章まで書き進められたところで未完のまま終わって居る。当初の構想では、釈迦と大雄(ヴァルダマーナ、ジャイナ教の創始者)の議論までが書かれるはずであった。なお、巻頭のエピグラム「悪意と深淵の間に彷徨いつつ/宇宙のごとく/私語する死霊達」は『不合理ゆえに吾信ず』からの自己引用であり、『死靈』は文字通り埴谷の文学的探求の根源から存在する問題意識を小説・物語の形を借りた議論によって形象化しようとした壮大なものであった。
『死靈』は、『近代文学』誌上に1946年1月号から49年11月号にかけて第四章までが連載され、此処で筆者が腸結線を病んだ事情もあって中絶した。長いブランクを経て第五章が、1975年に『群像』で発表され、以後は『群像』誌上で続編が掲載されていった。1976年、日本文学大賞を『定本 死靈』で受賞。以後の単行本は、講談社から順次刊行され、1998年2月から刊行開始された『埴谷雄高全集』第1回配本の第3巻に、『死靈』全編及び第九章未定稿が収められている。埴谷自身、文庫判は1世紀以上経って居る作品のみとすべきとの考えから、生前は自らの作品を決して文庫に入れようとはしなかったが、2003年に講談社文芸文庫で刊行された。
自身は、第九章脱稿時に、全九章及び第九章未定稿をもって『死霊』を完結としたが、友人本多秋五らの説得によって第九章未定稿部分を撤回し、『死霊』は未完と言う形で終わらせた。なお、第九章の完結後、「『死靈』断章(一)~(五)」として続稿、ないし遺漏稿と思われるアフォリズム的小文は、『群像』1996年8月・9月・11月・12月号、翌'97年4月号に掲載された。これらの断章は『埴谷雄高全集 11巻』にすべて収められた。
1995年1月9日~13日の5夜に渡り、NHK教育テレビが、『 ETV8特集、埴谷雄高・独白「死霊」の世界』を放送。また放送分を書籍化し、NHK出版から同名の著作が、1997年に出版されている(白川正芳責任編集)。また、DVDは出て居ないがビデオテープはNHKソフトから以前発売されて居た。私はそのビデオを購入した。今はそのビデオをDVDにダビングして焼いて所有して居て繰り返し見て居る。
2007年10月2日、埴谷雄高の遺品などの寄贈を受けてい神奈川近代文学館は、埴谷の残した膨大な資料の中から(埴谷はどんな些細なメモも捨てることはなかったと言われる)作品の構想過程が分かる詳細なメモを発見。1930年代の物と思われるそのメモは『死靈』が文字通り埴谷の生涯を賭した作品であることを明確に示して居る。なお、これらの資料は『群像』2007年11月号に転載され、研究者の鹿島撤などが解説を加えて居る。
本作は、ドフトエフスキーの作品に多大な影響を受けている。共産主義思想の活動家たちの地下活動とその中で交される議論を主たる題材とした小説であるが、その議論の中では、「無限大」、「存在」、「宇宙」、「虚體」、「自同律の不快」、「のっぺらぼう」、「過誤の宇宙史」―等々独自の意味づけを与えられた命題に関して、身辺や感覚を発端として深遠かつ壮大な形而上学的思索が繰り広げられ、極めて難解な思弁的物語、いや主題に似つかわしく物語の「非在」とも言うべき議論の応酬となって居る。
ーあらすじー
昭和10年代の東京市と思われる街を舞台とするこの小説に於いて、議論の中心となるのは、「虚體」の思想を持ち「自同律」に懐疑を抱く主人公・三輪與志、結核に罹患し瀕死の床に伏す元党地下活動家の三輪高志、「首ったけ」こと自称革命家の首猛夫、「黙狂」と呼ばれる思索者・矢場徹吾ら4人の異母兄弟である。そこに與志の婚約者の津田安壽子、與志と徹吾の高等学校時代の親友の黒川建吉、徹吾が入院する精神病院の医師の岸杉夫、安壽子の父で元警視総監の津田康造とその妻、高志の恋人でありながら高志の同志と心中した姉を持つ尾木恒子、「神様」と呼ばれる少女とその姉「ねんね」、印刷工場主で革命運動にも関わる李奉洋……こうした群像が存在の秘密や宇宙や無限をめぐって異様な観念的議論をたたかわせる。何十ページにもわたる独白を中心とした饒舌な文体によって進められる非常に緩慢な時間進行の中での対話劇に、永久運動の時計台、《死者の電話箱》・《存在の電話箱》の実験、《窮極の秘密を打ち明ける夢魔》との対話、《愁いの王》の悲劇、「暗黒速」「念速」などの概念、人間そのもの・イエス・キリスト・釈迦・さらに上位的存在への弾劾、ある種象徴的な黒服・青服による「虚体」「虚在」「無」の三者の観念的峻別についての示唆なども挿入され、一種神秘的・超常的な雰囲気さえただよう。その一方で、議論の合間にしばしば「あっは」「ぷふい」と差し挟まれるユーモラスな間投詞や、ボートに乗った一行が肥満した安壽子の母の体重により(これまた非常に緩慢に)ひっくり返る場面、「喰った者が喰われた者に弾劾される」と言うある種アニミズム的な場面などと言ったスラップスティックな表現もある。なお、「あっは」「ぷふい」はともにドイツ語でで、Achは驚きをあらわす言葉で英語のOhにあたり、Pfuiは「ちぇっ!」のように不快、嫌悪をあらわす。
ちなみに『死靈』の異母四兄弟は、それぞれスウィンバーンのフランソワ・ビヨンによせた詩"ballad of francois villon prince ob All Bllad-Makas" の一節、"Villon,our sad bad glad mad brother's name!"におけるsad,bad,glad,madに、三輪与志、三輪高志、首猛夫、矢場徹吾がそれぞれ対応されて居る。
埴谷雄高の新資料
昨日の夕食、、今日は軽くしました。レタス・サラダにコーヒーとトーストです...。
「本について」
読書との関係は、中学まで遡ります。私の父親は本を読まない人でした。私はある日同級生の家に行き、その父親の書棚を見てビックリしました。哲学書が並んで居て、中にはラテン語で書いてある哲学書があったのです。私はそれ以来自分も書斎を持とうと思いました。しかし立派な書斎はいまだに持ててません。いいえ、もう一生持てないでしょう。そして、私が本を読み出したのは中学からではありません。高校まで本はあまり読まなかったのです。中学の時には古本屋で古本を購入して居した。
高校時代から大学3年生までは、だいたい少なくとも1ヶ月で2冊、多い時は4冊は読んで居ました。ほぼ全て思想書か芸術関係、映画分析の本です。で、小説は余り読んで居ませんが。現在好きな作家は司馬遼太郎、安部公房、埴谷雄高、三島由紀夫、ジョゼ・ジョバンニ、ジェイムス・エルロイなどです。
中学3年生の頃に隣町の古本屋で「燃えよ剣」「新撰組血風録」「人斬り以蔵」「新撰組始末記」と100円コーナーにあった司馬遼太郎やら子母沢寛などを買い込み。1970年代当時は新撰組が人気で本屋には新選組コーナーがあった程です。その古本屋は「一心堂」と言って、金がない私は中学生の頃から高校に掛けてはそこに良く行きました。いまだに覚えて居るのは最近の事ですが。と言っても、もう30年位前か、、、「ダダイズム」の研究家の著作の分厚い本が定価1万8千円で売って居た事でした。余程購入しようか迷いましたが。金が無い事もあって辞めて起きました。ただ、その古本屋で購入した「演技者・小林桂樹の仕事」と山本暎一著作「虫プロ興亡記」に付いてはいい本を購入したと喜んで居ますよ。ちなみに、その古本屋は今はもう在りません。。
神保町デート|古本屋巡りとレトロ喫茶店でチーズケーキ|お散歩Vlog|購入した本紹介
町の古本屋さんに癒される動画。
VLOG | 文学好きの天国へ | 神保町古本屋巡りして脳汁が止まらない(購入本紹介あり)
BoomBox(ラジカセ)について思う事。。。。
21世紀を向かえた現代、デジタル全盛期の世の中。何でもあって満ち足りた現代なのに何かが足りない。物には満ちあふれて居るが心が痩せて仕舞って居る気がします。それはある意味便利な物に頼り過ぎた結果、人間が本来持って居る機能が失われて仕舞ったのだと感じる。
そんな世の中にあって1970年、80年代に生産されたラジカセが今、心を満たし始めてる。ラジカセは日本が生んだ正真正銘メイド・イン・ジャパンのオーディオだ。この、ポータブル・オーディオと言う概念が凄く良い。
沢山の機能を一つの箱に押し込めた、まさに日本が詰まった小宇宙的な箱なのだ。私が考えるラジカセの定義は1.ラジオとカセットが付いて居る。2.把手が必ずある。3.電池で使える。そして4.Bluetooth機能を搭載して居る事だ。この4点がラジカセへの自分の定義だと思って居る。
あえてもう一つ付け加えるならCDをカセットテープに録音してゆっくり聞くのが最高なのである。この時代に生まれたラジカセが奏でるアナログ音はノイズも癒しの音楽に変えてしまう。そしてラジオの音のなんとも言えぬ一体感が大好きである。まさに現代が失って仕舞ったものが此処に有るのです。
ヴィンテ-ジ・ラジカセの魅力は「その時代の音を再現する」に尽きると考えます。
昔、録ったカセットテープを現代のオーディオで再生しても今の音になってしまい、音に隠れた懐かしさと言う本質は再現されません。
そして70、80年代のラジカセから流れる音は懐かしさと
デジタルでは表現出来ない暖かみもあります。
CDではカットしてしまうレンジも全てを含んだ音は心地よいのです。
アナログの心地よさとラジカセの無骨だがメカニカルなデザインは、私に大切な物は何なのか?を語りかけてくれる友達です.....。
1979年製のビンテージ・ラジカセです。生産当時8万円以上はして居た機種です。私は3万6千円でヤフーオークションで落札して購入しました。昔の1979年生産のラジカセですから。音は日本が誇って居たメイド・イン・ジャパン製の高級ラジカセの音がします。昔のオーディオの音ですよ低音も特に問題なく出て居ます、そして改造でBluetooth機能を搭載して居ます。音の質が高級な質の良い音がして。今こんな感じのラジカセはもう作れないのでしょうね。今から45年前の家電ですから。大切に使わないと・・・・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
最近2年前程に購入した。ビンテージ型の最新ラジカセです。音はいいですよ。中低音が魅力的です。重低音は出ませんが着心地の良いダイナミックレンジの音がいいですね。Bluetooth機能を搭載して居ます。昨年までは、このラジカセでもラジオをよく聴いて居ましたが最近はあまり出番は無いです。。。いいラジカセですよ。値段は2万6千幾らです。今は値下げして1万8千円ぐらいで買える見たいです。皆さんも購入検討して観られたら如何でしょうか???( ◠‿◠ )音質はトレブルとバスのつまみが2つ付いて居ます。そして低音を増幅する回路も搭載は一応されて居ますが、重低音は出ません。期待して購入したのですが少し期待外れでしたが、値段が安いですからね。でも今はもう生産中止に成ったのかな?SDやらメモリーステックなどに録音も出来ますよ。
音が抜群にいい。CDラジカセです。。。CDとカセットとラジオが聴けます。物凄くいいCDラジカセです。Bluetooth機能は搭載して居ませんが、外部入力端子はあるのでスマホとはピンジャックで繋げられます。だからストリーミングはそれで聴けますよ。値段は2万幾らです。購入するには最適ですよ、音が本当にいいですね。小型の機種ながらバスレフ型を採用して居るので重低音が出ます。また、ハイレゾに音を変換も出来る優れものです。買いですよ、(๑>◡<๑)
そしてつい3ヶ月ぐらい前に思い切って購入した最高級BoomBox(CDラジカセ)です。音が流石にいいです。でもビンテージ・ラジカセの様な昔ながらのオーディオとは違って居て音がシャープでキレが良くトレブルとバスのつまみが付いて居ますが。バス(低音)のつまみをMAXにすると重低音が鳴り響きます。だから普段はそれで充分にいいのですが。このラジカセには、更にその上の重厚な低音が出るXBASSという回路が最新の技術により付いていて、大迫力のある重低音の上の高級オーデオ並みの重低音が出ます。普段は低音が出すぎるのでバスつまみもMAXの6ではなくて3ぐらいで十分ですね。とにかく値段も4万円を超える額でしたし、最近のラジカセにしてはラジカセ・メーカーの本気度を感じる最新鋭の音作りをして居ます。もうこの商品は在庫が売り切れでないはずですが。もしかしたらAmazonなら売って居るかとも思いますので、欲しい人が居たら、観て見て下さいね、今売って居るラジカセの中では最高級な高性能なラジカセです。音は今風の音作りになって居るので、昔のラジカセとは少し趣が違ったシャープな音がするBoomBoxです。またSDカード、メモリーステックなどの音も再生出来たり。それらの録音も出来ます。そしてBluetooth機能は搭載していますよ勿論。最新鋭で音が凄く良いBoom Boxですね。日本が誇れるラジカセをOrionが作ってくれました。感謝ですよ此れはね。実は今もこのCDラジカセで、ブルースのストリーミングを、スマホのアップルミュージックから聴いてこの記事を書いています。最高ですよ!!
そしてレコードも私の大切な音楽ツールです。。。。私はレコードプレイヤーをCDが聴けなくなった壊れているCDレシーバーをプリメインアンプの部分で使って外部入力にCDプレイヤー付きカセットデッキとセレクターで切り替えて掛かる様に設定し、レコードとCDからカセットに録画出来る様に成って居る、カセットデッキなのですから、TSUTAYAから CDを借りてはカセットテープに録画するのに専用に使って居ます。後はミニコンポとしてこのセットでレコードを聴いて居ます。
此れで私のオーディオ・ルームは完成です。毎日何か、ロック・ブルース・ジャズと聴いて居ますよ。私が作り上げたステレオ・システムと言った所でしょうか・・・。
今回も過去記事から、再び読んで貰いたい記事を再公開しました。此処迄、読んでくれてどうも有難う。