私が好きな青木志貴ちゃん、彼女は声優で、モデルで、アパレル・ブランドのオーナーで、舞台俳優で、歌手で、コラム二ストで、YouTuberです。皆さんも応援して下さいね。宜しくね、、、☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
声優廃業の危機と、筋トレに目覚めた理由。
「エッセイ」
また、調子が悪いので、、暫く更新出来ないかと思います。ですので此処1週間ぐらいに上げて居る、blog記事を読んで居て下さいね。宜しくお願い致します。今日はヘルパーさんが来ましたが。以前とヘルパー事業所を変えて居ることもあり。来ると掃除をすぐに始めます、何せ時間が30分ですからね。その間、私はお勝手の流し台で食器類を洗います。前来て居たヘルパーさんは買い物に行ってくれたので、丁度、ホウキが無かったので、買って来て貰って居たのですが。100均ですが、安いですよね。まあ、小さいのですが塵取りとセットで380円だったそうです。私は髭をバリカンで剃ったり、ハサミで刈り込んだりしますので,ホウキが必要だったのですよね。何時も、ドアの前の外に髭を捨てて居るので。玄関先が汚れて仕舞って居たので・・・。
此間、八幡山に行った前の日に、シャワーをボディソープで体を洗ってから浴びたら。肌が真っ白なので、自分でも「嫌あ、肌白いなぁ」と思いましたよ。此間訪問看護師さんが来て、私を見て「なんて肌の色が白いの羨ましい」とか言われたけど。私は昔から肌が白いのですよね。弟もそうでした。母が色白なんですよ。だから子供たちは皆肌が白いですね。もっとも弟は肌が白いのは軟弱に見えるからと日焼けサロンで肌を小麦色に焼いて居ましたが。そのことを訪問看護師さんに言ったら。「なんて勿体無いことをして居るのですか???」と吃驚されて仕舞いましたけど.....。しかし、よく看護師の女の子が来た時に二つ折りにした布団にもたれかかっていると「起きて居なさい。寝てばかり居ると腰がダメになりますよ」と言われた。人間、そう楽は出来ない様です。ただ私の場合、薬の後遺症で寝て仕舞うので、仕方が無い場合もありますが。主治医に言っても、「コーヒーをガバガバ飲んで起きて居なさい」と言うだけですしね・・・・・。
まあ、薬の量は1日26錠から内科の薬合わせても7錠に減らして貰ったのですけどね。だから最近は此れでも、起きて居られる様には成って来ては居ますが。私の場合は薬を減らすと病状が悪化するんですよね。前に薬を減らして貰ったら。幻覚と幻聴が出て来て仕舞って、、慌てて元の量に戻した事があるのですよね。嫌な病気です。それと、今まではリスパダール系の薬を飲まされて居た30数年間でしたが。リスパダール系の向精神薬は勃起不全を引き起こすんですよね。だから僕が全然ダメに成ってしまったので主治医に訴えたら、主治医が慌てて薬を減らして、そして幻聴と妄想が出た昨年遅れに病院に入院したら女医さんが「リスパダールは良くないから新薬に変えますよ」と言って変えてくれて1日向精神薬は3錠に成ったのですよね。新薬が出たからと言い。しかし退院してみたら頭はふらつくは脚はもつれるわで、また前の男の主治医に変わった事もあり「新薬は入院中はいいと思って居たけど?そう言う症状が出て居ます」と言ったらまた向精神薬を他の新薬に変えました。それでも脚はふらつくわ、気を失うことがあるので注意して居ますよ。薬の後遺症です。引っ越す前に不安だったのは?、あと2年で、この時に住んで居たアパートは建て替えで取り壊しになるから、2年後はまた、不動産屋に部屋を紹介して貰わないと行けないけど。最近は不動産屋は生活保護で障害を持って居ると言うと、追い返すそうです。前にドキュメンタリーでやって居ましたが。不動産会社の社員が「オタクさぁ、、精神障害で生活保護で部屋探して居るのと言うけどさぁ、一般のサラリーマンと比べたらさぁ、どう考えても一般のサラリーマンに大家さんは部屋貸したいでしょ....。」そして「他当たってくれる、、」と言われて居た番組を観ました。
それとね、部屋借りるんでも、年齢制限があるのですよね。私の様な65歳のジジイは殆んどの処で断られますよ。私が、このアパートを5年前に探した時にも。6件当たって5件は60歳だからと跳ねられました。だから、心配して居たんですよね。2年だなんてあっと言う間に来ますから。当時はまだ64歳でしたけど、すぐに65歳に成るのは解って居たし。そしたら自分に幻聴と妄想が出て。出ていく羽目になり。まあ、ねぇ、怪我の功名と言うのか、その当時で新しいアパートを見つけるまでが、あと2年ですからね。その時の私の歳は67歳に成って居ますよ。なんで自殺する人間が居ると思います?そう言う事で何ですよね。どこも部屋を貸してくれないのですよね。世の中、生きづらいのです。まあ、でも、生活保護課の方で責任を持って引越し先を不動産屋に当たって探してくれたし。何でも生活保護専用の、御用達の不動産屋に頼んだそうです。そして私の希望に合う場所と部屋を探してくれて引越しの時には、手伝いの職員さんを遣してくれると言って居ました。だから、余り心配は要らないと言われて居ましたが。実際は手伝いは寄越せなかったので。でもその時ぐらいの大きな部屋。自室が6畳間で、お勝手が5,5畳の部屋で。風呂、トイレ別に付いて居る5万円の部屋のアパートは東京では、もう見つから無いと思います。今のアパートは、築40年の古いアパートですので部屋は広いですが。最近建てた。特にバブルの頃のアパートは狭いんですよね。だから今よりも、狭い部屋のアパートに引っ越す事になるのかなと思って居ました。もしかしたら、持ち物を処分しなければ成らないかも知れないと。でも今越してきたところは築40年のアパートですが何遍も言いますが、6畳間に4,5畳間と3,5畳のキッチンに風呂、トイレ別ですから、奇跡的にいい物件を見つけましたよね。こんないいところに引っ越せて大満足して居ますよ。家賃は5万7千円払いますけど?保護課が5万3千7百円持ってくれて、残りは3千3百円は自分持ちですけどね。それでは今回の記事に成ります。宜しくお願い致しますね。。。。(๑>◡<๑)
床屋に付いてだが。今から26年位前だが、近所の床屋に行ったら「あんた自由業だろ?」と言うので呆れてしまった。職業で差別を仕様と仕手居るのだ。そして「私は会社員ですよ」と言うと会社員にしては髪が長いと言うのです。その時は私はそんなに長髪には仕手居なかったのですが。確かに刈り上げては居なかったが・・・そして「高校は何処出たんだい!!」と聞くのです。笑ってしまって「ああ大学まで行きましたよ。それが何か?」と聞いたら、「あんた下町育ちだろう。山手育ちには見えない」とか言い出したので。「人のことは如何でもいいだろう」と言うと「大学どこでたんだ」と聞く。こんな話ばかりは仕度は無いが、大学に行ったと言うと、今度は大学の名前で差別してくる。私の場合、拓殖大学だから、「6大学では無いのか、へっ!3流大学か?」と言ったので「あなたは中卒で床屋になったのでしょ?大学のことはな!大学卒業した者しか解らないよ」と言ったら要約黙ったのだった。その床屋は親父が行って居た床屋だった。学歴差別でうまくいかないと職業差別、そしてそれもうまくいかないと地域差別を言い出す。自分は中卒で床屋に成ったのにだ。人を馬鹿に仕様と何か口実を狙って居る手合いだ。自分は一体なんだ?「単なる中卒だろ!!」と言いたく成った。差別では無い。自分はその道で腕の技術を身につけ床屋としてやって居るのでしょう。なぜ僻み妬み嫉みの根性が出るのだ。
10数年前に入院した時が面白かった。「6大学でも明治大学はただ大学野球で連ねて居るだけですよね。程度は早稲田に比べたら数段落ちるのですよね!!」と聞いて来るのだ。だから私は「早稲田のR&B研究会に所属していたけど早稲田は嫌いだね」と言ったら「あんた大学どこ出たんだい?」と聞くので「拓殖大学ですよ」と行ったら「なんだ、けっ?体育系の3流大学かい!!」と言うのだ。その人は職人だった。自分は何なんだと言いたかった。国士舘と間違えて居るのではと言いたくなった。まあ、拓大は外国語が充実して居る。何故なら国際学部とか結構有能な学部があるからだ。国際学部と言えば、欧米の先進国を学ぶ処が殆どですが、拓殖大学の国際学部は大学創設以来100年の伝統を活かし、アジア、中南米、アフリカ、中近東、中央アジアなど開発途上国のパイプが強く、其処から世界を見ていく事に特徴があるのです。このような特色のある学部は日本では、拓殖大学国際学部だけだろうと思う、特殊だ。留学生も多い。確かに、拓大の評判はあまりいいものでは無いが。皆さん誤解をして居るみたいですね。ゆきかずは、よく社員たちに「私は明治学院大学を出たんだよ。あそこはいい大学だよ、凄いだろ?皆んな〜!!」と言って高校中退の社員や、中卒の社員などに自分はあたかも名門大学を出たかの様に言って威張って居たが。確かに最近。明治学院大学の教授が数人テレビに出る様に成ったが・・・・。
くだらない。実にくだらない!!大学なぞは出てしまえばどこを出ても同じだと私は思います。前の入院中に食堂で食事を仕手居たら。ある女の子が「kiyasumeさんって放送大学の大学院出たんですって!」と言って居る。私は一言もそんな事は言って居ない。何故だと思って居たら、入院の時に持って行った本に放送大学大学院のしおりが挟んであったのだ。私は確かに放送大学の学生ではあったのでTV放送はよく見て居た。芸術論だとかメディア論の講義が良かったからでだが、それにしても何時の間に放送大学のしおりを見たんだと思って居たら。今度は別の子が「違うわよ!kiyasumeさんは東大行ったのよ!!」と言うので我ながら吃驚して食べて居た食事を吹いてしまった。私はそんな頭はして居ないし。ましてや、そんな事を言った覚えがない。これもよくよく話を聞いて居たら。入院してからすぐに、女の子の患者から自分は高校の頃、東大の学生の家庭教師に習って居て、その学生に私が似て居ると言った話が元だった。それが何時の間にか私は東大卒に成って居たのだった。人って何思うかと思って此方は吃驚して居たら、それを聞いてた看護婦が「そうだったのか....。」と思い。なんかうな垂れて居る。(笑)私はいい加減にしてくれと叫びたかった。人は何思うかだよ・・・。
そして会社を辞める少し前に会社から別の会社に入った20代の男が「kiyasumeさんはどこの高校中退なの?」と聞いてきたので「俺は一応、拓殖大学に行ったよ?」と言ったら目をひん剥いて驚いて居て。「えっ”えっ”えっ”〜〜!!」とおかしなことを口走って居なく成ってしまった。。。そいつは高校中退だった.........なんだかねぇ〜〜いい加減にしてくれと言いたかった。皆んな劣等感が強すぎる。人は学歴で決まる訳では無いし、郷里で決まる訳でもない。頭が良いから、勉強が出来るから、物事を知って居るから偉いのでも何でも無い。人としてどうかで決まる。私の弟は頭が良かった、だから家庭教師の頭の中を吸い取ってしまって、教えた家庭教師が「参りましたよ、〇くんは私の頭を吸い取って私をお払い箱にした」と言って居た。そして弟は立花隆の本を全部読んで立花さんの事はもう解ったと言って居た。始めは立花さんを頭がいい人だと慕って居たが。それ以来、見向きもしなく成った。ただ、あいつの劣等感は家の事情で東大を受けられなかった事だ。親父はバカだった。医学部の入試勉強をして居るのに、
頼むから医学部の勉強は辞めて高卒でいいから。自分の職業を継でくれと毎日夜になると説得に行ったそうだ。私はその話を聞いて親父をぶん殴ってやろうかと思った。弟が私立の成蹊小学校に通っていた頃だ「処で〇〇さんのお父さんは何の職業ですか?」と聞かれた母は「製菓材料卸問屋です」と言ったら、「何ですか、それは??」と呆れて聞かれるので、詳しく説明したら、「そんな職業なんて本当にあるのか?だってケーキなぞ小麦粉と砂糖と卵があれば作れるではないか!!」と怒り出したそうだ。そしたらクラスの同級生の母親たちが「先生何言ってるんですか、〇〇さんの職業は立派ですよ!!何も知らないんですか?」と擁護してくれたと母が言って居た。世間の人は、特に私立の学校の先生などは自分が一番だと思って居るから、ちょっとでも変わった職業は偏見の眼で見る。そしてその教師が送って来る年賀状には何時も、「私は素晴らしい人間だ」とか、「私がする事に間違いは無い」だとか、
「私の近況を話そう。私は自家栽培の畑を耕して居る。これは世界一である」とか書いてあって、「何だ、この自画自賛の年賀状は?」と呆れてしまって居た。そんな自尊心やら見栄を張って居る先生だったが一人息子は23歳の若さで突然ガンになり死んでしまった。それで支えを失ったその先生は私の弟に期待を掛け縋って来た、しかし弟はそんな先生が嫌で遠ざけてしまった。自分の弟を悪く言う訳では無いが、あいつも見栄が強かった、学生の頃は「メンサ」に入って居たし、離婚する前は「フリー・メイソン」の一員に成って居た。「フリー・メイソン」はよく秘密結社だとか悪口を叩かれるが、確かに見た目、秘密結社なので陰口を憶測で言われて居るのだろう、内外を問わず著名な政治家たちやら経済界の重鎮たちが参加して居る事で知られて居ます。学と人間的に優れた人しか入れないのが「フリー・メイソン」ですよ。興味のある方は、詳しくはネットで調べて見て下さい。私は肩書きは余り必要とはしないが、弟は肩書きを必要として居たのだろう。下はパーマを掛ける前のkiyasumeです。バカずらですね・・・すみません。
この写真は退院してまもなく16年前の8月頃に実家の自分の部屋で撮りました.....。
話は変わるが、また会社で働いて居た頃の30年程前に成るが。品物を運んで来た業者が会社に面した家の横側に車を付けて寝て居るのだ。だから2階から見えるので、私はシャッターを開けて、車の窓を叩いて、開けたから倉庫に入れろと言った。しかし毎日の様に明け方5時に来るのだ。よくよく話を聞いて見ると群馬から来ると言う。朝の4時にはもう着いて居ると言うのだ。傍迷惑な業者だとは思うが仕方がない。一度、医大生だった弟が私が起きられないので業者の相手をして居たが、荷物を積みだしたので、朝早くから可哀想だなと思い手を貸したら「さっさと、やって!!ほら、やって!!」と言われたと物凄く怒ったのだが、あいつは、矢張り労働者には向いて居なかったのだ。30年程前に一度、新宿の東口に行くので地下道を一緒に歩いて居たら、「ねえ、あいつ私のものを皆んな持って行ってしまうんだヨォ〜」と女の浮浪者から声を掛けられた。そしたら「何で、あんな人から声を掛けられなければ成らないんだ」と嫌悪感を一杯にして怒って居た。弟が高校2年位まだ17歳の頃だった。
私は母を池尻大橋の脳外科に連れて行って居た時に。大衆食堂に連れて行って、手伝いのお姉ちゃんと話をしたら、母が驚いて、「お前、前から知ってる様に話すんだね?」と言うので「郷に入れば郷に従えだよ。あの子この店の看板娘だろう。客が気さくに声掛けて居るじゃない?」と言ったら、母が驚いて「お前は誰とでも上手くやろうとするんだねぇ」と感心して居た事があった。私はどっちかと言えばそうだ。だってその子は見た所、訳ありな感じがした女の子で年は19歳位だった。高校を卒業して直ぐに食堂の手伝いを仕手居るのだ。休日以外は閉店まで働いて居るのだろう。だからこの食堂にやって来る労務者風の親父たちから気さくに声を掛けられて居るのだから。人は色々な事情を抱えて居るものです。私の母は育ちが良いので、新宿へ行くと何時もデパートの食堂で食事をして居た。だから私は新宿の居酒屋などに、たまに母を連れて行って食事をすると、母は居酒屋なんかには入った事が無いと言って居た。私は、勿論デパートのレストランで食事をするのも良いけど。庶民的な居酒屋などで食事をするのも好きだ。
場所によって使い分けて居る。定食屋などにもよく入る。その店々で特色のある美味しい料理が味わえるからだ。しかし私は会社に居た様な低俗な人間は嫌いだ。菅原と言う男は私を見ると「ボンボンぶりやがって」と難癖を付けて来た。自分は秋田から歌手を夢見て東京に出て来たと得意になって話す。まあ、それもいいだろう。しかし余りに無知だった。歌手になると言っても歌謡曲しか知らないのだ。私がツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」を会社のピッキング中に聴いて居たら。「凄い音楽だ最新の音楽か?」と聞いて来たので「いや1970年ぐらいのハードロックの曲だよ」と言うと。「フン!ボンボンぶりやがって!!」と言って嫌がらせをして来るのだ。処置無しだった。そしてその男は会社の集金の金を使い込んでクビに成った。岡本と言う会社創業以来から居る男は人が飲みかけに仕手居る缶コーヒーを飲んで。
出前物だとか弁当を買って食べて居て、席を外そうものならその人の食べて居た箸で、俺が食ってやると言っては勝手に食べるのだ。汚くて堪ったものでは無い。労務者だってそんなことはしない。しかしそんな事をして居て。会社から離れて焼き鳥屋を始めた頃から客の残したものを食べて居たら。筋萎縮症になって、また会社に舞い戻って来て、そして惨めに死んで行った。親父も「ボンボンはきれえだ」と言って、石原裕次郎の映画は観なかった。食わず嫌いなのだ。何故、昭和30年代、裕次郎がスターとして人気があったのか。それは石原家という名門の家に生まれながらも役柄はやくざ者。マドロス。労働者。人力車引き。絵描き。トランペッター。ドラマー。先生。と多岐に渡って役柄を演じた為だ。私は「ボンボンはきれえだ」と言った親父を軽蔑していた。裕次郎はいいではないか?彼は大動脈瘤解離と言う重病を負いながらもそれを克服して、「大都会」「西部警察」「太陽にほえろ」などでボス役を演じてその存在を見せ付けた。また制作サイドにも名を連ねて刑事ドラマに新境地を開いた。
私は裕次郎の映画は「銀座の恋の物語」「夜霧よ今夜も有難う」「二人の世界」「赤いハンカチ」「夜霧の慕情」「夕陽の丘」などが好きだ。特に日活ムードアクションの名作と言われる「赤いハンカチ」はすごくいい映画だ。あのジョン・ウーも自身の香港ノワール「ハードボイルド」で参考にしている程だ。私が会社で体重が30キロ近く痩せた時に、自分の部屋でベットに横になりながら「赤いハンカチ」を見ていたら。親父が入って来て「お前、いい映画を見て居るじゃないか?」と言うので。「あんたが嫌いな裕次郎の映画だろ?」と言ったら「石原裕次郎はこんないい映画に出ていたのか!!」と吃驚、仕手居た。偏見で見ず嫌いなのだ。菅原同様「ボンボンはでえ嫌いだ」か?お里が知れる・・・・・!!下の写真は「夕陽の丘」からです。
赤いハンカチ
Hard Boiled - Trailer - (1992) - HQ
書いて居て何が言いたいのかと言うと。弟はやはり母の家系の血筋を引いて居て。医者に成る為に生まれて来た様な男だったのだ。会社員や労働者には向いて居ない。弟贔屓だと言われるかも知れないが確かに頭は良かった。私には親父の血と母の家系の血が両方とも入って居る。しかし私はなるだけ父の家系の方は出さない様にして生きて来た。私は勉強が出来る訳でも無い。しかし知識欲は旺盛だ。そして弟は音楽はてんで疎かった。私に聞けば、私はロックでも、ジャズでも。ブルースでも教えたのに。あいつは何も聞いて来なかった。多分、自分が私に負けるのが、例え音楽の分野でも嫌だったのだろう。私は弟にジェスロ・タルの「ブーレ」だとかを聴かせたら。驚いて居て、これは1968年に造られた曲だと言ったらびっくり仕手居た。まあ、バッハの「ブーレ」をプログレッシブ・ロック風にアレンジした曲だけども。あと、イタリアのプログレッシブ・ロックバンド。イープーの「ロマン組曲」のCDを聴いて見なと言って貸したら。「何でもロックが良い訳は無い!!」と言って居たが聴いて見て、私が良かっただろうと言ったら「良かった...。」と言って居た。
素直ではなかったのだ。それには理由があった。1990年にローリング・ストーンズが来日してテレビ中継がされたのだが。あいつは期待し過ぎて肩透かしにあったからだ。弟はローリング・ストーンズよりビートルズの方がしっくり来たのだろうと思う。ストーンズの曲はファンキーだから。あいつにはポップス的なビートルズの方が合って居たと思う。弟が中学の頃。私に音楽のオーディオ・テープを作ってくれと言って来た事があった。めずらしいなと思い、ロックとブルースの曲をセレクトしたものを渡したのだが。弟は得意になって授業の中で掛けると言って持って行ったらしい。学校は私立だ。クラシックやらポップスは良くても本格的なロックやら、まして黒人のブルースなど先生が良いとは言わない。ならそう言えば、もっと現代的で洗礼された曲を入れたのにそのテープは1曲目がBBキングの「スイート・シックスティーン」だった。先生が良いという曲では無い。学校から帰って来たのでどうだったと聞いたら。あまり良い顔を仕手居なかった・・・・・。
しかし私がロックバンドでセッションしたオーディオ・テープを聞かせたら、貸してくれと言って持って行った切り、返さなかった。そのテープはハードロックのバンドでブルースハープでセッションしたものだった。それと、長島慎二の「兄妹」と言う話が載って居る漫画の単行本を見せたら、やはり貸してくれと言って持って行って返さなかった。弟は負けず嫌いだった。それはそうだろう、だって勉強で人に遅れを取った事は一度も無かったし、体育で水泳が始まると、元、オリンピックに出た競泳の先生に習った。だからあいつの泳ぎは本格的だった。しかし、音楽には疎かった。基本的なロックの知識は無かった様だった。さっきも言ったが、兄弟とて負けるのは嫌だから私に聞いて来もしなかった。そして私が漫画を描くと、鉄腕アトムのセル画を描いて色を塗りだした。手塚治虫と松本零士がこよなく好きで、テレビで彼らの特集番組があると決まって観て居た。私が高校時代に漫画の同人誌を作ったら。自分はアニメの同人誌を作ると言った具合だ。その弟も、亡くなってもう今年で8年に成る。月日が経つのは早い・・・・・・・。
Jethro Tull - Bourée (French TV, 1969 'La Joconde')
Pooh Preludio
ブラウン・シュガー Brown Sugar - The Rolling Stones
The Beatles - Paperback Writer
B.B. King ーSweetSixteen
今日のkiyasumeの夕飯、そぼろ弁当とサンドイッチとメロンパンとコーヒー牛乳です
最近は良い様にお金を誤魔化さられる。だから、此れからは千円札を持つ様に仕様と思う。小銭は財布に入らないので、仕様が無い。1万円なぞ出そうものなら、お釣りは完全に騙されて、誤魔化さられる。私は薬を飲んで居るから、確かにバカズラをして居るのだろう。人は醜い。。。バカはどうにでもしてやろうと言う気構えで皆さん生きて居るのでしょう?しかし何時か天罰が下りますよ。だから小銭が入る財布を購入した。私が25年ほど前に鬱に成って床屋に行ったら「あれ〜〜、あんた、おかしいでしょ?」と床屋が笑いながら言う。近所の床屋は頭を洗わないと3千8百円の処、2千5百円だと書いてあるので、一度それでやって貰った事があるが「おめえよ!頭汚えんだからよ!家に帰ってよく洗いな!!バカが!!」と言われた。床屋に行く前に髪の毛はちゃんと洗って居たのにだ。安い料金で頭に来るなら、何故、その料金でやると書いてある。床屋はバカしか居ない。美容師だって一流の美容院の美容師以外は限りがあるが床屋よりはマシだ。
私はそれ以来、床屋には行か無く成った。今から20数年前だ。美容院は客の扱いが丁寧だ。あくまで床屋に比べてだが。20代の頃、近所の美容室に行ってパーマを掛けて貰って居た。そこは個人で美容室を経営して居て、美容師はまだ26歳ぐらいの女性で可也な美人だった。私は20歳の時にそこで初めてパーマを掛けて貰った。その美容師の女の人は客が来る前には何時も「風と共に去りぬ」を読んでいた。美人で性格が良かった。私は23歳までそこでパーマを掛けて貰って居た。処が事情があって、その美容師の女の子は死んで仕舞った。それ以降は仕事が忙しく、面倒に成って仕舞い30代から40代に掛けてはまた床屋に行く事になった。会社で働いてた頃、車のディラーでレゲエ・ヘヤーの若者がやって来た。中卒でケーキ職人と成り、職人を辞めうちの会社に入って来た社員が「kiyasumeさん、ああ言うのどう思う、変でしょ?」と同意を私に求めたので、「レゲエ・ヘヤーだろ!」と言ってもレゲエがどんな物か解らないのだ。私は「ボブ・マーリィーと言う。ジャマイカでレゲエを演奏しているミュージシャン知らないの?」と聞いたら不貞腐れて居る。何も知らないのだ。
Bob Marley - One Love
Bob Marley - I shot the sheriff (Live)
Eric Clapton: "I Shot the Sheriff" Live @The Forum (HD)
レゲエが生まれる前、当時のジャマイカではメントと呼ばれるダンスミュージックが流行して居た。だが、1950年代に突入するとラジオの電波に乗ってアメリカから聞こえて来るジャズとR&Bに熱中に成る人々が増える。当時は家で楽器やレコードを楽しむ家庭が少なかったジャマイカの人々は野外ディスコで音楽を楽しむ様に成る。当初はサウンドシステムの進化とバトルが眼下に繰り広げられたと言う。そんな折、レコードストックが切れると言う深刻な事態が発生。そこで、コクソン・ドットはオリジナル音楽を製作すべく、レーベル「スタジオワン」を設立。当初はジャズやR&Bの模倣だったが、次第にスカへとオリジナルティーのある音楽へ進化。
これがイギリスでも人気となり、デュークリードも対抗レーベルとして「トレンジャーアイル」を設立。スカが水面下で加熱する中、スカよりゆったりしたロックステディが誕生する。1960年代から70年代にかけて、タブが発明されたり、DJが誕生したりと、後のレゲエにとっては重要となる革命が起こる。そして、ボブ・マーリィの登場でレゲエはより成熟して行き、いよいよジャマイカやイギリスだけの物ではなく、世界的なものへと進化して行く。だが、ボブ・マーリィが亡くなった後は牙を抜かれた様な音楽が量産される。代わりにジャマイカのDJたちがダンスホール・レゲエブームを巻き起こす。当初は本島だけであったが、次第にダンスホール・レゲエも認知される様に成り、ついにはヒップポップと融合したレゲトンが誕生と成る。この様に、レゲエは時間をかけて世界的なポップスへと成長して行ったのだ。
Shakira - Te Aviso, Te Anuncio (Tango) (Video Oficial)
何にも知らないのだ。私と話すとその男は何時も恥を掻く事に成る見たいだった。仕舞いには、そいつは私がライバルだと言い出した。ある日会社にウクレレを持って来て、持って来たは良いが、何も弾けないで居るので「貸してみて」と言って少し弾いたら。又、膨れっ面をして居る。そして仕舞いには「なんで俺はkiyasumeさんに勝てないの!?」と怒って居るのだ。そして或る日に私に事務所に来いと言う。私は「何だ???」と思ったが丁度用事があったので事務所に行って。ゆきかずに伝票を渡そうとすると、彼はその男に渡してくれと言うのだ。私は書類と伝票を渡すとそいつは、私に勝ち誇った様に「どう?俺見てkiyasumeさん!!」と言うのだ。私が呆れ返って居ると携帯が鳴るので出て見たら。馴染みの本屋で「ジル・ドールズのアンチ・オイディプスが入荷しました」と言うのだ。私は「入ったんですね?今日此れから取りに行きますので?」と言って本の題名を言って居たら。そいつは「何なの???」と言うので。
「ジルドールズとフェリックス・ガタリの「アンチ・オイディプス」だよ。」と言うと「へっ!、何だそれ?」と言うので。「君には解ら無いんだろ『哲学書』だよ」と言ったら。書いて居たボールペンをホン投げて、悔しそうな顔をして私を睨んで居た。妬み嫉み僻みだ......。話は別に成るが、或る日会社に刑事が来た事がある。引き逃げ犯を追って居ると言う。刑事は人をどう見る。嘲りと蔑視の目で見る。私はその時に来た刑事と話をしたら親父が苦々しい顔をして見て居たのだが、刑事が「この会社で長髪にして居る人で20代の人は居ますか?」と聞くので一人居ると言ったら、顔つきが変わり「今、どこに居る」と鋭く言うので専務である親父が携帯に電話を入れて「仕事はいいからすぐに帰って来なさい」と電話を掛けたら。当人は刑事が来て居ると聞かされて「なんで俺が疑われるんですか?」と慌てて居る。私が「何故長髪の20代なんですか?」と聞くと刑事は「目撃者が居るのですよ。」と言う。
刑事は初めからうちの20代の社員の事は調べて来て居たのだ。なぜならそいつはいい加減な奴で遊び人だったからだ。暴走族の友達も居た。そして先月の3月12日頃、その人は車を運転して品川近辺に行かなかったかと言うので、親父がその日ならばこの社員は不二製油の研修に行って居て。その方面には足を運んでは居ないと言い切ったら。要約、その刑事は笑顔に成って、「そうですか、アリバイがあるのですね?」と言ったら安心して帰って行った。そして私も刑事に家に来られた事がある。赤羽署の刑事だった。最寄駅で若い女の子が男に顔を刃物で切られると言う事件があって、私が当時駅の隣の啓文堂で雑誌を買って居たら、TV局のアナウンサーと撮影クルーが来て駅前で取材をして居たのだが、ある日突然、歳を取った刑事と若い刑事が二人して来て。「もう知って居るとは思いますけど。駅の事件の件で伺いました...。」と言って手配書の似顔絵の印刷された紙を私に渡して、「なんか最近不審に思った事はありませんか?」と若い刑事が私に質問して居たら老練な刑事の方が認知症の母に「お母さん!本当の事を言って下さい!!本当の事を言って下さい!!!」と詰め寄って居るのだ。
私が疑われて居た事は明白だったので、私は「痴情の縺れでは無いですか?私は関係ないですよ!?」と言ったらその歳をとった刑事が「被害者の女性は何も話してくれないのですよ」と言うので、「それって、犯人を被害者が知って居ると言う事では無いですか?」と問い正したら。「あんた歳幾つ」と私に聞くので私は「20代の女性と付き合う歳ではありませんよ」と言ったら「だから、歳は幾つなんだ!!」と執念いので「私はもう50歳ですよ!!」と怒って言ったら。「若く見えますね」と言い。若い刑事に「身長は165〜170センチぐらい、歳は40代に見える。高いブーツを履いても186センチには成りそうも無い」と小声で話して居る。私はそれを聞いて「身長186センチもある訳無いだろう!!」と怒鳴ったら、二人して慌てて外に出て何か話して居る。そして疑って来たのに、すみませんの一言も無く居なく成った。毋は認知症だ、何言い出すか分からない。私がよく母を連れて駅前のスーパーまで行くので、少しでも疑わしい者は疑って掛かれと言う事だったのだろう。大体が手配書をよく読んだら「犯人の年は28歳ぐらい身長186センチぐらい」と目撃情報が書いてあった。私は「刑事ってのは、つくづく人を疑う職業だわなぁ」とフィルム・ノワール(犯罪映画)を見慣れて居たけど、今更ながらそう思った。
今から5年前の話だが。ある物件の不動産屋に「確かに荷物は多いとは思うけど、果たしてそれって本当に必要なものですか?服なんかも1年着なかったものは着ないものですよ。」と言われたが、今日、ケアマネージャーが来て同じ様な事を言う。「本でも2年読まない本は果たしてこの先読むのか?服でも1年着なかったものをこの先着ますか?」と言うのです。確かにそう考えると処分出来る。そう言えば思い出したが弟は脳科学、哲学書関連の書籍を可也買い込んで居たのだが、ある日、殆どを古本屋に来て貰い査定して貰って処分してしまった。私は「買い込んだ本はもう読まないのか?」と聞いたら、「嫌、読まない。2度読んだ本は憶えて居るし、ただ持って居ても場所塞ぎに成るだけだよ」と言って居た。私見たいな歳に成ると思い出があって、捨てたり売ったり出来ない物だが。これもイマドキではない。以前に、私のケア・マネージャーが言って居たが、最近の若者は立地条件が合って駅に近く、学校やら職場に近ければ4畳半ぐらいの最近流行って出来た部屋に入るらしい。スマホとゲーム機器さえあれば、そんな生活でも良いらしいです。服は上着とズボンがあればそれでいい、食事は外食ですますので調理が出来なくてもいい。テレビは持たず。スマホでNetflixのドラマを見たり。映画もスマホで見ると言う事らしい。下着は履き古したら捨てて、新しいものを買うから良い。ケア・マネージャーは流石に最近の若者は変わって居ると言って居たが。これも或る人が言って居たのだけども、その人はパソコンを4台駆使して色々とやって居るらしいが、高校生に「おじさん、スマホ一つでそんなにパソコンを持たなくてもやれるよ」と言われたと言って居て、承認出来ない考え方だと言って怒って居たが。。。
「老いては子に従え」と言う諺もある事だし。確かに最近の若者は合理的な考え方をして居る。ものに執着が殆ど無い。私みたいなジジイは昔気質な人間なものだから、ものを手放すのには思い切りの勇気が居る。そして物持ちがいいのが長所と言えば長所だが欠点でもある・・・何しろ1960年代後半から1970年代の「ガロ」「COM」の漫画雑誌数冊を未だに待って居る。文化の集積なのだと思って持って居るのです。最近は何処もそんな古い本はもう置いても居ないし古本屋でも神田神保町にでも行かなくては置いて居ない。まあねぇ、過去の漫画は単行本で出版されて居るし。例えば白土三平の「カムイ伝」などは古本屋でよく見かける。日本のマルクスと称えられ、全共闘世代のバイブルとなった漫画だ。時代は変わって行く。映画でも古い映画はほとんどDVD、Blu-rayには成らない。
それも1970年代の映画、洋画でも邦画でも。ビデオテープで出て居た映画もLDで出て居た映画も有名な映画はDVDで出るが、秀作、佳作映画はDVDにも成らないのだ。私は邦画の監督で惜しくも50代の若さで亡くなって仕舞った。市川準監督の作品が好きなのだが、3年ほど前に、要約、奇跡的に「東京兄妹」がDVDで発売された。彼の映画では原田芳雄が重要な役で出て居る1990年代の「ざわざわ下北沢」などBlu-rayで無くていいから?DVDででも出して貰いたいと思って居たのだが、最近になってBlu-rayが出た。原田芳雄と言えば彼が40代の頃に桃井かおりと主演した単発ドラマ「さよならも言わずに消えた」なども秀作だと思うし商品化されれば芳雄さんのファンは間違い無く買うと思うのだが、一度も商品化されて居無い。私は最近になってYouTubeに挙がって居る物を見たが。洋画で言えば、「刑事キャレラ・10対1の追撃」とか「最後のアドレス」「ベラクルスの男」だとか、私はこの作品はビデオテープで持って居たので。最近ビデオを処分する為に、壊れ掛けたビデオデッキの8千円位の物を買い込んでBlu-rayに纏めてダビングした。邦画ではやはり原田芳雄が出て居る。今井美樹主演の「アラカルト・カンパニー」とか同じく原田芳雄が宇崎竜童と出て居る。原田眞人、脚本・監督作、斉藤慶子主演の「盗写1/250秒」だとか、(盗写ですよ最近流行りの盗撮と間違えないで下さいね。)良い映画が結構あるのですよ。どれも1980年代の映画です。こう言った映画を懐かしの映画としてDVDで良いから発売してくれたら良いのですがねぇ.....最近の若い人は知らない映画ですよね。
初DVD化!!市川準&緒形直人『東京兄妹』ベルリン国際映画祭受賞の名作
猪征大×遠藤史也×向里祐香出演!下北沢を舞台に夢を追いかける若者を描く 映画『あとがき』本予告
『アラカルト・カンパニー 』これも貴重、ノーカット版です。全編見られます....。
私が鬱病に掛かった15年ほど前、道歩いて居たらどこかのババアが人を馬鹿にしきった顔で薄ら笑いを浮かべて人を見て居る。向精神薬は飲むと目が落ちくぼみ目の縁が紫色になるのだ。そんな風な人間が多いから、差別は無くならない。私が働いて居た20代の頃、突然トイレに行きたくなって仕舞い。住宅地なので仕方がなく電柱の陰で立ちションをして居たら。どこかのババアが自転車で通りすがり「ケッ!!何だ!!」と言って居なくなった。その後、私は団地の奥さんの処にバイオレットを3袋、運んで居たのだが、運んで外に出たら、そのババアが向かいから見て居て、「あんた何で団地に入ってるんだ!!」と怒鳴るのだ。私は「仕事ですよ。」と言うと。「仕事?何の!!」と人を睨みつけて言うので、「あのですね、此処の家に粉糖類をお持ちしたのですが、何か問題でも!!」と怒鳴ったら「ふん!!どうだが分かったものじゃない!最近の若造は!!」と言うのだ。私はあんたは何威張ってるんだと言ってやりたかった。前に、スーパーで会計を仕手居たら。オバハンが「ダメなんだってさ、みんなで相談しないと一人では行け無いんだってさ?」とレジで仕事をして居る若いレジ打ちの女の子に愚痴を溢して居た。言われた女の子は、またかと言う顔をして怪訝そうな顔をして居た。
最近は50代の男性教諭は女生徒に欲情する。自分達が、どれ程立派な人間だと思って居るのかねぇ?そして此間見たいな、16歳から19歳ぐらいの子供が時計店を襲うのだ。そして小学校での刺殺事件。あの 犯人たちは他人に恨みを持って居るのは明白だ。人間不信が怒りにエスカレートして居るのでしょうね。しかし子供を狙うとは言語道断だ!!確かに人は醜い。それは分かる、が、それと人殺しは別物だ。今や、真っ当な人が居なくなった。最近は終身雇用が崩壊し、最早、年功序列だとかはダメになって仕舞った。会社では45歳以上の社員はリストラ、アルバイト、パートの職は賃金が少しは上がるけども若い人たちは社員と言うよりも、フリーターが増えて、フリーター同士で結婚する様な風潮が増える見たいな事を言って居る。此れでは子供を育てられないので、子供を産まない。よしんば子供を産んでも学校に行かせられない。以前に総理が高校の授業料無償化を言い出した。産業構造の改革で、スペシャリストはごく一部の人だけに成り、そう言った人が社員として残る。物は皆んな要らなくなる。これからの世の中はミニマムの世の中と言うか、狭いマンションなりアパートに住んで使い捨ての家具なり洋服を着て......私みたいなジジイは住みづらい世の中になると思いますよ。時代の変遷には逆らえないです。処で今時の若者向けの映画で腹抱えて笑ったのは『飛んで埼玉』。これは面白いです。今は、続編が作られて公開された。それと、以前に。アメリカに住んで居る桂蓮さんに教えて貰ったのですが『月がきれい』と言うアニメが久々良いですよ。まあ、私が知らなかっただけだろうけど。
二階堂ふみ×GACKT主演!映画『翔んで埼玉』予告編
TVアニメ『月がきれい』第1話「春と修羅」
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The Long And Winding Road - Paul McCartney【和訳】「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」(Live 2009)
「資本主義の現在?」
6年前の記事ですが再投稿します。
資本主義の現在を象徴するキーワードとして「強権」と「独占」が挙げられます。デジタル革命の進展に伴い、米大手IT企業の利益独占が批判の的になっていますが、今後AIなどによる社会の徹底した自動化や効率化が進むと、新興国や途上国の雇用に大きな影響を及ぼすと指摘する専門家もいます。
21世紀に入って表面化してきた負の側面
資本主義の現在を象徴するキーワードとして「強権」と「独占」を挙げることができます。強権というと多くの人は、トランプ元米大統領が掲げる自国第一主義のように、ポピュリズム(大衆迎合主義)に基づいた身勝手で非寛容な政治や外交を思い浮かべるかもしれません。ただし元をたどれば、そのポピュリズムを醸成して広めたのは資本主義そのものだったのではないでしょうか。
10年前の2008年に発生したリーマン・ショックと世界金融危機では、それまで巨額の利益を上げてきたウォール街や欧州の金融機関が一時的に大損失を被ったにもかかわらず、各国政府の支援を受けてすぐに立ち直り、結果として損失を国民に押し付けた格好になりました。その後も世界中の大企業が税制の抜け穴を使って節税に励む様子が発覚するなど、21世紀に入って以降、一般市民が不公平感を募らせるような資本主義の“負の側面”が目立つようになっています。
それをひと言で表すなら「富や既得権益の独占」ということになりますが、こうした独占は場合によっては産業構造や社会環境、さらには人々の生活様式まで無条件に変えてしまう力を持ち得るため、ある意味で非常に強権的ということもできます。資本主義はそれ自体が強権と独占につながりかねない性質を潜在的に備えているわけです。
資本主義の負の側面が表面化するに従って、最近では民主主義の後退や衰退を危惧する声が多く聞かれるようになってきました。これについては、歴史学者で今年(18年)が没後70年にあたる朝河貫一氏の考え方が参考になります。いわく「民主主義は最も高度で困難な政体である。個人が責任感や道義心、寛容の精神を持たなければ、地盤が緩んでしまう」。
朝河氏の考え方はポピュリズムやナショナリズム(民族主義)が伸長する政治の世界にとどまらず、資本主義のメインプレーヤーである資本家や投資家、株主、企業人たちにも現時点でそのまま当てはまるような気がします。
デジタル革命が格差の収束を反転させる恐れも
実は資本主義はもうひとつ、見方によっては非常に恐ろしい問題を抱えています。
いわゆるデジタル革命の急速な進展によって、「デジタルの富をどう配分するか」という新たな課題が生まれてきました。今年8月に米国アップルの株式時価総額は1兆ドルを突破しましたが、そのアップルをはじめとする米国の大手IT企業は、稼いだお金を株主還元や内部留保に回す傾向が強く、一人勝ちによる利益独占が批判の的になっています。
そして、デジタルの問題が本当に深刻化するのは、むしろこれからではないかと思われます。一部の専門家は、いま世界中で開発が急がれているAI(人工知能)やビッグデータの分析・応用技術などを通じて、ゆくゆくは「デジタル資本主義」とでも呼ぶべき経済の新段階が到来すると予測しています。
例えばAIの普及については失業者の増加やさらなる格差拡大を懸念する声もありますが、どちらかといえば生産性の飛躍的な向上が人口減少問題の解決につながるといった楽観的な見方のほうが多いようです。一般市民の間でも、経済や産業のデジタル化がもたらす利便性を好意的にとらえている人が多いのではないでしょうか。
政治リスク関連のコンサルティングを手掛けるユーラシア・グループのイアン・ブレマー社長は、将来的にデジタル革命がさらに進むと、これまで長い時間をかけて実現してきた豊かな国と貧しい国との間の「富の収束」が反転することになりかねないと警鐘を鳴らしています。特に危惧されるのが、社会のセーフティーネットが先進国ほど整っていない新興国や途上国の雇用についてだといいます。
新興国や途上国が経済発展を遂げる際には、以下のようなプロセスをたどるのが一般的です。①外資の導入なども含めて都市部の開発が進む ②若者を中心に雇用の受け皿が多い都市部へと人口が移動する ③安価で豊富な労働力を求めて海外企業が進出してくる ④労働者が賃上げと労働条件の改善を要求するようになる ⑤技術革新により製品やサービスの付加価値が高まり、賃金はさらに上昇して中間層が生まれる
経済発展の初期段階における低賃金は、貧しい国や人々が豊かになっていくのを助ける効力があるわけですが、AIなどによる社会の徹底した自動化や効率化は、低賃金の優位性を大幅に低下させることになるでしょう。AIなどが浸透する時代には、人々の雇用には高度な教育や訓練が必要となりますが、そのための新たな教育制度や労働者の再訓練を実現できるのは豊かな国だけに限られそうです。
貧困から脱出して豊かになる道がふさがれたとき、多くの新興国や途上国で若い世代が労働力から政治的な脅威へと変わる可能性があります。場合によっては社会・経済システムそのものに反旗を翻す恐れもあり、資本主義は生産性や効率性を追求する代償として、大きなリスクを抱えることになるかもしれません。
Paul McCartney - Maybe I’m Amazed
The Beatles - Something