地雷系?女子メイクに挑戦してみた。
2024 Salon International de la Lingerie ✨|4K|#lingerie #fashion #model
「エッセイ」
昨日は一日中、幻聴が聞こえて居た。いや、妄想か、それと会話になってしまった。勿論、口に出しては言わない。相手の声も観念的に、たまに浮かぶだけだ。内容は「恐ろしい犯罪に巻き込まれたぞ」と言う忠告の声だった?「恐ろしい犯罪何が?」と言っても相手はなぜか高橋がどうした高橋がこう言って居たと要領が得ない。統合失調症によくあるパターンの妄想だ。そんな折に私のメールボックスに名無しのメールで私がハッカー集団に目をつけられて、マルウエアをパソコンに入れて監視カメラで私を監視されるというメールが入って来たのだ。そしてそれを書いた人は「まあ、私は関係ないけどねぇ」と書いてあった。まあ、私は幸いにもMacだし 、セキュリティーは他にウイルスソフトが常時監視して居てくれて居る。なにかしようにもなかなか大変だろうと思う。私が怒りたいのは人が妄想を抱いて居る時に、何故にそう言う嫌がらせメールを入れて来るのだ!!いいですか?世界的に名だたるハッカー集団が私みたいな無学で馬鹿チビの事を監視する訳が無いでしょうに。理由は分かって居るんですよ。私が最近いやらしく取れる記事を書いて居るから。それを読んで多分女性だろう。嫌がらせをしてやれと言うメールを出したのですよきっとね。わたしはパンティーとよく言いますが。人によるとパンティーと言う言葉はいやらしい言葉と認識されるらしい。だからパンツなんですよね。パンツはズボンやスラックスの事も指しても言うではないですか。ところで妄想の方は治って来て入る頓服を飲んだからだ。でも幻聴は今度は声と成って聞こえて来て居る。
今はバックグラウンドミュージックとしてジャズのストリーミングを小さめにスマホのストリーミングからラジカセにBluetoothで飛ばしてかけて聞いて居る。再生して居るラジカセはスピーカーが16センチの大型のラジカセで流行りの言葉ではBOOM BOXとも言います。1979年製のシャープのラジカセです。音が抜群にいいのですよね。それ聞いて居ても幻聴は聞こえて居ますよ。遠くの方で何か言って居る声ですね。隣のジョーさんとは此処3日間ぐらい会わないし、声もかけて来ないからもしかしたら引っ越したかな?あと明らかに話して居る声は下の部屋の女の子?の声です歳の頃20代から30代か?あとは無言ですね。私も独り言は最近は殆ど言わないしね。前に来た警官から、(音がうるさいと警察に電話を掛けられて)「あんたカッコイイんだよ。だから恐れて皆んなあんたにモノ言わないんだよ」と言うのですよ?「カッコイイ???どこが???怖いの???どこが???」私は唖然とその警官の話を聞いた。風情がミュージシャン然として居るからだそうです。そうですよ私は自称ブルースハーピストですから。それなりの格好はして居ますよ。それに私がして居るのはモードです。黒い服の事です。因みにジーンズ・スタイルもしますよ。今日は白い半袖のワイシャツに黒い普通のベストに黒いパンツですよ。それで昨日は一晩中起きて居て。幻聴による妄想と戦って居ましたから夜の薬が飲めませんでした。そして今日になって朝方彼女にメールを書いて、朝食レタス・サラダに食パン一枚にコーヒーを飲んで、それから9時から10時まで1時間だけ寝たのですよ。
今日はヘルパーの女性が来てくれましたが?僕が昨日寝て居ないので。ふらふらになって出て行くと。「ヘルパーです」と言うので、掃除全般と今日は火曜なので段ボールを出せる日なので。ダンボールの方はヘルパーさんが、気が付いて出して来てくれました。そして今日は、僕の65歳の誕生日です。4月16日ですから。おかげで先ほどまで寝て居ました。そして夕方の6時45分頃に起きて、夕飯、焼き鮭にお新香それに冷奴に味噌汁で夕食としました。自分の誕生日だからと、何も特別な事はやりませんよ。ただ、DVDを購入しましたけどね、気休め用にね。此間郵便局が、封筒に入って送られて来た。鍵を誰か他の郵便受けに入れたらしくて、入れられた人が名前も確認せずに開けてしまい。中見たら鍵なので、慌てて中にメモ用紙の便箋に間違えて入って来たものを。よく確認もせずに開けてしまいました。すみませんでした、と書いて入れてセロハンテープで封を貼り。僕の郵便受けに入れてくれたので助かりました。僕は大抵のものはアマゾンから購入するんですよね。特に錠前などはこの辺では売っては居ないので、その鍵が郵便受けの鍵となりましたよ。ジョーさんが買って付けた方がいいと盗む奴が居るからと教えてくれました。さっき恋人と話したら、なぜか僕のblogが表示されなくて入るのに一苦労したと言って居ましたけど。誰かが悪さをして居るのかなとも思ってしまいますよ。あんな変なメール入れられて、僕は今、また体調を崩しそうです。今は何も声は聞こえて来ませんし。ただもう眠いだけです。今日は薬を早めに飲んで睡眠薬がありますからね。寝る事にします。それからコメントについて一言。言いたい事があれば、何でも言えばいいと言う訳じゃないと思います。私の事を非難したいのなら。「あなたの書いたこの所の文が気に掛かったので。すみませんが意見を書かせて貰った」とか言うのなら、解りますが。不躾に、あんたの意見は間違って居る、自分はこう思うと言う。自分の自己満足的なコメントはお断りしておりますので。よろしく。励ましのコメントとか記事についての質問。感想などは何でも書いて下さい。喜んでお願い致します。
ところで、眼鏡の話なんですが、私は眼鏡は6丁持って居ます。うち2丁はサングラスの度付きの眼鏡ですが。
会社勤めをして居た頃に、取っ替え引っ替え掛けて行ったら。ある男が寄って来て「あれ!!眼鏡、違っちゃって居るよ???どうしたの!!」と言うのですよ。そいつは自分は学が無いから伊達眼鏡を掛けて居ると言って居て。レンズが入って居ないフレームを喜んで掛けて、頭がよく見えると言って居た。何で私が、眼鏡をコレクションして居るのかが、解って居なかったのですよね。眼鏡と言うものは実用的なものですが。ファッションでもある訳です。その時々の服装に合わせて、気分に合わせて、TPOで掛け替えて居るのです。そこの、ところが。その男は理解出来なかったのでしょう。所詮自分に自信が持て無い男の掛けて居る伊達眼鏡とは違うのです。(✴︎下は掛けて居る眼鏡です。殆んどがレイバンの物ですね。1丁ずつデザインが違います.....。)
『青春』 サミュエル・ウルマン
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめて仕舞う。
年は70歳であろうと16歳であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く 驚異への愛慕心、空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
是等の霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば。この時にこそ人は全くに老いての憐れみを乞うる他はなくなる。青春の詩の訳には、もう一つあって、そこでは、挑戦心を失えば、20歳でも老いるとある。忘れないで。20歳で私以上に年老い、諦めを口にする様では、既に、80歳、90歳の年寄りと変わらないですから。
『青春』 サムエル・ウルマン
青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅(くれない)の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥(あくた)になる。
60歳であろうとも16歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歎の氷にと閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭(こうべ)を高く上げ希望の波を捉える限り、
80歳であろうと人は青春にして已(や)む。
見た目が若い人になるために心がけたい生活習慣
見た目の若さは、体の内側から放つ健康的な美しさが大切です。
よくいわれる正しい生活習慣は、「当たり前のこと」と感じることもあるかもしれませんが、やはり健康の基本は、食事・運動、睡眠に集約されます。これらが出来ていたら「若々しさをキープできる条件の9割をクリアしている」といっても過言ではありません。
崩れてしまったサイクルはないかな?気づかずできていなかった習慣があるかも?という目線で、チェックしてみてください。
栄養バランスの良い食生活
食事は肌の状態や髪質、体型に深く関係しています。
そのため、栄養バランスを考えた食材を選んで食べると良いでしょう。体のエネルギー源となる、炭水化物・たんぱく質・脂質。体の機能をサポートするために必要な、ビタミンやミネラル、食物繊維なども積極的に摂ることで、健康と美容に役立ちます。
若々しさを保つために、エイジングケアとして摂りたい栄養素の例を以下に挙げます。
【たんぱく質】
筋肉や臓器、皮膚、髪、骨など体の主となる成分。他には、ホルモンや酵素、抗体などにも関与しており、美容や健康には欠かせません。
【ビタミン類】
ビタミンは13種あり、体の機能をサポートするためのさまざまな働きがあります。とくに美容に良いビタミンを以下に紹介します。
・ビタミンC…コラーゲンのサポートとなり、ハリのある毎日や還元力を持つ。
・ビタミンE…還元力が高く、食材の酸化を防いだり、健やかな生活をサポートする。
・ビタミンB群…ビタミンB群は全部で8種類。その中でもビタミンB₆、ナイアシン、パントテン酸はとくに美容に役立つと注目されているビタミン。
・ビタミンB₆…適度なツヤ感に。
・ナイアシン(B₃)…ナイアシンアミドもB₃の1種。食べても塗っても美容に良い。
・パントテン酸(B₅)…糖質や脂質の代謝に関与するビタミン。
【亜鉛】
タンパク質の合成に欠かせない栄養素。美しさのサイクルをサポートする。
【必須脂肪酸】
体内で合成できない脂肪酸。オメガ3(α-リノレン酸)、オメガ6(リノール酸)などが代表的な脂肪酸。美容面では、不足すると、カサカサしたり、ツヤがなく、ボサボサした印象へ。生き生きと輝く毎日に欠かせない脂質栄養素。
適度な運動
適度な運動をすることで、筋肉を増やしたり強くしたりすることができ、筋力維持に役立ちます。筋肉があると正しい姿勢を保つことができますし、引き締まった体つきもキープできることで、若々しい見た目にも良い影響を与えることができるでしょう。
運動は、血流を促進することができるため、肌に栄養が届き、透明感やツヤのある肌を維持するのに役立ちます。同様に、血行が良くなることで、エネルギーレベルも高まり、活動的に動けることへと繋がり、若々しい印象を与えます。そして、軽視しがちですが、ストレスは体への負担が強く、老けさせる大きな要因です。軽い運動は、ストレスを発散させ、忘れさせてくれますので、定期的に取り入れていきたいですね。
運動の種類は、なんでも構いません。その場でできる、軽い体操やストレッチ、階段を積極的に使うなど、普段の生活の中でできる運動から、取り入れてみてください。
十分な睡眠
美には睡眠が不可欠。その理由は、眠っている間に分泌される「成長ホルモン」と「メラトニン」というホルモンが、美しさに深く関係しているからです。
・成長ホルモン…入眠3時間前後に分泌される。肌のターンオーバーを促進するホルモン。
・メラトニン…睡眠を促し、肌細胞の修復を始めるタイミングを知らせるホルモン。メラトニンによって成長ホルモンも分泌が促される。
「美は夜つくられる」とよく聞きますが、その理由が、ホルモンの働きを知ると納得。「夜眠るのが楽しみ」と思える人もいるでしょう。入眠に入る時間帯も大切といわれており、なるべく早く日付が変わる深夜12時前には就寝したいところです。
「溜まってしまった書籍」
溜まって読めて居ない書籍。そろそろ読まないとだけども。如何せん眠い。今は、もう夕食食べてコーヒー飲んだが、もう眠くなって来て居るから此処で横に成ります。本当に薬の後遺症だと言うが、眠くて仕方が無いのですよね。いくら主治医に行っても埒が開かない。まあね、薬が代わってミリ数が1ミリ多くなりましたけどね。そしたら少しは眠さが取れましたけど。抗精神薬外すとまた、病状が悪くなると思って居るのだろうけど。私は障害の程度は中ぐらいの位置ですから。そんなに強い薬は必要が無いとも思うのですけどね.....。でも、最近は薬の量が減りましたよね。訪問看護事務所も、ヘルパー事業所も変わって本格的な介護ではなくて、要支援介護2になりました。一昨日の月曜に役所関係。特に介護事業所の阿部さんが契約書を持って来られました。あと訪問看護師は様子を見に来てくれて、そして、ヘルパー事業所のケースワーカーの男の人と。生活保護課からは、岡さんが担当なんだけども主張中だそうで前からお世話になって居る宮崎さんが来てくれました。さてと明日は八幡山まで行って来ないといけないよ。郵便局に年金幾ら入って居るのかとか、銀行から幾らお金が降りて居るのかとかね。調べて来ないといけないよ。これでもやることは可成りあります。部屋が少しだけ片付いたかな・・・・・・。
所有して居る、軽めの書籍・・・・・。
「伝説的ハードロック・バンド。デイープパープル」
1967年に結成されたディープ・パープル 。1976年から1984年までの8年間にわたる活動休止期間はあるものの、現在も「第9期」メンバーにより存続するモンスター・バンドです。この「第9期」という数からお判りのとおり、度重なるメンバー・チェンジが行われたバンドとしても知られています。まず、そのメンバーの移り変わりからご紹介しましょう。
第1期となるオリジナル・メンバーは、ジョン・ロード(Key)、リッチー・ブラックモア(G)、イアン・ペイス(Ds)、ニック・シンパー(B)、ロッド・エヴァンス(Vo)の5人でした。このメンバーで1968年 ハッシュ 、1969年 詩人タリエシンの世界 、1969年 ディープ・パープルⅢ の3枚のアルバムを残しています。ディープ・パープルといえばまず誰もが想像するハード・ロックのイメージは、この時点ではまだ感じられません。ジョン・ロードのキーボードを前面に押し出した彼らのサウンドは、アメリン・マーケットを意識したポップなサウンドが特徴でした。この方向性に満足をしていなかったジョン、リッチー、イアンの3人は、よりハードなサウンドを追求するためにメンバー・チェンジを行います。
そして、ファンの間では黄金期と呼ばれる第2期のメンバーへとディープ・パープルは変化しました。ボーカルにイアン・ギラン、ベースにロジャー・グローヴァーを迎えた彼らのサウンドは、「もっとヘヴィなロックを」と願っていたリッチーの思惑どおりに、ブリティッシュ・ハード・ロックの象徴的なサウンドへと変化しました。1970年、このメンバーでの初のスタジオ・アルバムとなる イン・ロック を皮切りに、1971年 ファイアボール では全英でチャートでも1位を獲得、1972年には歴史的名盤の2枚、 マシン・ヘッド と ライヴ・イン・ジャパン をリリースし、次々とヒット作を生み出していきました。しかし ライヴ・イン・ジャパン での日本公演終了以降、バンドのメンバー間でのトラブルが起こりがちとなり、過酷なスケジュールなども災いの元となって、ついにイアン・ギランとロジャー・グローヴァーは脱退を表明することとなってしまいます。しかし、残された3人は、またまたモノ凄いメンバーを加入させることに成功しました。
第3期、ベースにグレン・ヒューズ、ボーカルにはデヴィッド・カヴァーデイルを迎え入れました。既に確立されていたヘヴィ・メタルの原点とも言えるサウンド・スタイルに、ファンキーな要素などが加味され、幅広い音楽性を啓示した 紫の炎 は大ヒットを記録しました。その後のツアーでも健在ぶりをアピールするには充分過ぎるほど、凄まじいステージングを披露していました。ビデオにて発売されている カリフォルニア・ジャム は、この第3期メンバーによるライヴを収録したもので、その過激なパフォーマンスを見ることが出来ます。しかし、このスーパー・バンドとしての地位を確立した立役者的なリッチーの意見があまり通らない、よりソウルフルなサウンドへの方向性を打ち出したディープ・パープルは、セールス面では落ち込み、そして最悪の結果とも言える、リッチーを失うことにまでなってしまったのです。1975年のヨーロッパ・ツアーを最後に、リッチーはバンドを去り、レインボーを結成しました。
残ったメンバーは、リッチーの後任として、ファンク系バンドで活躍をしていたというトミー・ボーリンを迎え、 カム・テイスト・ザ・バンド をリリースします。しかし、このポップ・フィーリングの強いアルバムは、かつてのファンを失う結果となり、メンバー間のトラブルも発生、1976年、ディープ・パープルは解散しました。これが第4期です。
そして1984年、ビッグ・ニュースが世界中を駆け巡りました。それは黄金期「第2期」のメンバーにてディープ・パープルが再結成されるというものでした。アルバム パーフェクト・ストレンジャー をリリース、ワールド・ツアーも行いました。サウンド的には後期レインボーをイメージさせるものへと変化しており、ファンの間では賛否両論であったものの、「第5期」のスタートは結果的には大成功を収めたと言えるものでした。しかし1990年代に入り、イアン・ギランは脱退を表明します。自身の音楽性を追及するためとの理由でした。
イアン・ギランの後任として選ばれたボーカリストはなんとジョー・リン・ターナー。これが第6期のラインナップでした。ふたりのフロント・マンが共通してしまうレインボーとの差別化はあまり感じられず、これを否定する昔ながらのファンも多くいたようです。このメンバーもやはり長続きせず、ジョー・リン・ターナーは脱退しました。
記念すべき結成25周年を迎えた1993年、改めてイアン・ギランをボーカルに迎えた第7期ディープ・パープルは、紫の聖戦を発表、ツアーに出るものの、以前から確執のあったギランとリッチーが原因となり、今度はリッチーがバンドを離れてしまいました。そして後任ギタリストとして迎えたジョー・サトリアーニ、スティーヴ・モーズが在籍するメンバー構成が、それぞれ第8期、第9期となります。
と、このようにメンバーの交代劇を書き出すだけでもとても長い文章になってしまうスーパー・バンド、ディープ・パープル。オリジナル・メンバーであり、一度も出入りの無かったジョン・ロードとイアン・ペイスがやはり中心となっているのでしょうか。レインボー時代、ボーカリストが何度も変わったことから「首切り魔」と囁かれたリッチー・ブラックモアも、ここではそのような部分をあまり見せていません。第2期、第3期あたりの黄金期のサウンド・デザインは、彼無くしてはありえなかったのですが、決して「リッチー・ブラックモアズ・ディープ・パープル」とはならなかったことなどからも、その他メンバー、とくにジョンとイアンが重要なポジションにあったのではと想像してしまいます。
でもやっぱりリッチー。そういうファンが多かったからこそ1976年にディープ・パープルは解散し、レインボーは人気バンドとなりました。フィンガーボードがエグってある白いストラト。トレードマークであるこのギターとともに、彼のプレイはイングウェイ・マルムスティーンだけではなく、多くのギタリストに影響を与えています。そしてそのスタイルは、このディープ・パープル時代に生み出されたものだったのです。
Deep Purple - Mandrake Root (Live, London, 1970)
Deep Purple - Speed King - Live (1970)
Deep Purple - Wring That Neck - Live (1970)
Deep Purple - Fireball (TV Performance, 1971)
Deep Purple - Hush (TV, 1968)
Deep Purple - Highway Star (Official Video)
Deep Purple - Into the Fire (Live, 1971, German TV)
Deep Purple - Lazy (Live, 1972)
Deep Purple - Strange Kind Of Woman (Italian TV, 1971)
Deep Purple - Child in Time (1970) In Rock