要約、新しい?blog記事を上げる事が出来ました。そうは言っても過去記事に新しい記事を混ぜた記事ですけどね。そしてまた暫く記事が上げられ無いと思います。大体が五日起きぐらいが、此れからblogを上げる目安になると思います。私は今、またまた調子が悪いです。その最中、年金事務所に行って、貰える年金額などを聞いて来なければ成りません。実は先ほど年金事務所から電話が掛かって来まして。電話で問い合わせが来たのですが。実家を姉さんが処分して仕舞い。年金手帳なども捨てられて仕舞いましたので、、と言ったら、「そうだったんですか?」と言って居ました。でも私は幸せ者です。なんせ妹と姉さんが居てくれますから。本当の血が繋がった姉妹ではありませんが、何かと私の事を心配してくれています。勝手、俳優でブルースシンガーだった原田芳雄さんが言って居ました。「血縁だけが身内じゃ無いよ。」とね。今来てくれて居る、看護師さんは優しく温和で明るい人で、こないだで二度目でしたけど、アパートから帰りに出て行ってから、閉めたドアの前で「お邪魔しました。それでは、、」と言うのですよね。礼儀正しい人ですので感心して居ます、、
処で皆さんはアラン・ドロンの映画って見た事ありますか?
今時の40代はアラン・ドロンと言っても、よく解らない見たい何ですよね、かろうじて「太陽がいっぱい」だけは見て居ましたけど。それだけしか見て居ないと言うんですよ。でもそれでも良い方で、僕の行きつけの美容室のみどりちゃんと言う美容師の女の子なんて、アラン・ドロンと言ったら全然知らなくて。だって彼女はまだ27歳だし、、親御さんも50歳ぐらいだから、知らない見たいなんですよね。妹は、僕がドロンの映画のDVDを、数枚上げたので要約観た様でしたよ・・・・・。彼女は「サムライ」が僕が上げた映画のうち、一番印象に残って好きなドロン作品だと言って居ました。まあね、彼が映画界で名を馳せて居たのは、1960年代から1970年代に掛けてでしたからね。今時の人は知ら無いのでしょうね。若い人に幾らアラン・ドロンと言っても、「誰?その人???」と言う感じですのでね。僕が歳取ったと言う事でしょうね。。。。
2016年5月27日発売Blu-ray&DVD『サムライ』予告編(字幕なし)
ALAIN DELON in D'URBAN/Final
前のマンションに住んで居た時だ。ピンポ〜ンとチャイムがなったので慌てて出て見たら、、30歳ぐらいの若い男が立って居た。格好はジーパンに茶色の上着姿だ。私が「何ですか?」と聞いたら。「〇〇さんですよね....。」と言うのだ。だから「そうですが、何か?」と言ったら。突然後ろ向きになって階段を降りて行った。私の部屋は4階だった。思うに空き巣だ。居ないと思ってチャイムを鳴らして出て来たので。名前を言って交わしたのだ。大体がおかしな事が有った。鍵が無くなって居たのだ。部屋から出ようとしたら何時の間にか無くなって居るのだ。だから鍵屋を呼んで作って貰った。無くなった鍵は、どこからもその後出ては来なかった。そして何時の間にかそのマンションの治安は悪くなって行った。郵便受けを見に1階まで降りて行った時だ。郵便受けの所で若い、まだ20歳ぐらいの女の子が二人して話して居る。私は聞くともなく郵便物を見て居たが。会話は全部筒抜けだった「お前さぁ、、なにビビってるんだよ。この後に及んでよう。」「だって私、男に体をいい様にされるのなんて初めてだから」「だからよう言ってるじゃんかよ。ヒヒジジイも金づるだと思えってよ、、」「だって・・・・。」「おめえは根性ねえのか?ああ。たかだか、おまんこ舐められるだけじゃねえかヨォ!!20分ぐらい我慢して居ればいいんだよ!!」私はどうしようもないなと思って聞いて居た。マンションの一室で売春をして居るのだ。そして、マンションの入口でやたらと背の高い男と女がキスをして居る。邪魔で表に出られない。私が幾ら「済みません!!」と言っても、キスに夢中で入り口の前で抱擁して居るのだ。
私は、あれ、こいつら中国系だなと思ったから。知って居る。中国語の「ばかやろー」にあたる言葉「ホッカイ!!」と言って見た。そしたら二人は離れたので、堂々真ん中を通って表に出て自動販売機でジュースを買ってまたマンションの入り口に来たら。今度は太った。また背が高い大陸的な親父と子供が中から出て来て。今度は「こんにちわ〜〜!!」と日本語で言って表に出て行った。中国人なのだ。私の住んで居る街に中国人が住み始めたのだ。しかも、私が住んで居たマンションに、人種差別をする訳では無いが、世も末だ。そして夕方になると表から大きな話し声が聞こえて来る様になった。中国人たちが近くの酒屋で缶ビールを買って、飲んで騒いで居るのだ。マンションの側には公園があるのだ。私が小学校の時からある公園だ「子供の広場」と言う名が付いて居た。マンションの私の部屋の窓から見て居ると。白人の若者がエレキギターをバッテリー付きの小型アンプに繋げて弾き始めた。ロックだ。。。そう言う事が1ヶ月余りも続いた。まあ、私は音楽なら我慢も出来る。しかし近所の人が通報したのだろう。ある日パトカーがやって来て。公園で騒いでいた連中は注意をされて居た。それから、少しの間は静かになった。私は結構夜遅くまでハーモニカを吹いて楽しんで居たが。ある日、吹いて居ると、下の階からも同じブルースハープの音が聞こえて来た。私が吹くと吹くのだが,止めると相手も止める。要するに私の吹くメロディーを真似て居る見たいだった。しかし、相手は「プゥ〜〜」としか吹けない様だった。私はだんだん物騒に成り出した。そのマンションは家賃が高かった事もあって。出る事になった。私はそこを引っ越す時に空っぽになったマンションに礼を言った。「5年間僕を住まわせてくれてありがとう」とそして、下の階に向かって「君、ハーモニカ頑張れよ!!」そう言ってそのマンションを後にした・・・・・。
そして今のアパートに越して来たのです。しかし、このアパートに越して来てから、物が良く無くなる様になるのだ。私は或日アパートで布団を二つ折りにしてその上に寄り掛かって寝て居た。そうしたら人の気配がしたので横を向いたらお勝手に若い男が立って居た。私にはピンと来た。あのマンションに来た空き巣だったのだ。私は「誰だ!!」と叫んで起きあがろうとしたら。そいつは身を翻して去って行った。そしてこんな事もあった。ある時にCDケースを出しっぱなしにして居たので仕舞おうとしたが、待てよと思いケースの中を観て見たら、中のCDだけが抜き取られてあった。そして、食料品が無くなるのだ。私は空き巣かなとも思ったが、金を取らずに食料品だとか帽子が無くなるのだ。あとDVDとか本が無くなる。空き巣が入ったにしては金は一銭とも取られずに食料品だとか帽子?本?が無くなるのだ。私はこの部屋に出入りして居る訪問看護師。ヘルパーを疑った。或日、ヘルパーに言って見た。「最近、古本屋で購入した本とか、CD中抜き盗られて居るんだよねぇ」と。そしたらこう言うのだ「へぇ〜〜。そんな事などあるのかねぇ」しかしそれにしても変だ。そんな事を考えながら2年が過ぎた。そして、私はある日。外のラーメン屋でラーメン定食を食べて1万円で料金を払い、8千幾らかを上着のブレザーの胸ポケットに入れた侭、その上着を脱いで、布団の側に置き、其の儘、寝て仕舞ったのだ。2時間ぐらい寝て居たか。薬の副作用で寝て仕舞うから始末が悪いのだが。起きたので時計を見てもう夕方かと思って、そうだ、お金をきちんと仕わないとと思ってポケットを観て見たら、お金が無くなって居るのだ8千円全て。私は此れはこの部屋の合鍵を持って居る奴が私が寝て居る間に入って来て。ブレザーからお金を抜き取ったに違いが無いと思い。まず、交番に行って、「今、空き巣に入られた見たいで8千円ほど盗まれました」と言ったら。盗まれた被害者は私なのに、まるで加害者の如きの取り調べにあった。私は、「此処に引っ越して来た、2年前にも空き巣に入られて。眼鏡を袋に入れて置いて居たら。袋ごと盗られた」と言った。そしたら、「この辺では空き巣の被害の届出は無いんですがねぇ」と言うのだ。そして「物が無くなる事が、連続して良くあるので。この交番にはその都度言いに来て居ますよ。」と言ったら。「その眼鏡の時はどうしたの?」と聞かれたから「此処に言いに来ましたけど」と言った。
すると「あんた、もしかして精神病の障害持って無い?」と聞くのだ。私が「持って居ますが???」と言うと「統合失調症で天涯孤独の身でしょ」と言うのですよ。どうやら警察に私の事が通知されて居る様だった。私は警察はこれだから!!と思って。もういいやと思い帰ろうとしたら。「ああ、事情聴取のこの会話は、今は手書きだけど。ちゃんとクリアファイルにパソコンで清書して印刷して警察署で保管するから、安心してね」と言うのだ。私は何なんだかなぁと思い。それでアパートに帰って来た。しかし相手が合鍵を持って居るのは確かだから、大家にまず連絡を入れた。そうしたら、大家は驚いてすぐにやって来た。そして「今、此処を立てた処に連絡したから、すぐに鍵変えに来るから」と言うのだ。そうしたら20分ほどで鍵を持った鍵屋がやって来て、ドアの鍵を丸ごと取り替えて、鍵を5本程纏めて、私に寄越して言った。「此れで、もう相手が合鍵持って居ようとも、入れませんから。この鍵は特殊だから合鍵もすぐには作れませんからね。」と鍵を渡して帰って行った。そしたら、大家がその鍵から2本私に下さいと言って、持って行った。それ以来物は無くなら無くなった。だが、私はヘルパーさんを悪いが疑って居る。食料品だとか帽子を盗んでは居ないかとね。CDとかね。泥棒は金を盗むだろう普通はね。テレビで見たが、、ある障害者の居るアパートで物がよく無くなったんだそうだ。それでその一人暮らしの障害者の、妹が、カメラを2台仕掛けたと言う。そうしたらヘルパーが自分の鞄に、洗剤やら食料品を入れて持って帰って居た事が判明した。その映像がテレビで流れて居た。しかしその障害者の妹は、そのヘルパーを辞めさせたくは無いと言って居た。被害が出ても・・・。彼女の兄は体は首から上しか動かず。そのヘルパーはよく面倒を見て居るからだと言う。そのヘルパーの事業所を辞めれば、また一から介護をしてくれる人を探さなければ成ら無いからだ。そして私は若い訪問看護師にある古本を「この古本は貴重だよ」と見せた事があった。そしたら、その古本が忽然と無くなった。多分その子だろう盗んだのは......。テレビではアナウンサーが言って居た。「此れは氷山の一角です。皆さんも気を付けて下さい」と.....。
今年の神田古本まつりは中止になったので、神田を歩いてみた。PART13 矢口書店編
私が会社で働いて居た頃、従兄弟のゆきかずとは一緒には余り乗らなかったのだが、イビリが車の中で始まるからだが・・・。ゆきかずの弟のけんじとはよく一緒に乗った。ゆきかずと一緒に乗ると何時もファミリーレストランで食事をするのだが。弟のけんじは、何時も定食屋か、ラーメン屋だった。私が餃子とラーメンのセットで550円の店だが美味い店を探して、そこで食べようと言うと1回は入ったが、次からは定食屋に連れて行かれて、800円のすき焼き定食を食べようと言う。勿論割り勘だ。わざとなのだ。嫌がらせだ。私は1日1千円までで済まそうとして居たので、800円も昼に金を掛けてしまうと、残り200円しか残らない。その200円で缶コーヒーを2人分買うのだ。私は幾ら相手が気に喰わない相手でも、相手の分まで買って居た。けんじは当たり前の様に私から毎日缶コーヒーを貰っては飲んで居た。或る日、私は、毎日けんじに「すき焼き定食を食べよう〜、」と言われて。殆困り、ケチャップ・ライス380円を頼む様になった。するとけんじはニヤニヤ楽しそうな顔をして私に「あれ、〇〇ちゃん。すき焼き定食、なんで食べないのぉ〜〜」と聞いて来るが。私は、もう、その手に乗るかと毎日、ケチャップ・ライスを食べて食べて、食べまくった。けんじは何時も800円のすき焼き定食だ。続く訳が無い。けんじがとうとう根負けして別の店で食べようと言い出した。だから私は「あれ、いいじゃない、この店で!」と言ってまたケチャップ・ライスを注文した。言っちゃあ、何だが。私は毎日同じ食事でも飽きない。普通の人は飽きるらしいが、私は大丈夫なのだ、
そうして居たら。けんじはついに頭に来て、私を店の中が床が無く土が剥き出しの、土釜がある「おにぎりや」に連れて行って、薄ら笑いを浮かべながら、私の顔を覗き込んで「此処はおにぎりが食べられるぞ、ええ〜〇〇ちゃん?」と言うので、私は「いいですね〜此れからは毎日此処で昼にしましょうよ♪」と言い。一個80円のおにぎり3つと味噌を、お湯で解いただけの味噌汁50円合わせて290円で済むとばかりに嬉しがって食べたら、けんじは私への嫌がらせで連れて行っただけなので、慌てて、今度はラーメン屋に私を連れて行った。そして、私はそれから普通のラーメンを食べられる様に成った。あんなバカにいい様にされる私では無い。私は車に乗るとアメリカの在日米軍向けの放送FENを毎回聞いて居た。1980年代FENはブルースだとかブルース・ロックをよく流して居た。ロバート・ジョンソンなどのデルタ・ブルースからマジック・ディックのハープ・インスト「ワーマー・ジャマー」などが定番でよく掛かって居た。それからBBキング。ルーサー・アリソンらのモダンブルースやら、マイク・ブルームフィールド。スタン・ウェッブなどのブルース・ロックがよく掛かって居た。ちなみに今はFENは別名AFN ( American Forces Network、米軍放送網)と呼ばれて居る、世界各地の米軍が駐留する地に設けられた基地関係者とその家族向けのラテ兼営放送局(ラジオ部門、テレビ部門、ニュース制作部門の3つから成る)であり、日本でのサービスは、1997年までFEN(Far East Net Work極東放送網)と呼ばれて居たのだ。
私はタバコを吸いながら、缶コーヒーを飲み、車に乗って居る間は迷わずFENを聞いて居た。するとケンジが「タバコとよく言うけどタバコって外国語かなぁ、日本語かなぁ?」と言う。私が当時人気があった。日本のロックバンド「クリエイション」の曲で「タバコ・ロード」と言う曲があると言ったら。「じゃあ、日本語だな!!」と言う。「タバコ・ロード」とは元はナッシュビルのソングライター、ジョン・D・ラウダーミルクが作曲した曲で。「タバコ・ロード」と言うとE・コードウェルの小説「タバコ・ロード」や(それを映画化した)ジョン・フォードの映画「タバコ・ロード」が有名だ。”タバコ・ロード”とは、アメリカ南部のジョージア州で、煙草の葉・綿などの農業で発展した街を通る通称であり。自称ギターが弾けると言って居たけんじの割には浅はかだ。何にも知らないのだ。私は「ポルトガル語ですよ...。」と言うと。「だって、たばこ屋と言うじゃない。日本語だろ!!」と言い張る。私は今書いた事を教えようかとも思ったが、けんじがタバコは日本語だと言って居るので、何も言いはしなかった。教えてやったって損するだけだ。馬鹿はどうしようも無い。
"Whammer Jammer / (Ain't Nothing But A) House Party" "J. Geils Band" Live@Buffalo, NY 2012
B. B. King - The Thrill Is Gone (Live at Montreux 1993)
Low Down and Dirty - Luther Allison (Live)
Al Kooper & Mike Bloomfield "Albert's Shuffle"
Don't Worry About A Thing
Creation - Tobacco Road 1975 タバコロード/クリエイション
そしてけんじに出崎統の「コブラ」の映画版のビデオテープを挙げたら。貸すのでは帰って来ないので、コピーした物を挙げたら、観て、「なんで最近のマンガは外人なのかな、眼が青い」と言い出す始末だ。漫画とアニメの区別も付いて居ない。まあ、確かに日本人のアニメは白人が出て来る。と言うか、理想の人間を描くと白人たちは日本人は白人にコンプレックスを持って居ると言うのである。それならばと白人にして仕舞ったのが、功を成して、海外で売れる要因となったのです....。コブラの発想は洋画の「007・ジェームスボンド」を意識して居る。毎回、セクシーな美女が出て来るのもそうだ。私はこのアニメ映画「コブラ」は新宿の確か、新宿ピカデリーで1980年代に観に行った。確かドルビーサラウンド上映で音が大きすぎて少し割れて居たのが難点だったが。同時期に矢張り出崎統監督の「ゴルゴ13」も見て居る。どちらもお色気シーンとバイオレンスシーンがあって。とても子供向けとは言えないが、面白かった。。。客もほぼ30歳以上だった。当時は、私が20代でけんじが30代半ば、ゆきかずが40代近かった。まあ、ゆきかずよりはケンジの方がまだマシだった。ゆきかずに言わせれば黒澤明の「乱」は「外人向けに作った時代劇で日本人が観てもよく解らないんだよ〇〇ちゃん!」と本気で言って居た。要するに黒澤はシェークスピアの「リヤ王」をベースにして作って居ると言う事なんだけども、普通の人なら観て見れば成る程、流石は黒澤だと感心する処が、ゆきかずにはそれが解らず。「あのね、三郎軍と敵の軍と甲冑が色分けされて居るのは外人に向けてなんだ....。」と言い切る。まあねぇ・・・。・・・バカはどうしようもない。
Space Cobra Adventure - Daydream Romance
Ran 乱 1985 Kurosawa (Star Wars: The Last Jedi Style)
処で此の当時、「機動戦士ガンダム」の劇場版とか映画館で上映されて居て。丁度、テレビの刑事ドラマの名作「特捜最前線」が午後3時ぐらいから再放送されて居たのですが。主題歌が似て居るのです。多分、「特捜最前線」の曲を「機動戦士ガンダム」が真似たのでしょうけど。でも両方ともいい曲ですよ。まずは聴いて見て下さい。
「私だけの十字架」 特捜最前線エンディングテーマ
【Cover】機動戦士ガンダムI 主題歌「砂の十字架」(FULLサイズ:歌詞付き)GUNDAM song
働いて居た20代の頃。ある年長の社員が私を連れて来いと言って居る、スナックの主人が居ると言うので、その社員の車に乗ってその店まで出掛けたのだが。その当時私はまだ若く体重も58kgぐらいしか無くて。今、思えばそんなに食べ物を食べなかったのですね。少食で食べるとすぐにお腹が一杯に成って仕舞い。やはり30代の終わり頃から太って来たと言うか、でも50代になると痩せ出して、まあ40代の終わり頃に毎回書いて居る様に、一気に28kg近くも痩せまして。まあ、何遍も言う様に30kgある一斗缶を両手で200缶トラックに積むと言う事を毎日2ヵ月夏の炎天下にやったら、スクワットの要領ですよね、トレーニングジムで炎天下トレーニングした様な感じで痩せたのです。何遍も言うけど病的に痩せたので社員の人たちは心配してくれたのですが。かしろう、ゆきかず、けんじは3人で見に来て笑いながら「痩せられて良かったじゃない(笑)」と言うのですよ。でもまあ、かしろうはとっくに死んだし、ゆきかずは70歳代に成ったし、けんじは、もはや痴呆だしね。でもね、一度受けた仕打ちは私が生きて居る限り消え無いのです。話はまた元に戻りますが、
それで、そのスナックに連れられて行くと。そこの73歳の主人が、「まあ、座れ」と言って。「ねえちゃん、ええとな、ハンバーグに、カレーライス、うどんにな、ピラフにな、スパゲッティ作ってくれや」と言うのですよ。私は私以外に誰か人が結構来るのかと思って居たら、その料理がテーブルにヅラっと並べられて、そうしたら、「おめえはまだ若えんだ、全部食え」と言うのです。私は「あの〜、12時に昼食べて来たので、それに食べて無いにしても、こんな量。一辺には食べられませんよ。何かすみませんけど、このアイス・コーヒーだけ飲ませて頂きます。」と言ってアイス・コーヒーを飲んだら。「おめえは若えくせにこんなものも食えねえのか?」と言うので「せっかくのご厚意ですが頂けませんので、すみません」と言ったら、「勿体ねぇ、俺が喰う!」とガツガツ食べ始めた。しかし自分も食べられずハンバーグにスパゲッティ喰べたら、フーフー言って居る。
そして「此れからはな学問は関係ねぇ、おりゃ〜小学校しか出てねえけれども、こうやってな、スナックを5店舗も持って居るんだ」と言うので「それは凄いですね」と言うと「おめえ、これからは大学なんて行っても何にもならねえぞ!!」と言うので流石に「いやぁ、大学出たからってどうにもならない事も確かにあるけど勉強は大切ですよ」と言ったら。「大学出て俺みたいに、スナック、5店舗も持てるか?」と言うのだ。弱って仕舞って居たら電話が掛かって来て、「何、そんなか?、今すぐ3号店に向かう、待ってろ!!」と言って「せっかく呼んで悪いがな、急用が出来たそれじゃあな!」と居なくなった。そこへ会社の年長の社員がやって来て、「あれ社長は?」と言うので「今、急に用事が出来た様で出て行きましたよ?」と言うと「なら、俺の得意先のパン屋に寄ってから帰るぞ」と言うので「そうですか...。」と言ってそのパン屋に行くと。そこの主人も何だか「あんたに聞きたい事があるのだがね?」と言うので「何ですか?」と言ったら。
奥さんが出てきて「あなた、大学行ったって聞いたから聞くのですが、息子は今、中学生だけども、どこか大学に入れた方がいいかねぇ?」と聞くのだ。私ははっきり言った「奥さん、大学行くのもいいけど、お父さんはフランス料理店。銀座に3店舗あって、その他ブティック、リサイクルショップが青山に5店舗あってそして此処、麻布でケーキ屋とパン屋経営して居て、有名なホテルなりレストランに入れて居るのでしょう?」と言ったら、「まあそうだけども、、」と言うので、「息子さんは大学行くより、お父さんの跡を継いだ方がいいのでは無いですか?」と先ほどの老人では無いが、私はそう思うと言った。そうしたら「大学って矢張り難しいのか?」と聞いて来るので。「そこそこの処なら私も行ったぐらいですから行けるけど。よしんば一流校に行って、何になるのですか?」と言ったら黙って聞いて居る。「私が息子さんだったらお父さんの跡を継ぎますよ」と言ったら。二人とも黙って居るので「お父さんの仕事を継ぐのには高校卒業してから修行しないと行けないんでしょう?」と聞くと「まあな・・・」と言うので・・・。
そしたら会社の社員が「中学卒業してからですよね社長!!」と言うので、「それで私に聞いて来たのですか?」と言ったら、「まあ、そうなんだ、、」と言うので、「大学行くのも時と場合がありますよ、職人の道は厳しいんでしょうから、でも、此れだけの仕事を息子さんが継がなくってどうするんですか?」と言ったら旦那と奥さんが笑顔になって「ありがとうね、大学行った人に聞いて見たかったのよね....。」と言われてフランスパンを2本とケーキを貰った。帰って来る途中で年取った社員が「〇〇ちゃん、俺ら高卒やら中卒は、皆んなコンプレックスがあるんだから、大学に行かせろと言えば良かったのに....。」と言うので「〇〇さん、それは時と場合によりますよ。あの旦那さん月どのくらい収入あるのですか?」と聞いたら「月に数千万稼いでる。」と言うので。「大学行ったってそれだけ稼げませんよ」と言ったら「でもねぇ、〇〇ちゃんは俺らの苦労が解らないんだ」とか言って居たけども、それから10年経ってその年長の社員に、「あの時の息子さん今どうして居ます?」と聞いたら「親父と事業をさらに発展させて凄い金持ちになったよ。〇〇ちゃんの言った通りになったよ、、」と言って居た。人間、学問が幾ら出来ても貧乏していたんじゃ、どうしようもない。私はそう聞いて安堵した。幾つになっても学問の勉強は出来る。あの場合、ああ言うしか無かった。
1/2Maborosgi Paganz + Downer One - 「唖侍・鬼一法眼」主題歌 孤独におわれて (知り合いのバンドの演奏です)
そして、けんじだ、或る日、けんじが私と社員2人して車に荷物を積んで居ると、やって来てこう言った。「なぁ〜!!皆んな〜俺は草野球の名監督なんだよ〜〜!!」私が「草野球、何で?」と聞いたら。「だって俺しか出来ないんだもん!!」私はまた始まったと思って。こう聞いた。「じゃあ、滑り込みってどうやるの?教えて下さいよ。」すると床に滑り込んで状態を仰向けてこう言った「皆んな。この角度!!この90度の角度が大切なんだよ。え〜〜皆んな!覚えておきなさい!!」私と一緒に荷物を車に積んでいた若いのが「ほらほら、おっちゃん?また腰やるよ!!」とバカにして居た。私は呆れて見て居た。そして会社でけんじがすくっと席を立ち上がると、「皆んな、ヤマダ電機駅が出来るんだよ!!」と言った。すると皆んながざわつき、「なんですか。その話?」と聞いたら「昨日駅を見たら、ヤマダ電機駅を作って居たんだよ〜、ええ〜〜、皆んな!!、」と言うのだ。するとアルバイトの役者を目指して居る若者が。駅を作るのって許可が降りるのに。
どの位の行政の関与があると思うのですか、駅なんかそう簡単には出来ませんよ....。」と詳しい事を言い出したら「だって!!見たんだもの〜!!駅の看板にヤマダ電機駅と書いて居るんだもの、皆んな知らないのかい〜?」と嘘デタラメを言う。そうしたら皆んなは、呆れてよく言ってるよとばかりに。無視して他の話を話し出したら、けんじはボケーとして居た。そして翌日に成って皆んなに「昨日はごめんなさい、私の見間違いでした・・・」と言ったら。皆んなはうんざりした顔で「ケッ!!」と言って。もういいと言った具合でした。。。私にも1980年代に「プロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントがリングに花束持って上がってきた女の子のスカートをめくってパンティーに手を突っ込んで「でへへ〜」と笑ったんだよ〜〜。え〜〇〇ちゃん!!」と飛んでも無い作り話を言う。私はバカがまた始まったと相手にもしなかったが、痴呆はバカになるな・・・、今頃けんじはどうして居るのだか。もうけんじも68歳ぐらいになる。頭はハゲて、つるっ禿げだ。隠すのに右の毛を左に撫で付けて居る。ザマは無い。早く死んでくれ!!
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此処でまた、kiyasumeジジイの見苦しい自撮りです。怒る気持ちも解りますが。私としては統計的に此処に挙げて、どのくらい太ったか、痩せたかの判断材料にするので、付き合ってやって下さい。余り大きな鏡がない物でして、お許しを・・・・・また、油断してたら太ったみたいだなぁ・・・・
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お見苦しいさまを見せてすみませんでした。。。。
あゝブルース
世良 公則 X 野村 義男 「 身も心も 」
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Ningen Isu / The Colour out of Space (人間椅子 / 宇宙からの色) ー
今季は此処までとなります。それでは、また。。。。