【ゆっくり解説】昭和の必須アイテム「ラジカセ」の歴史と変遷。とんでもない機種が多かった!!
【ゆっくり解説】「バブルラジカセ」は昭和末期に爆誕した最後の打ち上げ花火だった!!
私が好きな、青木志貴ちゃんです。彼女は声優でモデルで、アパレル・ブランドのオーナーで、、舞台俳優で、コラムニストで、YouTuberです。皆さんも応援宜しくね。(๑>◡<๑)。愛猫、ドラゴンちゃんと戯れる志貴ちゃん。。
Savannah Woman
「エッセイ」
最近はもう書き込みもないし、書き込みされても無視をするが、、ある男からこう以前言われた「父親と母親の一時の快楽のために生まれて来て。kiyasumeさんは死にたいとは思いませんか!!」なんと言う失礼なことを言うのだろうか?確かに私は両親に余りいい思い出は無く。特に親父などにはいい思い出なんて無いに等しい。しかし赤の他人からこんな事を言われる覚えは全く無い。この男はSEXを憎悪して居るようだが、SEXは愛の形を具現化したものだ。最近ではアダルトポルノのせいで無茶苦茶なSEXが描かれて居るが。その男はそう言うものを見て言って居るのか?前から自分勝手なコメントを入れて来てこちらが真摯に対応しても難癖をつけて来て居た。蘊蓄も時と場合による。私は今勃起障害で医者から薬の調節をして貰って居る。何故そうなったのかと言うと、私が飲んでいた薬のせいなのだ。リスパダール系の向精神薬は何年も続けて飲むと女性は乳腺が張ってお乳が出てくる様になり、男性の場合は勃起不全になるのですよね。皆さんこの薬を飲んで居る方達は気をつけて居るのですよ。それを私は40年間も飲まされて居たのだった。私は20歳ぐらいで統合失調症を発生して居る。私は幻聴と妄想が出るのですよ。それが病気の正体です。昨年の暮れ11月には隣の部屋から女性の声で「助けて下さい」と言う悲鳴が聞こえた確かに聞こえたのだ。しかしそれは幻聴だった。そして、驚いた私は助けようとして隣の部屋のドアを蹴破ろうとして蹴ったのだ。無論警察も呼んで居た。警官が到着して私はこう言った。「私は障害持ちだから。もしかして妄想と言う事も考えられますが?一応はドアを開けて、調べて下さい。」しかし警官は何もせずに帰ってしまった。まあ警官にして見れば調べることは出来ないのだろう。ただ警官に「もし中で殺されて居たらどうするのですか?」と聞いたら「ああ、その場合は逃げた後に該当カメラに姿が映るだろうから。捕まえることが出来ますからご安心を」私はそれを聞いて怒って言ってやった。「殺された人の人権はどうなるのですか?」するとそれには何も答えずに帰ってしまった。
しばらくして大家が来て何故こんな事をしたのか聞くから「すみません、私の妄想が出たようです」と言った。すると「妄想?あなたはそう言う病気持ちだったの?」大家には言って居なかったのだ。「壊したドアは弁償しますから、これで足りますか?」と15万を手渡そうとした。すると大家は「ドアの工事代は後で見積書を持って来ますからいいのよ」と言って大丈夫と言って帰って行った。そして私はその後に来た訪問看護師に連れられて松沢病院まで連れて行かれ任意入院となった。任意入院とは自分から進んで入りに来たと言う事で、病状が治れば自分の思った時に何時でも退院出来る入院形態だ。私はまあ、1ヶ月かな?と思って居たら。大家が「アパートを取り壊すので老朽化の為に来月までに出て行ってくれないか?」と言い出したので、まあ、前から言っては居たのだが、どうやら私が問題を起こしたので私だけ1ヶ月早めに出て行って貰いたい様だった。だから私は入院中に福祉課のケースワーカー、すなわち生活保護課で不動産を私の見合った物件で探してくれると言う事になったが、年内は動けないと言うので次の年の1月中に探す事に成ってしまった。アパートは1日で見つけた。それで1月30日に引っ越し屋を呼んで荷造りをして、2月2日に入居出来たのです。
まだ荷物が片付けなくてはならないので、大変だが、今は新しい事業所のヘルパーが来てくれて居るので。一緒になって少しずつ片付けて居ます。まあ、だいぶ片付いては来たが、洋服類が多いいので入れる所が無いので引っ越屋の箱に種類別に入れておく事にした。前のアパートは5畳間のお勝手に6畳間の個室だった。しかし今度は6畳間の個室に、4畳半の部屋、そして3畳間のお勝手です。前よりも広くなって快適な住まい暮らしが出来て居ます。最近は人の僻み嫉み妬みと言う事を考えて仕舞いますよ。そしてその私に死にたくないのかと言った男は、2年程前に私の掲示板にこう書いて居た「このblogは精神障害者が書いたblogだと認識して読んだ方がいい。でなければこんなblogはクソだ!!」そう思うのなら「何故書き込みをするのだ!!」とその人に言いたかった。まあ、今はもう来ないので良いのだが。随分と自分勝手な人が多すぎる。このblogは私のblogなんですよ何書こうともね。赤の他人に非難される覚えは無いです。そんなに自分の意見が言いたいのなら自分でblogを作り。自分の言いたい思想やら事なりを書けばいいのですよ。人に喧嘩を売ってくるのでは無くてね。人を批判して居る時間があったら自分の有意義な事をblogに書けばいい。それから、私について嫌がらせのメールを入れる人が居ますが。大方誰だか解って居ますから。辞めて下さい。
レゲエが生まれる前、当時のジャマイカではメントと呼ばれるダンスミュージックが流行していた。だが、1950年代に突入するとラジオの電波に乗ってアメリカから聞こえてくるジャズとR&Bに熱中に成る人々が増える。当時は家で楽器やレコードを楽しむ家庭が少なかったジャマイカの人々は野外ディスコで音楽を楽しむ様に成る。当初はサウンドシステムの進化とバトルが眼下に繰り広げられたと言う。そんな折、レコードストックが切れるという深刻な事態が発生。そこで、コクソン・ドットはオリジナル音楽を製作すべく、レーベル「スタジオワン」を設立。当初はジャズやR&Bの模倣だったが、次第にスカへとオリジナルティーのある音楽へ進化。これがイギリスでも人気となり、デュークリードも対抗レーベルとして「トレンジャーアイル」を設立。スカが水面下で加熱する中、スカよりゆったりしたロックステディが誕生する。1960年代から70年代にかけて、タブが発明されたり、DJが誕生したりと、後のレゲエにとっては重要となる革命が起こる。そして、ボブ・マーリィの登場でレゲエはより成熟していき、いよいよジャマイカやイギリスだけの物ではなく、世界的なものへと進化していく。だが、ボブ・マーリィが亡くなった後は牙を抜かれた様な音楽が量産される。代わりにジャマイカのDJたちがダンスホール・レゲエブームを巻き起こす。当初は本島だけであったが、次第にダンスホール・レゲエも認知される様に成り、ついにはヒップポップと融合したレゲトンが誕生と成る。この様に、レゲエは時間をかけて世界的なポップスへと成長して行った。
==「マカロニに出演した日本人俳優と映画の歴史を少し解説....。」==
もう、随分と前の事だが、岡本喜八監督の「イースト・ミーツ・ウエスト」と言う。日本人の真田広之と竹中直人に仲代達矢を配し、相手役に外国人を起用してアメリカで撮った西部劇がある。日本人が撮った西部劇だから「スキヤキ・ウエスタン」と当時呼ばれて居た。しかし日本人が出演した西部劇は昔から少ないながらあった。未公開作品だが。トニー・アンソニー主演のストレンジャー・シリーズ(暁の用心棒)と言う作品群がある。その第三弾として、何と日本ロケした映画がある。題して「storanger in japan/英語タイトルThe Silent Stranger」と言う1969年制作のマカロニ・ウエスタンだ。
The Silent Stranger U.S. Film Trailer
THE SILENT STRANGER - CLIP
幻の映画と日本では呼ばれて居る。ストーリーは日本の盗賊がガンマン(日本に流れ着いた)に対抗して、南蛮人の指導の元にガトリング機関銃を作って、戦うと言う物だが、見事にマカロニのツボを抑えたイタリア人気質が迸る、絶品マカロニ・ウエスタンだった。要するに天ぷらそば作っても、タバスコは忘れないと言った処か。私はこの作品は、スペインから海賊版ビデオを取り寄せて所有して居た。画像もまあまあ、良いビデオだった。勿論、字幕は無いが、日本が舞台なので日本語が多く、話の筋は理解出来た。ちなみに最近ドイツでDVDが発売されたらしい。私はビデオテープからDVDにダビングして今だに所有して居る。この作品は京都の撮影所で撮影されて居て、監督は、足が悪い野良犬を連れて来て、この犬はガトリング機関銃の流れ弾に当たったのだと言い、撮影をし、適役で主演した大前均は暴力的な撮影の為、怪我をしたと言う。話は荒唐無稽だ、温泉でのくノ一襲撃で主人公のトニーアンソニー扮するガンマンが危機的状態になるとか。悪侍の婚約者が14歳の少女だとか、、おまけに、日本に来れば財宝がザクザクあると訊いて、アラスカで死んだ日本人から財宝の地図を渡されて、日本くんだりまで船で馬ごと密行して来た”ストレンジャー”が日本の大名の騒動に巻き込まれて、悪代官、旗本の悪侍を日本にあった火縄銃と先込めライフルで撃退し。無理やり悪代官の妾にされ掛かって居た14歳の女の子を救うのだ。最後に落ちがあって、財宝の地図を読んだ、なぜか英語が解る14歳の女の子に「ストレンジャーさん。財宝はカルフォルニアにあると注意書きがしてありますよ?」と言われて、めげるも、馬を飛ばして「さらばだ。カワイコちゃん」と去って行くのだ。船乗らなくてどうやってアメリカまで帰るのか...。?と言うラストだった。思えば、マカロニには、日本人俳優が結構出演して居る。まず、此間書いたが、1968年に仲代達矢がトニーノ・チェルビィの「野獣暁に死す」に出演。イタリア人にあの仲代の目つきはまさにマカロニ的と思えたか、役柄もありがちな日本人の混血などではなくジェームズと言う悪党のボスで主人公の恋人のインディアンの女を犯し、殺し。馬上の上で日本刀ならぬ大鉈を振りまわす、拳銃の腕前も刀も凄いサムライ的なガンマンの演出だ。
Oggi a me,Domani a te!
この映画は主人公が仲間を集めながら復讐へ向かうと言うストーリーの骨格が黒澤の「7人の侍」だし。最後、主人公の「カイオワ」と仲代の「ジェームズ」が決闘する時に、主人公が、「俺が死んでも手を出すな」と周りのガンマンたちに誓わせ、決闘するシーンはやはり黒澤の「椿三十郎」の台詞のパクリだった。それから、「五人の軍隊」と言うマカロニがあるが、此処では、あの丹波哲郎が「芸人に身を窶した」と言う日本のサムライ役で出演して居る。丹波哲郎と言えば確か進駐軍の通訳をして居たと言う英語通だが。「007は2度死ぬ」では日本政府の諜報員の現代忍者部隊の闘将、タイガー田中役で出て居る。しかし、何故かこの映画の中では台詞は一切無し。サムライは気安く口を聞かないと言う設定。そしてメキシコ政府軍が列車で輸送する砂金を掻っ払うシーンで列車から転げ落ちて、走って走って列車に追い付くシーンとか、東京オリンピックでの円谷選手を彷彿とさせるシーンを撮り。拳銃相手に刀の居合切りで、ピーター・グレイブス演じるリーダー格のガンマンやら仲間のガンマンを助けるニヒルな男。そうルパン三世の五右衛門のモデルになった役なのだ。
The Five Man Army (Original Theatrical Trailer)
UN ESERCITO DI 5 UOMINI (Ennio Morricone - 1969) : "Una Corsa Disperata (Samurai Runs)"
そして、1970年代になってから真打の三船敏郎が「レッド・サン」に堂々主役級で主演。当時世界の名優と言われて居た、チャールズ・ブロンソンとフランスの2枚目俳優アラン・ドロンを向こうに廻し。堂々たる会心の演技を世界に見せつけた。三船はテレンス・ヤング監督と外人が連想するサムライでは無くて、本当のサムライとはどう言うものかと徹底的に話し合い。アクション・シーンはスタントマンを使わずに全部本人が演じ、リアリズムに徹した。この映画は当時話題作となり。世界的な興行収益もはじき出した。なお。この作品は監督はイギリス人。共演者が、アメリカ人とフランス人と言う映画だが、れっきとしたマカロニ・ウエスタンだ。まさに名作。
Red Sun (1972) Clip
こうして見るとマカロニ・ウエスタンに日本映画が与えた影響は大きい。が、日本人はマカロニをイタリア人が作る前に。1960年代初頭にスキヤキ・ウエスタンと言う、和製西部劇を撮って居るのだ。和田浩二がワイアップ・アープの日系の孫を演じた西川克己監督作「俺の故郷は大西部」などだ。クライマックスは富士山麓の「 OK牧場」ならぬ「大川牧場」と言う怪作。その後日活は1962年に此間亡くなった、宍戸 錠こと「エースのジョー」をメキシコの友人を助けるために海外へ派遣。蔵原椎繕監督作「メキシコ無宿」を撮った。メキシコなのになぜか悪役は藤村有弘だった。まあ、この頃のものは、パロディか、お遊びだった訳で。イタリア人の様に「偽物ウエスタン」と言われようとも。「残酷」「スタイリッシュ」「かっこいい音楽」と言った独自の血と汗を込める様な情熱は日本には無かった様だが、、しかし、マカロニと負けじに我が国も力を入れたスキヤキ・ウエスタンを1968年当時撮って居るのだ。それは佐藤純彌監督が撮った、高倉 健主演でオーストラリアの俳優とロケで撮った「荒野の渡世人」だ。勝海舟率いる臨海丸でアメリカに渡ったサムライの子供が青年に成り、大西部でガンファイトと日本刀を駆使して、アメリカ人の知り合った母親と子供を助けると言った。どちらかと言うと、あの股旅ものの西部劇「シェーン」を彷彿とさせる、秀作だった。
荒野の渡世人(予告編)
拳銃無頼帖 抜き射ちの竜
【渡り鳥】小林旭と宍戸錠 AKIRA & JOE
日活アクションの名役者達:宍戸錠
その後、スキヤキ・ウエスタンは作られず、1970年代に成ると「テレビ時代劇」にガトリング砲が出現し、マカロニ的な時代劇が大流行と成って行った。「必殺仕掛け人。」「必殺仕置人」が出て来て、時代劇もマカロニの影響を見せ始めた「唖侍・鬼一方眼」「子連れ狼」「木枯紋次郎」などが出来た。そしてそれらは、アメリカやヨーロッパで高い評価を受ける様に成って行った。その後、スキヤキ・ウエスタンは1992年頃に岡本喜八監督の「イースト・ミーツ・ウエスト」が出来た。私はこの作品を手に入れたかったのだが、何と当時、セル・ビデオは発売にならず。困った私は発売元の松竹映画事業部まで、電話を掛けたのだった。すると年配の男性が電話口に出て、私が「この作品を絶大に評価して居る」と言って、「低価格ビデオの発売を検討してくれ」とその人に頼んだら、何と電話に出たのは松竹映画の社長さんで、「分かりました。あなたは可也の映画通ですね、この「イースト・ミーツ・ウエスト」のビデオは差し上げますよ。ああ、ちょうど岡本喜八監督のメイキング・ビデオもあるから2本組でお送りしますよ」と言うでは無いか。私は驚いて、「いえ、タダでは貰えないから、お金は払います」と言ったら「ならばビデオ業者に渡すのでビール券をお気持ちでいいから送ってください」と言うので5千円分のビール券を松竹まで送ったら。ビデオが2本届いた。何でも、ものは言って見るものだと思いました。そのビデオは暫く私の宝物と成った。その後、10年程前に三池崇史監督が、あのマカロニの名作「続・荒野の用心棒/ジャンゴ」をオマージュしてスキヤキ・ウエスタンとして「スキヤキ・ウエスタン・ジャンゴ」を撮ったのは記憶に新しい処だ。そして3年前の12月31日にマカロニ・ウエスタンの名作「続・荒野の用心棒」が、4Kリストア・バージョンで劇場でリバイバル・ロードショーされた。そのバージョンのBlu-rayは今、発売されて居る。そして、そのバージョンでのフィルム放映が今月4月に放送される。確かCSか地上波かどちらかでだ。今から楽しみだ。。。
Samurai in The Wild West!
Sukiyaki Western Django Best Fight (End)
Sukiyaki OST / BSO - Django Sasurii
KIKEBLOUT // 子連れ狼 (Lone Wolf)
紋次郎喰い
〜〜読書の仕方〜〜。
ショーペンハウエル『読書について』(1851)を再読したので、それについてふれてみたい(私の中では「ショーペンハウアー」の方が自然なのだが、引用文献の表記に従う事にする)。読書論の古典として読み継がれて居るものだが、基本的には現代でも通用するアドバイスを含んで居るものである。ちなみに、日本語訳ではそのまま『読書について』というタイトルで本が出て居るが、実際にはこれは主著である『意思と表象としての世界』の注釈書『余録と補遺』にあるアフォリズム形式の文章である(日本語訳するとたった20ページである)。ただし、便宜上此所では本として扱う事にする。
最初から余談になるが、『読書について』と言えば、よく引用されるのは次の部分である。
読書は、他人にものを考えて貰う事である。(岩波文庫、斎藤忍随訳。以下同)
この一文は、しばしば「名言」として扱われて居たりする(同じ言葉は『思索』の中にもある)。しかし、多くの「名言」の例にもれず、これが引用される時には、結構誤解されて居る事がある。そのあたりをまず簡単に見て於きたい。そもそも、上の部分は主張の前提であって結論ではない。つまり、この抜粋はかなり恣意的である。したがって、この一文は前後の文脈を抜きにしたらほとんど情報量がない。だから、此れだけが引用されると恐ろしい誤解を生んで仕舞う。中でも最たる誤解は、「読書は無益だ」と言うものである。実際、酷い場合は「ショーペンハウエルも言っている様に、読書なんかしなくていい」などと言われて居たりする。ショーペンハウエルが聞いたら泣くであろう。
当然だが、ショーペンハウエルは「本を読むな」などとは一言も言って居ない。ただ、「読書は他人の思考を追体験するだけの過程なので、それ自体とは別に、自分の軸を持って自分で思考する事も勿論重要ですよ」と言って居るだけだ。そもそも、こんなに短い文章を読みもせずに引用する人が如何に何も考えて居ないかが解ると言うものだが、「本を読むな」と「本」に書いてどうするのだ。本を読んで居るのに本を読むなと言われたら、じゃあこの本はなんだと言う話である。
(ちなみに此れで思い出したが、作家の佐藤優氏に寄せられた相談で「夫が佐藤さんの本を買って来て困って居ます」と言うのがあった『インテリジェンス人生相談 個人編』。氏は「書籍を買うなと言う助言をする作家は居ないのです」と言って居た。)
さて本題だが、最初に『読書について』を私なりに要約すると次の様になる。
- 古典を読め
以上終わりである。此れだけ抜き出すとそれはそれで怒られそうだが、実際、本人の頭の中を想像すると一番言いたかったのは此れだと思う。あとはその注釈の様なものです。
つねに読書の為に一定の短い時間を取って、その間は、比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才の作品だけを熟読すべきである。
精神のための清涼剤としては、ギリシア、ローマの古典にまさるものはない。
こんな具合に、古典礼賛の文章がある。そもそも、この本の中では「古典」と「良書」は殆んど同義である。つまり本書は、全体として「古典=良書を読むにあたっての注意点」を語って居ると見る事が出来る。その視点から続けよう。
良書を読む為の条件は、悪書を読まぬ事である。人生は短く、時間と力には限りがあるからである。
ショーペンハウエルは、古典=良書をすすめる一方で、反対に「悪書」を見きわめて「読まずにすます技術」が重要だと言って居る。その技術とは、「技術」と呼ぶかはともかく、次の様なものである。
多数の読者がそのつどむさぼり読むものに、我遅れじとばかり、手を出さない事である。たとえば、読書界に大騒動を起こし、出版された途端に増版に増版を重ねる様な政治的パンフレット、宗教宣伝用のパンフレット、小説、詩などに手を出さない事である。この様な出版物の寿命は一年である。
重要なのは最後の部分だが、要は、流行に左右される様なものに手を出すな、評価の定まって居るものを読め、と言う事である。今風に言えば、ベストセラーを読むな、ビジネス書を読むな、芸能人本、アスリート本を読むなと言う感じであろう。勿論、こうした類の出版物に価値が無いと言う事ではない。それぞれに目的があり、あくまでもショーペンハウエルが此処で前提にして居る読書の目的にはそぐわないと云う話である(本人は本気で価値がないと思って居るかも知れないが....。)処で、もう一つ『読書について』で頻繁に誤解されて居るのは、「多読」について語られて居る部分である。つまり、「ショーペンハウエルも言う様に、多くの本を読む必要はない」とか言ったものである。結論から言えば、これも誤読です。
ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失って行く。
多読すればする程、読まれたものは精神の中に、真の跡をとどめないのである。
こうした部分だけを見ると、確かに多読を批判して居る様に見える。しかし、それはまさに、こうした部分だけを見るからである。前後の文脈を見れば、これらは明らかに「多読即悪」の意味ではない。順番に見てみる。
まず、ショーペンハウエルが多読をなぜ疑って居るかと言うと、まさに「読書は、他人にものを考えて貰う事」であるがゆえに、それ一辺倒になると「次第に自分でものを考える力を失って行く」からである。つまり、「多読」そのものがまずいのではない。多読によって「自分でものを考えなくなる」のがまずいのである。逆に言えば、自分でものを考え続けている上で多読するなら、一向に構わない訳である。事実、ショーペンハウエルは「良書を読みすぎると言う事はない」とも書いて居るし、ともかく「多読」そのものを嫌っている感じではない。だからこれは、一貫して「自分でものを考えることを忘れるな」と言って居るにすぎない。
次に、「一日を費やす」という表現を使って居る事からも分かるが、此処で言う「多読」とは「冊数」ではなく「時間数」についての事である。つまり、やはり問題は自分で考える時間が無くなると言う事態に陥る事なのである。いずれにせよ、ショーペンハウエルが呈する「多読」への疑義は、あくまでも「自分でものを考えるのが重要だ」と言う原則の裏返しである。つまり本書の論理が見渡しづらいのは、「読書は他人にものを考えて貰う事である」とすると、「古典を読むことの重要性」を説く一方で「自分で考えることの重要性」についても強調すると言うのが、どことなく矛盾して居る様に見えるからである。しかし、此処まで見て来た様に、きちんと整理すればこれらは「矛盾」するものではない。それどころか、まさに是等を、どちら一方でもなく「両方やるべきだ」と言うのがショーペンハウエルの本質的な主張だとも言えるだろう。バランスが大事だと言う事です。
まとめると、(1)良書を読むことが重要であるがゆえに、悪書を極力読まない様に心がける一方で、(2)読んでばかりでは他人に考えて貰うばかりになるので、自分で考える事を怠るな、となる。
こうしてみれば、今から見れば余りにも当然の事である。しかし、これが実践出来て居るかどうかが重要と言う事であろう。その点はアドバイスとして今でも変わって居ないと思われる。最後に、この解釈を裏付けると思われる部分を、『読書について』と相補的な文書である『思索』から引用して置こう。ちなみに此処で言う「思想家」とは、ただ多読するだけの「博学多識」に対して「自分でものを考える人」と言う意味です。
思想家には多量の知識が材料として必要であり、そのため読書量も多量でなければならない。だがその精神ははなはだ強力で、そのすべてを消化し、同化して自分の思想体系に併合する事が出来る。つまりその精神はたえず視界を拡大しながらも有機的な組織を失わない壮大な洞察力の支配下に、その材料を置く事が出来るのである。
と言う事で、「読書=他人の思考を追体験する事」と「思考=自分の軸に基づいて自分で思考する事」を「両方やる」事が大事なのである。それだけの話である。ちなみに、私が『読書について』の中で最も広めるべきだと思うアドバイスは次のものです。
重要な書物はいかなるものでも、続けて二度読むべきである。それというのも、二度目になると、その事柄のつながりがより良く理解されるし、すでに結論を知って居るので、重要な発端の部分も正しく理解されるからである。さらにまた、二度目には当然最初とは違った気分で読み、違った印象を受けるからである。つまり一つの対象を違った照明の中で見るような体験をするからである。
此れは、あまり耳にしないアドバイスだが、きわめて重要なものだ。実際、その本を初めて読む段階では、内容は殆んど理解しようがない。なぜなら、読んだ事がない状態での自分の視点で部分部分を理解して行くしか無いからである。しかし、一回読み終えて居ると今度は「全体像」を曲がりなりにも知って居るから、部分部分がどのように連関して居るかを理解することが出来る。それを繰り返す事で、最終的には全体を一つのものとして理解出来るのです。
これは、「部分の総和が全体」と言う考えに対して、「部分と全体は双方向的」とする発想に基づいて居るが、つまり、部分が解らないと全体は解らないが、全体が解らないと部分もまた解らないと言う事だ。あらゆる認識でこの原理が働くと言うのは20世紀のゲシュタルト心理学以降に定着した考えだが、つまりショーペンハウエルのアドバイスは、正しく人間の認知的特性に則したものとなって居たのです。
- 作者: ショウペンハウエル,Arthur Schopenhauer,斎藤忍随
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1983/07
- メディア: 文庫
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「服についての短い考察」
デザイナーズ・ブランドとはデザイナーがブランドのイメージ作りから商品の企画、制作(多くの場合、春夏と秋冬2回のコレクション)または服の生産まで主導的に関わるブランドです。デザイナー自身は会社(大企業に属さない)の経営者または経営権を持つことはあるが、「クリスチャン・ディオール」や「グッチ」のように被用者の立場にあり該当しないものもある。その他、「ジョルジョ・アルマーニ」、「ドルチェ&ガッパーナ」などがある。
日本では、経営権を持つデザイナーには、「コム・デ・ギャルソン」の川久保玲や「アンダーカバー」の高橋盾が該当する。その他、「イッセイ・ミヤケ」の三宅一生や、かつての、「ヨウジ・ヤマモト」の山本耀司,「ケンゾー」の高田賢三などが該当する(高田賢三は現在、ケンゾーブランドの経営、デザインには関わっていない)。現在ではドメスティックブランドと言われる事も多い。
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 1/3
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 2/3
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 3/3
詳しく言うと、かつて、ファッション雑誌やデパートなどで使われていた用語。この用語がいつ頃から使われ始めたかは明らかではないが、1979(昭和54年)の新聞に、渋谷PARCO PART2の地下1階メンズフロアの広告として、「デザイナー・ブランド(ただし英語表記Designer's Brand、のちにDesigners' Brand)」の名のもとに、松田光弘・菊池武夫・三宅一生・川久保玲・髙橋幸宏(年齢順)の名およびメンズファッションへのコメントを載せたことが、この用語を社会的に認知させる最初のきっかけであった。これらのデザイナーは、松田光弘・菊池武夫は既に一定のファン層を持つものとして、三宅一生は美術的側面からファッションにアプローチするものとして、川久保玲は新進の若手デザイナーとして、それぞれ別のポジションにあり、「デザイナー・ブランド」として一括りにされるような共通の特徴を持っていたわけではなかったが、この当時、午後の情報番組に数名のデザイナーが出演しファッションへのコメントをしたり、三宅一生とYMOの生演奏コラボレーションによるファッションショーが特番として組まれるなど、一般人からは職業デザイナーとして一括りに見られるようになった。
三宅一生(京都賞2006受賞者)からのメッセージ
ちなみに、三宅一生や1980年代中頃以降の山本耀司は、和の文化(日本的な意匠)としてのファッションを模索した。その他「デザイナー・ブランド」とは別に、例えば、ニットおよびカットソーでトータルコーディネイトを提案した「メルローズ」のような特化的なブランドなども注目されたが、「キャラクターズ・ブランド」とは呼ばれなかった。なお、当初は「デザイナーズ&キャラクターズブランド」という用語はなかった。結果的に、この用語は広告およびファッション界の中で、特定の確立したジャンルを表す意味としては定着しなかった。実際、各ブランドに対して、雑誌編集部の関心により一面的な紹介がされたため、この用語には、各ブランドの特徴を見出すことはできない。
今はファスト・ファッションの時代だ。いま若者の間で流行しているのが「ファスト・ファッション」。手ごろな価格でファッション性の高い商品を大量販売する衣料専門店のことを言います。早くて安い「ファース・トフード」が言葉の由来とか。最新のトレンド・ファッションを大量販売し、頻繁に商品を入れ替えることで、消費者を店内に呼び込んでいます。東京の腹軸や新宿には、こうした衣料専門店が集待って居ます。数千円台から最新のファッションを手にできることが人々に受けている。誰でも購入しやすい「手ごろな価格」設定の秘密は、専属デザイナーによる商品を自社工場で大量生産したり、逆にデザイナー・工場を持たず委託生産を行い、商品は売り切ることでコストを抑えるなど、各社で異なります。ファスト・ファッション・ブームを巻き起こしたのはスウェーデンのH&M。08年秋に、銀座。原宿へ相相次いで進出。多数の客が詰め掛けて居た。また米国のフォーエバー21が原宿に進出しました。もともと原宿には米国の GAP、スペインのZARAなどが店を構えており、外資系が勢力を持って居ます。日本の代表と言えばユニクロ。全国に展開して居ますよね。ファスト・ファッション店は百貨店・ショッピング・センターへも出店しています。マルイは新宿に「新宿マルイ・カレン」があります。「丸ごと全館“ファスト・ファッション!”」と銘打ってユニクロの「ガールズコンセプトショップ」やポイントが展開するブランド「ローリーズ・フォーム」などを揃え、沢山の若者で賑わって居ます。
ZOZO、ユニクロ・ZARAが激突。ファストファッションは終わるのか?【NewsX】
私はこれらのことを踏まえた上で、特にアマゾンなどで商品を探して購入しています。あとネットでランダムに探しヒットした商品などを買っています。勿論ユニクロなどもよく買って居ます。しかしデザイン的に気にいる物だけですが。洋服で言えば。私は1970年代風な感覚を持った服装を模索しているので、普通の人とは違うと思いますが。ただ、夏でもたんなるTシャツなどは着ずにシャツにベストを着用して居るのは、私のblogで私の格好を見れば解ると思います。この格好は1970年代のロックミュージシャンの映像からヒントを得て、それと今の流行にも合わせています。一様はそうです。ただ一人で外出もせずに家にいるときはTシャツを着ていますが。それも虫プロで発売している「ベラドンナ」のプリントTシャツですが。
地味でも個性的な格好をしたいですね。
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高校の頃、1975年頃。私は軽音楽部の部室でバンドのメンバーとセッションをしたのだが。ブルース・ナンバーを皆んなでギグして居たら。同級生の男の学生が突然入って来て。「何やってんだ。皆んなして、変な音出して!!」と乱入して来たので。演奏しながら皆んなで、「バカなこと言ってないで部室から出て行け!」と言っても出て行かず。「ロックだなんてやってるのは皆んな麻薬やってるんだ!!」と訳解らない事を言うので。強引に外へつまみ出した。こう言う御仁が大人になると厄介なオヤジになるのだ。自分の預かり知らない事は理解が出来ない。物事を偏見で見るバカオヤジになる。15、6歳にしてこの程度だと今頃、其奴は大層なバカジジイに成って居る事だろう、処で、其奴は私の隣の机で勉強していた奴で、コンタクトレンズを嵌めていて、しょっ中授業中に、レンズが落ちた探してくれと大騒ぎをしていた。そして探してやると、「あれ目の奥に入って居た」と言うのだ。処置無しだった。或る日、私もよせばいいのに、其奴を虫プロ映画祭に連れて行ったのだった。私としては手塚治虫作品が上映される事は勿論。目当ては当時既にカルト的な作品と成って居た「哀しみのベラドンナ」が上映されるので、そいつにその映画を解らせ様として、連れて行ったのだが。始めの方は手塚作品のアニメ「展覧会の絵」「或る街角の物語」だとかが上映され。あとTVアニメから「ワンダー・スリー」「ジャングル大帝」などから2話ぐらいづつ放映されて、最後が「哀しみのベラドンナ」だった。私は上映前にそいつに如何に「ベラドンナ」が素晴らしい作品かを力説して居たのだが、そいつは観ながら「なんだ、ジャンヌ・ダルクと同じじゃないか」と文句を言い出した。映画が終わると女の子の客が多かったのだけども。皆んな立ち上がり、スタンド・オベーションをしたのだが。其奴は何だか解らずただ突っ立って居た。私は「ああ、バカに、何、藝術的な物を見せても解らないんだ・・・」と連れて来た事を悔やんだ。当時は丁度TVアニメとしては「宇宙戦艦ヤマト」が放映されて居て、それが切っ掛けで第2時アニメブームが起こる直前だった。その後、アニメブームは第3次アニメブーム。第4次アニメブームへと続いていった。そして日本では1990年代後半から深夜帯の青年向けアニメが広まり始めたのだが。1998年頃から特定の層に需要を見込んだ深夜アニメの採算性が注目されるようになり、テレビアニメの放送形態として一般化していった。この動きには、1990年代に製作委員会方式がアニメでも採用されだしたことが一因であると言われている。
2000年代半ば頃には少子化で子供向けアニメの需要が低下する中、アニメファン向けの映像ソフトなどの販売や世界展開などを見込んで製作側が時間帯を買い取るという形での深夜アニメが数多く作られ、アニメバブルとも形容された。その結果、2006年には全日帯のアニメ製作分数と深夜帯のアニメ製作分数がほぼ互角となるほどにまで深夜アニメが広がる事となった。また製作本数の観点では、2006年には深夜帯アニメが全日枠アニメを越えていると分析しているものもあった。放送数には地域によって差が見られ、2012年には独立局で放送の深夜アニメを含めると最多の東京都(および、近県のTV局、東京MXTVが視聴可能な地域)では145本が放送されたのに対し、地方を中心に全く放送されなかった地域もあった。しかし、インターネットや衛星放送により地方での格差は是正されている傾向にあり、各種動画サイトやBS 11では積極的に深夜アニメの放送、配信を行っていた。特に『魔法少女まどか★まぎが」(2011年)は地方での地上波放送が無かったにも関わらずネットなどの口コミにより深夜アニメとしては異例の高視聴率、続く劇場版では深夜アニメ映画で初めて興行収入で20億円を突破するなど深夜アニメの大衆化が進んでいた。『進撃の巨人』(2013年)などもキー局ではない深夜放送だが、コミックの売上が2013年上半期総合1位になった他、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどにもアトラクションが設置されている。主題歌も月間カラオケランキングで総合1位になり、CDも売れ『ラブライブ!』(2013年)も興行収入20億円を超え、紅白歌合戦に出場している。最近では「進撃の巨人」は実写映画化された。
そしてその男の話だが。其奴は、或る日私を映画に誘った。私はお返しだなと思いどんな映画を観に連れていくのだろうと考えて、多少期待をして居たのだが。其奴が連れて行ったのは銀座で映画のタイトルは「フットボール・グラフィティ」?と言う、B級映画だった。私は嫌な予感がして「他の映画はないのか。」と言ったら、映画館の招待券のタダ券だと言う。映画を観て居たら アメリカン・フットボールをやっている学生の青春もので、やたら女のヌードが出て来て。学生の悪ふざけが続く、そして乱行パーティー。私は観てられなくなり「いい加減にしろよ!!お前はなんでこんな映画を俺に見せに此処まで連れて来たんだ!!」と言っても黙って映画を観て居る。私は途中で出る訳にも行かず最後まで観て。「今日はサイテーな1日だったよ!!」と言ったら銀座でも指折りな蕎麦屋に連れて行くと言い。私を帰さない。蕎麦は食べたが頭に来ていて、おいしさなど分からなかった。まあ、これが映画を知らない人間の映画の見方だ。タダ券なら何でも良いのだ。ふとそんな事を思い出した。
最近は映画館で最後に映画を見たのは、十数年前のりん・たろう監督作品のアニメ「メトロポリス」だった。此処の処、映画は何も見ていない。エリック・クラプトンの伝記映画「12小節の人生」もクイーンのボーカリスト。フレディー・マーキュリーの生涯を描いた「ボへミアン・ラプソディー」も観に行けなかった。本当は両方とも観たかったのだが、年配の訪問看護師から「生活保護になったら映画など見られません!!」とものすごい口調で言われて、殆、嫌になってしまったからだ。でも、エリッククラプトンの伝記映画「12小節の人生は」Blu-rayで購入した。しかし「メトロポリス」は弟の嫁さんが観たいと言って、弟と3人で見に行ったのだが。映画自体も良い出来ではなく。弟と私はこんな映画のどこが良いのだろうと思いながら観ていたが弟の奥さんは一人で興奮して観ていた。映画自体も客の入りは散々だった。この後、りん・たろう監督は干されたらしい。しかしアメリカでは評価が可也高いのですよね。。。
メトロポリス(予告編)
弟たちと言えば。一緒に映画をその他、2本観に行った。1本は「カウボーイビパップ・天国への扉」もう一本は敬愛する押井守の「アヴァロン」だったっけ・・・その二人ももう居ない。弟は急死し。弟と奥さんは離婚している。今思えば、あの頃が自分にとってもよかった時代だったのかも知れない。しかしまあ、「カウボーイビパップ・天国への扉」は弟も嫁さんも解って観て居たが。「アヴァロン」は弟は解って観て居たが。弟の嫁さんはよく理解出来なかった様だった。
Avalon
その他、映画と言えば。母と観に行った押井守監督の2本の映画。「人狼」と「イノセンス」と若松孝二監督の「11・25、自決の日、三島由紀夫と若者たち」が思い出に残っている。母はアルツハイマー型認知症が進んでしまって居て、もはや今や駄目出し・・・「人狼」封切り当初は一般の映画に比べたらそんなに知名度はなかったのですが。しかし上映してみると凄い客が押し寄せて。私が母と観に行った初日などは、映画館に長い列が出来て居て並びました。そして上映時には立ち見が出来て、それでも客が映画館に入り切らないので映画館側が急遽、座布団を床に敷き詰めて客に観させる程で、私と母は床に座って観て来た憶えがあります。映画館の関係者は「こんなに客が来るとは思わなかった」と言って居ました。また、「イノセンス」も若者で大盛況で、何故なら、スタジオ・ジプリのプロデューサー鈴木敏夫がプロデュースして居て、確か宮崎駿も影で協力して居たみたいです。まあ、この「イノセンス」はカンヌ映画祭にも出品されて、当時のカンヌの議長クエンティン・タランティーノが押井監督が所属して居た「プロダクションIG」で彼自身の映画「キル・ビル」のアニメパートを無理を言って作って居たこともあり。繋がりがあったので、パルムドールが取れるかもと、淡い期待をして居たのですが。議長のタランティーノは推薦したのですが。エマニエル・べアールとニコール・キッドマンの二人の女優が反対して、賞は逃しました。当時監督の押井守が「まあ、女優にとってアニメは敵だからね、仕方がないよね」と言って居ましたね。何遍も言いますが「11・25、自決の日。三島由紀夫と若者たち」は母に取って最後の映画と成りました。
Jin-Roh: The Wolf Brigade 人狼 (1998) HD trailer
Innocence - Trailer
「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」予告編 若松孝二監督作品
しかし話が元に戻るが、其奴はクラスで浮いていた奴で。だいぶ、可笑しい人間だった。友達がいるとも思えず。だから私が虫プロ映画祭に連れて行ったのだが。未だに其奴が私を連れて行って観た、最低に下品で下らない映画に付いては何おか言わんやだろうか。大体がタダ券だから映画を観に行く。私も幼き頃。家に映画のポスターを貼らせてくれと来て、貼らせてやったら近くの映画館で見られるタダ券を貰ったが。見た映画は「七人の侍」だった記憶がある。其奴は主体性が何も無いのだ。しかし映画を詳しく知らない御仁にとって、映画はタダ券で映画館で見られるものを見るという風な時代でした。本来映画館が特殊な場所でそこに行かなければ映画を見ることができなかった時代から、今は本と同じように封切(新刊書)+ライブラリーという時代になったのです。でもその様に大きく受容環境が変化したのに、見た映画を自分の中のどの位置にどういう順番で刻んでいくか、つまり自分の「映画感」をどのように構築するかについては、あまり模索されてこなかった様に思います。 しかし、受容環境が変われば見方も変わります。 そこで現在の受容体験を考えてみると、 ある方向が見えてきます。
それは「膨大過ぎ、自由過ぎ」です。 現在は過去の作品でも、めぼしいものは DVD化されています。そのすべてを見る訳には行かないし、主だった映画だけ見たとしても、全体像を把握するのが難しい時代です。映画館だったら新作が次々と公開されて行きますし、名画座ではある種のテーマがあります。何年か映画を見続ければ、同時代の映画を感じ、それを手がかりに受容体験を深めることができます。 しかし、ライブラリー化したビデオ店では分類方法が定まっておらず、連続性が絶たれてアイウエオ順に並んだDVDからは監督やジャンル以外には「手がかり」が見えないのです。そしてさらに問題なのは、 それで不便かというと不便ではないと言う事です。検索エンジンが優秀なので情報はすぐに調べることが出来ます。つまり、 自分はあたかも映画をたくさん見て自分なりの映画感を持っている人間の様に振る舞えるのです。しかしこれは記憶中枢がネット上に出て行ってしまった人間の様な状態です。「感じるだけで良い」と言う様な扱いをされている訳です。これでは、それぞれの人が、自分の出会った 乏しい映画を並べて狭い映画感を作るしかないでしょうし、実験映画のような情報化されていない映画に出会うと、はみ出してしまうでしょう。 もう一点の「自由」で言うと、今の映画評の多くは、文脈から離れて観た人が自由に価値を作り出すのだという考えです。
この「受け手による再構築」という視点は、 映画に限らず音楽や文学など今の受容体験と仕手はむしろ主流でしょう。 この考え方は、いわゆるポストモダン以後、つまり、一通り知っている人たちがそれまでの価値を否定するという形で出てきたものです。この見方は、無知の輩とインテリが同じ土俵で語りあえるという、とても便利な一面を持っていたので、メディア などで多用されて定番となりました。 しかし、これではいつまでたっても子供っぽい受容体験、感受性はあるが理解力や記憶力がない、という地点から抜けられません。つまり、面白い、怖い、笑った、とは 言えるが、どのように評価していいか解らないという観客が増えるのです。 そこから出ていくには、まずは初歩的な処から、見た映画の関係性を考えるあたりから始めることです。 たくさんの映画同士の関係性をとらえる為には昔から2つの視点、時間軸にそった視点と、空間的な視点がありました。
時間軸に沿った視点では、ある作家の作風の変化や作品同士の関係を見ます。また、 ある作品が過去の別の作家に影響を受けて居るという関係もこうした通時的な視点から考えられます。クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を見た後、過去へとたどって「ハートブレイク・リッジ」や 「許されざる者」へと戻していくといった感じです。また別の作家との関係では「ハ ートブレイク・リッジ」と、同じ設定・展開の「特攻大作戦」をネットや文献などで 発見するのも楽しいです。実験映画好きの人としては、マヤ・デレンの 「午後の網目」もDVD化されていますの で、そのあたりと作品を比較するなど面白いと思います。 もう一つの空間的な視点は、時間軸のある一点で横のつながりを見る視点です。同時代の作家同士が影響しあったり、近いテ ーマや作風の映画を作るという現象です。 ヌーベルバーグなどのムーブメントがそうですが、時代や社会状況など幅広い分析が出来ておもしろいです。そういえば、そう言ったムーブメントが見えにくくなって居る、というのは逆に今の時代の特徴とも言えるのではないかと思います。しかし、時代は変わって便利な世の中になりましたね。
Unforgiven (1992) Official Trailer - Clint Eastwood, Morgan Freeman Movie H
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