ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

女性皇族の考え「理解を」- 12 ( 「楯の会」と「一水会」 )

2024-12-21 20:26:44 | 徒然の記

 今回は「一水会」を含めた、竹田氏に関する検討作業になります。

 「一水会」についてウィキペディアの説明を紹介しますが、ここから脇道に入り、しばらく氏と無関係な話になります。( やがて繋がりますので、辛抱できる方はおつき合いください。)

  ・昭和45年11月25日、陸上自衛隊市谷駐屯地の東部方面総監部で「楯の会」会員5人が起した「楯の会事件」で、自衛隊員にに蹶起を促し、

  ・痛烈に戦後日本を批判して自決した三島由紀夫・森田必勝 ( まさかつ ) 両者の行動を、「戦後体制打破」へ向けた果敢な行動と位置付け、

  ・「両烈士らの魂魄を継承する」ため、昭和47年5月30日、「一水会」が創設された。

  ・命名者は阿部勉 ( つとむ ) 。「月に一回、第一水曜日の勉強会」の意味だが、「世界は海洋を通じて一衣帯水である」という意味もある。

 日本中が大騒ぎした事件でしたが、「楯の会」と「一水会」がつながっていることをウィキペディアの説明で初めて知りました。

 阿部氏は「楯の会」と「一水会」をつなぐキーパーソンなので、経歴を省略せず紹介したいと思います。

  ・「一水会」は反共の立場から多くの団体が「親米路線」を取っていたことに対し、戦後日本を米国の従属体制に成り下がってしまったと規定し、

  ・戦前からの思想指導者の影響を受け、日本の完全なる独立を勝ち取る、として「対米自立」「日米安保破棄」「戦後体制打破」を掲げている。

 「一水会」の代表は木村三浩 ( みつひろ ) 、副代表は番家誠 ( ばんか まこと ) の両氏になっていますが、実際には阿部勉氏が中心だったようです。

 同会の政治的主張は、下記6項目です。

  1.  民族主義  2.  民族派          3.  YP ( ヤルタ・ポツダム )体制の打倒

  4.  対米自立  5.  反グローバリゼーション  6.  脱原発主義

 1. 2. は具体的な内容が不明ですが、3.4.5.は「ねこ庭」の意見と同じなので、主張だけを読みますと取り立てて「民族主義団体」と説明する必要を感じません。

 前回、頭の整理が必要と述べた理由は、「一水会」の主要会員の経歴を紹介することで分かって頂ける気がします。

 以下コメントなしで、各氏の経歴を紹介いたします。

 〈 阿部勉 ( つとむ ) 氏 〉

  ・昭和21年秋田県生まれ、平成11年死去 ( 53才 )   政治活動家、民族主義者

  ・三島由紀夫が結成した「楯の会」の1期生で、第5班班長。「一水会」結成参加メンバー

  ・昭和40年 4月、早稲田大学法学部 に入学、この年の暮頃から早大紛争が激化

  ・昭和41年 2月紛争収拾・学園正常化に向け、保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)が結成

  ・この運動を全国の大学に拡大して行こうという機運の元、結成メンバーには、矢野潤、宮崎正弘、斉藤英俊、森田必勝、持丸博、山本之聞、伊藤好雄、大石晃嗣、宮沢徹甫などがいた

  ・「日学同」から誕生した「早大国防部」に阿部が入会し、早稲田町の「日学同」本部事務所に住みついた

  ・阿部は森田らと共に、三島由紀夫の引率する北海道の自衛隊北恵庭駐屯地での体験入隊に参加した。

  ・昭和43年に、阿部は三島由紀夫の「楯の会」の第一期のメンバーとなり、三島や持丸博らと「血盟状」をかわした。

  ・昭和45年、元早大の鈴木邦男と渋谷で偶然再会し、鈴木が一時的に阿部のアパートに居候した

  ・三島事件により「楯の会」解散の後、鈴木邦男、犬塚博英、伊藤邦典、田原康邦らと月1回集まっていた

  ・昭和47年に「一水会」(毎月第1水曜日に例会を持とうという意味で)を結成した(代表世話人は鈴木)

  ・阿部は雑誌『土やま心』の編集長を務め、昭和55年には「楯の会事件十周年記念号」を企画

  ・平成4年、「風の会」の野村秋介から、参院選出馬を要請されたが、これを固辞し裏方として活動

  ・翌年の野村の自殺後、追悼祭を「群青忌」と命名したのは阿部だった

  ・平成7年に結党された維新政党「新風」の、初代本部党紀委員長を務めた

  ・平成8年、友人と共同で高田馬場に古書店「閑人舎」開設した

  ・平成11年4月、インターネット右翼団体「鐵扇會」の後見人となる。同年10月膵臓癌のため死去

 氏を参議院選挙の候補者にしようとした野村秋介氏を、ご存知の方が少ないと思いますが、新右翼、民族派活動家として知られた人物です。

 東京に生まれ高校中退後愚連隊に入り、網走刑務所で服役中、5・15事件の三上卓の門下生青木哲と出会って民族主義者となり、自らも三上の弟子となったと言われています。

 野村秋介氏は朝日新聞の本社で、同社役員と会談中に拳銃自殺した人物として記憶されている方が多いのかもしれません。

 マスコミでは報道されませんでしたが、阿部氏の周りには右翼と呼ばれる人々が集まり、知る人ぞ知る活動家だったことは確かなようです。

 次回はそんな氏と共に「一水会」に関わった木村三浩、鈴木邦男、塩見孝也、沢口友美、雨宮香凜各氏の略歴を紹介します。

 なかなか竹田氏の話に繋がらないので、退屈された方はスルーしてください。

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女性皇族の考え「理解を」- 11 ( 竹田氏を通して見る旧皇族像 )

2024-12-20 18:02:35 | 徒然の記

 本日は予定を変更し、竹田氏のプロフィールから得た印象の変化を説明しようと思います。動画で時々見ていた竹田氏の印象というより、氏を通して見る旧皇族像への認識、というべきなのかもしれません。

 全てはウィキペディアが教えてくれた氏のプロフィールで、新しい事実を知ったことに端を発しています。

 「ねこ庭」の勝手な思い込みと言われれば、あるいはそうかもしれませんが、皇族の方々はご自分の考えを述べられる時、私たち庶民のように率直に話されないのだという理解をしています。

 自分の一言が世間に大きな影響を及ぼすことを知っておられるため、何事も控えめに、婉曲に、波風が立たないようにというご配慮が先に立つのだと考えています。

 本日で11回目になるシリーズの目的が、秋篠宮様の「ご発言」の真意を検討するため回を重ねているように、皇室の方々のご意見は時にもどかしいほどの節度があります。

 昭和天皇は記者会見で喜怒哀楽を表に出されず、ほとんど私事を語られず、公 ( おおやけ ) を優先されていました。「温故知新」の読書の知識もありますが、昭和天皇については、自分が拝見してきたテレビ映像の記憶が主となっております。

 皇室の方々の節度との対極にあるのが、竹田氏の姿です。氏は自分の動画で笑顔を見せ、意見と共に喜怒哀楽を視聴者へ伝えています。つまり、旧皇族らしからぬ姿の竹田氏です。

 「女性宮家」反対の意見に賛成しながら、氏の動画を時々しか見ない理由の一つがここにあったような気が致します。

  ・氏は喋りすぎているのではないだろうか。

 動画の内容の多くは、皇室を批判する人々への反論と反証が主だった気がしています。歴史と過去を否定する左系の人々への批判に賛成しながら、氏の動画をほとんど見なかったのも同じ理由だった気がします。

  ・氏の意見は、軽すぎるのではなかろうか。

 「男系相続の皇統を守る」ためには、「11宮家の皇籍復帰」をし、男系男子の安定を図ることであるとの意見にも、賛成しています。

  ・喋りすぎても、軽くても、言論の自由な日本だから、氏のような旧皇族の方がおられても良いのではなかろうか。

  ・率直に、自由奔放に意見を述べられる方がいるから、お姿の見えない旧皇族の方々が窺えるのではなかろうか。

 プロフィールを知るまではそのように考えていましたが、考えが変わりました。

  ・「11宮家の皇籍復帰」で、氏のような旧皇族の方が天皇になられる可能性が出てくるのだとしたら、日本は騒擾の国になってしまうのではないだろうか。

 「憲法改正」と「皇室護持」の二つを、「戦後レジームからの脱却 ( 米国の属国からの脱却 ) 」の最重要項目として「ねこ庭」は考えています。
 
 「戦後日本史の大河」を眺め、アメリカの「三段階の関与 ( 日本弱体化計画 )」に気づくのが保守人であるとも考えています。
 
 以前にも言いましたが「ねこ庭」は、韓国・北朝鮮や中国共産党政府のように、「恨みと憎しみ」からでなく、客観的事実を検討し意見を述べています。
 
 現実問題として考えれば、アメリカは最重要の同盟国であり、経済的にも深い関係にあります。感情的になり、アメリカとの断交を叫んだり、報復を主張したりしているのではありません。
 
 「アメリカの関与」は、アメリカの国益から導き出された同国政府の方針ですから、アメリカにとっては「正義」の実行です。
 
 「ねこ庭」が述べているのは、そろそろ「戦後レジームから脱却」し、日本の国益に立ち意見を言う国になってはどうなのかと言う提案です。国会で野党がするようにアメリカの方針に感情的な批判をせず、正論を述べながら独立を取り戻す方策を進めてはどうかと言っています。
 
 幸いなことに、「日本弱体化計画」を「対日方針」とする勢力は、民主党政権の中にいて、共和党には少数です。「アメリカファースト」を掲げているトランプ政権では、さらに少数になるはずです。
 
 理由は簡単です。「日本弱体化計画」を進めているのが、グローバル勢力だからです。トランプ大統領の敵は民主党内のグローバル勢力で、氏は「アメリカファースト」の旗を掲げて彼らと戦い、アメリカ国民とアメリカの豊かさを取り戻そうとしています。
 
 「戦後レジームからの脱却」の旗を掲げた安倍元首相とトランプ氏は、グローバル勢力との戦いで意見が一致したのではないかと「ねこ庭」は推測しています。
 
 グローバル勢力に支配されたバイデン政権によって暗殺された安倍氏を、トランプ氏が今も忘れていないと言う強いメッセージが次の二つではないでしょうか。
 
  ・外務省が打診してきても、反安倍の石破首相には就任前に会わない。 
 
  ・安倍昭恵氏はトランプ氏が自ら招待し、夫人と共に私邸で食事をする。
 
 話が竹田氏を離れてしまったと思われるかもしれませんが、そうではありません。
 
 「女性宮家」反対論を述べる氏は、自らを日本を正しい姿にするために活動をしている保守と言い、動画の視聴者もそれを信じています。しかし氏は、日本を正しい姿にするための「戦後レジームからの脱却」と、アメリカの「三段階の関与 ( 日本弱体化計画 )」について、何も語りません。
 
  ・もしかすると氏は、旧皇族の方々の中で異端児なのではないだろうか。
 
 そうでないとしたら、ここまで自由奔放に活躍している氏に賛同し、活動を始める旧皇族の方が出て来ても不思議ではないはずです。どなたの顔も見えないところからして、「ねこ庭」はそのように考えます。
 
 スペースがなくなりましたので、「一水会」を含め氏に関する検討作業は次回に続きます。申し訳ありません。
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女性皇族の考え「理解を」- 10 ( 竹田氏のプロフィール )

2024-12-19 21:32:27 | 徒然の記

 竹田氏は、読者登録数8万人の「竹田恒泰チャンネル 2 」の動画を持っており、時々見ていますから全く未知の人物ではありません。

 主としてウィキペディアの情報で調べていますが、学徒として検討するのは初めてなので、新しい発見が沢山あります。

  〈 竹田氏のプロフィール 〉

   ・昭和50年東京都生まれ、49才

   ・評論家、作家、実業家、皇学館大学非常勤講師

   ・株式会社エクスチェンジャーズ、株式会社前方後円墳代表取締役、「令和書籍」社長。

   ・利尻昆布ラーメン「くろおび」オーナー ( 東京都内に2店舗 ? )

 代表取締役社長と社長、オーナーの区別がよく分かりませんが、ユーチューバーとして忙しいだけでなく、氏は多彩な活動をしています。ラーメン店まで経営していました。

   ・旧皇族の竹田家(旧竹田宮家家)出身

   ・竹田宮恒久王と昌子内親王の曾孫であり、男系では北朝第3代崇光天皇の19世、竹田宮恒徳王3世。

   ・女系では明治天皇の玄孫 ( やしゃご ) で、今生天皇(徳仁)の三従兄弟にあたる。

 氏が旧皇族であることが分かりますが、皇族の複雑な系図を記憶していないため頭の中で繋がりません。

   ・日本オリンピック委員会 ( JOC ) 前会長の竹田恒和の子。

   ・松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高校を経て、エスカレーター式で慶應大学法学部で環境学を専攻して卒業する。

 安倍内閣の時、当時会長だった竹田氏が東京オリンピックを誘致した時、巨額の賄賂を使ったと新聞で騒がれました。そのせいもあるのか、ウィキペディアの説明もなんとなくぞんざいです。

 「竹田恒和の子」と書き、「エスカレーター式で」とまるで学力がなくても卒業できると言わんばかりの説明です。普通なら経歴の説明に、このような余計なことを書きません。

   ・イラク戦争前の2003年(平成15年)1月、一水会代表の木村三浩らと共に「ブッシュ政権のイラクを止めさせる緊急アピール」発起人となり

   ・同会のイラク訪問団(団長・木村三浩)に、鈴木邦男、塩見孝也、平野悠、PANTA、沢口友美、雨宮処凛、大川豊らと共に参加した

 一水会については民族主義団体と聞いたことがありますが、活動の内容もメンバーの名前も知りません。今の日本では「ねこ庭」のブログも左翼系の人から「右翼」と呼ばれますから、民族主義という名前がつけば「極右」と言われてもおかしくない気が致します。

 そのような団体と関係しているとは、氏は予想していた以上に活動範囲の広い人物でした。ウィキペディアは紹介していませんが、正しい日本の歴史を教えるため「竹田学校」を動画で開設し、校長も務めています。

 旧皇族の方々の情報が全くない中で、竹田氏の目覚ましい活躍ぶりに、というより破天荒な行動に学徒はついて行けなくなりそうです。

 北海道神宮にとっては明治天皇の玄孫だけで十分なのに、全国発信の動画で「皇室護持」を熱く語るのですから、ホームページでのお手伝いは積極的な協力ではないのでしょうか。

 ということで、今回の検討結果も「ねこ庭」の推測ということになりますが、訪問された方々はどのように考えられるでしょうか。

 次回は予定外になりますが、竹田氏について「ねこ庭」の率直な印象を語ろうと思います。破天荒な行動に学徒はついて行けなくなりそうですと、述べた後、一水会について調べ、さらにその感を深めました。

 過激な思想と行動をする一水会メンバーの複雑な言動を、たった今ネットで調べました。右でもなく、左でもなく、かといって右でもあり左でもありという、一水会のリーダーたちの姿を知り、複雑な思いをしています。

 そういう人々と、旧皇族の竹田氏が協力している事実をなんと理解すれば良いのか。一度頭の中の整理をしてみたくなりました。

 「現在皇室におられる方々のお名前と人数」と「現在残っている宮家のお名前と人数」についてのご報告は、その後にいたします。ご容赦ください

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女性皇族の考え「理解を」- 9 ( 北海道神宮の由緒 )

2024-12-19 14:52:49 | 徒然の記

 女性皇族に関する上皇陛下と秋篠宮様の「ご意志」を確認する前に、以下の事柄を検討しておく必要が出てきました。

 簡単な項目もありますが、脇道へ外れ深い森へ入るような事柄もあります。けれど息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々へご報告するため頑張ろうと思います。

 ・北海道神宮とは、どんな神社なのか

 ・竹田氏のプロフィール

 ・現在皇室におられる方々のお名前と人数

 ・現在残っている宮家のお名前と人数

 ・GHQが皇籍離脱させた宮家のお名前と現在の人数

 ・上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

 ・秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 北海道には多くの都市があり多くの人が住み、広大な農地や魅力のある様々な建物や風物があり、国内外から観光客が訪れています。しかし明治時代以前は、未開拓の広大な荒れ野が広がる土地でした。

 そんな場所にある北海道神宮ですから、名もない小さな神社だろうと思っていました。調べてみますと驚きの歴史があり、学徒を喜ばせてくれました。同神宮のホームページから、転記させていただきます。

〈 北海道神宮とは、どんな神社なのか 〉

  ・明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。

  ・そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、

  ・東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、

  ・北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。

 なんとその始まりは明治天皇の詔(みことのり)で、「蝦夷地」と言う俗称を「北海道」に改められた時だと言います。明治時代の人は知っていたのかもしれませんが、戦後の日本ではちゃんとした歴史を教えませんので、名もない小さな神社だろうと考えていました。

  ・その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々 )は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。

  ・明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。

 御霊代(みたましろ)と言うのは「三種の神器」のことだと思いますが、「名もない神社」どころでなく、「伊勢神宮」「熱田神宮」「明治神宮」に並ぶ格式の神社と言うことになります。

  ・現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。

  ・そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて、現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。

  ・約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。

 元気だった頃家内と北海道旅行をした時、知っていれば訪れることもできたのでしょうが、今はもう叶いません。せめて住所だけでも、確認しておきます。

 「札幌市中央区宮ケ丘474」・・・やはり北海道の中心都市にあるのですね。

 神社に祀られている神様のことを「御祭神 ( ごさいしん ) 」と言いますが、同神宮のホームページには次のように書かれています。

  ・北海道神宮には、現在四柱(よはしら)(神様を数える時、一人、二人…ではなく、柱(はしら)と数える)の神様をお祀りしています。

   大国魂神 (おおくにたまのかみ)北海道の国土の神様

   大那牟遅神(おおなむちのかみ) 国土経営・開拓の神様

   少彦名神 (すくなひこなのかみ)国土経営・医薬・酒造の神様

   明治天皇 (めいじてんのう)  近代日本の礎を築かれた天皇

 戦後の歴史教育では明治天皇を「近代日本の礎を築かれた天皇」と教えません、というより、明治天皇のお名前が出てくることがほとんどありません。まして他の三神は神話の神様ですから、多くの国民が知らないのではないでしょうか。

 同じ神様が『古事記』と『日本書紀』では呼び名が変わり、説明も一致しませんので、「ねこ庭」は学徒なのに何度読んでも理解できません。今回はさわりの部分だけを紹介いたします。

 大国魂神(おおくにたまのかみ)・・・国霊神,国玉神とも書く。

  ・日本人固有の神霊に関する信仰の一形態で,国土そのものの神霊をいう。

  ・《古事記》《日本書紀》などの,いわゆる〈国生み神話〉によれば,〈大八洲(おおやしま)〉すなわち日本の国土は,天津神のみことのりによって伊弉諾(いざなき)尊と伊弉冉(いざなみ)尊の男女の性の交わりを通して生まれたとされている

 大那牟遅神(おおなむちのかみ)・・・日本国を創った神とされている。

  ・『日本書紀』正文によると、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の息子

  ・少彦名神と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教えた

 少彦名神 (すくなひこなのかみ)・・・

  ・古事記では 神産巣日神 かむむすひのかみ の子、日本書紀では 高皇産霊尊 たかひむすひのみこと の子。

  ・体の小さい神で、大国主神と協力して国づくりを行い、のち、 常世国 とこよの国に帰った。

  ・医薬・温泉・禁厭(まじない)・穀物・知識・酒造・石の神など多様な性質を持つ。

 詳しく読みますとややこしいので、正確でありませんが分かりやすいのは北海道神宮の説明の方です。要するに神話の中の神様が、明治天皇と共に祀られている由緒正しい神宮である言うことです。

 次回は竹田氏のプロフィールの紹介になりますが、これを読むと氏と神宮の繋がりが見えてくると思います。

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女性皇族の考え「理解を」- 8 ( 竹田氏の意見 )

2024-12-18 18:46:59 | 徒然の記

 ネットで見つけた違う意見とは竹田恒泰氏のもので、次のタイトルに引かされました。

 『天皇弥栄(すめらぎ いやさか)』 第11回 女性宮家創設は「禁じ手」   慶應義塾大学講師 竹田 恒泰
 
  北海道神宮が発信している『天皇弥栄(すめらぎ いやさか)』というシリーズもののコラムを見つけましたが、日付も説明もありませんので竹田氏との繋がりなどがつかめません。

 北海道の神社がなぜ氏のコラムを発信しているのかは、後で調べることとし、先に氏の意見を紹介します。内容は以下の4つに分けて述べられています。

   1. 俄かに浮上した女性宮家創設案
   2. 皇族の減少への対策は必要   
         3. 女性宮家は形を変えた女系天皇論
     4. 女性宮家を可能にする唯一の方法

 竹田氏は皇族なので天皇家に対する言葉遣いが丁寧で、丁寧すぎる違和感もありますが、余計なことを言わず順番に意見を紹介します。

 〈 1.   俄かに浮上した女性宮家創設案 〉

  ・御不例により東大付属病院にご入院中であられた天皇陛下が御退院あそばした翌日の十一月二十五日、

  ・読売新聞は一面トップに「『女性宮家』の創設検討」という見出しを掲げた。

  ・記事によると、宮内庁は皇族女子による「女性宮家」創設の検討を「火急の案件」として野田総理に要請したという。

 野田氏が総理だったのは平成23年ですから、竹田氏のコラムは13年前のものだと言うことが分かりました。話の発端が宮内庁から総理への要請だと言いましても、これほどの重大事となれば、陛下のご意向無しに宮内庁が動けるはずがありません。

 野田氏が真剣になる理由が見えてきます。

  ・その後官邸と宮内庁は、皇族が今後減少する問題を解決する必要性について認識しているものの、「女性宮家創設」という具体的な話は出ていないというが、どこまで具体案が検討されているか、真相は不明である。

  ・この読売新聞のスクープ記事が切っ掛けとなり、メディアで女性宮家創設がしきりに取り上げられるようになり、秋篠宮妃殿下のご懐妊で中断していた、皇室制度の議論が再び蒸し返されることになった。

 GHQは朝日新聞でしたが、宮内庁は読売新聞を優遇しているらしく同社にスクープをさせていました。しかしいくら優遇されているとしても、読売新聞社だけでこの重要問題に他のメディアを同調させる力はないのではないでしょうか。

 議論が再び蒸し返されたとすれば、陛下のご意向があったと考えるのが自然ですが、竹田氏もここまで踏み込むのは避けているように見えます。

 〈 2.   皇族の減少への対策は必要 〉

  ・たしかに、官邸と宮内庁が危惧するように、このままでは将来的に皇族が減少し、皇位の安定的継承に問題が生じる可能性が高い。

  ・現在皇室には天皇陛下の他に、二十二方の皇族がいらっしゃるが、その内女性皇族が十五方であるのに対し、男性皇族は七方と少ない。

  ・皇位を継承できる皇族男子は、陛下の子の世代には皇太子殿下と秋篠宮殿下のお二方、また、孫の世代には秋篠若宮殿下のお一方のみ。

  ・しかも、今後皇族がご誕生になる可能性があるのは、将来秋篠若宮殿下がご結婚あそばした後に限定されるため、今後皇族が増えることは期待できない。

  ・それどころか、二十代の未婚の女性皇族六方は遠くない時期にご結婚あそばされ、皇籍をお離れになるため、

  ・今後皇族は激減することが確実であるばかりか、悠仁親王殿下の御即位により、宮家は一つもなくなることがほぼ確実とみられる。

 〈 3.   女性宮家は形を変えた女系天皇論 〉

  ・しかし、皇族を確保するために、如何なる手段を講じてもよい訳ではない。

  ・女性宮家創設とは、すなわち女性皇族が民間から婿を取ることを意味する。

  ・もしこれが現実のものとなれば、皇室の歴史上、初めて民間出身の男性が皇族の身分を取得することになる。

  ・そして、その子や孫が将来の天皇となった場合、男系継承の原則が崩され、初の女系天皇が誕生することになる。

  ・女性宮家創設というのは一般人の耳に優しく響くだろう。しかし、女系天皇を容認する国民的合意なくして、女性宮家について論じるのは適切ではない。

  ・女系天皇論者は、悠仁親王殿下ご誕生で女系天皇論が進められなくなっていたところ、最近になってこれまでと違った形で攻勢を仕掛けてきたのである。

  ・これは、天皇陛下の御体調を慮る国民の感情を巧みに利用したものであり、女性宮家創設の皮をかぶった女系天皇論にほかならず、「禁じ手」というべきである。

 竹田氏がコラムを書いていたとき、天皇は退位の意思を表明されていませんでしたが、今は当時の皇太子殿下が天皇になられ年号が令和と変わりました。

 当時天皇は国事行為であるのに、内閣に相談されず、ご自身でNHKを通じて健康問題を理由として「退位 ( 譲位 ) 」のご決意を表明されました。安倍内閣の時でしたが、大騒ぎになったことを記憶しています。

 国家の基本を揺るがす国事行為を、なぜ陛下は内閣の助言なしに実行されたのだろうか、憲法遵守と常々述べられていた陛下が、なぜ憲法を無視する行為をされたのだろうかと、「ねこ庭」は過去記事で取り上げ疑問を述べました。

 禁じ手という竹田氏の意見は正論ですが、上皇陛下がNHKを通じて「お言葉」を国民に伝えられる前なので、NHKの報道後なら書けなかったコラムではなかったかと考えます。

  ・これは、天皇陛下の御体調を慮る国民の感情を巧みに利用したものであり、女性宮家創設の皮をかぶった女系天皇論にほかならず、「禁じ手」というべきである。

 上皇陛下自らが禁じ手を使われたことへの批判になりますので、いくら竹田氏でもそんな大胆なことはできないはずです。

 皇室の方々の年齢的な面から考えると、現在皇位継承の男子は悠仁様お一人になっており、男系維持の方策の検討が更に火急のものになっています。

 〈 4.   女性宮家を可能にする唯一の方法 〉

  ・ただし、女性宮家を創設させる方法は一つだけ存在する。それは、女性皇族が女性宮家を創設させられる条件として、婿を旧皇族の男系男子に限定することである。

  ・新しく創設される宮家の当主には、血統が要求されて当然であり、この方法によれば、男系継承の原則は確実に守られる。

  ・「旧皇族は六十年以上民間の垢にまみれてきた」との主張もあるが、それを言うなら、女性宮家創設では、六十年どころか何千年遡っても皇室にたどり着かない男性を皇族に加えることになる。

  ・まして、皇室に入り込んだ男性が、どこかの国のスパイだったら取り返しがつかない。

  ・イギリス国王エドワード八世が、王位を辞してまで結婚したシンプソン夫人は、ナチスドイツのスパイだった教訓を忘れてはいけない。

  ・今般の女性宮家創設を、女系天皇容認の方向ではなく、これを逆手に取るようにして、男系継承を守るための方法論に誘導することができないものだろうか。

 シンプソン夫人については初耳ですが、女系天皇反対の意見は「皇室護持」を願う国民には正論です。しかし大手メディアは、上皇陛下と秋篠宮様のご意志を既に忖度しており、意見が正論であっても取り上げる可能性は無しと言わざるを得ません。

 今回のシリーズの目的は、秋篠宮様の「ご発言」の真意を検討することでしたが、検討の範囲が上皇陛下にまで広がり、次第に歯切れの悪い叙述となっています。

 左系の立場にいる高島キャスター、板倉アナウンサー、河西准教授が明確な意見を述べているのですから、その勇気を「ねこ庭」も見習わなくてなりません。

 次回は勇気を出して、シリーズの検討に区切りがつけられるよう頑張ろうと思います。

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