俺のblogを書き換えて居る人。ほらほら面白いかい???
休養中の記事です。過去記事から編集です。多少変更もあります。。。
「お知らせです。」
アーティストGACKTの⽇本エージェント事務所より
御報告申し上げます。
GACKTの活動を《無期限休⽌》とさせて頂きます。
苦渋の決断となりましたがこの⽅針は、
医師、GACKT本⼈、海外側のエージェントと弊社の協議の上で決定しました。
経緯としましては、
8⽉6⽇帰国後、
GACKTから「体調が悪い」と連絡を受けた後、
しばらくして容態が急変。
幼少からの神経系疾患がきっかけとなり、
⼀時は命にも関わる状態に陥りました。
体調が悪化した状況が数週間続きましたが、
体重は10kgほど落ちたものの現在の容態は安定しております。
しかし、重度の発声障害が併発し
現段階では声を発する仕事の続⾏は不可能と
医師からの判断がございました。
また主治医がいる海外に戻り、
持病及び発声障害に関する精密検査をした後、
活動再開に向けて治療に専念する予定です 。
今後の御報告は、
公式サイト、またはプレスリリースにてお知らせさせて頂きます。
何卒宜しくお願い致します。
株式会社グラブエンターテイメント
彼も大変だな、頑張れ GACKT、、私も頑張らなくちゃ・・・・・。
昨晩の夕食。。。
皆んな私の動作やら、行動。そして考えて居る事に対しておちょくって来るけどさぁ.....。あんたら何も知らないだろう。本当に俺は62歳の男だよ。1950年代の終わりから生きて来てるんだよ。昭和の時代を生きて。平成の時代を生きて。令和の時代を生きて居るの。俺はね美輪明宏さんだとか確かに女装して居る男だけども尊敬して居るの。だって言って居る事が苦労人で、藝術的で的確で能のある事を言って居るから。それから前に浅川マキさんのCD聴いて居たらやって来た人から、「なんで、こんなに昔の変な歌の音楽聴いてるの?」と言われたけど。当時彼女はアングラの女王と言われて居てね。
京都大学の西部講堂で全共闘とかノンポリ(ノンポリって知らないだろ?。「政治的な運動に関心を持って居ない人」または「どの政党も支持して居ない人」を指す単語です、「政治に対して全般的に関心を持たないスタンスを取って居る人物」に対してもそう呼ぶ事があるの。これは英語の「ノンポリティカル」を語源として居て、学生運動が盛んで若者が政治的主張に関心を深めて居た60年代、70年代に置いて、様々な理由で政治的主張を持たない事を選んだ人をそう呼ぶ様になって居たんだよ。)そしてその学生たちを相手にコンサートを開いて歌って居た。歌手ですよ。彼女が死んだ時に歴史の一幕が、アングラが終わったとまでNHKのニュースや新聞でさえ報道したぐらいの人だよ。な〜〜んにも知らないで。人を非難するのは辞め時な。あんたら早くとも昭和でも50年代後半か、、後は平成生まれだろう。此間ある子に言ったけど。物事知らなかったら何も言えないだろう?今の令和とか平成だけがいい時代では無いの。
はっきり言って仕舞えば大正モダニズムの時代からミニスカートあったの知らないでしょ。海外でも戦時中のナチ親衛隊の女子親衛隊の制服のスカートはミニだったんだよ。それは今みたいなマイクロ・ミニとかではなかったけど。膝上8センチぐらいのミニだった。本格的なミニスカートは1960年代に一般人の女の子たちに流行仕始めました。それまでは、戦後は、極端な物資不足に見舞われたから。そのため、更生服と呼ぶ、手持ちの洋服や着物、生地を仕立て直した服が作られたんだよ。洋裁ブームに火が付いたのも、こうした時代背景と無縁では無いのですよ。手持ちの素材から服を作り出すしかなかったからです。洋服として人気を集めたのは、
いかり肩でウェストを絞ったトップとセミ・フレアのスカートのボールドルックや、ウェストから一気に広がって行くアメリカンルックのAラインのワンピースだった。その後、ファッションの関心は、機能的なアメリカンルックからエレガントなパリ・モードへと移った。クリスチャン・ディオールのニュールックやアルフベット・ライン、ピエール・カルダンのサックドレスなどです。戦後の洋裁ブーム、そして家庭用ミシンの普及によって、ファッションとしての洋服が定着して行きました。特に若者たちは、パリ・モードだけでなく、独自のファッションスタイルを追求し、生み出す様になります。50年代のミッチールック、ロカビリーファッション、60年代のミニスカート、アイビールック、みゆき族、70年代のアンノン族、ニュートラ、ハマトラなどです。そしてコム・デ・ギャルソン。「ヨウジヤマモト」などのモードです。
大正時代のモダン・ガールたち。。。。
大正時代のミニスカートの写真。。。
マリリン・モンロー、ツイッギー、ジェーン・バーキン…何時の時代も、ファッション・アイコンは服装やヘアメイクだけでなく、ライフスタイルまでもが注目され、時代を動かす存在です。
1960年代のイギリスで活躍したジーン・シュリンプトンも、まさにそのひとりですよ。ジーン・シュリンプトンは1960年代のイギリスで活躍したモデル。『VOGUE』『ハーパースバザー』などの表紙を飾るなどファッション界で活躍する一方、私生活ではカメラマンや沢山の既婚男性と交際するなど、常にセンセーショナルな存在でした。1960年代に起きたミニスカート・ブーム。その火付け役といえばツイッギーの顔が浮かびますが、実は本当の意味でミニスカートを流行らせたのはジーンだと言われて居ます。1965年にオーストラリア・メルボルンの競馬場で催されたファッション・イベントで、ストッキングも履かずに膝上10㎝丈のミニスカートで登場した事が、当時大論争を巻き起こす事に成りました。
当時の英国社会では、公の場で手袋もせずに現れる事だけでもセンセーショナルな事。顔をしかめる周りの女性の表情が、すべてを物語って居ます。賛否両論だったものの、これを見たデザイナー、マリー・クワントがその後、大々的にミニスカートを打ち出す事を決定。また会場となったフレミング競技場も、この出来事をきっかけに英国式にとらわれない自由なファッションを楽しむ場として有名と成った。何時の時代も、既成の概念にとらわれない自由な発想が新しい価値観を作るのかも知れませんね。こう言う事知って居ましたか?ミニは確かに私はナチスの親衛隊を映した映像で女性が履いて居たのを見たし。大正時代には一部の女性ですが履いて居ましたよ。要するにモガモゴの時代ですね。だからイギリスでブームになるとそれが全世界にあっという間に広がって。日本でも1967年ぐらいから流行仕始めて1970年代はもう皆ミニスカートを履いて居ました。