青木志貴ちゃんのファッション・ブランド。「グリーン・アイド・モンスター」です。
【GEM】私のプロデュースブランドのお洋服を紹介させてください。
【祝!GEM2周年】僕のプロデュースブランドの2周年記念グッズを紹介させてください。
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関白宣言
三毛猫の散歩に付いていってみたら途中から強烈に甘えてくる様になった
僕の心は板の上で晩餐を取るのが難しい。夕暮れ時の街で、僕の考えて居る事が何であるかを知るために全世界は休止せよ。僕の休暇はもう数刻で終わる。僕はそれを考えて居る。明日は不眠のまま外に出掛ける。僕は僕の心が居ない間に、世界の方々で起きる事が許せないのだ。だから夜は殆ど眠らない。眠るものたちは赦すものたちだ。神はそんものたちを愛撫する。そして愛撫するものはひょっとすると神ばかりではない。君の女も雇い主も、破局を好まないものは神経に幾らかの慈悲を垂れるに違いない。幸せはそんな処に転がって居る。たれが自分を無残と思わないで生き得たか。僕は今も傲慢な廃人であるから、僕の目は僕の心の中に落ち込みそこで不満を訴える。生活は苦しくなるばかりだが、僕はまだ匿名の背信者である。僕が真実を口にすると殆ど全世界を凍らせるだろうと言う妄想によって。僕は廃人であるそうだ。おう、此の夕暮れ時の街の風景は無数の休暇で立て込んで居る。街は喧騒と無関心によって僕の友である。苦悩の広場は僕が1人で地ならしをして、ちょうど僕が入るにふさわしいビルデングを建てよう。大工と大工の神話は要らない。不毛の国の花々。僕の愛した女たちお別れだ。僕の足取りは確かで銀行の裏路、汚れた街中を散策する。僕は秩序の密室を知って居るのに、沈黙を守って居るのが唯一の取り柄である患者だそうだ。要するに僕を恐れるものは僕から去るがいい・・・・・・。
Yohji Yamamoto: “Designing men’s clothing is very difficult for me” | V&A
やれる事をやれる年代にやれないと悲惨ですよ。最近、私の髪型を見て居て色々と思う処がある人が居る見たいだ。前のblogで書いたが、概ね50代の女性からはよく思われる事がある。此間も言ったが、勧誘のおばさんとか、側に居るおばさんから「長髪が良いですね」と言われる。何故なら彼女らが青春時代はまさにロックの全盛期で、ハードロック。ヘビメタ。とかを聴いて居た世代だからだ。最近の若い人もロックが好きな人は長髪が悪いとは言わないが。大体が若者は今時だが矢張り皆、長髪が多い。冒頭に行ったが、やれる事をやれる時にやれて居ないと後から幾ら後悔しても遅いですよ。私は20歳ぐらいまでは長髪だったけど。それ以降は一応は親父の会社だと言え、食品の材料の会社だったから。髪を長く伸ばしたくても伸ばせなかった。確かに初めのうちは会社でも高校中退の男で髪を後ろに束ねて縛って居る男も居たが。親父やら親父の兄貴は別段それを咎めはしなかったが。ゆきかずが突然全社員にサラリーマンカットにしろと御触れを出した。笑ってしまうが彼は自分は会社勤めをして居て。会社の厳しい研修をして居ると言い張って居て、それを誇りとして居た。
だから私が統合失調症の薬で言葉をなまって言って仕舞ったりすると「あう〜あう〜か?この低脳やろう!!」と人を目一杯バカに仕出した。自分は大学の頃に「棒」と言う字が読めなくて書けもしなかったのにだ。私が小学校3年生の頃だ。ゆきかずの家に行ってステレオを掛けて、ラジカセにレコードを録音させて貰いに行った時だ。彼が丁度アナウンサー部に居て、アナウンスでナレーションを冒頭に録音してやると言うので頼んだら、「マカロニ・ウエスタン/テーマ曲大全集」と言うレコードを録音したのだが、冒頭の2曲目の「荒野の用心棒」のテーマ曲を読み上げようとして「荒野の用心・・・・。用心・・・・。」私が何だろと思って居たら。「○ちゃん?此の字なんて言うの?」と訊いて来たのだ。私は何だろと思い。「ゆきちゃん!!棒でしょ?」と言ってもよく解らない。だから「棒切れの棒ですよ???」と言ったら「此の字、棒(ぼう)って言うの???」と訊いて来て、呆れた事があった。当時、私は小学校3年生で、彼は大学1年生だろ?笑い話では済まされない。そんな事すら知らないのだ。よしんば「棒」と言う字が知らなくても文字文脈の前後から考えて読めば「ようじんぼう」と読めるはずだ。
会社で一度、ゆきかずから止むを得ず120円を借りた事がある。その時に、私はノートの切れ端で借用書を作って。借賃が120円有ると書いた。そしたらどうやらこの「有る」と言う漢字が解らなかった見たいだった。前に彼は私をバカにして「大学は本当には入って居ないのだろう?嘘をつくな本当のことを言え」とか言ったり、自分の出た「明治学院大学は優秀な大学だぞ。え〜〜!!皆んな!!」と中卒や高校中退者に威張って言って。私に大体どこの大学に行ったんだと聞くから「拓殖大学ですよ」と言ったら「けっ!!低脳のバカが行く大学だなぁ!!」と言って居た。なるほど・・・・・。私は「明治学院大学は、そんなに有名校の名門で偏差値が高い大学なのか?ふむふむ.....。」と感心した。彼はド演歌しか聞いては居なかった。冒頭に言ったが人はやれる時に吸収出来る時にして居ないと、後々苦労する事になる。ロックを聴かないのは。嫌いなのは好みの問題だから、別に良いとは思うが。最低限のバンド名ぐらいは知って於か無いと人との会話が成り立た無いであろう。
例えばビートルズとローリング・ストーンズ。此のぐらいは知って居無いとね。例え聴いて居なくても名前ぐらいは知らないと?まあ、他にもフェイセス。キンクス。アニマルズ。ヤードバーズ。ビーチボーイズだとか1960年代から活躍して居たバンドは数限りなく居る。前に会社でスーパーの「いなげや」のピッキングをして居た頃だ。版重にイーストとかショートニングやら缶詰を入れて置く作業をして居たら。まあ、私はレッド・ツェッペリンの「天国への階段」やらケート・プッシュの「嵐が丘」を聴きながら作業をして居たのだが。ゆきかずがやって来て「こんな雑音のロックなんざ聞くな!!」と怒鳴るのだ。私は言ってやった「「ゼップ」の「天国の階段」が雑音ですか?」すると「ロックなぞ皆同じ雑音だ!!」と叫んで居たが。私は知らん振りをして、構わずに聴きながら作業を続けて居たら。「音楽はな演歌だけが良いんだ!!」と何か言いたそうだったが。私は止めなかった。すると苦虫を噛み潰した顔をしながら居なくなった。彼は全共闘世代だ。彼らの世代が「「ゼップ」ことレッド・ツェッペリン」の事は本当は詳しいはずなのだ。これも学ぶ時に学んで居ない例だろう。
Kate Bush - Wuthering Heights - Official Music Video - Version 1
Stairway to Heaven - Led Zeppelin (lyrics) Released: 1971「天国への階段」レッドツッペリン【和訳】
1970年代から1980年代当時は、ブルースマンとロッカーは対立していた、そう昔イギリスでモッズとビートニクが対立して居た様にだ。モッズ (Mod、Mods、Modernism or sometimes Modism) は、イギリスの若い労働者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、それらをベースとしたライフスタイル、およびその支持者を指す。ロンドン近辺で発祥した。モッズ・ファッションとしてよく連想されるものとして、髪を下ろしたMod Cut、細身の三つボタンのスーツ、ミリタリーパーカー、多数のミラーで装飾されたスクーターなどがある。1951年にアメリカ軍に採用されたミリタリーパーカー(M-51)は、モッズの人々に愛用され、「モッズ・コート」(「モッズ・パーカ」とも呼ぶ)として知られて居る。
モッズは衣服や音楽に興味を示し、彼らが好んで聴いた音楽はアメリカのレアな黒人音楽、R&Bやソウル・ミュージック、ジャマイカのスカ(多くのスカのレコードを出したレコードレーベル名により、ブルービートとも呼ばれる)などであった。またイギリスのグループとしてはザ・フー、スモール・フェイシス、キンクス(ただし、レイ・ディビィスはモッズを嫌って居たと言う説がある)、スペンサー・ディビィス・グループなどが好まれた。ビートルズは、デビュー前は正反対のロッカーズ・ファッションをして居たがマネージャーの指示によりモッズ・ファッションでデビューした。1955年から1964年頃にかけて、アメリカ合衆国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称を、ビートニク(Beatnik)と呼ぶ。生年で言うと、概ね1914年から1929年までの、第一次世界大戦からから狂騒の20年代までに生まれた世代に相当する。最盛期にはジャック・ケルアックやアレン・キングバーグそしてウイリアム・バロウズを初めとするビート・ジェネレーションの作家たちは多くの若者達、特にヒッピーから熱狂的な支持を受け、やがて世界中で広く知られる様になった。
そしてこの2つのジェネレーションは仲が悪かった。それと同じことが1970年代の後半から1980年代の日本で起きて居た。はっきり言って仕舞えば、ロックを聴いている連中ないし評論家はブルースを敵視して居たのだ。例を挙げれば1970年代当時、仕事中にラジオを付けたら、丁度、永井隆と上田正樹と柳ジョージと成毛滋の対談をやって居たのだが、司会者があからさまに永井と上田にキツく当たり、柳ジョージとかには優しく接しているのだ。そして黒人のブルースとそれのカバーのロックで演奏して居る曲を交互に掛け、黒人のブルースは音楽的に成って居ない。劣って居る。ロックの方が上手いのだと言う。そう言う偏見があった時代でした、私に言わせれば、安易なロック・バンドしか知らないから、黒人のエネルギッシュに溢れたブルースやらR&Bは良く無いと差別されて居たのでしょうね。。。
私もやれる時代にやれる事をして来なかった、と言うか。私の場合は障害のために薬で頭を塞がれて居て。何も興味を持てる様な事には慣れなかった。ただ1980年代の一番薬が強い時に。ビデオテープとレーザーディスクを購入して映画だけは見て居た。後アニメだ。不思議とドラマは見なかった。何故なら、何時も夜は8時に寝て仕舞うので、放送時間帯は起きて居なかったからだ。だからその頃に見たドラマは「大原麗子と石立鉄男主演の「雑居時代」「水漏れ甲介」ぐらいか、、「北の国から」「高校教師」も殆ど真面に見ては居ない。今はCS放送で民放のドラマは全て見られる時代だ。だから観れば見られるとは思うが。如何にせん。その放映当時の時代性が無いのですよ。だから興味が湧かない。
だから言うのですよ。やれる時代にやれる事をして於か無いと行けないと。私は本はよく読んだ。実は最近も6冊も書籍を購入した。しかし読んで居る暇が無いのですよ。いや正確には抗精神薬の後遺症で眠くて読書どころでは無いからです。私は今、思って居る事があります。此れからはゼネラリストの感覚を持ったスペシャリストで居ないと行けないんじゃ無いかなとね。自分がやれるうちに体力も思考もあるうちに動くうちに考えられるうちに、その時にやれうる事はしっかりとやって於くべきだろうと思います。最近のGACKT君の言葉では無いけど。「つべこべ言う暇があったら行動に移せ。まだもあと共言うなやるべき事はすぐに行動に移せ。」とよく言いますよね。
「知覚動考」と言う言葉があります。一般的な読み方は、「ちかくどうこう」です。これは、人が何を知ってからそれを吸収して自分でブラッシュアップして、自分の成長に繋げて行く行動パターンを示して居ます。
始めにこの文字を一文字ずつ考えて行きます。
「知る」
まずは、物事を「知る」と言う事です。
「知る」とは、「物事の存在・発生などを確かにそうだと認める。認識する。」や「気づく。感じとる。」と言う意味ですね。ふとした切っ掛けで何か新しい事に気付いたり、認識したりします。それをもっと知りたいと思ったとき、それは自分の成長の切っ掛けです。そして次の「覚える」に繋がって行きます。
「覚える」
なにかの切っ掛けで知った物事を、自分の頭の中に留めて置く為に「覚える」事が必要です。
「記憶にとどめて忘れないで居る。頭に入れる。記憶する。」と言う意味が「覚える」ですが、その他にも、「技術を身につける。習得する。」と言う意味もありますね。「仕事のコツを覚えて来た」などと使いますね。
「動く」
インプット(覚えた)しただけでは意味がなく、それをアウトプットしなければせっかく覚えた事がムダになって仕舞います。アウトプットする事、それが「動く」事です。動く事で「知る」「覚える」の結果が出て来ます。私などは、こうやってblog記事にする事でアウトプットになって居ますよ
「考える」
最後に「考える」です。
知って・覚えて・動いて行くと、何かしらの結果が出ます。上手く行かなければどうすれば上手く行くか、上手く言ったのなら、さらに良いものにするにはどうするか、しっかりと「考える」を行なって行くと良いですね。
知覚動考の考え方
知覚動考の順番が大切
知覚動考は順番が大切です。
①知る → ②覚える → ③動く → ④考える
重要なのは、この順番です。この順番通りに行うことで、よりスピーディーに自分のものにして行く事が出来ます。
よく勘違いされやすいのは、
①知る → ②覚える → ③考える → ④動く
です。
「動く」前に「考える」をして仕舞う事は非常に勿体無い行動です。一度考えて仕舞うと、その考えると言う行為に囚われ過ぎて行動に移せなくなって仕舞います。
これで本当にいいのかな?
もっといいやり方があるんじゃないかな・・・・。
もう一回考えて見ようかなこう言った考えに陥って仕舞い、なかなか行動に移せなくなって居る人も居るんじゃないでしょうか。知って・覚えたら、まずはやって(動く)見ましょう。その後に考えてみればいいのです。動きながら考える、が出来ればベストですね!
「知覚動考」この漢字の通りの順番で行動を起こす事が必要です。
「知覚動考」は「とも かく うご こう」と読む
「知覚動考」は順番が大切ですが、それはこの漢字の読み方にも表れています。
「ちかくどうこう」ですが、「ともかくうごこう」と読む事が出来ます。
そうです、なにはともあれ「とにかく動く」と言う事が重要なのです。
考えてばかりでは行動は出来ません。まずは必死に動いて、その結果を考え、考えた上でさらに動いて行く、と言う事が重要なのです。宝くじも「当たったらあれしよう!」と思って居るだけは当たりません。宝くじを当てるにはまずは宝くじを買う事からでしょう!
まずは考えるより先に動いて見ましょう!
「知覚動考」でPDCAを繰り返して行く
よく言われている思考のパターンに「PDCA」のサイクルがあります。
- P Plan(計画)
- D Do(実行)
- C Check(評価)
- A Action(改善)
このサイクルを繰り返して業務の改善を促して行くと言うものです。
「知覚動考」と似て居ますね。「知覚動考」に当て嵌めるとこう言う事になります。
- P → 知・覚
- D → 動
- C → 考
- A → 考
この様に、やはり実行してから検証し改善することが大切です。
今日の夕食。。。
『青春』 サミュエル・ウルマン
青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめて仕舞う。
年は70歳であろうと16歳であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く 驚異への愛慕心、空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる
大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。
是等の霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固く閉ざすに至れば。この時にこそ人は全くに老いての憐れみを乞うる他はなくなる。青春の詩の訳には、もう一つあって、そこでは、挑戦心を失えば、20歳でも老いるとある。忘れないで。20歳で私以上に年老い、諦めを口にする様では、既に、80歳、90歳の年寄りと変わらないですから。
『青春』 サムエル・ウルマン
青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ちかたを言う。
薔薇の面差し、紅(くれない)の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、炎える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥(あくた)になる。
60歳であろうとも16歳であろうと人の胸には、
驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓(えきてい)が心にある。
人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、
悲歎の氷にと閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭(こうべ)を高く上げ希望の波を捉える限り、
80歳であろうと人は青春にして已(や)む。
溜まって読めて居ない書籍。そろそろ読まないとだけども。如何せん眠い。今はもう夕食食べてコーヒー飲んだが、もう眠くなって来て居るから少し此処で寝ます。本当に薬の後遺症だと言うが、眠くて仕方が無いのですよね。いくら主治医に行っても埒が開かない。まあね、抗精神薬外すとまた、病状が悪くなると思って居るのだろうけど。私は障害の程度は中の下ぐらいの位置ですから。そんなに強い薬は必要が無いのですけどね.....。
地雷系?女子メイクに挑戦してみた。
#StayHomeWithMe 一緒にお家で猫と過ごそう
1980年代の初頭、姉が結婚した旦那の実家が逗子に平屋の一軒家の別荘を持って居た。そんな関係で、逗子のその別荘に泊まりに行った事がある。6日間、夏の暑い盛りに、海水浴に逗子に行ったのだ。その別荘はなんと海から500メートルくらいしか離れて居なく。庭には海岸に居る小さなイソガニ「(磯蟹、学名Hemigrapsus sanguineus) は、十脚目モクズガニ科(旧分類ではイワガニ科)に分類されるカニの一種。西太平洋の熱帯から亜寒帯地域まで広く分布し、和名通り海岸の水際や水中でよく見られる。」が朝になると何処かから来るのか、湧いて出た。そんな別荘で、姉と旦那、そして、親父と母、私と弟とで楽しい休日を過ごして居た。
始めの2日程は昼は「レストラン・ラ・マーレ」と言う。正装でなければ入れないフレンチ・レストランに食事をしに行ったが。レストランに入って見たら、なんと安岡力也が美女を連れて食事をして居た。私は思わず、「安岡力也が居る・・・。」と口走った。姉さんたちは毎年、此処に来るそうで、芸能人は見慣れて居ると言った具合だった。また緩く弧を描く逗子の海岸。その西側、原生林が生い茂る小高い山の崖上に、忽然と白い城塞のような建物が建って居た。石原慎太郎さんの逗子にある邸宅だ。眼下には海が広がり、逗子と葉山のマリーナからの艇の出入りが望める。
姉さんの旦那と弟と私でそんな石原邸を観に行ったりして居た。夜は海岸まで出て花火をして最寄りの海の家でアイスクリームを食べた。夕方になると魚を積んだ小型トラックが来て、私たちは新鮮な捕れ立ての鯵を焼いておかずにして夕食を食べて居た。しかしこの楽しい休日も、会社で「娘の旦那の実家の別荘に行く」と親父が言った事で台無しに成った。親父の2番目の兄貴のよしきちがその話を聞き付けて、息子のさとしと共にやって来たのだ。さとしは当時18歳で生意気な奴だった。さとしは弟と同じ成蹊小学校にいたのだが中学の時に万引きをして学校を退学に成って居た。その後、彼は他の高校に行き、この頃は漫画家として生計を立てて居た。
よしきちは海岸に来ると、私はラジカセでジャズを海岸で聴いて居たのだが、「周りの皆んなに聞かせてやれ!!」と言う。よしきちの家では矢張り息子のさとしの兄のまさおがいつも大音響で窓を開けて、ジャズのレコードを掛けて居て。私なぞは「まさおちゃん。こんなに大音響で窓開けて聴いて居たら近所迷惑じゃない?」と心配して言うと「いいんだ、俺は近所の連中に聴かせてやって居るんだ!!」と言って居た。私は叔父さんは一体どんな子供の育て方をして居るのかと毎回、訝しく思って見て居たものだ。まさおは、下北沢にあるブルース・バー「ストンプ」を根城として居て、或る日、私に来てくれと言ったのだが、私は行かなかった。「ストンプ」は今はブルース・ギタリストでシンガーでもある近藤房之助がオーナーを務めているが、昔はブルースをこよなく愛し、以前、ウエスト・ロード・ブルース・バンドのマネージャーもされていた正井芳幸氏が経営者だった。彼は2015年1月16日に亡くなった。
近藤房之助-Same O'l Blues.mpg
Sweet angel 近藤房之助
WEST ROAD BLUES BAND
よしきちには妾が居て。二人の息子は妾の子だった。子供の頃、まさおは弟のさとしの頭をよく拳でぶん殴って居た。さとしはそれが元で小学生の頃はどもって居た。話を元に戻す。よしきちは、金持ちだが、私が一人で海岸で日光浴をして居ると来て、「ラジカセの音量を上げて皆んなに聞かせてやれ」と言うのだ。私は呆れてしまい黙って居たら。「〇〇よぉ〜、俺は金忘れて来てしまった。缶ビール買ってくれないか?」と言うのだ。「初めっから集るつもりなんだろう!?」と思っては居たが、買ってやって渡すと喜んで飲んで居た。そして、従兄弟のさとしは夜に成るとポーカーをやろうとトランプを持ち出した。私は拒絶してやらなかった。
よしきちたちは残りの3日間居た。私は親父に言った「あんたはどうして喋ったんだ!!会社で得意げに娘の旦那の実家には別荘があるだとか言ったんだろう!!」と怒鳴った。さとしは家からラジカセを持って来て居て。「ウルトラセブンの歌」。「ウルトラ警備隊のテーマ」などを掛けて来て。お前はどの曲がいいと思うと言って来た。私は特撮オタクでは無いが、ウルトラセブンの挿入歌「ULTRA7」は好きな曲だったので、それを言うと「何だ、皆んながいいと言う曲が好きなんだな?」と言い「僕はウルトラ警備隊の曲が好きだ!!」とラジカセに合わせて歌い出し。「キ〜〜、ガシャン、ウルトラホーク発進〜〜!!」と身ぶりを交えて喚く。。。
明らかにおかしい?彼は18歳だ。そしてその様子を見て居た、よしきちが何とも言えない苦渋の顔で、息子のさとしを見て居た。私は自分のラジカセで当時最後のバンドとなったジャズとブルースを演奏するバンドでのライブ音源を聴いて居たら。さとしが「ケッ!!見せびらかしやがって!!」と怒鳴って居たが、構わず聴いて居た。そして5日間は過ぎた。よしきちは少しは悪いと思ったのだろうか?「後で返してくれれば良いから」とソニー製の14型のモバイル・カラーテレビを置いて。5日目の朝にさとしを連れて高級外車に乗って帰って行った。私は要約、静かになったと思い。テレビのチャンネルを廻して見たら。丁度、「あしたのジョー2」のホセ・メンドーサ戦の最終話が放映されて居て、それを観て食事をして次の朝には自宅に帰って来た。
そして夏は終わり9月に成った或る日、従兄弟のまさおが天ぷらを揚げて目を離してお勝手から自分の部屋に行ったら。フライパンの火が天井まで上がり火事になり、よしきちの豪邸は燃えて仕舞った。私と弟は取り敢えず筆記用具と下着の着替えを持って見舞いに行った。さとしは焼け跡を彷徨って探し物をして居たが。まさおは私を見つけると身長185センチ体重90kgの巨体を揺すぶってやって来て。まるで他人事の様に「〇〇ちゃん!!此間遊びに来たのは何時だっけ?」と言うので。苦笑いをしたら。「綺麗さっぱり焼けちゃってさあ・・・俺のトランペットなんか熱でひん曲がってしまったぜ〜〜!!」と言うのだ。どうせトランペットなぞ、金にモノを言わせてセルマーの高額な物を買って持っては居たが....ピーとも吹けなかったではないか?と突っ込みたくなったが。火事を出した本人がニコニコして居たのでなんだかねぇ〜〜。と言った感じだった。まさおは「ウエントン・マルサリス」「アート・ファーマー」が好きだった。
Milt Jackson & Benny Golson & Art Farmer & NHØP - Whisper Not
Wynton Marsalis - Autumn Leaves
そして、それから半年ほど経った頃。よしきちが自宅にやって来た。丁度1月も半ばだった物で、私は丁度、購入したばかりのナショナルのビデオデッキが応接間にあったものでそれに録画をして居て、6千8百円ぐらいした自分で買った電気ストーブを部屋から持って来て使って居たら。やって来て。「いいのあるじゃないか?俺にそれをくれないか?」と言うのだ。このよしきちと言う男は、金があるのに何時も人の家に来て此方が使って居るモノをくれと言う。私は子供の頃にミニカーのフォルクス・ワーゲンやシトロエンなどを持って居たのだが。それを寄越せと言って私から強引に取って行って従兄弟のまさおに渡して遊ばせて居た。私はハッキリ言った。「嫌です・・・。」そうしたら「なんでお前は俺に逆らうんだ?俺にくれてもいいだろう?」と言うのだ。
私は「なら6千8百円下さい。そうしたら挙げても良いですよ」と言ったら唖然として「お前は解らん男だなあ、この俺がくれと頼んで居るんだぞ?」としつこい。私が「少ない、こずかいで購入したんです!!あなたはお金持ちでしょう!!自分で購入したらどうですか!?」と断固断ったら。機嫌を損ねて「俺は帰る!!」と要約、帰って行った。それ以来うちには来なくなった。最近聞いた話では、それから、まさおは5歳年上の女の人と結婚し、2人の女の子を儲けて短大まで行かせた。以来、親戚付き合いをして居ないから、詳しくは解らないが、まさおは体重が100キロに成って、さとしは漫画家では喰なく成ったらしい。そして、よしきちは直腸ガンになって手術をしてから調子は物凄く悪いらしいと、今から十数年前に聞いた。よしきちは親父の2番目の兄貴だ。親父は十数年ほど前に72歳で亡くなって居る。よしきちも、生きて居れば86歳ぐらいだ。もう生きては居ないだろう。
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部屋は片付けたので殆んど片付居た様だ。狭いのですぐに散らかるが・・・此間コロナワクチン打ちに行って、書類とまとまった現金が入って居たのだが。今日になって探して見ると無いのです、どこを探しても無いので、人は疑いたく無かったが、「もしかして盗まれた?」とか思って仕舞いそうになった。人を疑う前に自分を疑えとはよく言ったものだ。よく探したら鞄の裏の処に入って居た。。しかし、私はサングラスは2丁持って居るのだが。サングラスと言っても度付きのもので、サングラス・メガネだ。前に一度盗まれた事があった。その時に取って行った奴は、ただのサングラスだと思って掛けたら度付きなので、眼が2重に見えてしまい。さぞかし大変だっただろうにと、持って行った奴は相当にバカだねぇと思ったものだ。それから2年前の暮れに今度は空き巣に入られた。慌てたが、メガネを1丁盗まれた。金は不思議と盗まれて居なかった。メガネはまた作らなければ成らなかったから。その時に2丁メガネを作った・・・。最近は思い違いが多々ある。痴呆だったら嫌なので、頭の体操をしなければと思います。
恋愛だけで結婚が成り立つ世界は漫画か小説かテレビ・ドラマだけだ!!実際結婚は余程に考えないと仕手は行けないと私は思う。前に、アラン・ドロンが言って居たが結婚は3分で出来るが離婚は3年掛かると言って居た。エリック・クラプトンの自叙伝を読んでも、若い頃の恋はすぐに成就したが長くは続かなかった様だ。二人ともちゃんとした人に巡り合ったのは50歳ぐらいに成ってからだ、私は勝手好きな女が居た。その子は勿論一緒の大学だったし、私は行った大学は3流大学だったから。だから頭はあまり利口だとは言えなかったかも知れない。でも人間が出来て居た。私と映画館に映画を観に行っても何時も自分からアイスクリーム売りを呼んで2つ買う。
私が金の事を言うと、「そんな事は気にしないで、、」と言った。時代も時代だったが少し古風な処があった。何故かと言うと実家が旅館経営だったからだ。また親御さんは漬物屋もやって居た。お父さんはジャズ・マニアだった。だから何時も私にジャズのライブビデオを、お父さんからアメリカとか、海外のものを譲り受けて私に持って来てくれた。余り美人では無かったが小柄で可愛い子で何時も明るく元気で人を立てた子だった。私はそこに惚れて居た。まだ20代前半にしては30歳ぐらいの考え方が出来て居た子だった。私はゆきかずを恨んで居る。あんな馬鹿な奴のために私は掛け替えの無い女を失った。私は、今でも思う事が結婚相手にはある。
それは人間的に私よりも利己な人がいいと言う事だ。弟は亭主関白に成りたいなどと、時代錯誤も甚だしい事を言って居た。しかし男のそんな見栄は女の人が家庭に入れば粉々に粉砕されるだろう。それは女の人の方が男より利口だからだ。私は中学から高校2年ぐらいに好きなクラスの女の子が居た。その子はカトリーヌ・ドヌーブに似て居た。要するに美しかったのだ。しかし美人薄命と言うか、いつも悪い噂を立てられた。男を誑かすとかそう言った類の話だ。私は何時も庇って「そんな子ではないよ...。」と言って居た。何時頃だろうか、私が高校の学食で食事をして表に出た時だ、ずぅーと人の視線を感じて居て、ふと後ろを振り返ったら、その子が私の後ろに居て、
「さよなら・・・。」と言い何か言いそうになったが、消える様に居なく成った。それ以来その子は学校に来なく成った。引っ越して行ったのだ。高校は私立だ。だから通ってくるはずだと思った。しかし、その子は来なかった。そして風の噂で高校を他の高校に編入したと聞いた。私は安堵した。何故ならその子は小学校から一緒で私と共に賞状を何回も貰って居た子だったからだ。頭は良かったと思って居た。そして私は良かったと思った。今頃はもう結婚して家庭を持って子供も成人して、早ければ孫が居る歳だ。前に、今から28年ぐらい前に、その子を渋谷で見かけた事がある。髪をカールして、素敵な女性に成って居た。女の子は花だ。生きた花だと私は思う。
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下は高校生の頃描いたヘタクソな漫画です。一部ですが見てやって下さい。前に見た人も再度見てやって下さいね。。。
〜〜原田芳雄さんの話〜〜
芳雄さんに初めて会ったのは私が大学に行って居た頃だ。高校の頃からよく芳雄さんのコンサートには行って居た。彼のステージは何時もブルースに満ちて居た。何しろ若い頃の芳雄さんはカッコ良かった。確かに身長は175センチと高い方では無かったが。その存在感が凄かった。よく言う。オーラがある人と言う事だ。役者としてもそうだが、存在感が半端では無い。以前に芳雄さんと組んだ事があるべーシストと話した事があるが、彼はギャラはどんぶり勘定にはしなかったそうだ。ちゃんとミュージシャン達に均等に分けて居たそうだ。また、腰が低く。何か粗相があれば電話を掛けるとか、手紙を書くとか、まめな人だったらしい。原田芳雄さんに付いては、それぞれの世代にとってのリアルタイムでの原田芳雄が居ると思う。彼に付いてはメジャー会社が彼を活かしてくれて居ればと思う事も有るけど、
何せ、主演作が少なすぎるでしょう。120本の映画に出て居て、でも、彼はそんな自分を活かしてくれない日本映画を見放さなかった。次々に助演男優として、駄目に成りつつある、日本映画の舵取りを買って出て居るが如く、その存在感、演技力で、日本映画に貢献し続けた。此のblogで何遍も云って居るけど、個人的には、若松孝二が「俺は、あの作品で芳雄さんのアウトローとしての集大成をやれたと思って居る」と云って居る、「われに撃つ用意あり」が原田さんの主演作では一番好きなのだけども、「反逆のメロディー」「竜馬暗殺」「浪人街」「鬼火」「寝取られ宗助」アメリカ映画での主演作「ハンテッド」等が主演作品としては良く観て居る作品ですね。私はフィルム・ノワールが好きだから、フレンチ・ノワールの旗手だった、アラン・ドロンと良く比較して仕舞うのだけれど。二人とも良く似て居ると云うか、類似点が有ります。
アラン・ドロンもアウトロー、一辺倒ではなく、良く作品を観て見ると「帰らざる夜明け」「パリの灯は遠く」「真夜中のミラージュ」「燃えつきた納屋」「ナイト・ヒート」等、演技派としての一面を出して居る作品も数多く有る。ただドロンの場合、あの顔のせいで逆に損を仕手居る処があった。しかし芳雄さんは無頼のイメージが強い。
それは役者以外の顔。ブルース・シンガーとしてもそうだ。彼の歌うブルースは黒人のブルースとは少し違う。彼曰く、ブルースの女と言うものは決してメゲない。逞しく世の中を渡っていくイメージが強いと言って居る。私は昔大学生の頃。原田邸に行った事がある。餅つき大会にだが、芳雄さんは忙しく参加者の間を渡り歩いて居て。誰にでも気軽に声を掛けて居た。ただ、参加者が多いものだから、靴を脱いで上がると。靴をどこに脱いだのか、解ら無くなって困った記憶がある。また座敷には彼の主演した「龍馬暗殺」の大きなポスターパネルが飾ってあった。私が行った時は桃井かおりが居た。実際に会って見ると気さくな人で。矢張り美人だなぁと思った。一緒に行った友人は、奥の扉を開けたら内田裕也が居たと言って居た。こんなエピソードがある。
女の子が道に迷ってしまって困って居たらジョキングをして居た芳雄さんとバッタリ会い。なんと芳雄さんが自宅に招き入れアイスコーヒーを入れてくれたと言う話だ。彼は中華料理だとか作るのがとても旨かった。役者としての人を見る目が彼の歌うブルースを際立たせて居たと思う。餅つき大会だが女餅と男餅があったと思う。ちゃんと考えているのだ。そして私と友人は大根おろしの餅とあんこ餅をもらって食べた記憶がある。この時はとてもサインをもらえる状態では無かったが。「鬼火」と言う。望月六郎監督作品だったと思うが、その舞台挨拶に来ていた時に一度お会いしてサインを色紙に書いて貰ったのだが10数年前の入院の時に惜しいかな事情があって無くしてしまった。ただ会った時に。私もブルースを演奏して居ると言ったら「頑張って」と握手をして貰ったのが思い出です。それでは彼のブルースをお聴きください。。。
原田芳雄 新宿ホームタウンブルース
原田芳雄 ブルースで死にな
原田芳雄 リンゴ追分
原田芳雄with喧太&桑名/横浜ホンキートンクブルース
プカプカ 原田芳雄
新宿心中 - 原田芳雄
下はSEIDEL社製のSolist Pro。その下はHOHNER社製のMarine bandです。 liveでよく使う機種です。
Weeping Harp Senoh plays Blues Harp
Weeping Harp Senoh plays Blues Harp
Talent Show Harmonica Solo
kiyasume plays bluesHarp Solo
kiyasume plays bluesHarp Solo
下は、10ホールズでありながら、レーバーが付いていて完全に1度下の音階が
出せるbluesharp。
そして半音階から1音と、要するにベンドがしやすく出来ている10ホールズ。
そして3番目は穴が12個あるBluesharpです。
さて映画です。今回は「リスボン特急」です。。。
『リスボン特急』(原題:Un flic)は、1972制作のフランス・イタリア共作のフィルム・ノワール。アラン・ドロン主演。リチャード・クレンナ。カトリーヌ・ドヌーブ共演作品。フランスのフィルム・ノワールの巨匠ジャン=ピエール・メルヴィル監督作品。この作品がメルヴィル最後の映画と成った。
主人公のコールマン刑事に扮したアラン・ドロンが強烈に個性的で、煙草を咥えながらピアノを軽く演奏する姿はダンディです。その前方で彼を見つめていたカトリーヌ・ドヌーヴ(カティ)が控え目にスッと姿を現すシーンが文字通り絵になって居る。
Un Flic (1972) - Delon at the piano
Un Flic (1972) - Ending
リチャード・クレンナ(シモン)の情婦であるがドロンとも関係を持って居るカトリーヌ・ドヌーブをそっと見守っているクレンナ、そしてそれを痛い程解って居るドロン、クレンナとドロンは戦友同士。二人の男に愛されるが男の世界に翻弄されながらも、どちらを取るのか、決めかねられないで居るドヌーブ。この映画は銀行強盗の首領であるクレンナと警部であるドロンとの男の戦いと言った視点から出来上がって居る映画です。この映画にあるのはストイックな男の世界です。完全なるフィルム・ノワールの世界です。シモンの強盗団はある雨の日に郊外にある銀行を襲撃します。しかし銀行員に拳銃で撃たれて仲間の一人が重傷を負って仕舞います。悩んだ末、シモンは銀行強盗で負傷して重傷になった仲間をカティによって始末させます。緊急病院に潜入したカティはナースの格好をして緊急病棟に潜入、注射器で静脈に空気を注入して仲間を殺します。しかし、この映画は何も具体的には語られません。全てが、運命の侭にストーリーが進んで行きます。ダンディであるコールマンは鬼警部。
彼に惚れて居る、情報屋のオカマがリスボン特急で麻薬の密売が行われると言う情報を教えるが、シモン達が、ヘリコプターを調達してリスボン特急に乗り込んで金を奪って仕舞う。終点のリスボンでヤクの売人を捕まえるコールマンだが既に金はなく、怒ったコールマンは情報屋のおかまを平手打ちにして、「ガセを教えるとは許さん。女の格好をしている頭を丸坊主にしてやろうか!!出て行け!!」と一喝する。涙を流して警察の外に出たオカマは泣き崩れます。しかし親友との対決の時が迫ります。シモンの強盗団の仲間をレストランで待ち構え、一般客に扮したコールマンは後ろから隙をついて羽交い締めにして逮捕し、シモンとの関係を拷問に近い方法で吐かせる。その一方で、マスコミがシモンの事を嗅ぎ回って居る事を知ると、警視総監に情報をマスコミに与えるのは止めてくれと、親友を庇う仕草も示す。そして夜明け前のシモンが経営するクラブから身を隠す為出て来たシモンは、事前に連絡して居たカティが車の中で待っている事を確認すると、スーツケースを持って車に近付こうとするが、建物の外で待っていたコールマンが「シモン!」と拳銃を構える。実はコールマンは電話局に行ってクラブからの電話を盗聴して居たのだった。
名前を呼ばれてシモンはトレンチコートの懐に手を入れて拳銃を取り出す振りをする。しかしコールマンは躊躇わず引き金を引いた。仲間の刑事たちが倒れたシモンの懐を探ったところ拳銃は持っておらず。丸腰だった事が判明する。「撃つのが早かったのでは?」と言う刑事の問いに「てっきり俺を撃つのかと思った・・・。」と言うコールマン。車の前で俯向き加減に一部始終を見ていたカティを黙って見つめたコールマンは、覆面乗用車に乗り込み忙しく無線で知らせて来る、次の犯罪現場へと黙って、しかし親友を殺して仕舞った事を拭い去るかの様に何遍も頭を振りながら運転をして向かうのだった。
Der Chef, Fan-Trailer (1972, Jean-Pierre Melville)
この映画が何故、ジャン=ピエール・メルヴィルの遺作になったのか?実はこの作品はメルヴィルの13本目の映画で、しかも劇場公開が金曜日だったそうです。彼は不吉にも心臓発作で亡くなりました。ドロンはこの鬼警部の役が余り気に入らなかった見たいで、メルヴィル作品では「俺は何時も暗黒街のサムライだ...。」とボヤいて居たそうです。ただこの映画では、「刑事はどんな存在だ...。疑いと嘲りだけの存在だ」とドロンが呟くシーンがある。この言葉にメルヴィルの本意が隠されて居ると思います。途中、リスボン特急の麻薬の売人から、金を奪い去る為、シモンがヘリコプターを使って動いて居る列車に、空から飛び移るのを特撮で撮って居ますが、列車とヘリコプターをミニチュアで済まして居るのが、低予算のフランス映画らしいです。この映画は最後の映画ですが、評価は分かれる処です・・・。
最後に、ジャン=ピエール・メルヴィルについて簡単に説明して置きます。彼はパリ出身の脚本家で映画監督です。本名はジャン=ピエール・グランバック。メルヴィルはペンネームであり、小説家のハーマン・メルヴィルから姓を取リました。「ヌーベル・バーグの精神的父親」と呼ばれる映画作家のひとりとして知られて居ます。彼はアルザスにルーツを持つユダヤ人家庭に生まれる。第二次世界大戦に従軍の後、1948に自分のプロダクションを立ち上げ、自主制作で映画を作り始める。初の長編映画である『海の沈黙』を見て感銘を受けたジャン・コクトーから、自身の小説『恐るべき子供たち』の映画化に際して、脚本・演出を依頼される。また、撮影所のシステムから抜け出たインディペンデントシステムと、長年コンビを組んだカメラマンのアンリ・ドカエによる自然光を取り入れた映像は、後のヌーヴェルヴァーグの作家に大きな影響を与えました。フランスにおけるフィルム・ノワールに独自の洗練を重ねてゆき、自身の第二次大戦中のレジスタンス活動の経験を反映させた『影の軍隊』などの戦争映画にもその作風は活かされて居ます。
「人生は3つの要素、つまり、愛と友情と裏切りで成り立って居る」と言うメルヴィルの人生観の基盤にあるのは、レジスタンス時代の体験である。戦争中、ユダヤ人だった彼は自由フランス軍に参加し、レジスタンスの闘士として活動して居た。友情と裏切りと死が入り乱れる世界で培われ、磨かれた観察眼を以て、メルヴィルは映画を撮り続けた。メイン・テーマは、男の宿命。殆んどの場合、映画の中心にいるのは男だ。彼らの関係性はストイックである。のちの映画人たちにも影響を与え、北野武監督は彼を崇拝する。「キタノ・ブルー」と命名された彼の映画のトーンは、「メルヴィル・ブルー」からの影響です。
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下は懐かしフォークソングとホワイト・ブルースです。。。
ガロ 「学生街の喫茶店」
ザ・モップス 「たどり着いたらいつも雨降り」
毛皮のマリーズ PV「ビューティフル」
CHICKEN SHACK - The Thrill is gone
SHUGGIE OTIS & AL KOOPER - Shuggie's Shuffle
今回は此処までです。また更新出来たら逢いましょうね。宜しく。。。。