寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

kiyasume論。イタリアン・プログレ2。秀作映画紹介「傷だらけの用心棒」

 

 

 

 

『kiyasume論。。。。』

誰かが言って居たけど、、自分と他人を見比べるから軋轢が起こると。私は此の事が諸悪の根源だと思って居ます。人を見て自分より劣る。人を見て自分が劣る。だからいずれにしろ気に喰わない。此れはニヒリズムの根幹です。街を歩いて居て。あいつは自分よりいい男だ。いい女だ。そう思ったらそれでいいではないか?羨望はいいと思う。何故なら自分の学びになるからだ。相手は美人だ。ハンサムだ。自分は違うと捻くれるのでは無く、じゃあ、どうやったら自分も彼らに近づく事が出来るのだろうか。手っ取り早く言って、今の時代。美容整形もいいと私は思いますよ。それによって自分に自信が生まれるのならば、いいではないか。ただ、女の子の場合はちょっとした化粧でも、自分の顔は変える事は出来る。最近の女子高生は可愛い子が多い。私はロリコンでは無いが、吃驚する程、可愛い子が多いなとは思うが。だからどうのこうのとは思わないが.....。何故なら最近の女子高生は、自分を可愛く見せる化粧方法を知って居るからだ。まあこれも彼女らなりの処世術なんだろうと思う。此の話は関係ない話だと思うだろうけど、よく親御さんが子供に勉強しなさいと怒って言う。しかしそんな事では子供は勉強などしない。いい高校に入っていい大学に行きなさい。そうしないといい会社には入れません。全て前倒しの思想だ。そこには学びが一つも無い。いい高校に行っていい大学に入って、いい大学とは何処なのだ?大学は東京だけでも両手を余る大学がある。そう言うと、親御さんは1流企業に入社できる様な大学だと言う。果たして1流企業に入社して高給が今の時代貰えるのだろうか?現状は厳しいと思いますよ。親の言う事は皆、前倒しの思想なのですよ。

本来物事と言うのは目標を定めたら、、その為には何をするべきかと言う事を逆算で考えなければならない。親が子供に言うべき事は、頭ごなしに闇雲に勉強をしろと言う事では無い筈だ。例えばお前は将来何になりたいんだと聞くのだ。そうすると子供はレーサーになりたい。サッカー選手になりたい。そう各々が答えると思う。そうしたらその為には何をすればいいのだと聞くのだ。その為にはお金は幾ら必要か?お金を稼ぐ為には何処に行かなければならないのか?全てなりたいものの逆算で考えるのです。よく、財閥の子供やら、政治家の子供、会社の社長の子供ら、彼らは幼い時から親に、自分の家の仕事をする為には、どう言う事を学ばなければならないか、と言う事を徹底的に教え込まされる。その親の子供はそう言うものだと思って勉強をして、やがて大会社の社長や政治家になって行く。結果が解って居るから逆算で物事を考えて居るのですよ。いい高校を出ていい大学に入ってでは無く。これこれこう言う職種に就きたいから。その為にはどうしなければならないのか、そう言った事で考える。よく、人は選んで付き合えと言うが。大抵そう言う御子息はいい塾やら学校に入る。周りがいいと自分もよくなるからだ。私は身を持って知って居る。程度の低い最低な人たちと触れ合っても自分を浪費するだけで、何も産まれはしないと言う事を。私は学歴を言って居るのでは無い。私は大学は夜学ですよ。昼間働いて居たから。そこに通って来る人たちは、皆、心優しい人達だった。誰が好き好んで夜学になど行くと思いますか。皆家庭の事情を背負って居た。だから私は学歴差別はしない。以前ににこう言う事があった。

就活ナビと言う存在

学歴フィルターの仕組み

尺度を用いずに他人を見る事、それ以外に差別を無くす手段は恐らくは無いのか・・・。誤った尺度で人を見る人も居ます、自分の尺度は普遍的な絶対的なものと考えて仕舞う事もまた、ニヒリズムで、考えなければなりませんよね。何が正しくて何が悪いのか。人を自分の型(尺度)で見る場合は。それのみではなく相手の型(尺度)も尊重しないと差別は無くなりませんよね。

自分の旗と人の旗。これは比べてどちらかが劣ると言う事では無い気がします。私たちは、普段何気なく受け入れて居る習慣やら迷信などを常に疑って掛からなければなりませんよね。その積み重ねが物事を見極め結果的に差別を無くす事に繋がると私はそう思って居ます。

例えば会社に就職する時には能力は実際に働いて貰わないと本当は分からないでしょうし、結局は経験から推し量らざるを得ないので「経験」 が最優先、「人柄(性格)」は余程面接で問題がなければ優先順位としては後回しになると思われます。この間。私のシン・民主主義で書きましたが。資本主義は多くの成果をあげて来たし、繁栄には欠かせない。だが資本主義経済を過度に楽観視すべきでは無いと思います。ただ市場の圧力や個人の利益の追求に頼って居るだけで、左派は国家に任せて置くのがいちばんと考えたが、残念ながらそうでは無かった。マルキストの退廃。導者たちが導く国家こそが倫理観を指針とする唯一の存在だと信じたのだが、それは国家の倫理性を過大評価する一方で、家族や企業の倫理観を軽視した。それに対して右派は、国家による規制の束縛を断ち切れば自己の利益の追求が持つ力を解き放ち、すべての人を豊かに出来るとの信念を抱いた。

しかしどちらもダメだった。だからこそ、「創造的破壊」を起こす事が重要だと言えます。それは競争によって経済発展を促進する。その事の犠牲者たちが補償を求める事が出来る様にする為です。「社会的母権主義」の下では、愛国心が人びとを結束させる推進力となり、不平不満に基づく個々にばらばらなアイデンティティは重視されなくなる。本当の意味での中道の時代が来なければなりませんよね。もしそうなったら本当の意味での差別は要約無くなるでは無いでしょうか.......。

いや、最近のネットやらテレビの報道の仕方、個人攻撃が酷すぎるので、
あえて書いた次第です。


私の過去記事で言いましたが・・・・・・。

大卒が「こう言う事は高卒者には解らないよ」と言う、良くある言い方があります。要するに、ヒエラルキーですね。

そしてヒエラルキーの最大の分断、それが学歴です。大卒は大卒同士で、非大卒はそこで固まり、それぞれまったく違う文化の中で生活をして居ます。言って仕舞えば、違う日本社会で生きて居る。自分とその周囲の視点だけで見る「日本」は可也偏って居る可能性があります。有る経済学者が言って居ましたが、、「日本社会をケーキで例えると、下半分はスポンジ・ケーキで、その上にミルフィーユが乗って居る。下は非大卒で、上は大卒ですね。大卒の人たちは細かい階層に分かれて居て、どこの大学を卒業したかを学歴だと思って居るんですね。それは『学校歴』であり、学歴ではありません。大きな勘違いです」

大卒は勘違いしがち、学歴=学校歴ではない

「1番上には海外有名大や東大が居て、その下に早稲田大や慶応大があって……。自分はどこの階層に居るのかな」。ミルフィーユの様に偏差値別に大学名が並んで、自分は何番目の層、ランクに居るかを気に掛ける。「社会に出れば学歴は関係ない」と言う言葉も。ミルフィーユの階層での話です。ミルフィーユの中での学歴と、社会的な地位とが逆転した時、この言葉はリアリティーを持つ。しかし、その下にスポンジ・ケーキがある事は見えて居ません。

確かに東大の権威主義やら、どこの大学を出たかと言う事で、、何を学んだかは二の次になって居ますね。私は一応は大学に行きましたが途中で統合失調症になりましたし。学んだのは経済学でした。ただ、東大が全てと言う言い方が悪いと言う事も出来ますが、、私は大学そのものが全てだと言う。考え方は違うんじゃ無いかなと思って居ますよ。まあ、馬鹿な私が言っても仙なき事ですけどね。私は自分の学歴を褒めまかして、言う者は下らない人だと思って居ます。

学歴では無くて、その人、本人が如何に有る人かで。判断出来ないと仕方が無いですよね。高卒が働いてくれて居るから、大卒は自由に専門分野で働けるのですよね.......。

此間書きましたが。私は独学が一番いいですね。。。。よく言われますよ。「お前は大学途中で障害者になったのだから、ましては夜学なのだから大学行ったとは言うな!!、」とね。人は勉強が出来るから偉い訳では無いですよね、人としてどう有るべきか。まあ、入社面接ではそこいら辺は後回しで何が出来るのかを問われますが、、まあ、私はそう思って生きて居ますよ..... .

 

 

私は此処の処。薬のせいで意識朦朧として勃起障害が酷くて、まあ、実際に近所から言われて居る事もあるけど。だって、私はこうやってblogで自分の写真を載せて自分が統合失調症で兄弟から見捨てられて居ると書いて居るんですから。私のblog記事を読んで嫌悪感を持つ人とか。バカにする人。反対に同情してくれる人。又は、私の事をよく思ってくれる人とか、色んな人達が居られるかと思います。この間スーパーで買い物をして居たら。中年のオバハンの声で「ほらあの人でしょ・・・・」と私の後ろから私を見て言い出したら。子供の高校生が「母さん言うなよ。そう言う事は・・・。」と聞こえて来たし。昨日何かも、ATMでお金下ろして、大家に家賃を振り込んでから。レンガ亭で頼んで食べて居て帰ろうとしたら。誰か、若い女の子の声で「あれ、ほらkiyasumeさんが歩いて居る〜〜。」と聞こえて来ました。これらは幻聴では無くて本当に言われた事ですね。

まあ、若い女の子は私を好意的に見て呉れて居た見たいなので。良かったです。でも昨日の午後、夕方近くに意識朦朧として歩いて居たら、何時もお世話になって居る美容室の美容師さんから挨拶されて。でも私はまともに挨拶出来なくて何だろうと思われたかも知れませんね。大体が昼間は、昼、外食に外に出る時か。コンビニに夜中に行く時しか、外に出ないから。それに一昨日、訪問看護師の女の子が来て呉れたんだけども。私は、また「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の北米盤を見て居た処に来て呉れて。「私、このアニメ見ると泣いちゃうよ〜!」っと言うのですが。私の事を偉く心配してくれて、「幻聴聞こえてる?」と言うので、「聞こえて居るよ。でも最近言葉というより気配だね」と言ったんですよ。「要するに『思考吹き込み』と、『思考奪取』が続けて起こる」と言ったんですよね。どう言う事かと言うと。外部のものが頭の中の情報を抜き取ると言う感覚。この事を「思考奪取」と言うのですよ。又、よからぬ考えが。自分の意図しない事なのに、浮かんで来て困る事を「思考吹き込み」と言うのですよね。私は此れでも冷静だと自分の事を思って居ますし。もう此間の様にドアをぶち壊したり。他人と喧嘩にもなりたく無いから。まぁ、、自分で自分を注意深く見て居ますよ。

最近はSNSとかYouTubeで大炎上が起こって居ますね。以前、あのGACKTくんがまたまた炎上したらしくて本人は「コロナを風邪だと言ったら炎上されて困ったよ」と言って居たけど。コロナはだって風邪でしょうが?彼が言って居たけど自分じゃなくて総務省に文句を言ってくれと言って居た。だって総務省のHPに「コロナは風邪の一種です」とはっきり明記してありますからね?風邪じゃなきゃ何なの?インフルエンザだって風邪でしょう?此間。訪問看護師に行ったけど人の口には咎立てられないからね。皆さんは、私だってblogで言いたい放題言って居ると思って居られるでしょうけど。私の生い立ちを考えて見て下さい。自分の想い。嫌な事。トラウマになって居る事をblogに吐き出さないと気が狂いますよ。皆さんは、奥さんやら兄弟。又は親しい友人が居られるでしょうけど。私は一人きりなんですから。だから、よくこのアパートの自室の6畳間で独り言を言って話して居ます。隣の部屋とかには聞こえて居るでしょうけど、構わないんですよ。どう思われようともね。よく、電車の中やらタクシーの中、又は、書店で一人幽霊に出会いませんか?一人幽霊とは誰も居ないのに、一人でまるで相手が居るが如く、話して居る人たちの事を言います。

 

 

 

彼ら彼女らは精神異常者が殆どです。何故ならそれは頭に聞こえてくる幻聴やら思考吹き込みに対して反応して話して居るからです。私も恐ろしい事に、たまにそう言う事に陥りそうになります。ただ私の場合は頭の中で聞こえて来る声と対峙して撃退します。前は私もいちいち口に出して話して居ました。しかしアパートです。誰が聞いて居るか判りません。聞いた人があの人は頭がおかしいと噂を近所に広げる場合もありますからね。だから、頭の中に声が幻聴が聞こえたら、その幻聴に向かって、頭の中で抗議して居ます。大概の場合は1時間ぐらいで論破出来ますよ。これって訪問看護師に言わせると凄い事なんだそうです。普通は体ごと乗っ取られてしまい訳が分から無くなって入院になるそうです。しかし、私はその轍はもう踏みませんよ。入院は自らする人も居ますけどね。上げ膳据え膳ですからね。食事も用意して貰えて。レクリエーションの職員と話が出来るし。人によってはその方がいいと言う人も居ます。しかし周りの入院患者が精精神疾患者だとトラブルが絶えないんですよね。大抵、変な言いがかりやら変な事を言われたりされたりする。

いいですか、私の主治医は私がこうやってblogを書いて居る事も。楽器が演奏出来る事も。哲学書が好きな事も。絵が描けた事も知りませんでした。私は彼からしたら頭のおかしい単なるバカなのですよね。だから人を見縊って居ますよ。だから前に主治医に言ったんですよね。「私は心理学も哲学もある程度は判りますよ。そう言った書物文献を読んで居ますから。」そう言ったら物凄く吃驚して私の顔をまじまじと見たのですよね。それから暫く経って私は「先生、私は絵も描けますよ」と言ったら驚愕して居るのですよ。どれだけ人をバカにして居たかですね。私は今は疎遠に成ってしまった女性から「kiyasumeさん。そんな病院変えた方がいいんじゃない?生活保護になると病院変えるのも一苦労だからね」とアドバイスを受けましたが。まあねぇ、、精神病院はどこも同じですよね。実際に主治医からバカだと思われても仕方が無いぐらい。精神病患者は訳分からない人が多いからね。大体が皆んな人生を舐めて居る人が多いいですよ。前にblog記事に書いたけど。ナースコールを3分置きに押したり尿瓶に溜まったおしっこを捨ててくれと隣の私のべットまで持って来た大バカ野郎が居ましたしね。そいつはケア・マネージャーから「あんたは人生舐めて生きて来たんだから。今の結果があっても仕方が無いよね」と言われて居ましたよ。そいつは3階から飛び降りて両足を骨折したんだそうです。そして「気が狂ったらどうしよう?」と。そればかり言って居た。自分で気をしっかり持って居れば。気が狂うなんて事はありませんよ。

まあ、此処の処。幻聴は消えて居ますが。何時また振り返すか判りませんから。私が自分に課して居る事は。本当に人から蔑まれて罵倒されても決して怒らない事にして居るんですよ。前に通って居た美容室は大柄な美容師で美容師のくせに長髪を嫌い。私の着るものに難癖を付け出して皮肉を言い出し。横柄な態度を仕出して。でも私は怒りませんでしたけど。まあ、そいつは美容師では無く理髪師だったんですよね。最近は床屋だと言うと客が来ないので、美容室のふりをするかカット屋として生き残るかしか無いから。染色とパーマは理髪師でも出来ますからね。でも理髪師よりも美容師の方が、腕も確かだし最新の髪型を知って居ますよ。私が今通って居る美容室なんかは、腕は確かですよ。私はいい処が見つかったと喜んで居ます。前の処は57歳の理髪師が美容師に化けて居て。今度は50歳の若い美容師さんです。パーマと染色が上手くて。お洒落とは人との差異なんですよね。

例えばUNIQLO着て居ても。人との差異があるから。各自、お洒落に見えますよ。ファスト・ファッションは例えばGUにしても。最近はいい商品の服を出して来て居ますね。ただ私は最近では、もう、ヨウジ・ヤマモトとかコム・デ・ギャルソンとかの方に目が写って居て。最近では黒しか着て居ませんけどね。あとデニムを購入して居るのでデニム・ファッションをしようと思って居ますけど。それにブロークン・バッチ・デニムにブルースメンのサニーボーイ・ウイリアムソンのプリントTシャツにロックギタリストのジミーペイジのプリントTシャツ着ようと思って居ますよ。ああ、この間、要約チェスターコートの袖を詰めに行って。それとボタンを一つ追加して下さいと言いましたけどね。三千三百円でした。ああ、ボタン・ホイールは値段。後から請求されると思うけど。そんなにはしないはずですよ。後一着、安い3千円台の薄手のブレザー。多分中国製だと思うけど購入したら。ポケットがダミーなんですよね。ポケットに見えるけど使えない物なんですよ。だから、それもリフォームしてポケット付けて貰おうかと思って居ますよ。私が住んで居た町は物凄く開けて居るんですよ。いい街に越して来たと思って毎日楽しかったですよ。散歩に出掛けてもね......。今はその土地の隣にいます。駅で言ったら芦花公園です。此処も結構いい街ですよ。以上、近況報告でした.....。少し痩せました。

 

 

 

 

 

 

〜〜「欧州のプログレッシブ・ロック」〜〜

 

(プログレッシブ・ロックとは、ヨーロッパで、発祥したインテリジェンス・ロックであり。クラシックの影響を受けて居て。メロディーが綺麗で美しい曲が多いのです。プログレのバンドは世界中にいて、イスラエルのバンドなども独特な美しい旋律を醸し出して居ます。今回は動画もありますので。じっくり美しい曲を堪能して下さいね。)。

 

 

最近、プログレッシヴ・ロックを聴いて居る、まあ、一般的に云えば、キング・クリムゾンだとか、EL&P、イエス、ジェスロ・タルとかのブリティッシュ・プログレが有名だろうけど・・・。私は、最近はジャーマン・プログレだとか、イタリア、フランスのプログレを良く聴いています、、何も、ブリティッシュ・プログレが嫌いな訳ではなく、(物凄く好きですが・・・)

イタリアのバンドで国民的に圧倒的な人気を誇って居るイ・プーと云うバンドが最近来日した、、初期のメンバーはヴァレリオ・ネグリーニ(Ds)、マウロ・ベルトーリ(G)、マリオ・ゴレッティ(G)、ジルベルト・ファッジョーリ(B)、ロバート・キロット(K)の5人で、1966年にボローニャで結成されました。

4作目「オペラ・プリマ」でジャンフランコ・モナルディーによるオーケストラを交え、人生のほろ苦さを切実と歌い上げる作風を打ち出し「君をこの胸に」「ベニンシエロ」が大ヒットし、72年に発表した、「ミラノの映像」はゴールドディスクに成りました。それまでに、ロビー・ファッキネッティー(K),リッカルド・フォッり(B)が加入しているが、バンドのフロントマンだったリッカルドが脱退を表明しバンド存続の危機に見舞われるも、カムシカム・レッドに居たレッド・カンツィアン(B)の加入で此の難局を克服し、クラッシックに精通していたレッドは、此の後バンドの中核的存在となって行く事に成る。

此のメンバーで此の後、プログレ・ファンに絶大な人気を誇る「パルシファル」バンドとオーケストラの融合を果たした、クラシカル・シンフォ・プログレの傑作「ロマン組曲」「ミラノの騎士」を発表して行く事と成って行き、バンドとしての地位を築き挙げました。最近ではポップ路線の作品を発表しているらしいですが、私は最近のCDは、余り聴いて居ません・・・・。

彼らのコンサートはイタリアン・プログレッシヴ・ロックフェスティバルの一貫として、行われた物で、他にもニュートロルスーUK、レ・オルメ、ファルムラ・トレ、ロカンダ・デ・レ・ファーチ等が来日しました。


最後に巽 孝之氏の「プログレ哲学」から引用して書いて置きます。

現代的なプログレ・ユニットは代表的なロマン派詩人ウイリアム・ワーズワスやパーシー・ビッシェ・シェリー&メアリー・シェリー夫妻、それにウイリアム・ブレイクを愛読すると共に、代表的なモダニズム芸術家、イーゴル・ストランヴィンスキーやベーラ・バルドーク、それにレオシュ・ヤナーチェクへの傾倒を隠して居ない。プログレ・ロッカー達が、あれだけモダンなハイテク機器にコントロールされながらも、どこかしらロマンティックな天才神話の香りを漂わせて居るのはそう言う意味で必然的である。


オペラ・プリマ
クリエーター情報なし
ストレンジデイズ




パルシファル
クリエーター情報なし
ストレンジデイズ




ロマン組曲
クリエーター情報なし
ストレンジデイズ


Pooh - Parsifal (Opera Seconda Live 2013)

New Trolls - Cadenza - andante con moto (Concerto Grosso per i New Trolls) TR3 Parte 3

New Trolls - Andante (most dear lady) (Concerto Grosso N.2) TR3 Parte 8

New Trolls - Adagio (shadows) (Concerto Grosso per i New Trolls) TR3 Parte 2

日本語字幕:レ・オルメ/ノーヴァ

 

 

 

~~「私の好きなブルースと映画について」〜〜

 

まるっとジャンル解説「ブルース」入門

 

 

「Bluesは奴隷制が廃止され奴隷が解放される事によって生まれたものである。」とは、有る音楽評論家が云って居た事で有るけど、厳密に云えば、黒人が奴隷ではなくアメリカ人として認知され、自由人に成った、しかし、それなのに抑圧を受ける、そこで初めてBluesが生まれたと云えるのでしょう。ブルースの形態と云うのはアフリカの部族ダンスとワークソング、それにホラーが ヨーロッパの諸音楽と融合して出来たものですよね、

要するに「ブルー・ノート」の誕生でしょうね。1970年代、NHKで「シカゴ・ブルース」と云う、ドキュメンタリー番組が放映されました。

時はブリティッシュ・ロックの代等が著しく、1960年代半ば、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、特にストーンズが「フーチー・クーチー・マン」とかの、マディー・ウォ-ターズの曲をカバーして歌い、それがヒットし、アメリカに逆輸入され、ビートルズを始めに、ロングヘアーを、イギリスのロック・ミュージシャン達が流行させ、それが、後に、アメリカのフラワー・ムーブメント、ヒッピー文化へと発展して行く事に成ったのだけども、(当時ビートルズがアメリカ公演の為、アメリカに行った時の記者会見の模様を後で観ましたが、「君たち、それ、かつら?」「アメリカの床屋がストライキ起こしますよ、」とか、云われて居ましたね、)ストーンズのミック・ジャガーから、「俺らのやって居る事は、あなたたち、アメリカ人の黒人の音楽ですよ」と云われて、アメリカではそれまで、レース・ミュージックとして、Blues等の、黒人音楽は、白人はレコードを余り買わない風潮が有った見たいなのですが、この発言を受け、若者がレコード店にBluesを買いに走ったと言う話を聞いて居ます。それで、話は戻りますが、NHKの番組でシカゴのブルースクラブでの、バディ・ガイとジュニア・ウェルズの、アグレッシッブな、シカゴ・ブルースの演奏を初めて観た、日本人が、感銘を受け、特に、関西方面の大阪から、ウエスト・ロード・ブルース・バンド、ウイーピング・ハープ・セノウ&ヒズ・ローラーコースター等が出現し、その後、憂歌団、ブレイク・ダウン、サウス・トウ・サウス、ダウン・タウン・ブギウギバンド等の優れた日本人のミュージシャン達のブルース・バンドが出てくる事へと成りました。変わった処では、北海道から、スカイドック・ブルース・バンドとか(フェントン・ロビンソンのサムバディー・ロンミー・ア・ダイムを日本語に訳して演奏してました)

私は、当時、まだ、小学校高学年から中学生位でしたが、丁度、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、レッド・ツェッペリン、フォガット、ロリー・ギャラガー、ディープ・パープル。ZZトップ、クリーデンス・クリウォーター・リバイバル、シカゴ、ピンク・フロイド、イエス、クリーム、イ・プー、オルメ、タンジュリン・ドリーム、ジェスロ・タル、キング・クリムゾン(挙げてると切りがない(笑))等の、ロック・バンドに夢中になってましたが、高校生に成ってから、ギターを始めて、エリック・クラプトンのミュージック・ライフでのインタビュー・記事を読んで居たら、彼が、影響を受けた、ギタリスト達として、BB・キングやら、マジック・サム、フレディー・キング、オーティシュ・ラッシュ(此れも挙げてると切りが無いです)等から影響を受けて居る事を知り、矢張り、レコード店に走りました、始めに買ったのがBBキングの「ジャングル」と云うLPでしたっけ、しかし、そんなに、レコードを買う、余裕も無いので、当時、中村とうようの「Bluesの世界」と云う、ラジオ番組とか、Blues喫茶に入り浸り、とにかく、Bluesを聴きまくりました。そして、幾つものブルースバンドを作っては解散させ、まあ、、高校3年間はBlues一辺倒でした。大学に入ってからもバンド活動を続けてましたが、ギターは、jazzとBluesの融合を試み、挫折して(笑)ギターと同時にちょっとやって居た、Bluesharpをやる様に成りました。それから、障害を持つ事に成ってからは、バンド活動は出来なくなり、1980年代はjazz喫茶通いを始めました。1998年位まで今度はjazz一辺倒でした。始めはスイング、ビパップとかを聴いて居たのですが、世代的にズレるのですが、中上健次や白石かずこや唐十郎やら若松孝二、足立正生や相倉久人、等の個性的な芸術家とかインテリたちが1960年代後半から新宿文化の担い手として小説やら映画やらエッセイの作品でフリー・ジャズに言及して居る事を知り、フリー・ジャズにも、傾倒して行きました。その後、1998年頃から、又、Bluesharpを吹く様に成りました。

時代が結構、1970年代は、まだ、不安定でしたよね。海外ではべトナム戦争、パレスチナ問題、国内では、三島由紀夫の割腹事件、浅間山荘事件、シージャック、よど号ハイジャック、等、子供ながら、学校の帰りに、立ち喰い蕎麦を手繰りながら、「まだ、やってるのかよ、、」と浅間山荘の映像が蕎麦屋の14型のテレビに延々と映し出される映像を観て、ため息をついて居た事が思い出されます。後、映画は、洋画はフィルム・ノワール、アメリカン・ニューシネマ、マカロニウエスタン、邦画は黒沢 明、溝口健二、小安津二郎を始め、岡本喜八、坂本順治、若松孝二、市川 準等(此れも切りがない)を良く観てました、劇場で観たマカロニは「大西部無頼列伝」「荒野の無頼漢」は封切で観てます、あと、レオーネのドル三部作、「荒野の用心棒、夕陽のガンマン、続・夕陽のガンマン」は日暮里の三番館で後追いで中学の時、友人と観に行ってます。アニメも第一期アニメ・ブームでの手塚治虫のアニメラマ・三部作「千夜一夜物語、クレオパトラ、哀しみのべラドンナ、」の時は子供だったので、1970年代中場の、第二期アニメブーム、「宇宙戦艦ヤマト、」「銀河鉄道999、」その後の「ガンダム」、の洗礼を浴びた時に、矢張り後追いで、イメージ・フォーラムで「哀しみのべラドンナ」は観てますね、、それ以後、段々と、ハリウッド映画の「ランボー」、「ゴリラ」、辺りから、マッチョなスーパーマンが活躍する、1980年代以降のハリウッド主体の映画からアメリカ映画が嫌に成り、ロシア映画、やら、欧州映画を良く観るように成りました。1980年代以降は香港ノワール、アニメでは、「うる星やつら」で知った、押井 守が好きに成り、ハイファイ・ビデオの登場により、(それ以前のU・マチックは存在は知って居ましたが、買えようはずもなく、)映画はレンタルビデオの普及も相まって、色々観ましたね、、押井 守の映画で初めて観た、アニメ映画は「天使のたまご」でした、その後、「ビューティフル・ドリーマー」を観てから、以後「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」「イノセンス」等、実写では「紅い眼鏡」「アヴァロン」とか観捲り、そして、現在です。自分の歳を考えれば、アニメ?と云われそうですが、若い頃、マンガ家を志していた時期が有り、そんな事から、アニメ関係者の知り合いが出来て、本当は、そちらの業界に行こうかと思った時が有った物で、同い年の人から観れば、何だかと思われそうですが・・・・・

まあ、ざっと、Bluesブームを解説するつもりが、何だか、自分の話を書いて仕舞いまして、すみません、、

 

Freddie King - Same Old Blues

 

ROY BUCHANAN Ramon's Blues
 
BB King Montreux 1993 part 3
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
〜〜懐かし洋画館〜〜 (再掲載です。)。
 
傷だらけの用心棒 [DVD]
 
 

映画「傷だらけの用心棒」

ロベール・オッセン

今回はロベール・オッセン監督主演1968年製作の「傷だらけの用心棒(UNE CORDE, UN COLT)」を紹介します。

フランスのスター俳優ロベール・オッセンがフィルム・ノワールのティストを取り入れたマカロニ・ウエスタンだ。共演はフラン ソワ・トリュフォー監督「ピアニストを撃て」に出演した女優ミシェル・メルシエ「荒野の一つ星」でジュリアーノ・ジェンマと共演したセルジュ・マルカン「怒りの荒野」のベニート・ステファネッリ「皆殺しのジャンゴ」のリー・バートンが脇を固めて居る。

また当時アイドル歌手だったスコット・ウォーカーが主題歌を歌って居る。

セルジオ・レオーネに捧げられた「傷だらけの用心棒」
本作に登場する”ワイルド・ウエスト・ホテル”のフロントの男を演じて居るのは、”マカロニ・ウエスタンの父”と称される巨匠セルジオ・レオーネである….。と言う”誠しやかな噂”がある。本作の監督・脚本・主演を務めたロペール・オッセンはレオーネの旧友であり、エンドクレジットには「この作品をセルジオ・レオーネに捧げる」とのメッセージが登場。そして何より、フロントの男の風貌がレオーネによく似ている事などから、未だに広く信じられて居る噂である。処が、日本でDVD化した際の調査によると、フロントの男を演じて居るのはレオーネではなく、ポルトガル人俳優クリス・ヒュエルタであるそうだ。それでは何故、この様な噂が流れたのだろうか。レオーネの生涯を綴った「セルジオ・レオーネ 西部劇神話を撃ったイタリアの悪童(著者:クリストファー・フレイリング 訳:鬼塚大輔 発行:フィルムアート社)」によれば、レオーネは実際にオッセンからオファーを受け、ホテルのフロントマンを一度は演じたと言う。しかし、レオーネは自分自身の演技力に失望し「あの映画に出て居る自分の姿を見て、もう二度とやるまいと心に誓ったよ。馬の方が私よりも演技が巧みだったからね」とコメントして居る。この事から、一度は撮影したものの、本人の希望を受けたオッセンが、レオーネによく似たヒュエルタを起用し、同じシーンを取り直した….と言う可能性が考えられる。またオッセンは撮影現場に訪れたレオーネに、本編36分30秒頃から約3分にわたる食事シーンの演出を依頼。後に「レオーネは素晴らしい場面に仕上げてくれた。彼は矢張り、最高の監督だ」と言う感謝の言葉を残して居る。
(マカロニウエスタン傑作映画DVDプロダクションノート)

【ストリー】
嘗て愛した女マリア(ミシェル・メルシエ)に呼ばれて、無口で非情なガンマンのマヌエル(ロベール・オッセン)がやって来る。未亡人マリアの願いは、殺された夫の葬儀を執り行う事だった。夫の仇である牧場主の元へ用心棒として潜入したマヌエルは、牧場主の一人娘(セルジュ・マルカン)の誘拐に成功。可愛い娘を人質を取られた牧場主はマリアの要求通り、夫の葬式に参列する。血を流す事なく全てがうまく治まろうとしたその矢先、ならず者兄弟が人質の娘を奪い返そうとして、犠牲者が出る。早撃ちのガンマンとならず者たちの間で、血で血を洗う報復合戦が始まった。

 

題名:UNE CORDE, UN COLT/CIMITERO SENZA CROCE
邦題:傷だらけの用心棒
監督:ロベール・オッセン
脚本:ダリオ・アルジェント、クロード・デザイリー
撮影:アンリ・ペルサン
音楽:アンドレ・オッセン
現像:テクニカラー
出演:ロベール・オッセン、ミシェル・メルシエ、リー・バートン、セルジュ・マルカン、ベニート・ステファネッリ、ミッシェル・ルモアン、グイド・ロロプリジーダ。ダニエル・バルガス、ピエール・コレット、アンヘル・アルバレス
1968年イタリア・フランス/ビスタサイズ・イーストマンカラー87分35mmフィルム[日本劇場未公開]

 

 

この、ほぼ10分間の映像を見て下さい。「傷だらけの用心棒」のストーリーがあらかた全部解りますから、、

Une corde, un Colt... / Cimitero senza croc / Cemetery Without Crosses / 傷だらけの用心棒 (cover)

 

悲しみを誘うギターの旋律を醸し出して居る。じっくりとお聴き下さい。(The Rope and the Colt (1969)

 

Cemetery Without Crosses (Suite)

 

「傷だらけの用心棒」(UNE CORDE, UN COLT)

私はこの映画は、1980年代にテレビ東京の「2時のロードショー」で76分の短縮版を見た。そして、フレンチ・ノワールの感覚がする。このマカロニにはどこか惹かれた。しかしそれ以降。テレビでは完全版は見られなかった。だから2,000年頃になってドイツ版のビデオ・テープを取り寄せた。勿論ドイツからだ。税関の手続きやら何やらで時間が掛かり、そして金も掛かったが。おおよそ、ビデオ自体は6千円ぐらいで手に入れる事が出来た。購入して見るとスペインの表記があった。輸入盤のマカロニ・ウエスタン作品の映画のビデオ・ソフトは、ヨーロッパで何通りもバージョンがあり。輸入盤では無いがパイオニアCDから発売された、クリント・イーストウッド主演の「荒野の用心棒」のDVDなんかは、元のマスターがドイツ・バージョンの不鮮明な画質が暗い映像で、購入したが。昨年の秋口にBOOK・OFFにて処分して仕舞った。この「傷だらけの用心棒」は前回に紹介したジュリアーノ・ジェンマ主演のマカロニ・ウエスタン同様に異色な作品だ。ストーリーはこうだ。町を牛耳るロジャース一家に夫を殺された未亡人マリアに、ゴーストタウンに住むかつての仲間で訳ありのマヌエルは復讐を頼まれる。マヌエルはロジャース一家に取り入り娘ジョアンナを拉致。 マリアはジョアンナとの交換条件として夫の葬式をロジャースに出させて恥を掻かせるが。夫の兄弟絡みで話は一転二転する。ゴーストタウンでマリアとマヌエルが長々と見つめ合うシーンには泣ける。マリアがランプに火を灯すとそこにはロジャース一家が無言で立ち尽くすシーン。その後のマリアの運命を暗示して居る。マリアも殺されて仕舞うのだ。常にタバコを咥えるマヌエル。 右手に黒手袋をはめた時、拳銃が唸る 。カッコよすぎラストのゴーストタウンでのロジャース一家4人との決闘 。マリアの夫の為では無く。愛したマリアの復讐の為に驚きの早撃ちの左利きが拳銃を唸らせる。これでラストかと思ったらなんとジョアンナに撃たれるマヌエル。風が唸ってる効果音...。影の主役と言うかメインはマリアだ。渋すぎる。まるで西部劇版フィルム・ノワールだ。ラスト、セルジオ・レオーネに捧ぐのラストクレジットが入る。脚本はレオーネのウェスタンをベルナルド・ベルトルッチと共同原案の、のちの「サスペリア」等の監督ダリオ・アルジェントだ。
フレンチ・ウエスタンな気もする復讐劇マカロニ・ウエスタン。冒頭からセピア色の情景に始まり、何処かノワール的な仄暗い演出が光る。フラメンコ調のBGMや殺伐とした絵面が生み出す渋いムードが良い味を出してるし、役者が見せる無言の表情も哀愁に溢れていて秀逸。終盤の悲恋、その果ての決着と末路の虚しさにも心を掴まれる。本作は旦那を殺されたヒロインの存在感が素晴らしい。美しい風貌と大きな目が見せる鋭い眼差しが強烈な印象を与えてくるし、冷徹な復讐に身を捧げた悲壮感にもグッと来る。主役も渋い顔立ちながら目付きは穏やかなのがヒロインと対照的で面白い。銃を抜く前に手袋を嵌める所作もクール。ほろ苦い哀愁を纏っている魅力的な佳作だ。矢張りヨーロッパ映画。どこかシェークスピアを思わせる作りに.....。旦那を殺された女と孤独な殺し屋。嘗て、旦那と共に自分を愛してくれて居た男性である、今は殺し屋として生きて居る男との切なくも悲しい愛。今、佳作と書いたが。本場ハリウッド映画と比べてもその心理描写。男と女の報われない愛は胸を打つ。音楽もいい。確か劇中に流れるボレロ風なギターソロは、主演のロべール・オッセンのギタリストのお父さんの演奏です。こう言うムードがあるマカロニは最高です。私は好きな映画です。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Weblog」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事