コメントお願い致します。何でも書き込んで下さいね。。。。
日本のラジカセ専門店「DUBBY MAD」に外人が潜入して紹介、
ラジカセ・ギャラリー
以下、ラジカセの歴史を動画によって解説して居ます、勉強に成りますよ、、
「日本の大型ラジカセ紹介」
「日本の普及型ラジカセ」
日本の多機能性ラジカセ。
改造修理...。これ見て居て面白いですよ。是非,御覧下さいね、、
『嫌な美容室』
以前、髪は住んで居たアパマンの側にあった。行きつけの美容院に行って居た。まあ、2回行ったのです。染めるのとパーマ掛けに、一度にやってくれ無いので....。染めるのは自分でやれば良いと思いますか?しかし自分で染めるのは大変ですよ。だから3ヶ月に一度染に行って居る。その当時行って居た美容院、いや、美容室と言った方が良いかな.....。は、実家の側にある美容室で、値段が安いのですよ。染めるので6千4百円。パーマを掛けて8千円です。私はそこの美容師と良く話した。しかしその事で、随分と見縊られた様だ。そこの美容師は歳が60歳ぐらいだろうか?美容師でありながら、変に頭が凝り固まって居る。例えば私が長髪にパーマを掛けて居るのを、人とは違った変わった事をして居ると言う認識だ。毎回良くこう言われた、「人と変わった格好に何でするの?」そして髪をセットする時に必ず前髪を上にタスキあげて固める。私がオールバック気味は嫌だから、前髪を垂らしてくれと言うと「だってそうすると可愛く成って仕舞う」と言う。要するに親父精神の塊なのだ。そしてその時は染めるのとパーマを掛けるのと2度通ったが、段々といい気に成って来て居た。私のバッチワーク・シャツとバッチワーク・ジーパンを見て、「〇〇さんは何時もYシャツ姿だったのに・・・・」と言うのだ。そしてわざとこのボロ・ファッションをして居る事が解っては居無い見たいだ。何故なら私はファッション誌をパーマが掛かる間とか見て居るが、すると、横からこう言って来た。「ねぇ?此処に乗って居る服は皆35万はして居るでしょ?」だから丁度、ロックミュージシャンのプリント・シャツが1万7千円で売って居る記事が書いてあったので「高いな、矢張りこのぐらいはするんだなぁ・・・・」と呟いたら。人をバカにした目で見て居る。だから私は言った「この、今、着て居るTシャツは、ブルースマンのハーピスト、サニーボーイ・ウイリアムソンの写真を取り入れたプリントシャツだけども3千円ぐらいかなぁ、、」と言ったら。
「はは!たったの3千円?」と笑うのだ。私は古着屋で購入して居る。元は1万幾らかはする品物だ。そして上着代わりにして居る。デニム・バッジ・シャツは定価で1万6千円して居る物を古着屋で8千円で購入して居たのだが、それらを含めて古着屋で購入したと言ったら、「はは、、古着屋....。」と古着じゃ無いかと言いたそうに笑うのだ。要するに古着屋は誰も着なく成った古い服を売って居る、一般人からしたら、服が普通の値段で買え無い人たちが行く処、と言う認識なのですよ・・・。だからブロークン・バッチのシャツやらジーパンは、継ぎ接ぎだらけの誰も着そうも無いボロ服と思って居る人なのです。無知は怖いですねぇ・・・。古着屋は値段も確かに安いが、人は種類が豊富でブランド物の服が安く手に入り、尚且つ、色んな職種の、色んな年代の服やらズボンなどが豊富にあるので購入しに行くのですよ。例えば軍隊で着る服、俗に言うアーミー・ファションなど。イギリス軍のやらフランス軍、そしてアメリカ軍の物とカッコイイ服が一般人で手に入れる事が出来る。その他にも色々な職種の海外の服、ワーク・ファッションなどがあるのです。着古した古い一般の服では無いのですよ。私が今着て居る服装は、皆、ブランド物ですよ。それを古着屋で購入したと言ったら「人が使い古した捨てる様な服だろう」と思って言って居るのだ。バカか?何にも知ら無いで古着と言うだけで差別して来る。確かにこの美容室は安いし実家があった土地と言う事で通って居たが。もう行くのは辞めたのですよ。それで、多少高くとも、今、引越して来た土地にある美容室などに、行った方が良いのかも知れ無いと思った。アパートの直ぐ側にある美容室は値段もそんなに仕無いし。だから今はそこに行って居ます。人は無知な人が如何に多いか。そして如何に世の中を知らずに生きて居るか。お洒落は何も35万の服を着なくても十分出来ます。自分のやれる範囲内でやればいいだけです。だから美容院を変えました。。。
御大、ボビー・ブルー・ブランドとバックのリードギターはあのジョニー・ギター・ワトソンのアグレッシブな演奏のレコードです。このLPレコードは1976年当時1千5百円の破格版のレコードでした。名盤発掘シリーズでの1枚でしたね。今はもう手に入らないでしょうね。中古レコード屋からブルースが消えて無くなりましたから。このレコードでのジョニー・ギター・ワトソンはミッキー・べイカー寄りのフレーズでクールに弾いて居ます。やはり御大ブランドの歌がまたいいですねぇ。「ブルーズ」のレコードは1950年代から1960年代後半が一番名盤がありますよね。。白人のブルースロックは1960年代半ばから1970年代初頭でしょうかね。そのぐらいに名盤が可成り発売されて居ますよ。
古着屋で購入したジミーペイジの半袖Tシャツ.....。Σ(゚д゚lll)
此れボロ・ファッションに見えるだろうけど。上着で羽織って居るブロークンバッチ、Tシャツが1万8千円。中に着て居るサニーボーイ2世のTシャツがやはり1万3千円ぐらい。そしてバッチ・デニム・ジーンズが1万3千円ぐらいはして居るものです。まあ、私は是等を古着屋とネット通販で購入しましたが。この格好で。先程言った様に美容院に行ったら。そこの男の60歳の美容師がバカにする。バカにする。私は「こんなバカ居ねえなぁ〜。客をバカに出来るか?」とそこの美容院に行くのを辞めましたよ。大体が、そこのその美容師は男の長髪が嫌いでしてねぇ、人に「何で人と違う格好するの?」と聞いて来るのですから。人との差異がお洒落だと言う事が解って居なかった。人と同じ格好なら誰でもしますよ。私は安易に人と同じ格好はしたくはありませんから。だって、また言うけど人との差異それが個性でしょう。
美容師の癖に何も解っては居ない。是だから歳喰らったのはと言われるんですよね。俺より若いくせにね。しかし私はそこが美容室だとは疑って居ますよ。だって美容師が長髪を嫌いますかね?。そいつは美容師然とはして居ますが多分理髪師でしょうね。最近は床屋が看板を床屋とは挙げて居ませんからね。多分美容院に見せ方て居た床屋なんでしょうね、パーマと染色は床屋でも今は出来ますからね。飛んだペテンだったんですよ。ああ、此間暑かったので来て居たら訪問看護師の若い40代の子から「品物がいい、バッジ・ジーンズとバッジ・シャツですよね。これ高いでしょう。お洒落ですね。」と言われましたよ。判る人にはちゃんと判りますよね。ちなみに。今、通って居る美容室はどうだろうか?と思って昨年の秋口に、この格好では行って見たが。その服いいですねと褒められましたよ?ちなみに写って居る処はヤマダ電機です。1階のフロワーですね。昨年の春先に撮りました。まあ、そんな事でしょうか.......。
『ラーメン屋』
昨日は、漫才師が営業して居る。ラーメン屋に行って。広東麺と餃子を注文した。するとカウンターに座って居る70歳ぐらいの人が、店長に仕切りに話し掛けて居る。「おりゃ〜〜。10億、借金してよぉ〜〜。毎月4千万ずつ返済したんだ。いや〜、我ながら良くやったと思うよなぁ〜〜。」それ聞いて居た、店主が一言。「年金幾ら貰ってるの〜〜。」余りこう言った。金がある事を、ラーメン屋のカウンターで、店主相手にビールの飲みがら話すのは良く無いと思うのだが.....。
そう、昨日の夕食はラーメンを食べたんだっけ、、此処のラーメンは美味しいので有名だ。店名は「コント・ラーメン」と言う。色々とチェーン店を展開して居るので見かける事もあるかと思います。私の近場では京王線沿線沿いにあります・・・。
私が好きで応援して居る青木志貴ちゃん、、彼女は声優が本業ですが、その他にモデル、舞台俳優、歌手、自分のアパレル・メーカーのデザイナー、そしてコラムニスト、ゲーマー、YouTuberです。皆さんも応援、宜しくお願いしますね、( ◠‿◠ )
今日は近所の喫茶店でホットケーキとアイスコーヒーを飲みました、、
【GACKTの家族論】GACKT特別インタビュー by NORTH VILLAGE 北里洋平@マルタ共和国 GACKTの家族哲学「家事をしてくれたお母さんには給料を払え!」とは?
「ポーカーで勝つと言う事」
よく、ポーカーを運試しのギャンブルだと勘違いして居る人が多いが、それは違う。確かに1ゲームだけの勝負なら、ジャンケンの様な運のみに頼った勝負も出来る。しかしポーカーはゲーム数を重ねれば重ねるほど、最後は勝つべき人間が勝つ様に出来て居る。これって人生の縮図だ。ポーカーで強くなるには、駆け引き、読み、観察力、記憶力、表現力、勇気、グラフ、戦略、タイミング、リスク換算など、様々な要素が求められる。そして勝負はテーブルに座った瞬間から始まって居る。プロならば、ゲーム中盤あたりには、場に出て居るカードや、それまでの他のプレイヤーの特性、クセ、立ち振る舞いなどから、そのゲームにおける自分が勝てる確率、期待値、リスク換算を即座に算出し、勝負所でのみ仕掛けて来る...。
ポーカーにおいて、一番美しい勝ち方はショウダウン_(自分の手札を見せる事)をするまでもなく、自分が勝負を仕掛けた瞬間に、全員が白旗をあげて降参する勝ち方だ。ビジネスにおいても同じ事が言える。出会いの瞬間から、勝負は決まって居る。相手の好み、要望、性格、クセ、状況などを正しく観察して信頼を得られる行動とともに、流れ・本質・勝負所を見抜いて行く。そうすれば、例えば交渉の瞬間は、そもそも自分が仕掛けたタイミングとなるので、焦る必要も無い。此方の要望に相手が問答無用で応えるよう、完全なる勝負どころで仕掛けることが出来る。ポーカーをしっかり学べば、勝負事の流れと本質、そして勝つべくして勝てる勝負どころが見えて来る、ポーカーでもビジネスでも、テーブルについたらまず周りを見渡せ。そしてカモが見当たらなければ、すぐに席を立て。なぜか解るでしょうか?自分がカモなんですよ・・・・・。
「本番は頑張る」「いざって時はなんとかなんだろう」そんな言葉はクソだ。
段取りが95%本番はその結果。本番は頑張ると言う人は大概、気合だけが空回りして周りが見えず、他人に迷惑を掛ける。段取りが十分であれば緊張せずに本番に臨む事が出来良い結果を生む。また、不慮の出来事に対処できる余裕さえも生み出す。「いざって時はなんとかなる」などと期待をするな。本番の直前に意地で準備しても遅い、焦りを生むだけ。段取りは日々積み重ねて置くものだ。
自分の人生を変えようと挑戦して居ると、妬み、嫉みを持った、様々な奴が現れる。仲が良かった奴でさえ急に邪魔し始める事もある。そんな奴らの声には1秒たりとも耳を傾ける必要なし。足を引っ張ろうとする奴が仲間だった?親友だった?だからなんだ?そいつらが自分にとってなんのメリットがある。「誰が足を引っ張ろうとして居るのか?」そんなふうに疑心暗鬼になる前に、まずは自分がどう言う人生を歩みたいのか、宣言をしろ。努力して居る事を周りにいちいち言わなくてもいいが、どうしたいのか、どうなりたいのかは、明確に示せ。その上でバカにしてくる奴、鼻で笑う奴こそが今すぐ距離を取るべき人間だ。そんな奴らが、自分の物語に必要ですか???
日常には、様々な学びがある。学びを見つける視点こそが成長に繋がると思います。日々目にするものどんなものにもディテールやバックボーン、理由がある。それらに目を向け。考え、比較し、知識として吸収する。最も大切なのは、その学びの癖を付ける事。そうすれば、日々が学びの宝庫であり、成長の切っ掛けとなる。例えば私の事で申し訳ないが、私はよく音楽を聴く。何のジャンルでも聞く、そしてその音楽を演奏して居るプレーヤーたちの情報を自分で探す、具体的にどうするのかと言うと。昔ならレンタルレコード、CDを借りて聴いたり。また音楽情報誌。音楽喫茶に行ったりして情報を得て居た。
まあ、この分野は昔と比べるとだいぶ少なくなってしまったが、、今ならパソコンでググれば大量の情報が得られるはずだ。その情報をパズルの様に自分の頭の中にはめ込むのだ。私なぞは曲の題名などが解らない時、大概がクラシックだが、恥をかいてもクラシックの楽器を演奏して居る人に聞く。一番手っ取り早いからだ。それと、曲を聴きたい時などはストリーミングと言うよりは、YouTubeで探す。すると1発で聴く事が出来る。今は便利な世の中だ。パソコンとスマホさえあれば何でも調べる事が出来る。先ほども言ったがそんな私を鼻でせせら笑って来る奴が居る。大抵が楽器は何も出来なくて音楽の知識もない手合いだ。そう言う人は相手にしては居ない。
努力など、して当たり前。それを誇ってはならない。私は人一倍不器用だ。そして何かを習得するのに他人の何倍も時間が掛かる。しかし時間が掛かっても構わない。時間を掛けて習得した事は忘れにくいから。初めから能力のある奴など居ない。稀に最初から違う人も居る。東大生などだ。だがそんな人を羨ましがる時間があれば、少しでも自分の努力する時間に充てる。出来る様になるまで、他の時間を削ってでもやれば、必ず出来る様になる。出来る前にやめるから「自分は出来ない」と思い込む。出来るまでやるのだ。そうすれば必ず誰でも出来るはずだ・・・・・・。
この時代に、利益を得られるか否か。その差を分けるのはマイナス面をチャンスと捉えられる視点とそこからの行動力。つまりは「思考の差」と言う事になる。殆んどの人間が反射で動いて居る。朝決まった時間に起きて。顔を洗って、歯を磨いてご飯を食べて、学校や会社に行ってと言う反射だけの人生。それはつまり「何も考えて居ない」と言う事。しかし一つ一つの現実に対して。「こうあるべきだ」「こう動くべきだ」「こうしなければならない」そう言った具体的な行動をポジティブな思考と結びつける事が出来れば、すぐに結果が出なくとも。後に出て来る結果は大きく変化する。
思考と行動を繰り返した分、人生のプラスとして帰って来る。結果が出るのが数年後か、10年後かは解らない。しかし、そのタイムラグを恐れるな。それは必要な先行投資だ。何時の時代であろうと「成功者」と呼ばれた人はタイムラグを含めたサイクルを理解して居る。行動した先には、常に様々な壁がある。それらの壁を乗り越えた先で手にする結果を「成功」と呼ぶのならば、「成功」を手にするまでの回数を重ねる事でやがて「成功までのショートカット」が出来る様になって行く。何か発想が浮かんだ瞬間を、強く結果をイメージしろ。結果から逆算すれば、やらなければならない事が「最短距離」で把握出来る筈です。
勿論その道のりには苦しい事もあるが。常に結果に向かって歩く事を繰り返して行くと、発想が浮かんだ瞬間に「結果を手に入れた自分」が見える様になるし、そうなるまで何年を要するかは人によるが。いずれ、誰でもがそうなる。手に入れるまでは苦しいけども・・・・・。この考え方を持って居る限り物事は成就出来ると思う。最後に【歳を重ねる】ことと【歳を取る】ことは意味が違うと言っときます。「【歳を重ねる】とは、歳を増すごとに己の人生に一つ一つ責任を重ねていく生き方。【歳を取る】とは、歳を増すごとに己の人生から責任を一つずつ取り省いていく生き方。」「一見、【歳を取る】生き方の方が楽なように思えるが、【歳を重ねる】生き方をして居る人達の方が圧倒的な強さを手に入れられる。それは物理的、身体的な上でも精神的な上に於いてもだ。【やったぶんだけ自分に返って来る】と言う言葉は、いい意味においても悪い意味においても適用される。
自分に返って来る事がいい事だけの方がいいと思う。皆さん歳を重ねるとはよく言うが本当に歳を重ねて居る人は何人居ますか?殆んどの人が、ただ歳を取って居るだけですよ。私もいい歳の重ねかたはして来ては居ない。何故なら投薬によって頭が塞がれて居るからだ。今書いて来た事なども要約の事ですよね。まあ、この考え方はGACKT君の影響が可成りありますが。彼の思想と自分の考え方はぴったりと重なるんですよね。彼の人生哲学はショーペン・ハウアーの人生哲学とは正反対だ。そして、今まで私が読んで来た哲学書の言う事よりもより実践的だ。まあ、哲学では無い。実践哲学ですね。そして人生の指南書です。YouTubeでの彼の話を聞いて見て下さい。何で私が彼に入れ込むのかが解りますよ。いい事言って居ますから。
処で親戚縁者。近所の人たち。このblogを読んで居るのでしょう。私には解ります。「読んで居ないとでも思って居るのかねえ?」と思っては居ませんか?恵ちゃん。読んで居るでしょう?私にはよく解りますよ。でも誰も何も言って来ませんね・・・・・。所詮は人の事ですからねぇ、、訪問看護師の人たち。あなた方も読んで居ますね?まあねぇ、私のこのblogのアドレス聞いた子がしつこくてね。つい教えたから・・・・・・。喜んで見て居るでしょう?全て解りますよ。。。ゆきかずさんとけんじさん、あなた方も読んで怒って居ますよね。あんたら私に書かれた事をして来たんだろう。自業自得だよ......。
カミュ
「人生は無意味」それでも希望は生まれる
「自分の人生には、意味があるのだろうか?」
この悩みは、答えがなく、とても深刻なものです。しかも、この悩みは、一度取り憑かれるとずっと意識してしまうもの。『ペスト』『異邦人』などの名作小説を生み出した、フランスの作家・哲学者、アルベルト・カミュは、このような悩みを「不条理」として考えました。カミュは「不条理」を次のように定義します。
不条理と言う言葉が当てはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。
『シーシュポスの神話』
私たちの心には、ものごとを「なんとか説明したい」「コントロールしたい」という願望があります。しかし、私たちの生きる世界には、「どうしても意味がわからないこと」「コントロールできないこと」が沢山あります。例えば、自然災害、大規模な感染症の拡大、偶然起きた事故、自分が生まれた意味、などがそれに当たるでしょう。このように、何とかして「説明づけたい、コントロールしたい願望」と、どうしても「説明やコントロールができない現実」が対立する事を、カミュは「不条理」と呼んだのです。
不条理を生きる自由さ
「不条理」を意識すると、人は自分の人生の意味を見つけられずに苦しみます。それどころか、ありとあらゆる事が、「無意味」に感じられるようになります。
この「不条理」を解決するために、人は「自殺」しようとしたり、神や宗教に救いを求めたりします。しかし、自分の命を絶つ事は、何の解決にもなりません。神や宗教などに救いを求める事も、人間の考える力を放棄する事に過ぎません(哲学的自殺)。
では、カミュはどうすべきと考えたのでしょうか?
それは、「不条理を生きる」事です。確かに、人が生きる世界には、どうしても割り切れない理不尽な事や、意味が解らないような事があります。しかし、このような「不条理」、つまり、無意味さに立ち向かう(反抗する)事で、私たちは自分の事を絶えず意識するようになり、「自分なりの人生」を歩んでいこうと思えるのです。また、「不条理」は確かに、人生の意味を含めて、全てを無意味にして仕舞います。しかし逆に考えると、これはチャンスでもあります。なぜなら、自分を縛りつける一切のものも、無意味になるからです。いわば、我々は白紙に戻った世界で、自由に自分なりの意味を見出す事が出来るのです。
カミュは言います。
以前は、人生を生きるためには人生に意義がなければならぬのか、それを知る事が問題だった。ところが此処では反対に、人生は意義がなければないだけ、それだけいっそうよく生きられるだろうと思うのである。
確かに「不条理」は、人を不安にさせます。しかし、自分の人生の意味に正解など、そもそも存在しないのです。ゆるっとでも、不安を力に変えて、自分なりに考え続ける。その中で、この白紙の世界をほんの少しでも彩って行く。
それが出来れば、きっと素敵な人生だと言えるのでは無いでしょうか。
アルベール・カミュ(Albert Camus)1913ー1960
フランスの小説家、劇作家、哲学者。第二次世界大戦中に『異邦人』『シーシュポスの神話』などで注目され、戦後に発表した『ペスト』がベストセラーとなった。
kiyasumeのボロい部屋です