寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

愚痴と「人生の生き方」.......。

 

 

 

コメントお願い致します。何でも書き込んで下さいね。。。。

 

日本のラジカセ専門店「DUBBY MAD」に外人が潜入して紹介、

 

ラジカセ・ギャラリー

 

以下、ラジカセの歴史を動画によって解説して居ます、勉強に成りますよ、、

「日本の大型ラジカセ紹介」

「日本の普及型ラジカセ」 

日本の多機能性ラジカセ。

 

改造修理...。これ見て居て面白いですよ。是非,御覧下さいね、、

 

 

『嫌な美容室』

 

以前、髪は住んで居たアパマンの側にあった。行きつけの美容院に行って居た。まあ、2回行ったのです。染めるのとパーマ掛けに、一度にやってくれ無いので....。染めるのは自分でやれば良いと思いますか?しかし自分で染めるのは大変ですよ。だから3ヶ月に一度染に行って居る。その当時行って居た美容院、いや、美容室と言った方が良いかな.....。は、実家の側にある美容室で、値段が安いのですよ。染めるので6千4百円。パーマを掛けて8千円です。私はそこの美容師と良く話した。しかしその事で、随分と見縊られた様だ。そこの美容師は歳が60歳ぐらいだろうか?美容師でありながら、変に頭が凝り固まって居る。例えば私が長髪にパーマを掛けて居るのを、人とは違った変わった事をして居ると言う認識だ。毎回良くこう言われた、「人と変わった格好に何でするの?」そして髪をセットする時に必ず前髪を上にタスキあげて固める。私がオールバック気味は嫌だから、前髪を垂らしてくれと言うと「だってそうすると可愛く成って仕舞う」と言う。要するに親父精神の塊なのだ。そしてその時は染めるのとパーマを掛けるのと2度通ったが、段々といい気に成って来て居た。私のバッチワーク・シャツとバッチワーク・ジーパンを見て、「〇〇さんは何時もYシャツ姿だったのに・・・・」と言うのだ。そしてわざとこのボロ・ファッションをして居る事が解っては居無い見たいだ。何故なら私はファッション誌をパーマが掛かる間とか見て居るが、すると、横からこう言って来た。「ねぇ?此処に乗って居る服は皆35万はして居るでしょ?」だから丁度、ロックミュージシャンのプリント・シャツが1万7千円で売って居る記事が書いてあったので「高いな、矢張りこのぐらいはするんだなぁ・・・・」と呟いたら。人をバカにした目で見て居る。だから私は言った「この、今、着て居るTシャツは、ブルースマンのハーピスト、サニーボーイ・ウイリアムソンの写真を取り入れたプリントシャツだけども3千円ぐらいかなぁ、、」と言ったら。

 

「はは!たったの3千円?」と笑うのだ。私は古着屋で購入して居る。元は1万幾らかはする品物だ。そして上着代わりにして居る。デニム・バッジ・シャツは定価で1万6千円して居る物を古着屋で8千円で購入して居たのだが、それらを含めて古着屋で購入したと言ったら、「はは、、古着屋....。」と古着じゃ無いかと言いたそうに笑うのだ。要するに古着屋は誰も着なく成った古い服を売って居る、一般人からしたら、服が普通の値段で買え無い人たちが行く処、と言う認識なのですよ・・・。だからブロークン・バッチのシャツやらジーパンは、継ぎ接ぎだらけの誰も着そうも無いボロ服と思って居る人なのです。無知は怖いですねぇ・・・。古着屋は値段も確かに安いが、人は種類が豊富でブランド物の服が安く手に入り、尚且つ、色んな職種の、色んな年代の服やらズボンなどが豊富にあるので購入しに行くのですよ。例えば軍隊で着る服、俗に言うアーミー・ファションなど。イギリス軍のやらフランス軍、そしてアメリカ軍の物とカッコイイ服が一般人で手に入れる事が出来る。その他にも色々な職種の海外の服、ワーク・ファッションなどがあるのです。着古した古い一般の服では無いのですよ。私が今着て居る服装は、皆、ブランド物ですよ。それを古着屋で購入したと言ったら「人が使い古した捨てる様な服だろう」と思って言って居るのだ。バカか?何にも知ら無いで古着と言うだけで差別して来る。確かにこの美容室は安いし実家があった土地と言う事で通って居たが。もう行くのは辞めたのですよ。それで、多少高くとも、今、引越して来た土地にある美容室などに、行った方が良いのかも知れ無いと思った。アパートの直ぐ側にある美容室は値段もそんなに仕無いし。だから今はそこに行って居ます。人は無知な人が如何に多いか。そして如何に世の中を知らずに生きて居るか。お洒落は何も35万の服を着なくても十分出来ます。自分のやれる範囲内でやればいいだけです。だから美容院を変えました。。。

 

 

 

 

 

御大、ボビー・ブルー・ブランドとバックのリードギターはあのジョニー・ギター・ワトソンのアグレッシブな演奏のレコードです。このLPレコードは1976年当時1千5百円の破格版のレコードでした。名盤発掘シリーズでの1枚でしたね。今はもう手に入らないでしょうね。中古レコード屋からブルースが消えて無くなりましたから。このレコードでのジョニー・ギター・ワトソンはミッキー・べイカー寄りのフレーズでクールに弾いて居ます。やはり御大ブランドの歌がまたいいですねぇ。「ブルーズ」のレコードは1950年代から1960年代後半が一番名盤がありますよね。。白人のブルースロックは1960年代半ばから1970年代初頭でしょうかね。そのぐらいに名盤が可成り発売されて居ますよ。

 

 


 

古着屋で購入したジミーペイジの半袖Tシャツ.....。Σ(゚д゚lll) 

 

 

 

此れボロ・ファッションに見えるだろうけど。上着で羽織って居るブロークンバッチ、Tシャツが1万8千円。中に着て居るサニーボーイ2世のTシャツがやはり1万3千円ぐらい。そしてバッチ・デニム・ジーンズが1万3千円ぐらいはして居るものです。まあ、私は是等を古着屋とネット通販で購入しましたが。この格好で。先程言った様に美容院に行ったら。そこの男の60歳の美容師がバカにする。バカにする。私は「こんなバカ居ねえなぁ〜。客をバカに出来るか?」とそこの美容院に行くのを辞めましたよ。大体が、そこのその美容師は男の長髪が嫌いでしてねぇ、人に「何で人と違う格好するの?」と聞いて来るのですから。人との差異がお洒落だと言う事が解って居なかった。人と同じ格好なら誰でもしますよ。私は安易に人と同じ格好はしたくはありませんから。だって、また言うけど人との差異それが個性でしょう。

美容師の癖に何も解っては居ない。是だから歳喰らったのはと言われるんですよね。俺より若いくせにね。しかし私はそこが美容室だとは疑って居ますよ。だって美容師が長髪を嫌いますかね?。そいつは美容師然とはして居ますが多分理髪師でしょうね。最近は床屋が看板を床屋とは挙げて居ませんからね。多分美容院に見せ方て居た床屋なんでしょうね、パーマと染色は床屋でも今は出来ますからね。飛んだペテンだったんですよ。ああ、此間暑かったので来て居たら訪問看護師の若い40代の子から「品物がいい、バッジ・ジーンズとバッジ・シャツですよね。これ高いでしょう。お洒落ですね。」と言われましたよ。判る人にはちゃんと判りますよね。ちなみに。今、通って居る美容室はどうだろうか?と思って昨年の秋口に、この格好では行って見たが。その服いいですねと褒められましたよ?ちなみに写って居る処はヤマダ電機です。1階のフロワーですね。昨年の春先に撮りました。まあ、そんな事でしょうか.......。

 

 

 

『ラーメン屋』

昨日は、漫才師が営業して居る。ラーメン屋に行って。広東麺と餃子を注文した。するとカウンターに座って居る70歳ぐらいの人が、店長に仕切りに話し掛けて居る。「おりゃ〜〜。10億、借金してよぉ〜〜。毎月4千万ずつ返済したんだ。いや〜、我ながら良くやったと思うよなぁ〜〜。」それ聞いて居た、店主が一言。「年金幾ら貰ってるの〜〜。」余りこう言った。金がある事を、ラーメン屋のカウンターで、店主相手にビールの飲みがら話すのは良く無いと思うのだが.....。

 

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そう、昨日の夕食はラーメンを食べたんだっけ、、此処のラーメンは美味しいので有名だ。店名は「コント・ラーメン」と言う。色々とチェーン店を展開して居るので見かける事もあるかと思います。私の近場では京王線沿線沿いにあります・・・。

 

私が好きで応援して居る青木志貴ちゃん、、彼女は声優が本業ですが、その他にモデル、舞台俳優、歌手、自分のアパレル・メーカーのデザイナー、そしてコラムニスト、ゲーマー、YouTuberです。皆さんも応援、宜しくお願いしますね、( ◠‿◠ )

 

 

今日は近所の喫茶店でホットケーキとアイスコーヒーを飲みました、、

 

 

【GACKTの家族論】GACKT特別インタビュー by NORTH VILLAGE 北里洋平@マルタ共和国 GACKTの家族哲学「家事をしてくれたお母さんには給料を払え!」とは?

 

 

「ポーカーで勝つと言う事」

よく、ポーカーを運試しのギャンブルだと勘違いして居る人が多いが、それは違う。確かに1ゲームだけの勝負なら、ジャンケンの様な運のみに頼った勝負も出来る。しかしポーカーはゲーム数を重ねれば重ねるほど、最後は勝つべき人間が勝つ様に出来て居る。これって人生の縮図だ。ポーカーで強くなるには、駆け引き、読み、観察力、記憶力、表現力、勇気、グラフ、戦略、タイミング、リスク換算など、様々な要素が求められる。そして勝負はテーブルに座った瞬間から始まって居る。プロならば、ゲーム中盤あたりには、場に出て居るカードや、それまでの他のプレイヤーの特性、クセ、立ち振る舞いなどから、そのゲームにおける自分が勝てる確率、期待値、リスク換算を即座に算出し、勝負所でのみ仕掛けて来る...。

ポーカーにおいて、一番美しい勝ち方はショウダウン_(自分の手札を見せる事)をするまでもなく、自分が勝負を仕掛けた瞬間に、全員が白旗をあげて降参する勝ち方だ。ビジネスにおいても同じ事が言える。出会いの瞬間から、勝負は決まって居る。相手の好み、要望、性格、クセ、状況などを正しく観察して信頼を得られる行動とともに、流れ・本質・勝負所を見抜いて行く。そうすれば、例えば交渉の瞬間は、そもそも自分が仕掛けたタイミングとなるので、焦る必要も無い。此方の要望に相手が問答無用で応えるよう、完全なる勝負どころで仕掛けることが出来る。ポーカーをしっかり学べば、勝負事の流れと本質、そして勝つべくして勝てる勝負どころが見えて来る、ポーカーでもビジネスでも、テーブルについたらまず周りを見渡せ。そしてカモが見当たらなければ、すぐに席を立て。なぜか解るでしょうか?自分がカモなんですよ・・・・・。

 

「本番は頑張る」「いざって時はなんとかなんだろう」そんな言葉はクソだ。

段取りが95%本番はその結果。本番は頑張ると言う人は大概、気合だけが空回りして周りが見えず、他人に迷惑を掛ける。段取りが十分であれば緊張せずに本番に臨む事が出来良い結果を生む。また、不慮の出来事に対処できる余裕さえも生み出す。「いざって時はなんとかなる」などと期待をするな。本番の直前に意地で準備しても遅い、焦りを生むだけ。段取りは日々積み重ねて置くものだ。

自分の人生を変えようと挑戦して居ると、妬み、嫉みを持った、様々な奴が現れる。仲が良かった奴でさえ急に邪魔し始める事もある。そんな奴らの声には1秒たりとも耳を傾ける必要なし。足を引っ張ろうとする奴が仲間だった?親友だった?だからなんだ?そいつらが自分にとってなんのメリットがある。「誰が足を引っ張ろうとして居るのか?」そんなふうに疑心暗鬼になる前に、まずは自分がどう言う人生を歩みたいのか、宣言をしろ。努力して居る事を周りにいちいち言わなくてもいいが、どうしたいのか、どうなりたいのかは、明確に示せ。その上でバカにしてくる奴、鼻で笑う奴こそが今すぐ距離を取るべき人間だ。そんな奴らが、自分の物語に必要ですか???

日常には、様々な学びがある。学びを見つける視点こそが成長に繋がると思います。日々目にするものどんなものにもディテールやバックボーン、理由がある。それらに目を向け。考え、比較し、知識として吸収する。最も大切なのは、その学びの癖を付ける事。そうすれば、日々が学びの宝庫であり、成長の切っ掛けとなる。例えば私の事で申し訳ないが、私はよく音楽を聴く。何のジャンルでも聞く、そしてその音楽を演奏して居るプレーヤーたちの情報を自分で探す、具体的にどうするのかと言うと。昔ならレンタルレコード、CDを借りて聴いたり。また音楽情報誌。音楽喫茶に行ったりして情報を得て居た。

まあ、この分野は昔と比べるとだいぶ少なくなってしまったが、、今ならパソコンでググれば大量の情報が得られるはずだ。その情報をパズルの様に自分の頭の中にはめ込むのだ。私なぞは曲の題名などが解らない時、大概がクラシックだが、恥をかいてもクラシックの楽器を演奏して居る人に聞く。一番手っ取り早いからだ。それと、曲を聴きたい時などはストリーミングと言うよりは、YouTubeで探す。すると1発で聴く事が出来る。今は便利な世の中だ。パソコンとスマホさえあれば何でも調べる事が出来る。先ほども言ったがそんな私を鼻でせせら笑って来る奴が居る。大抵が楽器は何も出来なくて音楽の知識もない手合いだ。そう言う人は相手にしては居ない。

努力など、して当たり前。それを誇ってはならない。私は人一倍不器用だ。そして何かを習得するのに他人の何倍も時間が掛かる。しかし時間が掛かっても構わない。時間を掛けて習得した事は忘れにくいから。初めから能力のある奴など居ない。稀に最初から違う人も居る。東大生などだ。だがそんな人を羨ましがる時間があれば、少しでも自分の努力する時間に充てる。出来る様になるまで、他の時間を削ってでもやれば、必ず出来る様になる。出来る前にやめるから「自分は出来ない」と思い込む。出来るまでやるのだ。そうすれば必ず誰でも出来るはずだ・・・・・・。

この時代に、利益を得られるか否か。その差を分けるのはマイナス面をチャンスと捉えられる視点とそこからの行動力。つまりは「思考の差」と言う事になる。殆んどの人間が反射で動いて居る。朝決まった時間に起きて。顔を洗って、歯を磨いてご飯を食べて、学校や会社に行ってと言う反射だけの人生。それはつまり「何も考えて居ない」と言う事。しかし一つ一つの現実に対して。「こうあるべきだ」「こう動くべきだ」「こうしなければならない」そう言った具体的な行動をポジティブな思考と結びつける事が出来れば、すぐに結果が出なくとも。後に出て来る結果は大きく変化する。

思考と行動を繰り返した分、人生のプラスとして帰って来る。結果が出るのが数年後か、10年後かは解らない。しかし、そのタイムラグを恐れるな。それは必要な先行投資だ。何時の時代であろうと「成功者」と呼ばれた人はタイムラグを含めたサイクルを理解して居る。行動した先には、常に様々な壁がある。それらの壁を乗り越えた先で手にする結果を「成功」と呼ぶのならば、「成功」を手にするまでの回数を重ねる事でやがて「成功までのショートカット」が出来る様になって行く。何か発想が浮かんだ瞬間を、強く結果をイメージしろ。結果から逆算すれば、やらなければならない事が「最短距離」で把握出来る筈です。

勿論その道のりには苦しい事もあるが。常に結果に向かって歩く事を繰り返して行くと、発想が浮かんだ瞬間に「結果を手に入れた自分」が見える様になるし、そうなるまで何年を要するかは人によるが。いずれ、誰でもがそうなる。手に入れるまでは苦しいけども・・・・・。この考え方を持って居る限り物事は成就出来ると思う。最後に【歳を重ねる】ことと【歳を取る】ことは意味が違うと言っときます。「【歳を重ねる】とは、歳を増すごとに己の人生に一つ一つ責任を重ねていく生き方。【歳を取る】とは、歳を増すごとに己の人生から責任を一つずつ取り省いていく生き方。」「一見、【歳を取る】生き方の方が楽なように思えるが、【歳を重ねる】生き方をして居る人達の方が圧倒的な強さを手に入れられる。それは物理的、身体的な上でも精神的な上に於いてもだ。【やったぶんだけ自分に返って来る】と言う言葉は、いい意味においても悪い意味においても適用される。

自分に返って来る事がいい事だけの方がいいと思う。皆さん歳を重ねるとはよく言うが本当に歳を重ねて居る人は何人居ますか?殆んどの人が、ただ歳を取って居るだけですよ。私もいい歳の重ねかたはして来ては居ない。何故なら投薬によって頭が塞がれて居るからだ。今書いて来た事なども要約の事ですよね。まあ、この考え方はGACKT君の影響が可成りありますが。彼の思想と自分の考え方はぴったりと重なるんですよね。彼の人生哲学はショーペン・ハウアーの人生哲学とは正反対だ。そして、今まで私が読んで来た哲学書の言う事よりもより実践的だ。まあ、哲学では無い。実践哲学ですね。そして人生の指南書です。YouTubeでの彼の話を聞いて見て下さい。何で私が彼に入れ込むのかが解りますよ。いい事言って居ますから。

 

処で親戚縁者。近所の人たち。このblogを読んで居るのでしょう。私には解ります。「読んで居ないとでも思って居るのかねえ?」と思っては居ませんか?恵ちゃん。読んで居るでしょう?私にはよく解りますよ。でも誰も何も言って来ませんね・・・・・。所詮は人の事ですからねぇ、、訪問看護師の人たち。あなた方も読んで居ますね?まあねぇ、私のこのblogのアドレス聞いた子がしつこくてね。つい教えたから・・・・・・。喜んで見て居るでしょう?全て解りますよ。。。ゆきかずさんとけんじさん、あなた方も読んで怒って居ますよね。あんたら私に書かれた事をして来たんだろう。自業自得だよ......。

 

カミュ

「人生は無意味」それでも希望は生まれる

「自分の人生には、意味があるのだろうか?」

この悩みは、答えがなく、とても深刻なものです。しかも、この悩みは、一度取り憑かれるとずっと意識してしまうもの。『ペスト』『異邦人』などの名作小説を生み出した、フランスの作家・哲学者、アルベルト・カミュは、このような悩みを「不条理」として考えました。カミュは「不条理」を次のように定義します。

不条理と言う言葉が当てはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。

『シーシュポスの神話』


私たちの心には、ものごとを「なんとか説明したい」「コントロールしたい」という願望があります。しかし、私たちの生きる世界には、「どうしても意味がわからないこと」「コントロールできないこと」が沢山あります。例えば、自然災害、大規模な感染症の拡大、偶然起きた事故、自分が生まれた意味、などがそれに当たるでしょう。このように、何とかして「説明づけたい、コントロールしたい願望」と、どうしても「説明やコントロールができない現実」が対立する事を、カミュは「不条理」と呼んだのです。

不条理を生きる自由さ

「不条理」を意識すると、人は自分の人生の意味を見つけられずに苦しみます。それどころか、ありとあらゆる事が、「無意味」に感じられるようになります。

この「不条理」を解決するために、人は「自殺」しようとしたり、神や宗教に救いを求めたりします。しかし、自分の命を絶つ事は、何の解決にもなりません。神や宗教などに救いを求める事も、人間の考える力を放棄する事に過ぎません(哲学的自殺)。

では、カミュはどうすべきと考えたのでしょうか?

それは、「不条理を生きる」事です。確かに、人が生きる世界には、どうしても割り切れない理不尽な事や、意味が解らないような事があります。しかし、このような「不条理」、つまり、無意味さに立ち向かう(反抗する)事で、私たちは自分の事を絶えず意識するようになり、「自分なりの人生」を歩んでいこうと思えるのです。また、「不条理」は確かに、人生の意味を含めて、全てを無意味にして仕舞います。しかし逆に考えると、これはチャンスでもあります。なぜなら、自分を縛りつける一切のものも、無意味になるからです。いわば、我々は白紙に戻った世界で、自由に自分なりの意味を見出す事が出来るのです。

カミュは言います。

以前は、人生を生きるためには人生に意義がなければならぬのか、それを知る事が問題だった。ところが此処では反対に、人生は意義がなければないだけ、それだけいっそうよく生きられるだろうと思うのである。

 

確かに「不条理」は、人を不安にさせます。しかし、自分の人生の意味に正解など、そもそも存在しないのです。ゆるっとでも、不安を力に変えて、自分なりに考え続ける。その中で、この白紙の世界をほんの少しでも彩って行く。

それが出来れば、きっと素敵な人生だと言えるのでは無いでしょうか。

アルベール・カミュ(Albert Camus)1913ー1960

フランスの小説家、劇作家、哲学者。第二次世界大戦中に『異邦人』『シーシュポスの神話』などで注目され、戦後に発表した『ペスト』がベストセラーとなった。

 

 

kiyasumeのボロい部屋です

 

 

kiyasumeの所蔵の書籍の一部です。。。。

 

 

 

 

kiyasumeが17歳の高校の頃、今から46年前に書いた漫画です、下手ですが、、、

 

『僻み嫉み妬み』

 

昨日、弁当を持って来る宅配の中年男から「あんたさぁ、何故長髪なの?気取ってやってる訳?何格好付けてるの?」と言われたので。人は違うけど。これで2度目だったのでね。「ゴラァ!!貴様。俺に喧嘩売ってるのか!買ってやろうじゃねえか!!そこで待ってろ。今表に出て行くから。ぶん殴ってやるよ!!」と言ってサンダルに足を掛けたら。唖然と立って居て、大きな声で「すみません!!すみません!!、気になったものですから、つい言って仕舞いました!、許して下さい💦。」と言う。

私は「この事はあんたが働いて居る会社の人事部に言うからな!!。」と言ったら「勘弁して下さい!!私はこれしか職がないから、、」と言うのですよね。私はこう言いました。「前にも言われたけど。あんたら俺が歳幾つだと思ってるんだ?」と言うと。「まだ若いと思いますけど、、、」と言うので「あんたは歳幾つ?」と聞いたら「54歳です」と言うので「俺は63歳だ!!」と怒鳴ったら「ええ、、そんなに歳言ってるのですか。私は45歳ぐらいだと思ったから・・・・」だから言ったんですよ。

「人が長髪にして居るのも。あんたらからしたら、気に喰わない服着て居るにしても全部俺の勝手だ!!」「大体が客商売だろ?あんた、これしか仕事が無いなら無いなりに真面目にやれ!!今度言ったら契約取り消すだけじゃ済まさねぇぞ!!」そして最後に「あんたの名前を言え!!」と凄んだら。「もう、判りました!。2度と言いませんから勘弁して下さい.....。」と頭を下げるので。弁当を受け取ると何も言わずに鍵を閉めた。それ以来。弁当を持って来ても出ません。外には弁当を入れる箱が置いてあるから。他の配達員も皆そこに置いて行く。その男は小柄で頭が真ん中禿げて居て、要するに僻みだろうに。本当にバカが多い。最近は日本人の質がドンドン下がって落ちて行きますね。前にも言われたけど。

その時も「あんた一体何な訳。何でそんな格好して居るの?何故。髪、長髪なの何して居るの?ミュージシャンな訳。それともカッコ付けてるだけな訳?何な訳!!」そう言われたから「ミュージシャンですが何か?どんな格好してようが髪が長かろうが。あんたから言われる筋合いは何も無いですよ。他に何が言いたいのですか?何が聞きたい訳?」と言ったら「根掘り葉掘りお聞きしまして。すみませんでした.....。」と言うのですよね。それでもう、そう言う事は言う人は居ないだろうと思って居たら。またですよ。要するに全部、自分の劣等感から来る僻みなのですよね。私は自分よりセンスがいいなぁと思えば。その人に好意的に接しますが。人は違うらしい。自分よりセンスがいいとすぐに僻むし。もしくは変わった格好をして居ると嵩に着てバカにして来るのですね。最近は金は取られるし、物は無くなるし、いい加減に頭に来て居ますよ。

 

 

ジュリー~巴里にひとり

 

 

 

 

『テレビ』

 

此間。テレビの音声がテレビ台に付いてあるステレオとスーパー・ウーファーから出なくなって、ジャパネットたかたに電話を掛けた。お姉さんが出て初めは多少強気に。つっけんどうに話して居たが。私は優しくゆっくりと話して症状を言った。そうしたら相手も人間だ。要約。気持ちが落ち着いたのか。優しい女性の声になって話し始めた。私は「お金は掛かっても直したいから」と言ったら。「テレビの場合は長期保証(5年保証)に入って居るからタダだけども。でも内部の複雑な故障の場合は実費が掛かる場合があるけど、いいですか?」と言われたので「いいですよ」と言ったら。すぐにテレビ・メーカーのシャープに連絡を取って「明日には行けないけど明後日の日曜日が最短で伺える」と言うので。「それでいいですよ」と明るく言った。

そうしたら優しい声になって「有難う御座います」と言うので。「此方こそ、有難う御座います。ご迷惑をお掛けしまして」と言ったら。「いえ、いえ、此方こそすみません」と言って電話は切れた。要するに客だと言っては特に、ジャパネットたかたの場合は。日本全国から文句の電話が掛かって来るのだろう。最近の若い女の子はそれに耐えられないのだろうね。やはり強い口調で「壊れたじゃ無いか!!どうしてくれるんだ弁償しろ!!」だとか言う奴も居る事だろう。それにこのコロナ禍だ。皆んな苛立って居る。こんな時にこそ皆んなで助け合わなければ行けないのにね。私は都会のしかも東京の人間だが。地方の人情味溢れる人たち。素朴に生きて居る人たちが好きですよ。地方の人は東京人は冷たいと思うのだろうけど、決してそんな人だけでは無いですよ。特に下町に行くといまだに人情味がある人たちが暮らして居るし。

 

「原宿」「代官山」「銀座」などは高級な店が連なってあるが、サービスはいいですよ。残念な事に「新宿」は駄目になってしまったが。この近辺なら下北沢がいいですね。そして私の住んで居る街。どこだかは言いませんが。この街はいい街ですよ。それとスクランブル交差点でよくテレビに映る渋谷もいい処ですね。ああ、地方の人が多く居ますよね。でも物事は考え様で。今は、地方に住んで居ても。店屋が周りに何も無くても、パソコンが1台あれば、ネットで買い物が出来ます。Yahooオークション。メルカリ。そしてAmazonなどで購入すれば翌日には品物が届きます。遅くても二日後には届くし。私の街にはヤマダ電機があるけど。もう、扇風機購入しただけで買いに行こうとは思いませんねぇ、店員の教育が丸でなって居ない。客をバカにして店屋が通用するのか?だから何時も客が殆んどと言うか、誰も居ないでは無いか。

私は扇風機はAmazonで購入しようとしたが。4千円とか高くても6千円ぐらいで如何にも、ちゃちく見えたから。現物を見にヤマダ電機に行ったのですよ。そうしたら1万3千円はしたがデザインが格好良くて、機能的にも良い物があったので、それにしたのですよね。店員は中国系の若い男で。私が若作りの服を着て行ったからバカにしたのだろう。「ちゃんと保証書取っとけよバカヤロー」と言われましたよ。私は、「客にバカヤローだと?何、日本で働いて威張って居るんだ。このバカヤローが!!」と反対に思ったけどね。ああ、話がそれました。それでテレビ台の修理です。しかし、このテレビ台はジャパネットたかたで購入したものでは無いのですよね。それを頼み込んで。ジャパネットたかたに。メーカーに連絡を入れて貰ったのですよ。そうしたら日曜に朝電話が掛かって来て。6回、鳴ったので出たら切れて居てもう掛かっては来ない。

 

「おかしいなぁ、シャープのサービスマンだろ?」と思って居たら。午後3時になったらやって来た。58歳ぐらいの小男で、なんだかうだつが上がらない様な仕草をして居るので、中に入って貰ってテレビから見て貰ったら。テレビの音声が出るから故障では無いと言い切る。私はテレビ台がやはり故障かと思ったが。「待てよ」?と思って「設定見てくれませんか?」と言ったら「テレビのリモコンはどこにあるのだ」と言うので、渡したらリモコンの設定ボタンを押して。テレビ画面に設定の一覧が液晶画面の下に表示された。その時にテレビ台のステレオの設定がオフになって居たのを見つけて言ったら。その修理人が設定をオンにしたらテレビ台から重低音のステレオとスーパーウーハーの音が出たのだ。私は「設定がどう言う訳か、オフになって居たからか?」と思ったが。肝心のテレビの4番目のポートに刺してあるブルーレイ・レコーダーからの音が出ない。そうしたらもう一台の3番目のポートに刺してあるブルーレイ・レコーダーからの線を外して、そこに4番に刺してあったブルーレイ・レコーダーを繋げて見たら音が出るのですよ。

要するに。線が断線して居るのでも無い。テレビ台の設定がオフになって居る上に4番目のポートが壊れて居るのですよね。それでテレビの修理になった。裏に回ってテレビの蓋を開けて。デジタル基板を外して真新しいものに取り替えた。しかし相変わらず4番目のポートからは音が出ないのです。もうやりようが無い。私は諦めた。前に来た。サービスマンの修理人は黒いスーツに白いワイシャツを着てアタッシュケースを持ってやって来て。その時は1番目のポートから音が出なかったが完璧に直して行って。尚且つYouTubeも観られてNetFelixも見られる様にしてくれたが。今度来た修理人の歳が行ったサービスマンはシャープのパーカーを着込んで居て、そして解らない見たいだった。そして何の設定もしてくれなかった。

私は前に1つのポートに4つのポートを繋げるセレクターを購入して使って無かったから。それを3番目のポートに繋げて2台のブルーレイ・レコーダーを繋げるか。それとも3番と4番に繋いである線自体を、見る度に3番に差し替えるか。その修理人はそうすればいいと言っては居たが。要するに直せないのですよ。歳を取ると、経験を幾ら積んで居ても最新鋭の電化製品には疎いのですね。ただステレオとスーパーウーファー付きのテレビ台はもう製造中止らしくて。私が使って居るものは古いんだそうです。そう言えば今のテレビは液晶画面自体が振動してステレオと重低音が出るものが売り出されて居る。私が購入したテレビは今から3年前のですから。その時に既に発売してから1年は経って居たから、4年前の4k対応テレビなのですよね。私はこのテレビは映らなくなるまでは観ますよ。今は4k対応テレビはもう売って居なくて。4kチューナが3機ぐらい搭載されて居る4kテレビが売って居ますね。

今はジャパネットたかたでは東芝のレグザが売って居ますよね。そして、今は、もうケーブルテレビは古いのですよね。まあ、私のアパートのベランダは広いからCS/BSパラボナ・アンテナが繋げられるから。今度テレビを買う時は・・・・と言っても。なかなか買えないか・・・・。そして何故テレビ台の設定がオフになって居たのかが不思議だ。多分ヘルパーが足でリモコンを踏んだか私が自分で踏んだのだろう。それでスイッチが切れたのだろうね。ただ「4番目のポートが使え無いのはケーブルテレビの電波が、影響して居る可能性がある」と、その修理人は言っては居たが。今まで何とも無かったのだから。テレビのポートが壊れて居るのだろう。直せなかったのだろうね。歳は取りたく無いものですね。今の時代。自分から色々と勉強して行かないと、対応がすぐに出来なくなりますよ。最近の時代の変遷は凄まじく早いですからね。勉強して居ないと置いてけぼりにされます。そう言って居たら、突然4つ目のポートに繋げてある、もう一台のブルーレイ・レコーダーが映り音声もテレビ台から出る様になった???。一体何なのだろうか......。

 

 

 

 

昨日、ヘルパーのおばさんが手術後初めて訪問した。私は「手術成功おめでとう御座います」と言ったら喜んで居た見たいだ。そして、今回は彼女に、洋服の整理を頼んだ。前に他のヘルパーの人に洋服を入れるラックを組み立てて貰ったから。その、ラックに服を入れて貰ったのです。だが押し入れから服を出して見ると「あれ?なかったと思ってシャツ購入したら、、4枚もあった!!」と言うことが続出した。そのヘルパーのおばさんからは、「kiyasumeさんは服趣味で集めて居るから、大体が色々購入しても。一部の服をずぅーと来て居て他の服着ないじゃない?」と言われたので、「いや、何時も同じ種類の服だけども着替えて居るのですよ?」と言った。そうなのだ。私は同じシャツだとか複数枚持って居る。だから、取り替えても何時も同じ服着て居る様にしか見えないのですね。

ただ確かに、色々買い込んでも。今の所、そんなに他の服は着ない。大体が夏は暑い。最近では秋が無い。10月も半ばぐらいに成らないと気温も20度ぐらいには成らないのですよね。勝手、あの日本が誇る映画監督「小津安二郎」が何時も同じ服を着て居るので不思議がった女優が、彼の家に呼ばれて彼がトイレに行った隙に、彼の居間に行って大きな洋服ダンスのクローゼットを開けたら。なんと同じ上着と同じシャツと同じズボンが沢山掛かって居たそうで。吃驚したそうです。まあ、オシャレとは、そうしたモノだと私も思って居る。そして私は今は黒が好きなので。黒い色の服を着込んで居る。今は夏だが黒いYシャツと黒いパンツ。そして黒いロング・ベストだ。この黒いロング・ベストは、冬用のモノと、夏用のモノを持って居る。だから夏は夏用の薄いモノ。冬は冬用の厚いモノと分けて着こなして居ます。大体が私がお洒落になったのは此処3年ぐらいです。

60歳ぐらいの時に思ったんです。「俺も生きても後12年ぐらい。いい事なんざ、何があったんだろう...。此の儘。死ぬのは余りにも惨めだ」と。だから、「もう失った時間は取り戻せないけど。金も無いから贅沢も出来ないけど。せめてお洒落をしよう。私は若く見られる。だから若作りをすればジジイには見られない筈だな・・・・。」だから40代の頃に長髪にして居たのを思い出し。60歳から長髪にまた仕出した。有難い事に頭は禿げては居ない。よくこう言われる。「kiyasumeさんは歳の割に髪が有るから長髪が出来るんだよ」まあ、素直に認め様。63歳ぐらいになると、禿げる男も居るのです。だから中年の男から僻まれるし、やっかみを言われる。若者からは好意的に何時も見られて居ます。でも、もう70歳まで、禿げるまでは私は長髪です。禿げたらウイッグを被ります。勿論長髪のね・・・・。

前にある女性に、青木志貴ちゃんの本を見せたら、「この子は顔が綺麗だから相手にされて居るだけだ。ブスだったらこんな子誰も相手にしないよ!!」と言われた。私は呆れると同時に、こんな事を言われる志貴ちゃんを可哀想にと思った。彼女が何をした。彼女がどれだけの虐めに遭って迫害されて、自分でどうにかして、今の地位を得たのかも知らないでよくも言えた。こう言う醜い心根を中年の女性は持って居る。男性だって同じだ。自分より少しでもカッコイイ男やら。カッコイイ服装をして居ると嫌味を言い出す。心根が腐って居る連中がどれだけ居るか。まあ、女性は現実的で。男はロマンチストが多いとは思うけど・・・。私は勝手、アラン・ドロンが好きだった。彼は絶世の美男子だった。この記事を読んで居る方で彼の事を知らない人も居るだろう。彼は若い頃は子供の頃に母親に死別されて、子供の施設に送られて居た。そしてその後里親に育てられ、彼は厳格な寄宿学校に幽閉された。彼はそこを飛び出して。それ以後イタリアのシシリー島のマフィアのボスに可愛がれて、使い走りをして大人になり。彼に寄ってくる女の子たちと懇意になり。ある女優が彼をカンヌ映画祭に連れて行った処。映画プロデューサーの目に留まり。そしてフランス映画界の巨匠。ルネ・クレマン監督の映画「太陽がいっぱい」で一躍有名になった。

私は醜男だ。だから尚更、美男子でカッコイイ彼に憧れた。そして彼の着こなし。トレンチコートの襟を立てる事だとかを真似た。彼も、もう86歳になる。彼の経歴を書いて置きます。「仏パリ近郊の町ソーに生まれる。里親に育てられ寄宿学校を転々とする子ども時代を送り、17歳で仏空軍に入隊。除隊後、様々な職を経て、57年の「女が事件にからむ時」でスクリーンデビューする。「恋ひとすじに」(58)で初主演を務め、ルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」(60)で一躍世界的なスターになる。以降、ルキノ・ビスコンティ監督の「若者のすべて」(60)や「山猫」(63)、クレマン監督の「生きる歓び」(61)、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「太陽はひとりぼっち」(62)で次々と主演を務め、「地下室のメロディー」(63)では仏スター俳優ジャン・ギャバンと共演。66年の「テキサス」でハリウッドデビューしたが、まもなくフランスに戻り、名作「サムライ」(67)に出演する。69年にはボディガードが射殺され、殺人容疑をかけられる大スキャンダルが発生したが、後に容疑は晴れた。その後も「パリの灯は遠く」(76)などがヒットし、初監督作「危険なささやき」(81)では製作・主演も兼ねた。「真夜中のミラージュ」(84・日本劇場未公開)ではセザール賞主演男優賞を受賞。98年の「ハーフ・ア・チャンス」を最後に引退宣言をしたが、00年に復帰しTVドラマ「アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ」(03~04)などに出演する。最初の妻ナタリー・バルテルミー(後のナタリー・ドロン)との間に生まれた息子アントニー・ドロン、2番目の妻との息子のアラン=ファビアン・ドロンも俳優になった。」

私は男の男優は、勿論渋めの人も好きだ。イブ・モンタンだとか。リノ・ヴァンチュラ。ジャン・ギャバンとかの渋めも好きだ。最近ではジャン・レノとかも。最近の男優で好きなのはヒュー・ジャックマンとかだ。そして日本では福山雅治とか井浦新とか木村拓哉。亀梨達也そしてGACKTだ。古い処では仲代達也。三船敏郎。原田芳雄。石原裕次郎などですね。人は色々言うのですよ。私などでさえ、こうやってblogをハッキングされて居る。顔を見せて居るのも一つの要因だろうとは思うが。アラン・ドロンは私のフランスでの永遠の兄貴です。

 
 
 
Alain Delon - tourner dans le vide |
 
À Toi .. Joe Dassin " Alain Delon and Dalila"
 
Alain Delon and Sonia Petrovna in “INDIAN SUMMER” 1972 |
 
ALAIN DELON in D'URBAN/Part2
 
原田芳雄の刑事ドラマ。(桃井かおり、原田芳雄、世良公則 1981年)
 

 

今回は以上です。。。此処まで読んでくれてありがとう。。。。

コメント一覧

kiyasume
カミュが言う処の世の中を生きる事とは、それは、
「不条理を生きる」事です。確かに、人が生きる世界には、
どうしても割り切れない理不尽な事や、意味が解らない
様な事があります。

また、「不条理」は確かに、人生の意味を含めて、全てを無意味にして
仕舞います。しかし逆に考えると、これはチャンスでもあります。
何故なら、自分を縛りつける一切のものも、無意味になるからです。

そしてカミュは言います。人生意義が無い事から自由に生きられるの
ですよと・・・・・・・・。

この問いは、結構いい問いだと思いますよ、、
まかろんさんは問いの立て方が、、

「何故」は意味がない問いの立て方なのだと....。

>生きる意味を問いたくなる心の根底は、
“身体”という赤子を強制的に抱えさせられて、この物質世界に
縛り付けられている苦しみにある、と思うと・・・・。

まかろんさん的な、凄まじい生き様をして来た人の人生観だと思います。

そして先ず、怒れと、怒れば人生の問いも出て来るし、生きる理由も
解って来ると、、確かに話しは別な話になりますが・・・・・・・・・・。
今から18年前に、私は嫌がらせを続ける従兄弟に対して、もうコイツらは
これまでだ!!と思いました。私は包丁を自宅から2本鞄に入れて、、

会社に持って行き、包丁が入って居る鞄を開けて居ました、、
それを見たバカ社員たちは近寄って来なくなり・・・・・・・。

私はその包丁を両手に持って翳して倉庫の椅子に座って
けんじ、ゆきかず、さあ、早く入って来いと待って居ました。
けんじがそれを見て、「おい、、あれ!!」と言って青ざめて、ゆきかずに
言った見たいでした。それ以来あいつらの私に対する嫌がらせは
ピタリと止まりました。けんじなどは、それ以来、私に陽気に話しかけ
私を持ち上げる様になりました・・・・・・・。

私はもし倉庫の部屋の中に入って来たら、従兄弟を刺し殺そうと
思って居ましたからね・・・・・・・。

そして、こう言った捨て身の行動に出たから、相手は嫌がらせだけ
は辞めました、ゆきかずなどは、それ以来、2度と倉庫には入っては
来ませんでした・・・・・・・・。

確かに怒る事は一つの問題提起になりますよ・・・・・・・。

まあ、ゆきかずとけんじが入って来て居たら私は二人を刺し殺して
居ただろうから、、今頃は刑務所の中でした、そう考えると・・・・。

生きる意義を感じる為には、まかろんさんが言う処の、、
怒りの問題提起の問いは、確かに人にその事自体を
考えさせますよね・・・・・・。

そして怒りは止まらずに。親父の葬式の時にゆきかずを殺して
やるとばかりに般若の顔をして睨み付けて居たら。
あいつと奥さんはガタガタ震えて居ました・・・・・・。

でも、その時だけなんですよね。あいつらはバカだから喉元すぎると
なんやからですよ・・・・・・・。

怒ると言う事。此れは究極な問題提起になりますよね。。。
なんだか、また。意味不明な返信文と成って仕舞いましたけど、、

さてと、先程書いた様に、、ダイエット、、1日1食にしなければなりません、、
ただ弁当が昨日の分がまだあるので、、今日の朝来た分は、箱から
出さずに居ます。そうすれば、明日の朝に持って来た時に、今日の朝に
持って来た分を其の儘、外の箱から出さなかったら、明日の朝に持って
来た時に、今日の分を持って帰るから、、、ご飯食べなれば痩せますよね、、

さて、1日1食だ〜〜〜〜(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

また来て下さいね、、それでは・・・・・・。(*´∀`)♪
kiyasume
まかろんさんへ、書き込み有難う御座いました、、

そうなんですよね、、あの美容師は何も解って居なかったですよ。
高い服を、安く買うには古着屋に限るんですよね・・・・・・。
古着屋とは、人が着なくなったボロ服を売って居る処では
ありませんよね。手に入らない古く成った服が売って居る処です、、

だからブランドものだとかの服が安く売って居て・・・・・・・・・・。

間違ってもユニクロやらGUの古着などは売っては居ません。
だから古着屋に行って、安い服(物凄く)を購入しようとしても、、
そう言う次元の服は売っては居ないのですよね・・・・・・・。

そう言う事すら知らずに、私をバカにして来た美容師でした、、
美容師と理髪師の違いって解りますか???
剃刀を使って髭だとか顔を剃れるのが理髪師です。

そしてあの美容師は自分はそれが出来ると言って居ました、、
ですから理髪師なんですよね。一応店は美容室見たいな作り
ですが、理髪店が美容室に成りすまして居たのでしょうね。

髪を染めるのと、パーマは理髪師でも出来ますから・・・・・・・。

中盤の努力の話、、面白かったでしょうか、、
確かに成功バイアスを考えないと行けませんよね、、
そして成功者は、無意識領域で成功する事が解って居る
のではないかと言う事ですが、、そうでしょうね、、

GACKT君が言うのには、自分がその物を成し遂げられた事を
イメージしろ。そうすれば、その状態が解るはずだと言って居
ました。そのイメージが掴めなかった人はその物事をなし
遂げられなかった、、

私は、以前にブルースハープを吹いてご覧とある人に言った事が
あるんですよね、、そう言うと、「私は出来ないから...。」と頭から諦めて
居る、、だから練習方法を教えてやってみなと言っても、今度は「練習して
居る時間が無い、、」とやりもしないで言い訳を始めました・・・・・・・。

多分にやる気が何も無い訳ですよね・・・・・・・。

成功者と成功者では無い人との違いは、物事のやる気なんだろうと
思いますよ。その未来は無かったと言うのは言い訳ですよ・・・・・・。
ただやるにしても、やらないにしてもその道を選んだのは、、
その人に取っては最善だったのだろうと私もそう思いますから、、

その人が選んだ事は、尊重しなければ成らないと思いますけどね、、

まかろんさん、私は、最近は87kgを超えて仕舞って、最早凄いデブです。
一日3食たべて居たら太って仕舞いました、、それなのに此間は
食料品を買い込んで仕舞いまして・・・・・・・・・・。

だから食料がある限りはそれを食べますが、、
それ以降は1日1食にしようと思っています。。。

もう大胆なダイエットをしないと、この太った体は痩せられません。
大体が生活保護になったら、ほぼ1日1食ですからね・・・・・・。
そして太るのは、太る病気だと言われて居ます。肥満症との
事です。それは私の場合は、薬のせいでそう言った状態になって居ます。

だから夕食1食で結構食べて、後朝と昼は抜こうと思って居ますよ。
4年前は63kgしか無かったのに今は87kgですからね、、
だからblogに貼り付けて居る写真も最近の写真は殆んど載せて
は居ませんよ・・・・。もはや、豚みたいに太って仕舞って居て、
見っともないですからね・・・・。大体が毎日寝て居て体を動かさ
無いので、どうしようも無いですね、、、、、♪( ´▽`)

早く痩せないと、此の儘行ったら90kgに成って仕舞います。
まあ、まずは7kg減を目標でしょうか・・・・・・。

頑張って見ます。。。。。。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
kiyasume
コロ健さん、過去込みどうも有難う御座います、、

そうなんですよね、周りを見渡してカモが居ない場合は、、
殆んどが自分をカモにしようとして居ます。
また自分がカモを、探して居るのにカモが居ない場合も、、

その場合はそこに居たら行けないですよね・・・・・・。

また来て下さいね、、宜しく、、、、♪( ´▽`)
macaronteaparty
えーとコメントその2ですが、カミュの話も興味深かったです。
生きる意味、今のわたしはあまり考えないですが、古今東西、
多くの人を悩ませつづけてきたことですね。

でもわたしは思うのですが、
それは問題の立て方を間違っているのだと思います。

たぶん、そうして悩む人の生の意味を全地球レベルで見れば、

誰それの踏みつけになって、その誰それの精神を保たせるため、とか
国家間のねじれの解消のための紛争の犠牲者になるため、とか

ロクでもないことになると思います。

(何故なら、誰それの歪みも、先祖代々や国の、つもり積もった歪みの
結果だからです)

そして上位者的な何かに、そう答えを与えられて
納得できる人はいるのでしょうか。


だから、「何故」は意味がない問いの立て方なのです。


生きる意味を問いたくなる心の根底は、
“身体”という赤子を強制的に抱えさせられて、この物質世界に
縛り付けられている苦しみにある、と思います。


(わたしは、ではどうするのか?まで言うことをモットーとしているので
蛇足で書きますが)

生きる意味を問う心に対しては、わたしは、
もっと怒れ、と思います。

あるいは、もっと泣け。
もっと感激し、もっと驚き、もっと何かを愛し、・・・

世界をもっとヒリヒリと感じたらいい、と思います。
とにかく、怒れ。

怒れば、そこでその人なりの問題提起が起こります。

その自らの“問い”に答えようとするとき、・・・
きっとその人は“生きる意義”を感じるでしょう。

神だか世界が貴方をどういう目的のために生んだかとか、関係なく。


わたしはそういう風に答えると思います。

(無差別殺人のような怒り方は、本当に怒る相手に怒ることから
逃げているのだと思います)


カミュ師は
>人生は意義がなければないだけ、それだけいっそうよく生きられるだろうと思うのである。

と言っていたのですね。
仏教のような知見ですね。

>しかし、私たちの生きる世界には、「どうしても意味がわからないこと」「コントロールできないこと」が沢山あります。

わたしはそう明言するkiyasumeさんの記事が好きです。

長々感想を書いてしまいましたが、この記事への非難のつもりではないです。

出されているホットケーキのお皿に、ホイップクリームの小鉢を
そっと出してみた、みたいな気持ちで書いてます。


あ、時間切れだ、さすがにもう行かなきゃ。
いろいろ書いたけど、不快にさせてないことを願います。
良い1日をお過ごしください🌸
macaronteaparty
今日は。もう美容院を変えられたとのことで、
今さら言っても意味ないかもですが、

「良いものを安く買える」のって、才覚ではないですか?
そして安い出費で目的(おしゃれとか)を達成できるのも、才覚だと思います。

聞いた話では、大阪では“安い買い物自慢”をするらしいです。
こんなに安く買えた!って自慢できることなんですよ。
わたしも母にこれ安いんだよー!と自慢したりします(大阪人ではないですが😅)。


中盤の、努力の話、良かったです。
でもこういう話はだいたい、「成功者」が言うことなので
成功バイアスを考えないといけない、とは思います。

わたしはぼんやり思うのですが、目指すことにしがみついて成功した人は
無意識領域で、自分が成功する未来が分かっていたのではないか、と
いうことです。

そういう未来がある人だから、しがみつけた。

何が言いたいかというと、こういう成功話はよく聞くのですが、
諦めてしまった人は本当にただの不精者・弱虫だったのだろうか?
ということなんです。

その人たちにはその未来は“なかった”。
無意識領域でそのことを知っていたから辞めたのだ、
そういうことはないだろうか?とぼんやり思っています。

もちろん何の根拠もないです。

それにそういうことを言っても、誰も元気になれませんし・・・。

結局は・・それぞれが選んだ道がその人の最善なのかも、と
いうことを思ったりしています。ただの感想ですが。

冒頭のポーカー師の話はぞくぞくしました。
以前、ポーカー師の話を書こうとして調べたことがあって。
(結局いくら調べても、自分には作品に生かす力がないと分かり、
ゴリ押しで完成させましたが😅)


カミュの話にも感想書きたいので、一旦切ります…(長文すみません)
コロ健
こんにちは、
"カモが見当たらなければ、すぐに席を立て。"感銘しました。このことを知った上で臆病になることなく生きていきたいです。
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