=エッセイ=
私が住んで居る街は心地がいい。私を混ぜて行くと街の色に染まる。それがとても心地がいい。そして私はこの街の一部となる。、まるで街に抱かれて居る様な感じだ。前住んで居た実家があった街は違った。どこか私にはよそよそしかった。住んで居る人が行けなかったのだろう。多少トラブルもあったのだ。でもこの街は違う、心地がいいのだ。今日は「すぎ」と言う喫茶店に入ってサンドイッチにアイスコーヒーを昼に食べた。そしてメンズを見てくれる美容院を探した。その結果2店舗が見つかった。そのどちらかで、次回は髪を染めて、パーマを掛けようかと思って居る。街に対する原風景。それは私に取って、好きな街ごとに変わる。例えば新宿。見慣れた高層ビル。そして隈雑にも見える店々。そしてそこに集う人々。こないだ新宿で映画を観た帰りに、とんかつ屋に入って食事をした。すると私はある郷愁に抱かれた。そこで食事をして居る男たちは皆、長髪だったのだ。来て居るものもモード系だった。私は長髪が好きだ。自分も長髪にして居るし。長髪には愛着がある。子供の頃の原風景だ。私は何遍も言うが子供の頃に、全共闘の学生たちを間近に見て居た。私は当時の大学生の服装やら、髪型に大いに影響を受けた。子供心に大人になったら絶対に長髪にすると思ったのだ。その学生たちが足繁く通ったのがこの新宿だ。そして私もよく通った。ある時には怪獣映画を観に親父に連れられて。
また、ある時には、アート系の映画を映画小屋に観に。中古レーザーディスク。輸入ビデオを買う為に。しかし、そんな新宿のイメージは最近は薄れて仕舞って居た。なぜなら外国人、特に中国人が沢山闊歩して居る街に、変わって仕舞ったからだ。国際都市新宿の誕生だ。私は何も中国人を差別して居るのでは無い。私が子供の頃に私の周りには中国人と韓国人が居た。韓国人は友達のオウ君だった。また父親の仕事関係で中国人の張さんもよく家に遊びに来た。しかし私の新宿への原風景は、雑多な芸術文化を発信続けた、アート文化の街なのですよ。唐十郎の情況劇場。寺山修司のアングラ演劇。今の新宿にそのイメージは無い。しかし原風景のスタイルとは厄介なものだ。それは時には牢獄と化す。自分を移し、自分を模倣する鏡の牢獄となる。要するに原風景からはなかなか逃れられないのだ。その原風景の人たちがあのとんかつ家には居た。多分芸術家やらアーティスト達だったのだろう。私がその店に入ると給仕の女性は、私もまたその仲間 の一人として受け入れた。それは私が着て居たヨウジ・ヤマモトの服のせいもあるのだろう。服が人を表すのだ。私の哲学は至ってシンプルなものです。
実存主義者を気取っては居るが。それはある意味スノップなのだ。しかし私はヒップはもう追わないだろうと思う。老人的な保守派には成りたくはないが。もう歳だ。都市に翻弄されるよりは都市に抱かれて暮らしたいのだ。他の街の原風景も話そう。立川。この街は、私に取っては新宿と同じで。私が40歳から50歳に渡る10年間。ご存知の様に障害を持つ病気のせいで、病院通いをしに来て居た街だ。私はこの町でオリオン書房と言う本屋と、「マルパソ・カンパニー」と言う。レーザーディスク・ショップが気に入って居た。東京では多少、田舎臭さが残る街だが、私に取っては、心地良い感覚がした町だった。それから、調布。私が長期入院をした病院がある街だ。入院中の長い苦い経験の記憶がある処だ。どんな処に行こうと。どんな風に生き、何を話そうと。何を食べ。何を着ようと、何を趣味にしようと。私は私だ。独自性(アイディンティティ)。身震いするほど大切な言葉だ。安らぎや満足に響きが隠れて居る”独自性”。自分の場。自分の価値を問い。自分が 誰か"独自性!を問う。
自分たちのイメージを作りそれに自分たちを似せる。それが"独自性”だ....。作ったイメージと自分たちの一致が?自分たちとは誰なのだ。私たちは都会に住み都市が生きて、時と共に、自分は変わり。原風景は明らかに遠くなって来て居る。原風景は時代遅れか?。では何がヒップなのか。それは、"独自性"に裏付けられた、現在なのだと言えるのだと私は思う。全ての生物に寿命があるように、都市にも移りゆく変化と言うものがあるのです。人はさよならの数だけ愛を知る。私は、21歳で病気になって、それまで精根を傾けて追及して居た音楽を諦めなければ成らなくなった。しかし街には抱かれた。私はこの世界では永遠の異邦人なのだ。そうだ、私はヨーロッパにおけるロマと同じ存在なのだ。差別される側だ。しかし今住んで居る街は心地がいいのです。そしてこの終の住処のボロ・アパートも......。私は街から愛を貰って来たのです。話して居て、新宿のあの、とんかつ屋にまた行きたくなった。中古レコードを購入した帰りに。自分と同じ匂いがする男達に囲まれて、また久々に、とんかつが食べたくなった。明日辺り行こうかなぁ・・・。
此処で、、kiyasumeの18歳当時にギターを演奏して居たバンド。「ボトム・ライン・バップ・ブルース・バンド」の演奏を下手ですが聴いて下さい。今から43年程前の音源なので少し聴きぐるしいかと思いますが。
ジャズ・ブルース。
「終の住処」で安らいで居るkiyasume・・・・・。そうですよ。人には分相応と言うものがあると思う。今の私にはお似合いの部屋なのですよ。何人も貶す事は出来ない。
〜〜懐かし映画館〜〜
「アヴァロン」
1990年代後半、押井はバンダイビジュアルが打ち出したデジタルエンジン構想の一作として『G.R.M. THE RECORD OF GARM WAR(ガルム戦記)』の準備を進めて居たが、計画縮小により企画凍結となる。その次に作られた本作は、押井の他の多くの実写映画と同じく、凍結中の作品の「オトシマエ」、つまり書類上の企画を「落とさない」為に作られたものである。解散したデジタルエンジン研究所のスタッフが多く参加して居るのもこの為であり、押井は本作を「飽くまでも『ガルム』の廉価版ではなく機能限定版」と称して居る。
題名の由来となって居る「アヴァロン」とは、アーサー王伝説に登場する島の名前で、負傷したアーサー王がモルガン・ル・フェによって運ばれた場所とされる。
日本ヘラルド映画等、日本の会社が製作して居る為日本映画に分類されるが、すべてポーランド国内で撮影されて居る。この為、言語はポーランド語が用いられ、出演者も総てポーランド人の役者が配役され、日本人の役者は登場して居ない。作中の銃火器や軍用車輌なども一部を除いてポーランド陸軍が運用する本物であり、エキストラとしてポーランド陸軍兵士が多数出演して居る。押井は、戦闘ヘリコプター「ハインド」が借りられるのを理由に、それも作品のためというよりは純粋にマニアとして本物に触りたかった為に、ポーランド撮影を選択したと言う。ポーランド滞在は半年に渡り、撮影はワルシャワのほか、ヴロツアフ、クラクフで44日間実施された。
この作品の公開に際して、押井は「すべての映画はアニメである」と言う持論を語った。実写として撮影しても、編集や後処理によってコントロールすれば、それはもうアニメである。デジタルでは特にそれが顕著である、と。また、押井は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『機動警察パトレイバー』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』で語ってきたテーマ、「現実ではなくても、それがその人にとって気持ち良いものならば、それはその人にとっては現実ではないのか?」と言うテーマに沿って製作した事も明かして居る。
予算が少ない為、CGの品質はハリウッド映画には及ばないものの、使い方は非常に風変わりである。実写をCGで再現するフォトリアル路線ではなく、実写を仮想世界であるかの様に作り変えるエフェクト的な方向性で用いられて居る。例えば、事前に撮影した俳優の皮膚の・しわ・シミ、画面の余分な色まで、作品のコンセプトに合わない要素を徹底的に排除した。キャラクターの顔そのものも、何回も合成して、望みの肌の質感・影・表情を作った。「幾ら完璧な実写素材を撮影しても、最終的には絵画・アニメ的な処理で画面を作りたい」と言う押井個人の欲望を叶えてくれたクォンテル開発の映像処理ソフトウェアである「Domino」に対して、「もう手放せない」と賞賛した。1995年の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』を参考に『マトリックス』を制作し、世界的なヒットを飛ばした後のウォシャウスキー兄弟にも、この制約を逆手に取った手法が、新しい映像表現手法として驚きを持って受け入れられた模様である。
アクション映画もしくはSF映画に分類されるが、押井が傾倒しているコンピューターRPG『ウィザードリィ』の要素が色濃く反映されており、登場人物の名称ならびに職名には、すべて『ウィザードリィ』に登場した用語が用いられて居る。即ち、押井版『ウィザードリィ』とも言える。
2009年12月、本作と地続きの世界観でオンラインゲーム「アヴァロン」の新しいフィールドを舞台にした押井監督による実写映画『ASSAULT GIRLS』が公開された。
後に、『アヴァロン』の元となった企画である『ガルム戦記』の制作も決定し、2015年にガルム・ウォーズとして公開された。
押井守監督作品「Avalon」 OP
Kenji Kawai - Log In (Avalon OST)
アヴァロン メイキング映像 scene 1 押井守監督作品
あらすじ
近未来、「アヴァロン」と言う名のオンラインゲームが若者の間で熱狂的な支持を得てい居た。プレイヤー達は、専用端末を介して仮想現実空間に接続し、単独またはパーティを組んで、実在の武器や兵器を用いて戦う。ゲーム中でランクに応じたミッションをこなす事で、現実世界で使える報酬を得る事が出来るが、ゲームから抜け出せずに「未帰還者」となる人間を生み出す事もある為、過激な非合法ゲームとされて居た。
「アヴァロン」の凄腕プレイヤー・アッシュは、かつては最強と呼ばれた伝説のパーティ「ウィザード」の戦士だったが、パーティが崩壊して以来、ソロプレイヤーとして「アヴァロン」に参加し続けて居た。愛犬と暮らす自室と「アヴァロン」の仮想空間が、今の彼女の日常だった。
ある時、挑発的にもアッシュと同じ戦法でアッシュよりも速いクリアタイムを記録したプレイヤー・ビショップが現れた。その正体をつかめずに居たアッシュは、元「ウィザード」の盗賊・スタンナと再会し、「ウィザード」のリーダーだったマーフィーが、単独でクラスAのステージに現われると言う隠れキャラクター「ゴースト」を追い、その侭「未帰還者」となって仕舞った事を知る。アッシュは病院に赴くが、廃人となったマーフィーは何も語らなかった。「ゴースト」と「未帰還者」の関連性を探るうち、「アヴァロン」プログラムの供給者とされる「九姉妹」の名に行き着く。アッシュは「九姉妹」を騙って襲い掛かって来たプレイヤー達から、「九姉妹」の正体が「アヴァロン」の管理者である事を知らされる。
やがてスタンナが「ゴースト」の出現条件を解いた。クラスAのステージをクリアした際、レベル12以上の司教=高位聖職者がパーティに居る事。マーフィーはソロプレイヤーでありながら高位聖職者でもあったた為、条件を満たして居たのだ。しかし戦士であるアッシュがそれまでの経験値を捨てて司教に転職し、さらにソロプレイヤーとして高位聖職者まで成長する事は非現実的な話だった。現役の高位聖職者とパーティを組む必要がある事は明らかだが、「ウィザード」のメンバーだったと言う過去がその障害になる事をスタンナが指摘。アッシュは「九姉妹」との関係を疑いながらもビショップにパーティメンバーの招集を依頼した。
そして始まるクラスAでの戦闘。メンバーにはスタンナも加わって居た。アッシュ・スタンナ・ビショップたちはクラスA最強の敵を倒してステージをクリア、「ゴースト」との遭遇を果たす。
アッシュが一人でゴーストを倒すと通常とは異なる方法で別世界へ接続し、画面には「Welcome to Class Real」の文字。ゲームマスターに未帰還者の殺害を指示されたアッシュが建物から出ると、本編中常に淡い色だった世界が色彩豊かになり、活き活きとしたNPC達が生活する現代の世界が広がって居た。指示された場所へ行くと、Realを現実として生きるマーフィーと再開する。彼は殺し合いを望み、どちらかが死んだ後に「消滅」すればこの世界が現実でない証になると言う。そして、自ら敗北を選んだマーフィーは消滅し、アッシュは邪悪な笑みを浮かべるゴーストに銃を向ける。画面は「Welcome to Avalon」で幕を閉じる。
キャスト
出演者情報は FilmPolski.pl より。
- アッシュ: マウゴジャタ・フォレムニャク Małgorzata Foremniak(吹き替え:財前直見)
- 伝説のパーティ「ウィザード」の元メンバー。
- ゲームマスター: ヴワディスワフ・コヴァルスキ Władysław Kowalski(吹き替え:日下武史)
- アヴァロン専用端末でプレイヤーをガイドする。
- マーフィー: イェジ・グデイコ Jerzy Gudejko(吹き替え:木下浩之)
- かつては「ウィザード」のリーダーだったが、現在は廃人状態で病院にいる。
- ビショップ : ダリウシュ・ビスクプスキ Dariusz Biskupski(吹き替え:大塚明夫)
- 突如アッシュの前に現れた男。高い戦闘技術を持つ。
- スタンナ : バルトウォミエイ・シフィデルスキ Bartłomiej Świderski(吹き替え:山寺宏一)
- 「ウィザード」の元メンバー。
- 受付の女 : カタジナ・バルギェウォフスカ Katarzyna Bargiełowska(吹き替え:范文雀)
- 九姉妹のマーフィー : ミハウ・ブレイテンヴァルト Michał Breitenwald(吹き替え:大川透)
- ジル : アリツィア・サプルィク Alicja Sapryk(吹き替え:田中敦子)
- プレイヤーA : アダム・シシュコフスキ Adam Szyszkowski(吹き替え:鈴木正和)
- プレイヤーB : クシシュトフ・シュチェルビンスキ Krzysztof Szczerbiński(吹き替え:浜田賢二)
スタッフ
- 監督:押井守
- エグゼクティブ・プロデューサー:渡辺繁、香山哲、塩原徹、坂上直行
- 脚本:伊藤和典
- 音楽:川井憲次 - 主題歌はポーランド語歌詞による「Log In」「Voyage to Avalon」
- ライン・プロデューサー:アンジェイ・グドフスキ、ヴォイチェフ・ヴィデルスキ
- 制作担当:ヤヌシ・チェフ
- 撮影監督:グジェゴシ・ケンジェルスキ
- 美術:バルバラ・ノバク
- 衣裳:マグダレナ・テスワフスカ - 押井の好きだった1989年のポーランドSF映画『シルバー・グローブ/銀の惑星』の衣裳も手掛けたデザイナー[4]
- ビジュアル・エフェクト・スーパーバイザー:古賀信明
- デジタル・アート・ディレクター:林弘幸
- 美術デザイナー:渡部隆
- メカニックデザイナー:竹内敦志
- 音響デザイナー:井上秀司、ランディ・トム
- 音響監督:若林和弘
- 特殊造型:品田冬樹
- 演奏:ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団(オーケストラ・アレンジ:)
RYO TAKASHIMA(ファッション・ブランド)。
Ryo
「ファッション業界に物申す」-ryo matsumoto(リョウ マツモト)-
チャンネル開設日:2013年7月27日
チャンネル登録数:約3万2千人(2019年1月8日現在)
ryo matsumotoとは?
元ユニクロ店員で、現在は長野のセレクトショップの店長兼バイヤー。YouTubeでは「服バカの服バカによる服バカのためのチャンネル」をモットーに動画を配信して居ます。セレクトショップに入荷した商品を着用して宣伝する「デリバリー動画」や、ファッションに対する考えを述べる動画などを主に編集なしで公開しているのが特徴です。コレクションの予習動画やルック実況などのコンテンツも多く、去年11月に日本で開催された「ディオール(DIOR)」のメンズ プレフォールショーにも招待されるなど、ファッション業界でも注目されて居ます。
「Yohji Yamamoto・ヨウジヤマモト」
ブランドのはじまり
1972年、Y's(ワイズ)設立。ヨウジヤマモトは、1981年にパリコレクションにてデビュー。
ヨウジ・ヤマモトについて
ヨウジ・ヤマモト(Yohji Yamamoto)は、デザイナーの山本耀司が設立したファッション・ブランド。
ヨウジ・ヤマモトは、1981年にパリコレクションでコレクションを発表。当時タブーとされて居た“黒”を前面に押し出したショーを発表し、“黒の衝撃”と称され一大旋風を巻き起こす。賛否両論の評価を受けつつも、時代に流されないその反骨精神が、モード業界に革命をもたらす事となった。
山本のデザインは、彼の打ち出したアシンメトリックなカッティング、身体と服の間に空気をはらむ様なシルエットが特徴。ボディコンシャスな時代のファッションの慣習を覆すものだった。
素材感で見せるレイヤードやドレーピングで見せる独自のスタイルは、ファッションの美意識を書きかえ、伝統的な男性服のスタイルを女性服にとり入れるなど、彼のコレクションはジェンダーの固定観念を打破したと言われる。
アヴァンギャルドかつクラシックなスタイルは、80年代以降、世界を代表するデザイナーへとなって行く。また、次のデザイナー、例えばマルタン マルジェラ、ドリス ヴァン ノッテン、弟子だったエンニョ・カパサ(コスチューム ナショナル)らに影響を与えて行く。
黒を基調としたデザイン、身体にまとった時の独特の分量感、複雑なパターンメイキングと言ったコアの部分は毎シーズン共通して見て取れる特徴である。そこにヴィヴィッドなカラーリングを差し込んだり、刺繍やペインティングによる装飾的な要素を取り入れたり、様々な表現が加えられる事でシーズンごとの世界観を見せて行く。
ヨウジヤマモト オムのコレクションに於いては2016年前後より、大々的なペインティングが目立つ様になり、2018年春夏シーズンではメッセージ性を含んだテキストが多くデザインに取り入れられた。
『TALKING TO MYSELF』(02)、『A MAGAZINE』(04)など関連刊行物多数。2011年には自叙伝『MY DEAR BOMB』、2013年には『服を作る―モードを超えて―』、2014年には『山本耀司。モードの記録。』『YAMAMOTO & YOHJI』と言った書籍が出版された。
継続的にドクターマーチン(Dr.Martens)やニューエラ(NEW ERA)、アディダス(adidas)とはコラボレーションを行って居る。また、過去にはウブロ(HUBLOT)やレペット(Repetto)などともコラボレーション。2012年にはエドウイン(EDWIN)とコラボレーションし「Yohji JEANS」を発表した。
アーティストとタッグを組んだピースもコレクションにおいてしばしば展開しており、展覧会「画と機」でともにアート作品を発表した朝倉優佳のペインティングは、2016年春夏コレクションや2020年春夏コレクションなど、多数にわたりデザインに起用されて居る。また、2018年春夏コレクションなどに画家・内田すずめ、2014-15年秋冬コレクションに笹田靖人と言ったアーティストが起用されて居る。
■関連ブランド
・Y's(ワイズ):山本耀司が手がけた最初のブランド。現在はデザインをアトリエチームが引き継ぎ、Y'sのアイデンティティを表現。機能的で上質な、品位ある日常着を提案する。
・Y-3(ワイスリー):アディダスと山本耀司によるスポーツウェアブランド。
・リミ フゥ(LIMI feu):山本里美が手がけるウィメンズブランド。尚、山本里美は山本耀司の娘である。
・グラウンド ワイ(Ground Y):ヨウジヤマモトのフィルターを通しながら、「ジェンダーレス」「エイジレス」などの多面的な要素を取り入れたスタイルで、ファッションの新たな可能性を提案するブランド。
・S’YTE(サイト):オンライン限定ブランド。
・ディスコード ヨウジヤマモト(discord Yohji Yamamoto):山本耀司が設立したラグジュアリーアクセサリーブランド。
ヨウジヤマモトの沿革・歴史
1981年、ヨウジヤマモトがパリコレクションデビュー。
1989年、ヴィム・ヴェンダースによるドキュメント映画『都市とモードのビデオノート』発表。その他、ワーグナーのオペラ、ピナ・バウシュ舞踊団、北野武監督映画などの衣装制作も手がけるなど、幅広い活躍を続けて居る。
1991年、東京でコム デ ギャルソンとの合同ショー「6・1 THE MEN」開催。
2002年、山本耀司がアディダスとの共同ブランド「Y-3」のクリエイティブディレクターに就任、ファッションとスポーツという2つの世界を融合し、革新的なスタイルを打ち出す。
2008年4月には北京にてワイズ(Y's)のショーを発表。
2009年、ヨウジヤマモト社が民事再生適用申請。投資会社・インテグラルとスポンサー契約を締結。
2010年春夏シーズンから、Y's for men(ワイズフォーメン)休止。
2010年4月に、「YOHJI YAMAMOTO THE MEN 4.1 2010 TOKYO」を東京の国立代々木競技場 第二体育館にて開催。
2011年、Webサイト限定で販売するブランド「s’yte(サイト)」(現在表記:S'YTE)を発表。同年、フランスで芸術文化勲章の最高位であるコマンデュール賞を賞与される。
2012年、s’yteのウィメンズラインスタート。
2012年、ヨウジヤマモトとフォトグラファーのレスリー・キーによる写真集「SUPER YOHJI YAMAMOTO」の出版を記念して、ヨウジヤマモト青山本店で写真展開催。
2012年、ヨウジヤマモトがウィメンズの新ライン「レギュレーション(REGULATION)」発表。2013年にはメンズでもレギュレーションを発表。
2014年、アクセサリーブランド「ディスコード ヨウジヤマモト(discord Yohji Yamamoto)」をスタート。2014年秋冬プレコレクションでファーストコレクションを発表した。メイドインジャパンのハイクオリティに拘り、バッグ、シューズ、スカーフなどのアイテムを展開。繊細でたおやかな日本の文化である“奥ゆかしい美しさ”をデザインの特徴とする。
さらに、ヨウジヤマモト初のブランドセレクト型ショップ「グラウンド ワイ(Ground Y)」をオープン。「グラウンド ワイ」は、ヨウジヤマモト社のブランドを複数取り扱う、 新しいタイプのブランドセレクト型の直営店。 ユニセックスのデニムと、Tシャツ、シャツとのコーディネートがテーマで、価格帯は2万円台が中心。若年層に向けて発信して行く。
「I feel alone. Help me.」|山本耀司|Interview|Esquire HK
YOHJI YAMAMOTO インタビュー日本語。
ヨウジヤマモトのデザイナープロフィール
山本耀司は、1943年、東京生れ。慶応義塾大学法学部、文化服装学院卒業。69年「装苑賞」「遠藤賞」を受賞。72年ワイズ設立。94年フランス芸術勲章「シュヴァリエ」受章、05年フランス国家功労勲章「オフィシエ」受章。2008年、ロンドン芸術大学より名誉博士号を授与される。2011年、フランスで芸術文化勲章の最高位であるコマンデュール賞を賞与。