寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

学歴とは幸せとは?(kiyasumeの告白です。)

今回の記事は短いですよ。。。。

 

 

本日、日本エージェント事務所より、GACKTについてのアナウンスがなされました。
GACKTの体調不良をアナウンスしてからLOVERSの皆様には今まで多くのご心配をおかけしました。

 

GACKT本人から何時も応援して下さっているLOVERSの皆様へのメッセージを預かっております。

 

下記、GACKTからのメッセージとなります。

 

Malice Mizer - バロック ~Baroque~ (sub rōmaji+español) HD ☆☆☆☆☆

 

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GACKTです。
皆んな心配かけた。
沢山のメッセージありがとう。
大丈夫、まだ生きてた。アハハハ。

 

今回、日本での撮影のため8月初旬に帰国しました。
で、日本に帰って来てから数日後に体調が急変し、悪化。
意識がなかった時もあった様だけど、何年かに一度、起きてるやつ。
まあ、慣れてるっちゃ慣れてる。
此処、最近は起きてなかったから、調子良くなったのかなって思ってたんだけど。

 

3週間ほど酷い状態は続きましたが
今は、体重が10Kgほど落ちたけど、安定しています。

 

ただ、原因はわからないけど
上手に声が出せません。

 

10年前からは持病を治すため海外に環境を整え、
療養などを行いながら此処まで来たんだけど、
今回の事が原因なのか、過去の積み重ねて来たものが原因なのか、
神経系疾患が関係しているのか、
突発性の発声障害のような状態になってます。

 

簡単に言うと、
声がうまく出せず話すことが困難な状況。

 

「此処に来て此れか・・・」と、
正直、数日は落ち込こんだけども、
此れは何かを変える切っ掛けを与えられたんじゃないのか、、
「自分なら、GACKTなら必ず乗り越えられる壁だろ!」と、
今はそう信じてます。

 

医師、エージェント、関係者との話し合いの末、
とにかく治す事を最優先させる事に決めました。

 

悔しいけど、
すべての活動は休止させ、
治療に専念します。

 

活動休止期間に付いてですが、正直分かりません。
でも、とにかく早くに戻って来れる様やれる事を全力でやります。

 

世界の状況が目まぐるしく変わる中で、
希望を無くした人たち、
辛い想いをしている人たちが沢山いると思います。
でも、乗り越えられない壁はない。
ボクも必ず乗り越える。
皆んなもそれぞれに抱えた問題から逃げず、
必ず乗り越えられると信じ、
一緒に前に進もうぜ!

 

最後に、

 

皆んなを心配させてしまった事、本当にごめんな。
必ず帰って来る。
もっと強くなって。
もっと凄いGACKTになって。

 

皆んなとした約束、
アルバムもツアーも必ず届けるから。

 

約束はどんな事があっても必ず果たします。
待ってて下さい。

 

GACKT

 

 

 

寝ぼけた、kiyasumeです。。。

 

 

学歴なんか世の中に出たら関係ないとよく言いますけど、果たしてそうでしょうか?

「社会に出たら能力と実力がすべて。学歴なんて関係ない」と人は言うが、それでもなんだかんだ学歴は付いて回るもの。

・抜群に仕事が出来る同僚が矢張り高学歴だった時
・仕事がうまく行かない時
・人に紹介される時・履歴書を書く時

こんな時に学歴へのコンプレックスが顔を出す。「学歴なんて関係ない」と言うのは簡単だ。だが、そう言われただけでコンプレックスが無くなる程、人間は単純ではない。

■「学歴なんて関係ない」は本当か?

学歴はキャリアにまったく関係しないかと言うと、そうでもない。就職活動の書類選考で、企業によっては大学名で学生を「足切り」して居るのはよく知られて居る。それを考えると、社会人としてのスタート地点を決めるのに、学歴は関係して居るとは言える。

ただ、逆に言えば学歴がキャリアに関係するのは、実質そこだけだ。そこから先は、学歴など、無意味な格付けとマウンティングの材料としての用途しかない。

マウンティングされるのは不愉快だが、学歴をタテにマウンティングをする人は、自分の出自と受験勉強の成果にしか拠り所がないのが見えて居る。おそらく現在の仕事の実力の方は、決してほめられたものではあるまい。学歴で劣っても、その後の取り組みで追い抜く事が出来る。

社会人になったら「学歴」より「学習歴」の方が大事、とするのは『「学歴なんて関係ない」はやっぱり正しい』(草思社刊)の著者、安井元康さん。安井さんもまた、社会人になってからも自主的に学び続けることで学歴を乗り越えて、ビジネスの世界で大きな成功を手にした一人だ。

■社会人の学びにまつわる4つの「罠」

自分なりのゴールを定め、地道に学び続ける事で、学歴でのマイナスはカバーできる。しかし安井さんによると、社会人の学びには4つの「罠」があると言う。

・自己の責任で学び、カリキュラムがない仕事以外の時間で何をどのくらい勉強するかは自分次第。だからこそ、自分のキャリアプランやライフプランを設計したうえで、何を学ぶかを決める必要がある。

・時間の制約がある一日の大半は仕事の時間。それ以外の時間で勉強するとなると、体力的にも時間的にも限られて来る。そして、勉強に使える時間はライフステージの変化とともに、年々減って行く。

・学習の進捗や成果が見えにくい受験勉強は偏差値や志望校への合否で勉強の成果が測れたが、社会人の勉強にそうした指標はない。ゴールの無いマラソンである。

・過剰な期待を抱きがち。本来学びは地道なもの。学習によって人事評価につながったり、資格取得で転職が有利になったりなど、すぐに人生が好転するとは思わない方がいい。

キャリアアップの為の学びである以上、何を学ぶかを考える際は「労働市場で自分の価値を高められるかどうか」が基準になる。ただ、「今の仕事が不満だから、関係のない資格を目指す」と言った方向よりも「今の仕事とリンクした学び」の方が、学んだ内容を仕事で実践出来る為、効率がいいと言う。

たとえ人に誇れる学歴が無くても、大切なのは「此処から人生を逆転させてやる!」と言う気概だと安井さんは言う。

受験勉強では負けたけど、社会に出てからは高学歴の人には負けたくないと思って居る人は、本書で明かされて居る安井さんの体験談や生き方、学び方は大いに参考になるはずだ。

まあ、「学歴なんて関係ない」は高学歴にのみ許された発言で、中卒や高卒が口にして言っても世の中、誰も相手にしないです。普通はそうですよね?。幾ら私の様な精神疾患者が普通に見てくれと言っても世の中はそう見ない様にね。中卒だとか高卒が真面に相手にされる世の中ではありません。高学歴の人間は平気で差別して来ますよ。はっきり言って私は大卒ですが、、人は何思うか私の主治医は私を軽蔑の目で見ました。今日は此処で私の本当の学歴を言いますが。実は私は夜学です。夜間大学出身者ですよ。出たのは40数年前です。そのせいで。私の主治医は私が自分の病状の経過を話そうとして「私は大学の2年の時に、はつ・・・」と言ったら人をバカに仕切って「大卒じゃないだろ!?大学だと言うな!!」そう言われましたよ。私に言わせれば精神科医なんて普通の医者の中ではバカにされて居ますよね。医者の中では位が低いのにね。自分がそう言われたら烈火の如きに起こるでしょうに?夜間大学でも大学ですよ。大学と銘打って居るのだから、、

 

 

 

はっきり言って、あの主治医は患者を頭からバカにして居て、、私はねぇ、家の事情があって夜間大学に行ったんですよ。確かに夜学と言う事で人は差別をしますね。あの日本が誇る西田哲学の創始者。西田喜多郎は東大の本科生では無かったから(夜学でした)物凄くバカにされました。でもどうでしょうか。彼はあれだけの哲学体系を纏め挙げましたよ。彼をバカにして居た人たちが何か出来たのでしょうか?何も出来無いくせに彼の学歴は低い?と足を引っ張りました。此処で夜間大学の授業の事を言いますが。夜間大学(2部)の授業は夕方5時から始まります。そして夜の11時半まで講義があります。私は昼はバイトをしてバンド関係の仕事をしたり。一応ミュージシャンの端くれの生活をして居ました。大学名は拓殖大学・夜間経済学部・商学科です。今はこの部署は拓大にはもうありませんが。しかし私はキッパリと大卒だと言って来ました。

実際、夜間部と言えども昼間の大学と教えられる事は全く同じです。私はよく学食で夕方近くに夕飯を食べたり。大学の近くにあった。茗荷谷の駅前にあった札幌ラーメン店で夕飯を取りました。色々な学生が居ましたよ。殆んどの人が高校卒業して働きながら勉強して居るのですよね。その分、皆さん学生は必死に勉強をしようとして居ました。ただ私が今まで言って来た様に。バカな学生も結構居て、大抵が昼間の大学に入れなくて高校から推薦で夜間大学に来た様な連中ですが。まるで幼稚でどうしようも無かったですね。例えば、ある時に政治経済の講義を受けて居たら。ある学生が突然立ち上がり「先生!!なぜ時計の針は左から回らないのでしょうか???」と聞いたりね。頭がおかしいんですよね。私は当時、自分では何も考えてなかったけど。よく友人から「歩き方がコタコタして居るよ」と言われましたね。私が思うに、私はもう大学2年の初め頃から精神的葛藤があって精神的に参って居たのでしょうね。

 

私の高校時代は、教室の壁にギターケースが置いてある様な処で。私立でしたが制服が無く。皆んな普通の服。大体がジーパンとジージャンとかですが1970年代の初頭ですから。女の子はミニスカートに冬はセーターとかでしたね。私の高校は演劇をやって居る女の子が居たり。男は、ほぼ、皆。ミュージシャンを目指して居ましたよ。私は高校当時は幅広く活動して居まして。よくblogに挙げても居ますが、漫画を描いたり。シナリオを書いたり、あとはギターとハーモニカ演奏でしょうか?よく軽音楽部に居たから部活でバンドのメンバーと演奏する時には、私がギターを弾くのでは無くて他の人が弾いて、私はベースを弾いたり、オルガン弾いたり、ドラムを叩いたりして居ました。軽音楽部ではバンドは3バンドぐらい居ましたからね・・・・。そして大学です、勿論夜学だから、夜に勉強ですから。昼間に来て部活をして居る人たちも居たけど。私はバンド関係で忙しかったから、よく早稲田大学の「R&B研究会」に通って居たり。東大のジャズ研のメンバーと話して居たり。東海大学の「漫画研究会」に顔を出したり。自分でも「ザ・ブルース」に記事を投稿したりして居ました。

 

 

 

 

大学は夜学でしたが演劇サークルの女の子は、昼間に大学に来て演劇の練習をして居たっけなぁ。それに学生とは言え。社会人の方たち年齢的に30代から40代の方も居ましたね。皆さん事情を抱えて居ましたね。大学受験が遅くなって仕舞った社会人の方などはもう子供が居ました。それで。大学の2年の終わりに普通科に成績さえ取って居れば編入が出来たんですよね。私などは成績が良かったから。教授やら助教授に目を付けられて居て。「君は夜学部に居たのではダメだ。成績もいいのだから。2年の終わりに編入試験を受けなさい」と言われて期待されて居ましたが、、精神病(統合失調症)になってから、全てが駄目になって仕舞いました。誤解しないで下さいね。期待されて居たと言うのは大学生としてですよ???バンド時代は、ほぼ大学の時にはBluesとjazzを演奏して居ました。ロックも全盛でしたけど。聴いては居たけど。演奏はロックの方はたまにしか演奏しませんでしたね。

 

あるHPから・・・・。

『学歴なんて関係ない! こんな事を工業高校中退で実質中卒の田村淳が言って話題になっていますが、こんなことをこいつが言っても何の根拠もないだろ。だって学歴得たことないんだから。 高学歴の人が「学歴あってもあんまり意味なかったなあ」って言うのなら分かるけど、最初からないのなら分かるわけ無いじゃん。 貧乏人のクソが明日食うものもない家族に「金あっても幸せとは限らないよ。」って言ってるようなもんだろ。そんな事言ってる暇あったらさっさと金稼いでこいと誰もがいいます。 それと同じで学歴なんて関係ないと低学歴が言っていれば、そんな事言ってる暇あったらさっさと勉強して学歴得ろって言って終わりです。 』

この文はあるサイトに書いてあったのですが、、この人は物事の表面しか見て居ませんね。大学行かなかったからって、大卒並みの教養が付かない訳ではありませんし。貧乏人が「金あっても幸せとは限らないよ」と言うのは本当なんですよね。私の知り合いに65歳の女性が居ます。彼女は20億の資産を持っては居ますが。旦那はDVでその女性は生傷が絶えず旦那のお陰で精神状態に異常をきたして居ますよ。だから、お金があれば幸せと言う事では無いのですよね。お金持ちたちは、何故仕事を辞めないのか?人生は金じゃないのですよ。使命感と言えばいいのか普通なら大金を得たら仕事は辞めて、悠々自適な生活をして、趣味にでも没頭して暮らすのではないでしょうか?でも、そうはしない。それは、そう言う人は一定のお金が稼げて居るのだから。

例えば、服飾専門家のMBさんとか彼は会社を3つ持って居て。数十億の稼ぎがあります。ですが、彼はYouTubeなどでお洒落が解ら無い人向けに公演して居ますよね。「使命感」なんですよね....。世の中は確かに学歴で人を見て来ます....。私は自分は大学2年、それも夜学でおかしくなって仕舞った人間ですよ。でも人がなんと言おうとも。バカにしようとも私は信念を持って生きて居ます。心の中までは誰も踏み込む事は出来ません。そして私の知識は雑学程度ですが、人の為になろうと思って、こうやってblogを更新して居ます。人として立派な人とは、最近では若いけどGACKT君の様な人やMBさん様な人の事を言うのですよ。此のblog記事の最初で社会人になったら、学歴より学習歴の方が大切だと言いましたが。例えばGACKT君やらMBさんやらは大学中退です。芸能人なら身近な人ではタモリは早稲田中退ですよ。だけども、彼らは日々勉強をして居ますよね。、学歴よりも学習歴(独学)の方が重要なのですよ。。。

高学歴だって社会のカスは山ほど居るし、逆に低学歴でも社会の役に立つ人や社長さん、株で大儲けした人だって沢山居ますし。皆さんはどう思いますか?皆さんでよく考えましょうよ・・・・。

 

 

 

お洒落とは差別化です。客観性で皆んなが理解できるのがお洒落です。

最近は、ファッションに関して考察する事が多い。処が、ファッションについて考察するとは、一体どう言う事なのか。此れを整理しておかねばならない気がして来た。

何故なら「ファッションについて考察する」、と言う文が非常に多義的であるからだ。そしてこれは、自分が意図するものとは正反対の文脈で理解される可能性を、大いに秘めて居る。

と言うか、日常でこの文を口にすると、おそらく違った文脈に誤解されるはずだ。

服を紹介すること≠ファッションを語る事

ファッションに付いて語る、と言う時。一般的には、新しくて、お洒落で、流行して居る衣服を紹介することに終始して居る気がする。つまり、お洒落な服や着こなしを知って居て、トレンドの移り変わりを把握し、此れから流行るものが何かを予測できる力を持った人が、ファッションに付いて語る、と呼ぶ場合が多いのだろう。

だが、自分がファッションに付いて考察するとき、決して「服好きの人」「お洒落な人」「トレンドに敏感な人」などと言った評判を手に入れたい訳ではない。(いや、少しはそうかも知れないが・・・。)

それよりもファッションを通して、自分に付いてより理解し、さらには人間と言うものの特性、そしてこの世界を捉える切り口にしたいのだ。

構造を明らかにする事

そこで、具体的にどの様な議題について考察を進めて居るかと言うと、以下のキーワードが挙げられるだろう。

これらのテーマに付いて、およそ「認識論」的な見方で構造を明らかにして行きたいと思って居る。

1、アイデンティティ
2、流行
3、コミュニケーション
4、身体性

さっとだけ、整理して置きたいと思う。

1、アイデンティティ

まずは、ファッションが人間の姿に関するものである以上、誰に取ってもアイデンティティに直結する問題なのだ。つまり、ファッションに興味を示さないと言う事さえも、一つの自分らしさを示して居る。それと同時に、勿論、衣服で自分を語り切る事も不可能だ。

現代では、殆んどのモノがファッションアイテムと化して居る。この状況で、改めて「自分とは誰なのか」と言う問いに、個人として向き合いたいと思う。

2、流行

次に、ファッションと言う言葉は、上記の様に個人単位の行為として捉える事も出来るが、それに対して、流行と言う社会的な現象として捉える事も出来る言葉である。この現象を認識論として見ると、自然科学の様な一貫性や厳格なロジックを構造として捉えたい処だが、ファッションはそうは行かない。

正解が日々変化して行き、ときには正義さえも移ろいゆくこの現象について、多面的に理解を深めたいと思う。

3、コミュニケーション

次に、コミュニケーションに付いて。自分は今までの人生でその殆んどを「言語的な」コミュニケーションに依存して来た人間だ。しかし、実際には言語だけで他者を理解など出来るはずがなく、多くの非言語的なコミュニケーションが存在して居る。そして、ファッションは非言語コミュニケーションに大きな影響を与えて居るはずだ。

そこでファッションが、他者との関わり合いの中でどのような影響を及ぼすのかに注目して考察したい。

具体的には、衣服のメディアとしての役割、あるいはファッションにおいて記号的なコミュニケーションは可能なのか、など。

4、身体性

最後に、衣服の考察を通して、自分の身体について理解を深めたいと思う、われわれは衣服を身に着けてはじめて人間になれるのである。ある意味で、衣服は自分の体の一部としても考える事が出来るのだ。衣服が担う事が出来る身体的な機能や、社会的な役割に付いて考えて行きたいと思う。そして最後に、ファッションと言う多義的な抽象概念を理解する為にも、出来るだけ「お洒落」であろうとする努力も怠らない様にしたい。

なるべく複合的に、俯瞰的に積極的にファッションに関わる事によって、よりその構造が明らかになる事が多いかも知れないからだ(そして何より楽しい)。

ファッション行為には自己主張性、自己顕示性、競争性の3つの心理学的要因が影響すると仮定して、ファッションにおける他者比較の心理を明らかにする為に、ある機関がアンケート調査を実施した。調査結果は因子分析を行い、次の4つの因子を抽出した。 因子1:自己主張性尺度が多く含まれる「自己主張の因子」 因子2:個性に付いての質問が多く含まれる「個性化の因子」 因子3: 同じものを好み、流行に合わせる事に付いての質問が多く含まれる「模倣的・同調」の因子 因子4: 競争心尺度と自己顕示性尺度の項目が多く含まれる「競争心+自己顕示の因子」 その上で、それぞれの因子においてもっとも負荷量の高かった項目に基づいて因子にあてはまる者とあてはまらない者の間でt 検定を行う事で、調査協力者の内部構造の分析を試みた。その結果、自己主張の高い人たちは、個性的なファッションアイテムを好む事が示された。個性化願望の高い人たちは、
 
注目されるのが好きである事が示された。模倣性の高い人たちは、友達とファッションを真似されたり真似したりする事で自信を高める事が示された。競争心の高い人たちは、流行のファッション・アイテムを取り入れる事で魅力的になれると感じた事が示された。また、皆んなと同じで自分を隠したいと言う者は、圧倒的に少数派であった一方、皆んなと同じだけど誰よりも魅力的な自分や皆んなとは違う魅力的な自分を追い求める形でファッションを楽しむ者が多数派である事が示された。 Tarde やSimmel の時代から100 年程度経った今でも人間の本質は、そうそう変質するものではない。現代の様に、ファッションの選択肢が格段に増えて来ても、多くの人は、なお、皆んなと同じと言う事にこだわりを持ちつつも、皆んなと同じ中で尚且つ自分が一番で居たいと言う自己顕示性を求め、自分や他人と競争を続けて居るのである。。。。

 

 

 

 

小松菜奈が全力疾走! 映画「恋は雨上がりのように」主題歌「フロントメモリー」MVが公開

 

 

2日分の食料。朝昼用・・・・・。

 

 

 

【What's Yohji Yamamoto】服飾偉人伝VOL.3 ヨウジヤマモトを解き明かす

 

 

私が、好きで応援して居る青木志貴ちゃんです。。。声優で舞台俳優、YouTuberです、、、志貴ちゃんの自伝書いましたよ。もうそろそろ届く頃です。”志貴ちゃん。購入したよ〜〜!!”

青木志貴さんのインスタグラム写真 - (青木志貴Instagram)「ネイビーから4日?もうグレーになったよ(°▽°)」2月18日 7時36分 - eerie_eery

 

【祝7歳】愛しの我が子のお誕生日をお祝いしました!

 

 

 

 

 

==「過去記事より抜粋」==

      「ハードボイルドについて、、」

書店では収穫無しだったが、古書店で一冊買い込んだ。

 

どうも最近、正規の本屋では欲しい本が見当たらない。要するに、私は小説はあまり読まないのです。昔はセリ・ノワールだとかハードボイルド小説だとか読んでいたけど。ダシール・ハメットとかゼェイムズ・エルロイなどだけれども、ハメット、チャンドラーに代表される伝統的なハードボイルドに対するアンチテーゼとして新しいハードボイルド、すなわちネオ・ハードボイルドが生まれたのは1970年代に入ってからで、次々と新人作家たちがデビューを果たした。ジョセフ・ハンセン「闇に消える」マイクル・Z・リューイン「 A型の女」ロジャー・L・サイモン「大いなる賭け」ほかで、特徴的なのは、一部の例外はあるものの、ヒーローたちは伝統的なタフガイ・ヒーローに対抗してのアンチ・ヒーロー、事件のみならず探偵の私生活が書き込まれると言う私小説の味わいが濃くなった。

重要なのはこのアンチ・ヒーローであり、エルロイがデビューした1980年代はネオ・ハードボイルド派の探偵たちが大きく注目された時期である。

主人公の殆んどがマイノリティー派、ドロップ・アウト組、市井派などに分けられ、これらはハメットのサム・スペイド、チャンドラーのフィリップ・マーロウ、などのタフネスやヒロイズムとは無縁の、より現代的な主人公像で、それがヴェトナム戦争後のアメリカの疲弊した社会、価値観が喪失しつつあった時代にはより身近に感じられて歓迎されたのであろう。

映画を例に取ってもハンフリーボガートの「三つ数えろ」ロバート・ミッチャムの「さらば愛しき女よ」などに対して、同じフィリップ・マーロウでもエリオット・グールドの「ロング・グットバイ」やクリント・イーストウッドの「ダーティハリー」などが出てきた。1980年代になるとあの2枚目スターのアラン・ドロンも冴えない3枚目の私立探偵を演じた「危険なささやき」などが出てきた。ああ、ロバート・カルプ 主演の「殺人者にラブソングを」もありましたね。

 

ダーティハリー、山田康雄の吹き替え版

The Long Goodbye Official Trailer #1 - Elliott Gould Movie (1973) HD

Pour la peau d'un flic (film 1981) bande annonce

【町山智浩のアメリカ映画特電】ガンマニア俳優「ロバート・カルプ」追悼

Magnum Heat (USA 1972 "Hickey & Boggs") Trailer deutsch / german

Farewell, My Lovely 1975 theatrical trailer

 

クリント・イーストウッドと言えば最近の若い人たちは映画監督でしょうと思って居るでしょうけど、「ダーティハリー」はその後の刑事アクションの流れを変えた作品です。何しろ初めは、フランク・シナトラで撮影を開始していたのだけどもシナトラが「俺はこんな汚い役はやりたくない・・・。」と降板してしまい。替わりに「夕陽のガンマン」やらのマカロニ・ウエスタンでアンチ・ヒーロー像を体現して居たイーストウッドが演じた映画です。サンフランシスコ警察殺人課の刑事。常に汚れ役の仕事を任せられる事から、「ダーティ(汚れ屋)ハリー」と呼ばれている。所有する銃はスミス&ウェッソン社のM29・44マグナムという大型銃で、射撃の腕も超一流。しかし、犯人の捜査には手段を選ばず、暴力に訴えることもあり、しばしばトラブルを起こすそんな刑事。しかし思うに、ハードボイルドは今の時代、消えてしまいましたね。

「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。

ハードボイルド小説とノワール文学(小説)は多くの共通項があると同時に、さまざまな点で異なって居る事もまた事実です。ハードボイルドとノワールの最大の相違点は、「主人公に感情移入が出来るか否か」です。いや、主人公が強固な意志の持ち主であるか否かと言い換えた方が解りやすいかも知れません。

 ハードボイルド小説の主人公は、過酷な現実に直面しても感情に流されず、己の信念を貫く為に命懸けで抗います。一方、ノワール文学の主人公の多くは、意志の弱さゆえにどこまでも転落し、破滅へとひた走ります。

 

ちなみに古書店で購入した本です。ユリイカはちょくちょく購入しています。

 

 

 

なんとまあ、ジジィでぇ〜〜。すっとぼけた顔して居るのか、、眠りから覚めた直後の写真です。。。

 

 

 

 

==「これも過去記事から以前の話です。」==

        「レーザーディスクの思い出」

貧血のため、夜は色々とおかずが多い宅配弁当を取っているのですが、1ヶ月で1万8千幾らかになる。その他、朝、昼の食費が可也掛かっている。此の儘ではどうしようもないので、昼は120円の惣菜パンを2つ買っていたのだが、弁当では金が掛かるので。そうしたら訪問看護師さんがおにぎりにした方が良いと云うので、今日はコンビニでおにぎりを明日の分も含めて4個買って来た。今日来た若い看護婦さんは矢張り、私の映画コレクションやら書棚に興味があるらしく小津安二郎の書籍を見て居て、「私、前にみゆき座で、小津安二郎の映画を週替わりで上映して居たので、その期間中、映画を観に行ってた....。」と云ってましたね。それで、レーザーディスクを「レコードですか?」と訊いて来たので、これはレーザーディスクだと云って見せてみたら、良く解らない顔をして居たので、五社監督の勝新太郎と石原裕次郎、それに山本圭、仲代達矢、三島由紀夫、共演の「人斬り」を見せてテレビで再生して見せたら、「三島由紀夫が出て居るのですか!!」と驚いて居た。三島が役者としても活躍して居たのを知らない人も多いかと思う。まあ、レーザーディスクと云っても、今時の女の子は解らないのだろう。

多分、幼い頃に、レーザーカラオケとして普及して居るのを、見たか聞いたかしたぐらいだろうと思う。。。。一般の人はレーザーディスク=カラオケの概念が強く。映画を収録してある、レーザーディスクがあると云う事は、映画通の人なら直ぐに解るけど、それ以外の余り映画には興味のない人たちには、そんなに知られて居ないかも知れませんね。以前に弟の嫁さんにレーザーディスクを見せたら、「私も、実家にカラオケの機械と一緒に持って居る」と云うので、「これは映画を収録してあるんだよ」と云ったら驚いていた。最近の若い女の子が知るはずも無いと云った処か。1990年代はまだビデオが普及して居たので、映画通は別にして一般の人は、レーザーディスクまでは手が回らなかった見たいですね。まあ、私はビデオテープのソフトを買うのでは無く、レーザーディスク、それも中古を買い漁って居ましたが。

雑誌で以前読んだのだが、俳優の竹中直人さんは、2万枚のレーザーディスクを所有して居て、自宅とは別にマンションを借りて、そこに全部収納して「映画の部屋」と命名し、映画が観たくなると、そのマンションまで行って居たそうです。まあ、今日はそんなこんなで疲れた1日だった。

追伸....。今はレーザーディスクはもう販売して居ません。特殊な店に行けば中古のソフトが一枚百円ぐらいで売られて居るのでしょうけど。ちなみに竹中さんは今はBlu-rayで映画を集めて居るそうです。2万枚のレーザーディスクは矢張り処分したのでしょうか、、このblogを見てくれた方、此処まで付き合ってくれて有難う御座います。それから、このblogの過去の記事も読んで見て下さい。「生活保護と音楽論と永嶋慎二....。」だとか「 こんな時代を生きて来た.....。」だとか「modern.girlとsamurai.spirits」などは独立した読み物として読めるかと思いますので、お勧めのblog記事ですから。暇があったら記事一覧から見つけてクリックして読んで見て下さいね。それでは宜しく御願い致します。此処まで読んでくれて有難う。下はお恥ずかしながら持っている書籍の一部です。笑わないでね.....。

 

 

 

 

 

下は妹尾さんの貴重なライブ映像と、日本のブルースシーンを特集したテレビ番組です.....。暇つぶしに見て下さい。よろしく。。。

Weeping Harp Senoh_His Eye Is on the Sparrow

StarDust WeepingHarpSenoh

SENO-TERA SESSION

kiyasumeが吹くマイナーな曲のメドレー。また聞いてやって下さいね。。。

kiyasumeが作ったメロディー。下手ですが聞いて見てやって下さい。

kiyasumeが吹いたハードバップ風、ハーモニカソロ 。聞いてやって下さい。

 

"The Roots" japanese TV show [Weeping harp senoh][Shinji Shiotsugu] Second part

 
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