とてもかわいくニャーニャー鳴いている子猫
昨年に書いた文からの抜粋ですが。読んでみて、我ながらにいいなと思いましたので。再び複数のblog記事から転載して載せておきますね。今回は文が殆んどですので。よかったら付き合ってやって下さいね。それに短いですよ。間に動画は入りません。最後に溝口健二監督のお勧め名作映画がありますので。よろしくね。。。。。
kiyasumeのヘタッピな短いハーモニカバラード。
バラード SD 480p
Bridge over troubled water 明日に架ける橋 尾崎紀世彦 UPG‐0083
人は、特に女性の男性の服の好みには閉口する。何故なら、ヨウジヤマモト ・ファッションを着て居るとなんか気取って居て嫌だと言い。バッチ・デニムシャツとロックのミュージシャンのTシャツ。そしてブルークン・デニムのジーパンを履くと。変な格好だと言い。最近暑いのでアメカジのアメリカ空軍のシャツを上着にして中にブルースマンのプリントシャツとスラックスで居たら。今の格好が一番カッコイイと言うのです。なんだろ。様するに若い格好がいいと言って居るのだ???。お袋もそうだった。私に服を買って来てくれるのはイイが、要するに女性が男に求める格好なのだ。私は確かに歳にしたら若作りをして居る、此間だ買った秋口に着る薄手のデザインコートはヨウジ・ヤマモト のものだ。しかも若者向け用に発売されたものですよ。しかしそれが気に入ったし、カッコイイしね。着て見てもエレガントで大人っぽいんですよ。大体の女性が服を恋人やら子供に選ぶ時は大抵が如何にも子供っぽい服を選ぶ。物凄く語弊がある言い方なので反論もあるかと思うがあえて言わせて貰います。何故。イイ年をした。私から見たら30歳から40歳にもなる女性が、ジャニーズに嵌って見て居るのでしょうか?。要するにあえて言わせて貰うなら女性の幼児化ですよね。
ある女性がこう言った。「男は若ければ若いほどイイ。」前に亀梨くんの代表作「妖怪人間ベムTVシリーズ」を見せたら「髪が長く銀髪で白く見えるので歳取って見える」と言うので。「手紙」と言う最近のシリアスなドラマを見せたら。「こっちの方がいい。髪短くて若く見えるわ!!」と言うのだ。私は此方の方が見て居て歳を取って居ると思うのだが????。私が40歳近くなった頃。母が私に服を買って来てくれるのだが、殆んどがデパートの店員によって選ばされたものだった。そしてどれもが20代30代が着る様な服でその上華やかな色使いだった。私は40歳ぐらいの頃に母に言った。「もう家にお金入れないで自分の身の周りのものを買うよ。いいでしょう?」しかし母は黙って居た。この話は何遍も言うが私が20歳頃にトレンチ・コートが欲しくなり。新宿の小田急デパートのダーバンの売り場で買おうとした時だ。店員と私が選んで居るのに母が怒り出した。「何が!!トレンチコートだ!!そんなものはお前は着なくていいんだ!!」そしてコートを買ってデパートの中で歩いて居て大喧嘩になった。「店員に言い様に、騙されてそんなものを買って着るのか!!」
私は怒って言った。「何時もお袋が買ってくる服はガキ向けなんだよ!!」「俺だってちゃんとした格好がしたいんだよ!!」そしてデパートの5階の外が見える喫茶店に入って言った。「下見て見なよ。皆んな、何着て居る?」それでも母は言いたそうだった。「お前はお父さんの会社に居るんだから・・・・・」私は一言言った。「いい加減にしてくれ!。大人の男の格好をさせてくれよ!!」そして話は今です。私を昔から見て居てくれて居るヘルパーさんが居る。歳は40歳ぐらいだ。その人が若い他のヘルパーさんが「最近になったらkiyasumeさんはお洒落をし出してカッコイイ服着出した」と言ったら。「あら、あの人は昔からお洒落だったわよ」と言ってくれた様だ。男でもそう言う輩が居る。女の子なら若ければ若いほどイイと言うのだ。弟が生きて居た頃、50歳になろうとして居た私に嫁と一緒になって。若い子を見つけて早く結婚しろと言った事があった。「若ければ若いほどいい」と言うのだ。私は「障害持ちの50代の男がどうやって20代の女の子と結婚出来るんだ。馬鹿も休み休み言え!!俺をヒモにするきか!!」と怒って怒鳴った事がある。
ある女の子が言って居た。「16歳と言えば一番若くて油が乗り切った男盛りよねぇ」16歳はまだ子供だろう!?(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾何故なら「肌がつるんとして可愛くて・・・・」と言うのだ。まあ、私はジャニーズは知って居るのは元SMAPだけだ。嵐もその他の子たちも皆、誰も知らないから名前を言われても顔と一致しない。こう書くと常々私が言って来た事と相反するでは無いかと言われそうですね。しかしそれには及ばない。私はあくまで1970年代をノスタルジックに追いかけてモードやらトラッドの服装をして居るのだから。何も20代の若者になりたくて、格好が羨ましくてして居るのではありません。私が知って居る女性はGACKT君が好きだ。私は彼女に原田芳雄の若い頃の写真やらブルースを歌って居るCDを聞かせたが、一言。。。「だってこの人は男の人に好かれる人でしょ」私はGACKT君も充分に男だと思うが、、大体が女性は異性の女性化をまたは男装の麗人を好む傾向があると思います。「ベルサイユのばら」だとか。最近までホストだったローランド君の人気とかね。長髪と言うものは昔は男の特権だったんですよね。まあ、大体が長髪にすると確かに女性受けはイイとは思う。
男だけじゃなく女性も童顔男子が好きな人多くない?」
「女性だって若いジャニーズの男の子が好きな人だって沢山居る」男性だけではなく女性も童顔の男性を好んで居ると言う声もあがって居る。
また、日本人は幼いものを愛でたくなる性格をして居るのか、「ペットで言えば子犬子猫の方が人気だし、日本だと小さければ小さいほど価値が上がる」と幼さがステータスになると言う人も居る。結論は出ないが、考察すると意外な理由が見つかりそうだ。
いったい女性は、何歳くらいから年下の男性に魅力に気づき始めるのでしょうか。ちょっと調べて見ました
年下男性の魅力ってどんなときに感じるのでしょうか。年下好きを公言する女子たちがその魅力について語って居た。
(1)変な期待をしないから、がっかりしない
「年上の男性なら、なんで映画の予約出来てないの?ってイライラしちゃうことがあったけど、年下ならなんだか許せる」(29歳・会社員)
「デートに連れて行かれたお店が微妙でも、まだ慣れてないのね、と大人の対応が出来る。逆に年上だとムカつくかも」(31歳・IT関連)
「年下なら、デートでしくじっても、まぁしょうがないってなるし、ちょっと嬉しい事をしてくれたら好感度が爆上がりする」(25歳・会社員)
「そもそもあまり期待してないので、幻滅する事がない」(30歳・公務員)
男性からしたら、ちょっとがっかりする内容かも知れませんが、そもそも過度な期待をして居無いので、がっかりする心配もなし。映画館にデートへ行く事が決まって居るのに、チケットを予約して居無い…。金曜の夜に有名店へ行こうって前々から約束して居たのに、お店の予約を忘れて居る…。
年上の男性ならイラッとして仕舞う事でも、年下男性なら「まぁ、デート経験もそんなにないかも知れないし、しょうがないか」と納得出来る見たいです。
(2)自分も若返るような気持ちになる
「若者言葉や流行を教えて貰うと自分まで若くなっている気持ちになる」(26歳・アパレル)
「若い人と触れ合って居るだけで、見た目もなんだか若くなった気が…する」(29歳・フリーランス)
「彼氏が若いと、自分も若く居られる錯覚になります」(30歳・専門職)
相手の年が若いと、自分も同じ年齢のような錯覚になりますよね。若い子の流行りや、話題に触れるとちょっと若返った気分になるのは分かる気がします。
しかしこれは錯覚なのですよね。若者と話して居ると錯覚を起こして自分も若く思えて来る事がありますが。ただ若い人の話が自分が知らない事だったりして。また、今時の流行りとかトレンドとかの話で、一見自分が若返った風な感覚を起こすのです。要するに擬似錯覚なんですよ。私はよく若いと言われます。そして時には酷い時など20代の若者に間違わられた事もあります。扇風機を購入した時です。「若いもんはすぐ保証書無くすけど。ちゃんと持ってろよ!!」と40代の男から言われました。此間はベネッセの宅配の56歳の親父から、「あんた。まだ若いけど好きで音楽やってるのそれとも違うの何なの?」と言われました。私は冷静に「ミュージシャンですよ。どんな格好をして居ても私の勝手でしょ」と言いました。そうしたら「根掘り葉掘り聞いてすみませんでした」と謝るんですよね。何故こう言った事を言うのかは分かりますよ。私の髪が長いからです。
私は40代の頃の様に髪をまた伸ばしてパーマを掛けて居るだけですが。それがどうにも許せないのですよね。「格好付けやがってよ!!。」と言う事でしょう。だからもう私は自分の実年齢を言う事にしました。会う人事に言います「私は62歳だから、、」すると皆「嘘でしょ。40代かと思って居た!!。」と言う人やら「いや俺は50代だと思って居たけどそうだったの?」と色々です。此間ヨウジヤマモト のドキュメンタリーを見て居たら。訪問看護師が。「kiyasumeさんの最終目標、彼なの?。もしかして?」と言うので「そうだよ。あと10年生きられたら彼見たくなりたいね」と言った。私は昔は老け顔だったんですよ。中学の時に不良に話されて嫌々ながら話をして居たら。そいつの仲間がやって来て「すみません。こいつ何かやったんでしょうか?」と聞いてくるので『あっ〜??」となって居たら。その不良が「こいつは此の間。俺のビートルズのメンバーの写真を買ってくれたダチこうだ!!」と言ったら「なんだ。俺はまた大学生に脅されて居るのかと思ったぜ....。」と言う。弟の嫁さんに弟が私の若い頃の写真を見せたら「えっ” この人誰。親戚の人?」。ヘルパーのおばさんが言いました。「あんたの10年後はどんな格好して居るのかねぇ」私は言いましたよ「あまり変わらないはずですよ」
日本における男女の社会地位差異はいつに遡れるのだろうか 、その長い歴史を此処で考えて見ようと思います。奈良・平安時代には、女性の家族内の地位は男性より高かった。当時の日本社会は母系制社会であるため、子供の養育といい、結婚といい、女性は大きな発言権を持って居た。 若い女性が結婚を決める時にも、自分の意思だけではなく、母親の了承も得ざるを得ないが、その一方父親はその決定権を持つ事すらなかったようだ。その上、結婚した後、男性の方が女性の家に通う事になったので、家庭の中心にあるのは女性と言う事が明らかだ。おまけに、女性は家の名目と財産の全てを受け継ぐ権利があったらしい。 面白い事に、古代の家庭観念は至って薄らいだものと考えられるのだろう。男性は同時に複数の女性と結婚する事が出来るが、昼間に女性も男性もそれぞれの家で農業やその他の仕事をして居たため、一つ屋根の下に暮らせるのが夜僅かな数時間だけだった。その生活の独立性と当時の農業社会を基にして、女性の家庭内の地位は決して夫より劣らなかった。 さらに、古代において巫女は神の声を聞く事が出来ると思われて居たため、女性の宗教的な地位も随分高かったらしい。
しかし、社会的地位について、女性はやはり男性に敵わなかった。大臣や朝廷の役職を務めて居たのは全て男性だったし、社会的地位も父親から 息子へと受け継がる形になった様だ。これにより、古代から女性の社会進出は男性より少なかったのだろう。続く鎌倉時代から室町時代までの女性は、依然と宗教的に神に近い神格を持って居ると思われて居たが、武士と言う戦闘集団の成立により、女性が男性の家に入ると言う結婚形式が成立した。従って、家を守り、領地を管理し、使用人をまとめる事などは妻の役割 となった。要するに、男性ではなく女性の方が結婚相手の家に入る事で、家庭内における女性の力が弱まった。けれどそれと同時に、女性の社会進出が増えたらしい。この時期には武士の鎌倉幕府でも、朝廷の貴族の間でも、女性が政治の実権を握る姿が見られる様になった。加えて、商売での女性の役割も重要だったらしい。例としては、中国から輸入した蚕を育て、絹糸をとり、絹織物を作り、そして街の市場へ持って行き、売って儲ける事は、女性だけの仕事であり、また権利でもあった。社会の中で活躍する女性の姿は、いろんな絵などにも描き残されて居るようだ。
男に対しても女に対しても、この時期はまさしく古代から現代への架け橋だった。その後訪れたのは、「男尊女卑の風が強い」と言われる江戸時代だった。江戸と言えば、「吉原|遊女」、「三下り半」、「女性が虐げられて居る」などの印象が強い。大河ドラマによく出る「三下り半」と言う 3 行半に書く離縁状、女性はそのたった一枚の紙切れで簡単に離縁されると言う 。おまけに、この「三下り半」は離婚届けであって女性への 再婚許可でもあった。「貞女二夫に見えず」と言う貞操観念が強まった江戸時代には、夫から差し出した「三下り半」がないと女性は自らの意志に関わらず、離婚を申し出る事すら出来なかった。極端な場合は、戦争未亡人が再婚する事も出来ず、子供を抱えて辛抱すると言う話もあった。以上の家制度から見ると、女性が与えられた選択肢は極めて 限られていた上に、家庭内の地位も低かったらしい。
また、「ウーマンリブ」と言う運動もあった。1960年代後半から1970年代にかけて、主として欧米や日本などの先進国において起こった女性解放運動である。要するに女性は男の おもちゃでも、飯炊き女でも無い。一人の人間だ。と主張した。覚えて居る方も多いかとも思う。
まあ、ね、私も此処1週間パソコンが見られないので、テレビの音楽番組を見ていましたが。確かに少女時代とか。ももいろくろーばーZとか。AKB48だとかは、皆可愛いですよ。男どもが夢中になるのも解ります。しかし、私が最近好きになった青木志貴ちゃんだってもう31歳だしね。やはりね16歳から20歳代の子は可愛いとは思いますが、私の歳では好きになれないですよ。やはり若くても青木志貴ちゃんまでかな、、30歳超えてなければね、それ以下だったら犯罪ですよね。ロリコン変態です。
今日の昼の食事です。。。。
私は宮崎駿は偉大なアニメーション監督だとは思っていますが。実は彼が作った作品で以前持っていたのは「もののけ姫」と「紅の豚」と「風の谷のナウシカ」後、彼が演出していた第1期ルパン3世の全23話のテレビシリーズのレーザーディスクBOXだけでした。まあ、「ハウルの歩く城」と「千と千尋の神隠し」は新宿の映画館で見ましたが。買おうとは思わなかったし、私は宮崎さんより押井守監督の方が好きだった。でも、この2人は何時も作品発表するのが一緒で、カンヌ映画祭。ベネチア映画祭。ベルリン映画祭と何時も同時に映画が上映されていましたよね。そのせいか仲が悪かった。宮崎さんは「押井さんの犬が部屋中にクソ垂れ流して汚し回っているのを見て、ざまあみやがれと思うよ!!」と言ったの知っていますか?何故なら歳を取った宮崎さんは「犬の餌は味噌汁ぶっかけ飯だ」と言ったら、愛犬家の押井さんが「犬ぐらい食べ物はちゃんとドックフードの、栄養のあるもの食べさせなければダメでしょう?」と言ったからです。まあねぇ、歳の差なんですよね。宮崎駿は、今年で80歳ぐらいでしょうに?押井守が69歳ぐらいになるのだから。少年老やすく学成りがたしでしょうか?
それから、私は宮崎駿はロリコンだから嫌いなんですよね。あの人はね、もう60代ぐらいから、自分で言っている。あるとき電車に乗っていたら、小学校6年生ぐらいの女の子がいたそうで。彼はその子に一目惚れて、ひたすら横目で見ていたら。その子も自分を見出して、「やばい!!」と思ったとか。僕には8人のガールフレンドがいると公言して憚らない。小学生ですよ3年生から6年生までの少女たち。彼女たちを連れて山小屋にキャンプに行くのだそうです。私はその話を聞いて「オエ〜〜なんだかなぁ、完全なるロリータ・コンプレックスではないか?」と思って聞いていました。女子高生ならまだ分かる。理解も出来る。しかし小学生とは何事だと思いましたよ。その事は宮崎さんの奥さんから「あなたは女の子が大好きなんでしょ!!」と皮肉を言われているのですよね。老人が若い女の子に興味を持つことはありますよ。私とて青木志貴ちゃんやら、ヴァイオレットちゃんだとか好きだから人の事は言えないけど。しかし、私は高校生やら中学生。ましてや小学生に興味を持った事はありませんよ。
それから歳取ると一般的に女の人は男は男性機能も衰えるから女性に興味が無くなるのでは無いかと思うのだろうけど。反対ですよ。歳取ると女性に興味が出て来るものですね。英雄色を好むとも言います。男は幾つになっても男なのですよ。女性だってそうでしょ。70歳になっても乙女心はどんな人でも持っていますよね。それが人なんですよ。恋も恋愛も若いうちに沢山経験して置くといい。私はこないだテレビのドキュメンタリーでやっていた星さんという53歳のストリッパーの可愛らしさがまだ脳裏に残っています。彼女は苦労をして来た人だ。旦那もいたけど。子供がお腹にいるのに旦那に蹴られて子宮も赤ちゃんもダメになってしまった。その後離婚したが付き合う男は彼女の可愛らしさにつけ込んでくるだけ。そしてとうとう30歳の時にAV女優に転落。そして膀胱癌に罹り、今はストリッパーをしているが。そんな彼女を応援する人たちが沢山いる。夫婦で応援していた人やら女子大生の女の子。元警察官の67歳の老人。この人たちは自らを彼女の名前をつけて星組と呼んでいる。そして彼ら彼女らは星さんのストリップを見て涙を流すのですね。壮絶な苦労をして居る人には何かがあるんですよ。人を感動させるものが・・・・・・。
彼女は自然と尿が出てこないから踊る前に必ず風呂に入ってから尿道に管を通して尿を出すのだそうです。彼女にはストリッパーの道しかなかった。彼女の親は鬼のような親だった。今彼女は、一人で日本中のストリップ劇場を回る旅をして生活しています。そんな人もいるんですよ。旦那さんの給料が少ないとか?旦那は加齢臭がするだとか?今の主婦たちは自分を少しは返り見ろと言いたいですよ。私も歳だ加齢臭はしますよ。自分で今日は匂いがするなぁと思っています。しかし女性だって、化粧水やらお化粧でごまかしてはいますが、やはり匂いはしますよ。歳を取れば尚更だ。世の奥さん方、あなたを心から愛してくれている旦那さんを労って挙げて下さいね。そして世の男性諸氏。女性をもっと知的な眼で見て下さい。私は此処の所。青木志貴ちゃんに逝かれていますが。彼女は頭がいい子ですよね。自分のデザイナーズブランドも作って服も販売しているしね。凄い子ですね。だから応援しています。自分の事。僕と言っている男性気質な女の子だけども。純粋に見た目も可愛いしね。さてと話は此処までです。
奇跡の瞬間を目撃して欲しい。暑い日にぴったりのコイツを食らう。
ミュージシャン達は皆んな優しい。それは切磋琢磨して来た者だけが持つ優しさだ。バンドをやって居て私は良かったと本当に思う。それはミュージシャンと言う人たちは一見とっつき悪く見える。しかしそれはそう感じる方が悪いのだ。要するに実力の世界だ。ギターなぞ、上手いギタリストは星の数程居る。上手いのが当たり前だ。それが常識として成り立って居る。そこに何も知らない下手な人間が喧嘩を売る。いや、自己主張を繰り返す。上手い人たちはどう思うか、大抵は相手にしないのだ。未熟者はそれを恨む、自分の非は認めずに、相手が悪いと言う。これは人生の縮図だ。未熟な者が幾ら自分は凄いと言っても相手にはされまい?要するに頭の問題だ。音楽家の川井憲次氏は若い頃ロックのギタリストだった。あるコンテストで優勝もした。そして彼はスタジオ・ミュージシャンに成ろうとした。ところが譜面が読めなかった、だから挫折した。彼のギターの演奏を聴いた事がある人なら判ると思う。彼はジャズ・ギターもこなせば、フュージョンもこなす。上手いのだ。だがスタジオ・ミュージシャンには成れなかった。
スタジオ・ミュージシャンと言えば。ロック・ギタリストのチャーは、僅か15歳でスタジオ・ミュージシャンに成った。彼は自身の事をこう言う。「俺はちょうど時代の境目に乗っかっちゃったんですよ。ロックが出てきた頃(1970年代初頭)それまでのスタジオ・ミュージシャンは年取って居たし、皆んなジャズ・ギターから入って居たから。だから当時の流行のロック・ギターを本格的に弾ける人が居なかった。だからロックを聴いて育って居た俺が持て囃された経過があります。」うる覚えだがチャーはこんな事を言って居た。
Kenji Kawai Concert 2007 Cinema Symphony - the Last Name / DEATH NOTE
Hide Away チャー
私の姪っ子は作曲家兼シンガーソング・ライターとして、活躍して居た。姪っ子のスタジオでのレコーディングの練習テープを聞かせて貰った事があるが。流石にスタジオ・ミュージシャンは、皆んな上手い。出来上がったデモ・テープを聴いてドラマーの上手さに驚いた。私も、ブルース・ハープをバンドで吹いて居た頃は、プロのベースとドラマーがバックを付けて居てくれたけど。私が下手なもので往生して居た(汗)でも自分で言うのも何だけど、ギターを弾いてたバンドのボーカリストから言われた事がある。「〇〇さんのブルース・ハープは上手くは無いけど味がある。俺は好きだ」と。当時私はブルース・ハープのテクニックは其れ程上手くはなかった。まあ、今でも上手くはない。だけども。よくそんな風でプロのバッキングが居てくれたと思う。まあ、私の事はいい。姪っ子の名は「ゆり」と言います。今は引退しましたが愛内里菜とかに楽曲を提供して居ました。CDも発売して居ます「first・sound」と言うCDです。過去にはギザから楽曲を配信して居ました「ワルツの夢」と言う曲が配信された曲の中では一番好きです。AmazonでCDの方は購入できます。ゆり「first sound」です。中古なら1,280円で購入出来ますよ。宜しく。
と言う事で話を元に戻すが。私の言いたい事は。物事、何でも標準があると言う事だ。よく若いアマチュアのミュージシャンが自分とプロと何処が違うんだと言うが。ある一定の域に達したものがプロで、それまで届かないのがアマチュアだと思う。私はもう歳だし、親父バンドでもなければバンドではもう演奏はしない。私は自分の分を知って居ます。今は一人でプカプカやっているのが性に合っている。ハーモニカは一人でも演奏できる楽器ですからね。ただ此の儘では納得が行かないと言う事もある。だから練習は時折仕手居る。まあ、下手ですよ。それから、年配の方からするとこの歳でこの髪型か?と思う方も居られるかと思いますが。私は過去の自分と今向き合っています。このまま歳を取って終わる訳には行かないんです。このまま終わるんじゃ如何にも悲しい....先ほども書いた様に人は見かけで判断しますよ。だから何ですか?人には人の事情があって、由緒正しい人たちから見たら可笑しな格好に見えるのでしょうけど。特に年配の方から見れば?誰も自分とは違うのです。自分と同じ尺度で計ろうとするから、あいつは可笑しいと成るのですよね。
何遍も言っていますが、京アニに放火したバカですが。自分が行き所が無くなって、京アニを逆恨みしたのです。実力が無いのです。京アニにアニメの原作を送って落選になったら、自分の小説から真似てアニメを作ったと言って居るのです。私はこの時点でもう「才能も何もこの男には無い!」と断言出来ます。私はバンド関係で結構色々な人間を見て来ました。一緒にやりたいと来た人間で、ギターのコードも押さえられない(知らない)男が来ました。何かギターソロ弾いて見てと言ったら、おもむろにエファクターを装備し出しました。私が「直にアンプに突っ込んで弾いて見て」と言ったら怒り出しました。「人の勝手だ!!」と。履き違えて居るのです。はっきり言うとエフェクターの力が無ければ真面に弾けなかったのです。そして断られると、私に「お前はバンマスの資格があるのか」と喰って掛かって来ました。ねえ、京アニの放火犯人とそっくりなロジックでしょう。楽器が上手い下手で言っていますが。人に例えると強いと弱いなんです。歴史は強者で作られます。勝てば官軍とも言います。世の中強くなければ生きられないのです。弱いものには陽は当たりません。人間とはそんな物です。人生とはそんな物です。
最近問題になって居る引き籠り。一度社会から外れた者は世の中は認めません。人生は過酷です。だから歌が生まれるのです。音楽があるのです。皆んな音楽を聴いて憂さを晴らすのです。憂さの晴らし方にも2通りあります。一つはただ綺麗な音楽を聴いてリフレッシュする事です。この場合好まれるのがクラシックです。荘厳なオペラや、綺麗な旋律です。そしてもう一つは人生の悲哀を歌った歌やそれに共なう旋律の音楽です。ブルース、演歌などがそうです。この二つは相容れないでしょうか?、そこでブルースとクラシックを混ぜた音楽であるロック、ジャズが出て来ます。ロックではプログレッシブ・ロックやらビートルズに代表されるようなソフト・ロックが出て来る事に成りました。ジャズでは、デキシーランド。スイング。ビバップなどが出て来きました。日本には昔、浪花節がありました。今は演歌があります。よくあの映画は浪花節だと言う事があります。映像にも音楽の規定が当て嵌める事が出来るのです、感動できる映画はブルースなのです。浪花節なのです。
主人公は不幸を背負って居て幸せは遠い人生のストーリーの映画があります。人生の裏側に集まる群像劇を描いた映画があります。一般的にはエレジーと呼ばれる物です。これはブルースなんです。一般的には間違えてもエレジーとクラシックは結び付きません。でも厳密に言うとクラシックの中でチャイコフスキーやらバッハはエレジーなのです。そしてブルースなのです。だから映画に音楽は付き物です。世の中はたった5パーセントのエリートが残り95パーセントの人たちを率いて居ます。そんな事は無いと言う人も居られるでしょうけど。ならその人が95%の人間を引き連れて、何か出来ますか?出来ないでしょう。これを「パレートの法則」と言います。皆んなこの法則で生きて居るのです。しかし上の5%の人たちは残り95パーセントの人たちより常に監視されても居ます。要するに上で95パーセントの面倒を見ている人たちも面倒を見てられて居る人たちも、同じように辛いのです。だから音楽が生まれます。音楽はいいものですね..ここまで書いて来ましたが。そろそろ私なりの音楽論は此れでお終いです。ここまで付き合ってくれてどうも有難う御座いました。
Oh! Darling (Remastered 2009)
The Beatles - Lady Madonna
I Want You (She's So Heavy)
Sexy Sadie (2018 Mix)
Helter Skelter (2018 Mix)
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最後に昨年の時にも「山椒大夫」を挙げていましたが。今回は「雨月物語」をご覧下さい。
人生勉強になりますよ・・・・・。( ´ ▽ ` )
溝口健二監督作品。名作映画( 雨月物語) (1953) (English Subtitles)
今回は短いですが。此処迄です。此処まで読んでくれて有り難う御座いました。また更新できたらお逢いしましょう。でわでわ......。