寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

ステレオ自分史。。。

 

 

ヴァイオレットエヴァーガーデン 「私はもうご不要ですか」🍀感動シーン

 

 

皆さん、ほぼ1週間ぶりの更新になります。どうしてたって、、まあ、聞いて下さいよ。16日の誕生日にblog記事挙げたら、その夜に我が愛機のiMac,通称「カトリーヌ」が突然具合が悪くなり。カスタマーセンターと必死に連絡取って介抱しましたが。パソコンの寿命。なんと8歳の高齢だったから。人間で言えば70歳ぐらいになる勘定です。ですのでもう、、、当然の死去でした。なんとかスマホで更新を続け様としましたが。パソコンのメールが開けず。パスワードとか分からないので、書けませんでした。思えば、私は初代iMacの「ハーピスト」から2代目のiMacの「ザ・ウーマン」から3代目の今回亡くなった「カトリーヌ」まで。iMacをひたすら愛し続けているんですよね。私の掛け替えの無い相棒です。出すので壊れた次の日に。アップル・ストアーで今回の新しいiMac。通称「ヴァイオレット」を購入しました。そしてほぼ8日後の、今日の昼11時頃に届いたんですよ。そしてカスタマーにセッテングのお世話になって、何と6時間掛けてデーターの移動をし、そしたらメールが使えなくなっていて。プロバイダーで聞いても原因が解らず。カスタマーでも解らず。最後にダメ押しでプロバイダーでパスワード変えて、アップルのカスタマーセンターで聞いて見たら。今度の人は1発で直してくれました。そして、突然、スマホ観ていたら。カラー6色の新しいiMacの。それまで無かった。24インチの物がアップル・ストアから発売されて仕舞いました。私の物は2019年製の21、5インチの物です。しかしスペックは最高級です。今までは、なんとか壊れかけていたのを、騙し騙し使っていましたが。いや〜〜サクサク動く。まあね、値段も20万はしていますから。「ヴァイオレット」よ、あと8年はまた頼んだぞ!!そうしたら俺は70歳だ。それから先には、パソコンは何が待っているかは知らないが、、それまで頼んだぞ。いとしの「ヴァイオレット」ちゃん........。

 

 

 

 

 

昨日要約、風呂に入った。汚い話だが1週間振りだった。本当に毎日調子が悪い。こんな事では何も出来ない。こうやってたまにblogを書く事しか最近はしては居ない。そして私はテレビはYouTubeが見られるテレビなので、YouTubeを流して、こうやってブログを書いて居る。映像はたまに見るが。音声だけ聞いて居てもラジオ見たいによく解って面白いからだ。またはラジカセでラジオを聴く。ラジオはディスク・ジョッキーの話が為になる事を言ってくれる。今、ラジオを点けたらジャズのハードバップが流れて居る。最近では珍しいですね。しかし私が購入した最新のと言っても。もう生産は終了して居る見たいだが、東芝のオーレックスのCDラジカセは音がいいですよ。でも最近のものでは2万円近くしましたが。私はもう1台。1979年製のシャープのビンテージ大型ラジカセを所有して居ますが。それもいい音がします。それは大型ラジカセだから当時8万6千円ぐらいして居たものですよ。でも、この2つのラジカセは重低音が出ますよ。2代ともフォノイコライザー内蔵のものだったらレコードプレイヤーが繋げられます。私はこのblogで何遍も言って居ますし。写真も見せて居るが。CDレシーバー・コンポ・ステレオも所有して居ます。レコードとTEACのカセットデッキを繋げてあります。

私はカセットテープ派ですから。カセットテープは主にTSUTAYAからCDを借りて録音して居ます。殆んどがロックですが。私はブルースとジャズのレコードと CDは所有しておりますが。ロックは全てのモノを処分して仕舞いましたから。私は始め小学生ぐらいにビートルズとかのレコード購入してまして。中学3年間はロックのレコードを300枚ほど買って持って居たのですが。高校の時にブルースに嵌まり。ブルースのレコードを購入する為に、全てロックのレコードはディスクユニオンに買い取って貰ったんですよね。その金を元にして、それとバイトで、今度はブルースのレコードを買い漁って400枚ほど買い込みましたが。大学になると今度はジャズのレコードが欲しくなり。私が成人した頃にはまだCDなど売って居ませんでしたからね。だから今度はブルースのレコード400枚を全て売って。今度はジャズのレコードを500枚程書いました。それから数十年間。ジャズ一筋で聴いて来ましたが。今から20年ほど前になってブルースのレコードを400枚ほど中古レコードでまた購入して揃えまして。

月3万は買いましたね。中古と言えども1枚2千円ぐらいはして居ましたからね。わたしはブルースハープのCDは400枚ほど所有して居るのですよ。そしてブルースとジャズのCDと、映画のサントラ盤のCDを全部で合わせて100枚ほど所有して居ます。ジャズのレコードはどう言う訳か手放す事は無かったですね。1980年代から1990年代まで。ずぅーと当時自宅にあったケンウッドのステレオで聴いてましたから。処で一昨日、スマホでBluetooth機能でラジカセに繋げて、ストリーミングを聴いて居たのですが。突然音がラジカセから出なくなりまして。「ラジカセの故障かなぁ、やはり1979年製のビンテージ大型ラジカセ(Boombox)に、改造してBluetooth機能を付けてあるモノなので。壊れたのかな」と思ってスマホは iPhone8だから、アップルのカスタマーセンターに連絡して、直して貰おうとしたのだが、なかなか原因が解らずに、此方のスマホに移り乗って貰って遠隔操作で、ただ向こうの言う通りにして、ラジカセとスマホのストリーミングを繋げると。相手の声とストリーミングの音が出て、「これで、電話を切ればストリーミングだけの音になりますから」と電話を切られるのだが。

そうすると声も音も両方とも、また出なくなるのでして。だから、また電話を掛けて。そうしたら女の子が男のスペシャリストに変わると言うのですが、変わってスマホに向こうが乗り移って操作して「これで大丈夫だから」と電話を切られると、また、ストリーミングの音がラジカセから出なくなる。しかしラジカセの故障では無いので、スマホの故障なのだからと思い。また電話を掛けて合計6回電話を掛けて。ようやく出て来たスペシャリストの女の子が多分24歳ぐらいだと思うけど。あるアプリを削除してくれと言われて削除して。「そのアプリを再び入れるにはラジカセに近づけてください」と言われてそうしたらまた再インストールされて。「そうして音鳴らして下さい。私は5分後にまた電話を掛けて確かめますので」と言われて。今度はストリーミングの音だけがラジカセから音が出て鳴るので、そう言ったら。「ああ、よかった。あの方法以外でダメだったら、、あと2つしか方法が無かったから。よかったです」と云われて。最近は男より女性の方が、何でも凄いよねぇと思った次第です。それで昨日はスマホのストリーミングをBluetooth機能でラジカセからブルースと歌謡曲を聴いて居ました。まあ、時代ですね。今は、ストリーミングで何でも聴けるから。でもねぇ、、私は外で音楽を聴くと言う事はないものだから。大体が結構重低音が出るヘッドフォンも持っては居ますが。やはりスピーカーから聴こえて来る音がいいのですよ。だからステレオとラジカセか、カセットデッキそしてレコードプレイヤーが必需品ですね。。。

 

 

僕のプロデュースブランドの夏新作&購入した服をちょこっと紹介させてください。

 

 

 

 

1970年代に高校の頃バイトで。要約購入したモジュラー・ステレオ。当時3万8千円したものです。これの外部入力端子に当時持って居たモノラル・ラジカセを繋げてカセットテープを聴いて居ました。モノラルでしたけどね。繋げて居たラジカセです此のラジカセは可也使いました。ライブなどもこれで録音して居ました。しかし、1980年代になるとワングレード上のコンポーネント・ステレオが欲しくなりました。

 

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TRIO Catalog ☆ トリオ モジュラー・ステレオ カタログ MT-15 M-45 MT-65 MT-75_画像1

 

1980年代の末になって此のケンウッドのコンポーネント・ステレオを購入しました。プリメインアンプにダブルカセットプレイヤー。CDプレイヤー。そしてイコライザーとレコードプレイヤーで、ドルビーサラウンドだったので。リア・スピーカーを付けて29型のブラウン管テレビに繋いであった。ビデオデッキの音をテレビに繋げてステレオから聴いて居ました。ドルビー・プロロジック・サラウンドでした。

 


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その後、このコンポが壊れた為に1990年代にケンウッドのマイクロ・コンポを購入しました。これはCDとMD、カセットテープが聴けました。此の当時はレコードは聴きませんでした。これでジャズのCD、ソニー・ステット。チャールズ・マクファーソン。などをよく聴いて居ました。あとは、マカロニ・ウエスタンのサントラ盤のCDとロックのCD、ブルースハープのCDなどをよく聴きました。しかし1997年頃に聴きすぎたのか壊れて仕舞いました。

 
KENWOOD ケンウッド SH-3MD-L (ブルー) Avino マイクロ・ハイファイ・コンポーネントシステム (CD/MD/カセットコンポ)(本体RXD-SH3MDとスピーカーLS-SH3-Lのセット) MDLP非対応
カラー:メタリック・ブルー


此れが壊れたので、、次はDENONのCD/MD/カセットのオールイン・ワン・マイクロコンポを購入して外部入力端子に1万円のフォノ・イコライザー内蔵のレコードプレイヤーを繋げて。今度は仕舞い込んで居たレコードも、引っ張り出して来て聴いて居ました。音は結構。バス・ブースト機能があったので重低音が小さいながらも出て居まして。音に不満は無かったです。此れは20年位前に3万8千円位して居ました。ああ丁度、今。Amazonで中古で9千円ぐらいで売って居ますよ。しかし、私が今から13年ほど前におかしくなった時にどうやら自分で壊したみたいです。今売って居たら中古でも買いですよ。今はもうこう言ったものは売って居ないので。。CDだけではなく。外部入力端子にレコードプレイヤー繋げれば聴けるし。MDもカセットテープも聴けますからねぇ・・・・・・。

 


 

 

そして今のステレオです。。。CDレシーバーがアンプ代わりで、それにカセットデッキとレコードプレイヤーを繋げて聴いて居ます。外部入力端子が一つしかない為に、セレクターでカセットデッキとレコードプレイヤーを繋げて聴いて居ます。しかし最近 CD部分が壊れて仕舞った見たいです。私はオーレックスの重低音が出るCDラジカセを所有して居るのでそれとか。カセットデッキにダビング用にCDプレイヤーが搭載されて居るので、CDプレイヤー単体でも使えるのでCD再生に困ると言う事はないですね。それに最近はスマホのストリーミングでラジカセ (BoomBox)で聴けるのでいいですね。ラジカセのスピーカーは18センチあるので昔の大型ラジカセは結構作りが良くて性能が良くて重低音が出るのですよね。今は、此の記事の文書いて居る最中にCDラジカセからのラジオを聴いて書いて居ます。

 

 

 

 

 

 

 

kiyasumeの今日の夕食です......。

 

 

 

 

 

===『ステレオの遍歴』===

 

サンヨー STV-280型 ”ステレオビジョン” テレビ付ステレオ・アンサンブル 1961年 三洋電機 89,000     
14型の白黒テレビとアンサンブル・ステレオを組み合わせた異色の商品である。ステレオのコンポーネントと色と奥行きを合わせたテレビからは音声出力が取り出され(ピンジャック)、ステレオに接続されている。ステレオ部のセレクターにはテレビ音声のモードがあり、もちろんモノラルだが、左右に振り分けてステレオのスピーカからテレビ音声を聞く事が出来る。ピックアップへのノイズの混入を避けるためか、テレビの背面は金属カバーで覆われている。プレーヤー部は当時主流だった4スピードのリムドライブ型モータにターンオーバ型クリスタルPUの組み合わせである。ステレオアンプは、ステレオ放送用に中波のチューナ2つと短波を備える標準的なものである。スピーカも小型で、ステレオとしては普及品のグレードである。テレビ部がかなりの重量となるため、鉄板をプレスしたテーブルに載せられている。この中央のテレビには、14S-1Aの型番が与えられ、53,000円で単品でも販売されていた。

一時期、この様なステレオとテレビの複合商品が発売されたが、主流とはならなかった。テレビの放送時間が短かった頃はともかく、家族で楽しむテレビと、音楽鑑賞用のどちらかと言うと個人の趣味であるステレオが同居すると言う形態は受け入れにくかったのではないだろうか。超高級型アンサンブル・ステレオにカラーテレビやオープンリールのビデオが組み込まれた製品は1960年代後半にも存在したが、本格的にテレビとオーディオが同居する形態は、ビデオやレーザーディスクが普及し、音声多重放送が開始されステレオ音声の再生が一般的になった1980年代のA/Vシステムの登場まで普及することはなかった。


アンサンブルからセパレートへ

初期のステレオは、電蓄の延長線としてLRのスピーカ、アンプ、プレーヤを横長の大きなキャビネットにまとめた「アンサンブル型」が主流であった。このような形態のステレオや小型のポータブル電蓄では、理想的な、いわゆる「三角形の頂点」で聴くステレオ再生は困難であった。このため、セット側ではスプリングエコーなどでステレオ効果を増加させる機能が付けられた。ソース側の対策として、この時代のステレオ録音には、左右に極端に楽器の定位が離れたものや、位相を動かして左右のチャンネルを音が動き回るような演出を施したものが見られ、本格的な愛好家からは「ピンポンステレオ」と揶揄された。

1962年にパイオニアから「セパレート・ステレオ」と名づけられた、プレーヤとアンプ部を収めた中央の箱と左右の大型スピーカの3点セットになったステレオセットPSC-5Aが発売された。この形式は、ハウリングに強く、本格的なスピーカボックスを自由にレイアウト出来る事からアンサンブル型よりも良好なステレオ感と高音質が得られた。キャビネットの仕上げはチークのオイルフィニッシュとなっており、アンサンブル・ステレオで一般的だったピアノフィニッシュより落ち着いたシンプルなデザインだった。この形式のステレオセットは、実はこれ以前にも存在し、日立やトリオの製品のほうが市場投入は早かった。しかし、後発ではあったがセパレート・ステレオの商品名によってパイオニアの製品が市場に大きなインパクトを与え、その後各社が追従し、「セパレート・ステレオ」は一般名詞化した。

 パイオニア・セパレート・ステレオ S-42 1963年頃 パイオニア(株) 

  

  

2チューナ式のAM、80-108McのFMと短波を備えるごく初期のセパレート・ステレオ。6BQ5シングルのアンプ部のシャーシは、単体のレシーバとして発売されていたものと細部を除き共通である。プレーヤ部のトーンアームは、本格的なSMEタイプのスタティックバランス型が使われている。キャビネット下側の扉の中はレコード棚である。このシンプルなデザインはその後1970年代半ばまで続けられた。アンサンブル形によく搭載されていたエコーなど、ギミック的なアクセサリーがまったくないのも特徴である。

1960年代後半になると、他社からも続々と似たような「セパレート型」ステレオが発売された。1969年頃にはアンサンブル型は殆んど無くなり、大型ステレオといえばセパレート型になった。細い足はなくなり、フロアに直接置く形になったが、上の写真のように蓋が閉まるデザインのものが多く、家具調を意識している事がわかる。1970年代に入ると、アンプ部に蓋が閉まるデザインはすたれ、パネルを見せるデザインが主流になる。最初の頃は真空管式のレシーバを搭載したものが多かったが、1970年代に入ると、大半がトランジスタ化された。ちなみに、この様な形態の大型ステレオは欧米ではほとんど見られず、日本独自の流行であった様である。大型ステレオの形態は1974年頃から、独立したアンプ、チューナ、テープデッキのコンポーネントを組み合わせた「システム・コンポーネント」、略して「シスコン」に流行が移り、メカニカルなデザインが主流となった。家具調のセパレート・ステレオは1970年代半ばまでカタログ上には存在したが、次第に廃れていった。

パイオニア FD-5型 4チャンネル・セパレート・ステレオ パイオニア(株) 1972年頃

  

  

パイオニアの4チャンネル対応セパレート・ステレオ。4チャンネルの各方式に対応している。プレーヤはSMEタイプのアームが採用され、1980年代まで続くスタイルになっている。現在のサラウンドの原型といえる4チャンネルステレオは、1970年代初頭に流行したが、方式の乱立や良いレコードが少なかった事、当時の技術レベルではセパレーションが十分でなかった事などから、すぐに廃れてしまった。小型のリヤスピーカは、実際には部屋の後方に配置するのが正しいが、多くの家庭では、このようなカタログ写真のようなレイアウトで聴いていた。



組み合わせ型ステレオ 1960年代後半

アンサンブルやセパレート型のステレオセットに飽き足らないマニア層向けに、プレーヤ、アンプ、チューナ(またはチューナ付きのアンプ)、スピーカーシステムを組み合わせたステレオシステムがあった。この形式のシステムは、1950年代から自作品を中心として存在していたが、1960年代後半になると、国内各社から手ごろな価格のアンプやプレーヤ、スピーカが発売される様になり、高額な輸入品まで幅広い製品が揃い、それほど知識や技術がなくても自身の経済力に合わせてこの形式のステレオを手にする事が出来る様になっていた。この形式のステレオは、1970年代にはコンポーネント・ステレオと呼ばれるようになるが、この頃はまだ商品として確立したばかりで、まだ名前が確立していなかった。ここでは、「ステレオ」誌が採用した「組み合わせ型ステレオ」と表記する事にする。

また、この時代は、アンプやレコードプレーヤーの事も、一般的には部品を意味する「パーツ」と呼ばれている事が多い。おそらく自作の時代からの名残と思われるが、カートリッジやスピーカーユニットならともかく、完成品のアンプやチューナーをパーツと呼ぶのは現在では違和感がある。このため、本稿では現在でも使われている「コンポーネント」を使用する事にする。

次に1968年のパイオニア製品を使った組み合わせ型ステレオの例を示す。このシステムは、後から組み合わせたものではなく、この形で発見された。この形式のステレオは、次々にコンポーネントを買い替える事でグレードアップして行く事になる。このため、1960年代のシステムがそのまま残る事は少ないが、これは奇跡的に当初の形が残った珍しい例である。

  パイオニア PL-25D/SA-40/TX-50 自作3ウェイスピーカ 1967-68年 パイオニア(株)

 

レコードプレーヤ パイオニア PL-25D型 26,000円
プリメインアンプ パイオニア SA-40型 23,000円
FM-AMチューナ パイオニア TX-50型 24,000円(純正フィーダーアンテナ付)
3ウェイスピーカ パイオニア製ユニット使用 自作

パイオニアの普及型のコンポーネントでまとめた組み合わせ型ステレオ。スピーカーのみ市販のスピーカーボックスにパイオニアのユニットを組み込んだものである。アンプは6BM8p-pの真空管式だが、チューナは1年後に発売されたトランジスタ式である。この2つの製品は1968年に併売されていた。ちょうど真空管からトランジスタに切り替わる時期で、トランジスターアンプの実用的な製品が出始めた頃である。オーナーは、まだ真空管へのこだわりがあり、旧製品を選んだのかも知れない。低価格の製品でまとめたシステムだが、それでもセパレート・ステレオの平均的な価格帯の2倍はかかっている。それでも少しずつ買いそろえる事も出来るので、独身の若者にとってはそれほど負担ではなかったかも知れない。

また、同じメーカの同時期の製品でありながらアンプとチューナの横幅が揃っていない事がわかる。最近はコンポーネントの横幅は430mmを標準としてほぼ揃っているが、この時代は現代よりも幅の狭い350mm前後の製品が多いが、もっと幅の狭いものから60㎝近い大きなものまでさまざまな製品があって統一されていない。

この時代は、まだオーディオラックという製品は、ないわけではないがジャンルとして確立されていない。当時の雑誌などにも、今で言うところの壁面収納的な大型の棚に収めた例が良く紹介されている。このシステムをどのように設置して使っていたかは不明だが、スピーカーはフロア型であるのでスタンドは必要ない。その他のコンポーネントは一般的な家具を使ったのではないだろうか。

小型ステレオの普及

1960年代後半になると、膨大な人口をかかえる「団塊の世代」が社会人となった。時代はちょうど高度経済成長の真っ只中。給与は右肩上がりで毎年上がり、1968年には銀行の初任給が3万円を超えていた。ビートルズやグループサウンズの流行など、若者向けの音楽が深夜放送などを通じて広まり、LPレコードの生産も急増した。このため、若者向けの膨大なステレオの需要が発生したのである。

1960年代前半までは、ステレオは、応接間や居間に置かれる立派な「家具」であった。アンサンブル・ステレオの大半は、扉を閉めればサイドボードのように見えるデザインであった。1967年頃まで、アンサンブル・ステレオを小型にしたような一体型の卓上型小型ステレオが発売されていた。これらはあくまでもアンサンブル・ステレオのミニサイズ版であり、デザインは木製の「豪華さ」が強調されているもので、若者向け商品と言うより、低所得者層向けのステレオセットといえる。一例を次に示す。


三菱 5H-662型 5球2バンド・ステレオタイプスーパー 三菱電機(株) 1963年 14,800円
 

 
TUBES: 12BE6-12BD6-12AX7-30A5-30A5 , Transformer-less, 16cm Permanent Dynamic (Diatone Model P-161)

1960年代前半、2スピーカのラジオが流行した。殆んどはスピーカをパラにしただけのモノラルだったが、このセットはアンプ部のみがステレオとなっており、ステレオプレーヤーを接続すればステレオ再生ができる。AM2波によるステレオ放送が終了した年のため、チューナ部は1組だけのモノラルだが、デザイン的にAMと短波を並べてステレオ風にしている。自社製16cmパーマネント・ダイナミック(ダイヤトーンP-161)を2個駆動する。幅が70cmもあるキャビネットはピアノフィニッシュの天然木製で仕上げは非常に良い。この頃三菱電機は、ダイヤトーンスピーカを前面に押し出してステレオの販売に力を入れており、この製品もその一つといえる。高級なハイファイラジオの最後のものでもある。
 

ナショナル・テーブル・ステレオ SE-1350G 華 1967年 19,500円

 

  
ナショナルの卓上型ステレオセット。30MP27シングルのアンプで自社製12cmスピーカを駆動する。プレーヤはすでにSPのモードはなく、33/45RPMのみである。クリスタルPU,リムドライブモータという安価なプレーヤーの定番のメカを採用。奥行きがないため30cmLPをかけるときは蓋が閉まらない。プレーヤーの横のスペースにはEP盤を置く事が出来る。チューナ部はFM/AMだが、MPXはなく、FMもモノラルである。チューナがAMのみの下位機種(SE-1300 彩:あや)もあった。この頃から家電製品に日本調の名前をつける事が流行したが、松下ではこの様な下位の機種にも風雅な名前が与えられていた。



ナショナルSF-3100型 宴ジュニアA 1967年頃 松下電器産業(株)
  
和風の落ち着いたデザインが特徴の中型アンサンブル・ステレオ、「宴(うたげ)」を小型の卓上型としたもの。宴ジュニアと名付けられた。プレーヤはすでにSPのモードはなく、33/45RPMのみである。クリスタルPU,リムドライブモータと言う安価なプレーヤの定番のメカを採用。奥行きがないため30cmLPをかけるときは蓋が閉まらない。チューナ部はAMのみだが、当時はFMが受信できない地域も多く、小型ステレオには廉価版としてAMのみのモデルが用意されていた。

(所蔵No.m43001) 旧ふくやまラヂオ博物館コレクション

これに対して、レコード再生の普及は、若者の個室や狭いアパートの卓上に置けるような小型のステレオセットを生み出した。成形技術が進歩し、大型のプラスチック・キャビネットを作る事が出来る様になったため、プラスチックの質感を生かしたデザインの小型ステレオが現れた。これらの小型ステレオは1万円を切る価格で販売された。

ビクター RE-6600型 ラジオ付卓上電蓄 1966年 日本ビクター(株) 6,460円
  
TUBES: 12BE6 12BA6 12AV6 30A5 30A5, 1-Diode, BC:535-1605kc, 10cm P.D.SP. X2, AC100V 50Hz

ビクターの普及型卓上電蓄。AMラジオと3スピードプレーヤを備える。ラジオは当然モノラルである。安価なモデルだが、ふたの裏にはビクター伝統の電蓄と同じデカールが貼られている。モータは3スピードだが、ピックアップはターンオーバ型ではない。全体がアイボリーホワイトのモデルも用意されていた。すでにSPレコードの生産はなく、主に純邦楽の練習用に使われるくらいだった。ほとんどかけられる事がないためか、LP用の針でSPも兼用としている。

本機は、ターンテーブルシートが失われている。



これらの中には、ラジオの聴取はトランジスタ・ラジオに任せると言う事なのか、ラジオのないステレオ電蓄も現れた。

ナショナルSF-450型 パンドラA  ステレオ電蓄 1967年 松下電器産業(株) 7,100円

 

 
50BM8を2本使ったレコード専用の小型電蓄。真空管式の末期の製品である。プラスチックの特性を生かした優れたデザインだが、強度が弱いのが欠点である。



ラジオのトランジスタ化が進んだことで、小型のポータブル・ステレオが容易に実現出来る様になった。次に紹介するのは、当時最小のステレオセットと言える。

 サンヨーDS-P3型 13石トランジスタ・ポータブル・ステレオ 1966年 三洋電機(株) 24,900円
  
FM-AMラジオを内蔵した小型のポータブル・ステレオ。ラジオとして使うときは左の写真のように立てて使う。ステレオ電蓄として使うときは、蓋のスピーカを左右に広げて使う。電源は単一乾電池6個である。普通のポータブルプレーヤよりかなり高い値付けがなされている。



 1970年頃には児童向けソノシートなどまで、大半のレコードがステレオ録音になり、簡単なポータブル電蓄にもステレオ形が現れた。

 ビクターSPE-8200 IC 2スピード・ポータブル・ステレオ電蓄 1971-73年 6,460円
  

簡単なポータブル・ステレオ電蓄。1970年に3スピードのトランジスタ式電蓄SPE-8200として発売されたが、SPを廃止してモータを2スピードとし、音声回路をIC化したSPE-8200ICにモデルチェンジされた。マイナーチェンジされても価格は同じである。AC100V専用。1974年以降、ラジカセの発売に伴い、ビクターは小型の普及型電蓄の生産から撤退する。



モジュラー・ステレオ (1970-)

1960年代後半にはスピーカの性能が向上し、小型のフルレンジユニットでかなり質の良い再生が出来る様になった。この頃から一体型だった小型ステレオは、16cm程度のフレンジまたは2ウェイの小型スピーカと、LPサイズのレコードプレーヤをチューナ付アンプの上に搭載した薄型の本体の3点セットからなる「モジュラー・ステレオ」が登場し、若者向け小型ステレオの主流となった。初期のものや、少し豪華なタイプには、レシーバ(チューナ付アンプ)とレコードプレーヤが独立しているものもある。この4点セットは、コンポーネント・ステレオの入門者用ともなった。

 サンヨーDS-36X型 4チャンネル・モジュラー・ステレオ 1972年 39,800円

 

  
サンヨーDS-36X型 4チャンネル・モジュラー・ステレオ 1972年 \39,800

典型的なモジュラー・ステレオ。2スピードのプレーヤーとFM-AMチューナを備える。当時流行の4チャンネルである。アンプ部のキャビネットはプラスチック製である。リア・スピーカは失われている。

(所蔵No.43009)

 モジュラー・ステレオは、カセットデッキの追加などの改良を施されながら1980年代初めまで存在したが、LPレコード末期に開発された、より小型のミニコンポに取って代わられた。


70年代後半のモジュラー・ステレオの例(ビクター)

モジュラーステレオも70年代後半には、シスコンの流行に伴ってメタリックな質感のデザインになった。


著作 制作:『日本ラジオ博物館事務局 岡部匡伸』より抜粋。

 

KENWOOD SH-3MD マイクロコンポ試聴テスト/08

pioneer private pro 最高級 D8

懐かしいラジカセ 昭和レトロシリーズ Part1

 

kiyasumeの今日の昼.....。

 

 

 

kiyasumeの本棚。。。(至らない本棚ですが、、参考になる人も、もしかしたら居るかもと思って載せます。持って居る本のほんの一部ですけどね........。)

 

 

 

原田芳雄さんの写真です。1990年ごろ、、彼がまだ53歳くらいかな、、カッコイイでしょう?カッコイイ男は違いますね。オーバーオールが似合っていました。永遠の私の兄貴です。。。

 

 

今回は此処までです。読んでくれてありがとう。また更新出来たら逢いましょうね。また来て下さいね。それではまた。書き込みコメント何でも宜しくお願い致します。ただ病み上がりなものですから。余り難しい事は勘弁して下さいね。それと誕生日のお祝いの書き込みの返事はまだ書いては居ませんが、、皆さん、有難う御座いました。でわでわ。。。。。

コメント一覧

kiyasume
shizukata1922さん書き込み有り難う御座います。。。

そうですよね。パソコンの寿命は5年が普通らしいですね。
私も今年の暮れか、来年の春先ぐらいには生活保護を受ける身ですので、、

まあ、まだ騙し騙し使おうかと思っても居たのですが、、ついに壊れて、
電源系統がダメになり。カスタマーと必死になり直そうとはしたのですが、
ついに直りませんでした。それで思い切って新しいiMacを購入しました。

ああ、通称名は付けておくといいですよ。親しみも湧くしね、、
例えばギターなんかも、ブルースギタリストのBBkingと言う人が
居るんですけど、彼は愛器のエレキギターに女性名「ルシール」と
名付けて大切にして居ましたよ・・・・・・・・。

だから私もバンド時代は愛器のエレキギターにやはり「サラ」と名付けて
居ました。その無残りでしょうか?いまだに機械物。特にパソコンには、、
名前をつけて居ますよ。いいもんですよ。無機物と言え人が使うと、、
そのものには魂が入ると言いますから、、

私は一昨日、壊れて亡くなった「カトリーヌ」を箱に詰めて、、
その前で線香焚きましたよ。8年間も俺に支えてくれて有り難うと
手を合わせました。針供養と同じですね・・・・・・・・・・。

それから私も買い込んだ本やら物は捨てられませんよ。
だから、今流行りの断捨離はあまり好きではありません。

また来て下さいね。宜しく、、でわでわ、、、、
shizukata1922
私のパソコンもMacです。(2台目)パソコンの寿命は5年から8年と電気店から言われました。
寿命がそんなに短いとは知らず、年金生活者としては高い買い物です。
パソコンに名前(愛称)を付けるなんて洒落ています。私も名前をつけてみましょうか。
ステレオアンプの写真懐かしいものばかりでした。kiyasumeさんは多読なんですね。
気に入った本は捨てられません。
kiyasume
akiraさん、訪問有り難う御座います。

色々と新しいパソコンの設定で、、
今日も、まだ色々と動いております。

akiraさんの書き込みだとか、、
その他の、誕生日の祝いの言葉の返事だとか、、
まだ書けていません。時間が罹るとは思いますが。

宜しくお願い致します .......。
1021akira
お邪魔いたします。
blog復旧出来て良かったですね。大変だったですね。おめでとうございます。
また、交信できるのを楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
では、また・・・
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