寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

『宮台真司と立花隆』について、、、、。(๑>◡<๑)

 

私が好きで応援して居る、青木志貴ちゃん。彼女は声優で、モデルで、舞台俳優で歌手で、タレントで。自分のアパレル・ブランドのデザイナーで、ゲーマで、コラムニストで、そしてYouTuberです。皆さんも応援宜しく頼みますね、、☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 
オルチャン, かわいい, 日本, 若者, Beautiful
 
 
 
追加で自分の誕生日プレゼント買った。めっちゃお気に入りを紹介。

 

調子がまだ悪いし、最近書く事も無いので昔のblog記事からです。また読んで見て下さいね。少し、訂正しました。闘病中の記事として、挙げて於ます。気晴らしにでも読んで居て下さいね。「宮台真司」さんの記事はネットからです。。。。お読み下さいね。。。それと押井守監督の傑作アニメ「御先祖様万々歳」と立花隆さんに付いても書いてありますので。良かったら其方も併せて御読み下さいね。動画や曲も聴いて貰えたら嬉しいです。それではどうぞ.....。
 
 
 
 
【落合陽一】成長できず、夢のない「若い人に“しんどい社会”を作ってしまった」「個人主義は肯定的な意味だけでない」日本思想史の先﨑彰容、アメリカを参照できなくなった今『日本の尊厳』『国家像』を問い直す
 
 
 
 
 

 

写真・図版

 


 (プロフィール) 1959年3月3日、宮城県仙台市生まれ。私立の名門、麻布中・高校卒業後、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。社会学博士。大学院在学中からサブカルライターとして活躍し、女子高生のブルセラや援助交際の実態を取り上げ、90年代に入るとメディアにもたびたび登場、行動する論客として脚光を浴びた。その後は国内の新聞雑誌やテレビに接触せず、インターネット動画番組「マル激トーク・オン・デマンド」や個人ブログ「ミヤダイ・ドットコム」など自らの媒体を通じて社会に発信を続ける。著書は『日本の難点』(幻冬舎新書)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『〈世界〉はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)など多数ある。

 

宮台真司さんは、私と歳が同じですが、彼は、私なんかとは比べ様も無い程の知の巨人です。大学も東大の大学院を出て居ます。しかし彼と同い歳だと言う事からか、彼の話は私には腑に落ちます。それでは、彼の話です。お読み下さい・・・・。

 

 

――現代のビジネスパーソンを取り巻く様々な現象を社会学者としての鋭い視点で切り取る連続インタビュー「宮台真司とは何者なのか?」〈ソーシャルデザイナー ミヤダイ〉の考え方を理解するためのファンダメンタルの知識はどのようなものか? というテーマで聞いた。

 

「社会学」とは何だろう?

・・・・・・社会学とは、どんな学問でしょう。

社会学の対象になる概念は日常語で表せます。社会、男女、国家などです。その限りであらゆるものが対象です。「国家とはどんなものか」「『皆』とはどういう概念か」「皆で決めたことは正しいか」といった疑問を追究します。疑問自体は普段から多くの人が感じるもので、そんなに難しくはありません。でも、「入口」が簡単なのに比べ、「出口」はかなり複雑です。社会学を学んだことのない人が初めて触れれば、難しいと感じる学問かもしれません。

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日本の難点
(幻冬舎新書)

例えば「皆で決めたことは本当に正しいのか」「皆で決めたことが必ずしも正しくないとすればなぜ従うのか」という疑問を論じて、自分で納得できる答えを導き出すだけでも、かなりの知識と思考の力が必要です。僕は『14歳からの社会学』や『日本の難点』で、「できるだけ平明に書くことで最後に残る難しさを示す方法」を使っています。難しさを失わないまま易しくしようとしたんです。難しいところこそが、実は問題の本質なんですね。読んでもらった人に「すごく分かりやすかった」と言われると心外な気持ちになるし、「すごく難しかった」と言われても心外な気持ちになります。「難しかったけど、なんとか分かりました」と言われると、僕としては嬉しいです。

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14歳からの社会学
(世界文化社)

僕の話を横に置くと、大学の一般教養で習うような社会学は、何度も使い古した紋切り型の議論を教えるので、どんなに噛み砕いても残る知的な難しさが失われ、興味が起きないか、難しいだけで退屈だと感じさせてしまいがちです。でも、適切な先生から社会学を教わってから自分であれこれ考えてみると、まったく違いますよ。実は皆さんが普段から感じている疑問の解明に通じるものなので、とてもおもしろい学問だと思うようになるでしょう。

 

 

・・・・・・最初から社会学を専攻して学者になりたかった?

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いえいえ、まったく偶発的です。僕は映像作家になりたくて、70年代の半ばに大学に入学するとき、高名な映像作家やプロデューサーはどこの出身が多いのかを調べたんです。そうしたら東大の社会学科の出身が多かったんですね。「それだったら、東大の社会学に行くか」といった動機だったので、社会学という学問に対する興味はほとんどなかったと言ってもいい。ただし、僕は中学高校の時分から、哲学や思想の本を読むのが好きだったというのがあります。それもあって、実際に学ぶといろんな疑問がふつふつ湧いてきました。

挙げ句は「それなら自分でやったほうが早いな」という気持ちになりました。たまたま諸事情で就職活動ができなかったのもあって、結局は大学院にいきました。60年代は映像表現の主役が映画からテレビへと転換し、70年代は完全にテレビの時代になります。作り手の関心も記録映画やドキュメンタリーからテレビドラマへと移行し、ドキュメンタリーは時代おくれという風潮になりました。僕は中高時代から、アントニオ・グラムシという思想家の「ヘゲモニー論」と呼ばれる議論に感染して、「メディアを通じて世直しをしたい」と考えてきました。だから、「僕は初心を捨てることになるのかな」と躊躇はしました。でも、中・高校時代にグラムシを含めたマルクス主義の文献を読んで、世直しに関連する思想に興味を持ってきたことがありますので、社会学をそうした方向から考え直せば、初心を貫徹できるかもしれないと思い直しました。いまの若者には想像もつかないでしょうが、僕らの同世代は、大学紛争や中学高校紛争の直後に中学に進学して、社会について概念的に考える訓練をしていたんですね。その意味で、僕のコースも結局は自然な流れだったのでしょう。

投球フォームが変わった?

・・・・・・宮台さんの1985年からの10年間は、性愛フィールドワークの時代と聞きましたが?ブルセラショップ(使用済みの体操服、ブルマーやセーラー服といったものを女子高生が売りこむショップ)や援助交際の時代でもありました。 

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いまの35歳くらいの方々なら知っていらっしゃいますが、僕は93年から96年まで援助交際を含めた女子高生の生態をフィールドワークして、テレビや雑誌で紹介してきました。ハイティーンの女性が元気だった時代です。その時代の僕を知る人たちが『日本の難点』なんかを読むと、政治や外交や宗教の話をしているので「ええっ!」と思われるかもしれません。でもそういう「昔の僕を知る人たち」がこの本を買ってくれていることも事実なんですね。「宮台は投球フォームを変えたのか」と思われるでしょうが、それはありません。僕が書く書物の出発点は、数理的方法を使った国家権力の分析ですが、フィールドワークが取り上げられた時代でも、そうした研究を続けていました。

例えば96年に日米安保見直し協議が始まって翌年に共同声明が出されるんですが、そのときに何の議論も起きないことを、僕はフィールドワークをしながら、おかしいな、と思っていました。どうして誰も何も言わないのかな、と。99年の第145回通常国会でもそう。国旗国歌法、有事法制、盗聴法と次々に可決成立していくのに、批判勢力がとんちんかんなことしか言わない。「何か言わなくちゃいけない」とつくづく思いました。それで古巣に帰ったんです。援交、少年犯罪、オウム事件などの専門家として世に知られたので、それ以前の僕の出発点を知らない人は「投球フォームを変えた」と感じるでしょうが、女子高生だろうが国家だろうが、僕にとっては同じような疑問の対象なんです。実際、僕の本は単著で20冊、共著を含めて100冊あって、テーマが多岐にわたるように見えるでしょうが、実際に読んでいただければお分かりいただけるように、「同じ投球フォームで違った標的に球を投げている」だけなんです。

 

 

・・・・・・最近、考えているのはどういうことですか?

いろいろありますが、一つは「ワーキングプア問題」です。間違いのない議論がなされていれば僕が出る幕はないのですが、首をかしげるような議論が横行しているので、放っておけないと思って、『日本の難点』で取り上げました。「内定取り消し問題」でも、マスコミでは企業が悪いという話になりますが、僕から見ると、学生もおかしい。内定取り消しの多くは不動産業で起きていますが、不況が最も深刻な不動産業で内定をとって安心している時点でダメです。大学では就職支援委員会の委員長をやってきましたが(2009年3月まで)、自分の将来のことを決めるときに、自分が進もうとする業界の情報を集めて研究するのが当然なのに、多くの学生は情報も集めず、研究もしないのです。

また、学生たちはテレビコマーシャルが頻繁に流れるような会社に行く傾向があります。ここに二つの携帯電話会社があるとします。オシャレでかっこいい会社Aと、ダサい会社Bです。すると学生は、9対1でA社に流れます。でも調べてみれば、財務内容に差があって、Bは堅実な財務内容なのでイメージ戦略に頼る必要がなく、Aは自転車操業なので「B to C」の(消費者向けの)イメージを必死で展開しているという背景事情が分かるはずです。社会がどう回っているのかを知らない状態で企業を選んでも仕方ないでしょう。学生はいままで消費者でしかなかったのだから、社会のイメージが歪んでいるに決まっています。それを自分で修正しなければいけないのは当然です。

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昔なら、イメージに左右されて浮ついた就職活動をする学生に、親が「目を覚ませ!」とか言ったはずです。ところが、いまは親も同じで、オシャレに見える企業に就職できれば、親も鼻高々という具合。まったく馬鹿げています。学校選択でも同じです。子供たちが、総理大臣になったり発明博士になるために大学に入るんじゃなく、親を喜ばせるためにいい大学に入るようになります。僕は、革命家になるために、大学に入ろうと勉強しました(笑)。でも、いまはそういう人はいないんです。就職もその延長上です。だから、昔の親や、昔いた近所や親戚のおじさんおばさんたちの役割を、社会学者が果たしたほうがいいとなるわけです。

しばらくの間は、社会も長期低落傾向で続くでしょうが、いつかは目が覚めるでしょう。だって現行のシステムでは世の中が回っていかないのですから・・・。本当に大事なことは何なのかが、いずれは分かってくるでしょう。社会がまだ豊かなうちは、余裕があるぶん見当違いのプライオリティ(優先順位)をつけて「自己実現」を望みがちだけれど、いずれ余裕はなくなります。そのときに何が支えになるのか、だんだん分かるようになるはずです。

 

 

 

【宮台真司】"他人を見捨てる"「日本社会」なぜ助け合わないのか?

 

 

 

 

他者性に目を向けよう
 

・・・・・・映画評論家としても活躍されていますが?

映画批評の連載を始めて10年になるけれど、家に山ほどDVDが送られてきます。試写会に行って、家に帰っても観なきゃいけないのは大変です。映画は好きだったのですが、仕事になった時点で好きかどうか分からなくなりました。というのは、人にお勧めできる映画は10本に1本あるかないか。徒労感があるからです。最近は映画ライターの人が「提灯持ち」の記事を書くのを見かけます。そうしなければ次から試写会に呼んでもらえないと思うからでしょう。実際はそんなことはありません。僕はいつも否定的な批評を書いていますが、試写会には呼んでもらえているし、DVDも山ほど送られてきます。

むしろ否定的な批評を書いたほうが、作ったり配給したりする側には、材料になります。ほめられることは、元気づけになっても、「自分が思っているのと合致した」「狙いが当たった」ことにしかすぎないので、学びになりません。否定的なほうが、「そういう観方もあったのか、目からウロコだ」と言われるんです。その意味で、作品のクオリティをあげようとか、映画界の環境を良くしようと思うのなら、学びにならない「提灯持ち」の記事なんて書いている暇はないはずです。それは会社の宣伝係にまかせて、ちゃんと批評しなくちゃいけません。映画は、娯楽性と表現性の両方を兼ね備えなければいけません。出資者と観客の双方に、金額に見合う見返りがあると思ってもらうには、娯楽性が必須です。娯楽とは、時間を楽しむためのものです。他方、表現とは「エクスプレス」したメッセージや世界観を受け手に「インプレス」するものです。楽しい時間を過ごしただけじゃ済まない「おみやげ」を抱えて帰ってもらうことです。娯楽性と表現性は必ず両方必要だと思います。

・・・・・・それは男女の関係でも、学生の就活でも同じですか?

娯楽性と表現性がなければ、パートナーをゲットすることも難しいし、会社をゲットすることも難しい。多くの人は、一生懸命「自分はこういう人間だ」と主張するんですが、僕は「その前に楽しませろよ」と思うんですよ。いまは流動性の高い時代です。会社にせよ異性にせよ、いろんな相手を見てきているので、凡庸な人にはうんざりしています。楽しいだけの人もどこにだっているし、言いたいことは分かるけどつまらない人もどこにだっています。社会学では、異質な相手の目線からどう見えるかを理解できることを「他者性がある」と言いますが、どうも最近の若い人は「他者性の不在」という問題を抱えているようです。

つまり、異質な他者の視線に敏感じゃないんです。学生のインターンシップの受け入れ先の企業でも、同じことを言われます。「性格は悪くないんだけれど、職場で互いが何を期待しながら動いているのかが察知できず突っ立ったままという学生が増えている」と言うんです。例えば、学生は自分目線で適職幻想にかまけていますが、企業目線が求めるのは「何でもできる人」なんです。例えば、今日は自動車会社でも明日は金融会社になっているかもしれないほど未来が不透明なのが、昨今なんですよ。だから、「今の会社にはぴったりの人材」というだけじゃダメで、「何にでも適応して力を発揮できる人材」こそが重要です。「適応という事実」よりも「将来への適応力」が求められているんです。その意味で「自分はこんな仕事だけが向いています」とほざくのは問題です。現に「希望は一応ありますが、それはそれとして自分は何でもやるし、その実績もあります」という具合に活動する学生は、10数社も内定をとっています。面接官が何を言うかに関係なく、こういう時代には一般に企業目線から何がどう見えているのかを想像できるという「他者性」の問題こそが重要なんです。そのあたりの感性が乏しくなっています。

 

・・・・・・では、どういったことに目を向けていけばいいんですか?

「おかしい奴がいるな」とか「これはおかしい現象だな」と思うことがあったら、原理や摂理といった「そう簡単に変わらない抽象的なもの」を参照しながら、それに照らし合わせて、「変わりやすい現実」を評価していくことです。「〈世界〉はそもそもデタラメ」なんですから、ベタな現実に右往左往するのも仕方ないとは思いますが、動くものよりは動かないもの、変わるものよりは変わらないものに、目を向けなければなりません。僕たちは豊かな社会を生きてきたので、チャラチャラしたものには心を動かされなくなってくる一方、目に見えるものへの恐怖よりも目に見えないものへの不安が増してきたので、右往左往しないことの価値が上がってきました。そこで推奨される生き方について、僕は「クリント・イーストウッドの『許されざる者』以降の作品を観ろ」と学生に言っています。何もかも経験したうえで「所詮世の中そんなもの」と言いつつ、「どんどん前に進む」生き方です。

 

・・・・・・何か具体的な訓練の方法ってありますか?

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かつてフィールドワークの拠点とした渋谷の
路上に立つ。「行動する論客」の目には、
今、どんな光景が見えるのだろうか。

 僕は気に入った学生がいると、ナンパを仕込むようにしています。僕はこれを「ナンパ修行」と呼んでいます(笑)。ナンパの方法は、自分自身のタイプによって取るべき選択肢が違いますが、本質的なポイントは二つだけです。相手にとっての日常の延長線上に自分をなだらかに位置づけるという「無害さを装う力」と、ある時点からこの人は(いい意味で)普通の人とはちょっと違うと思わせる「違いを印象づける力」です。必ず両方が必要になります。「無害さを装う」やり方も「違いを印象づける」やり方も人それぞれですが、この二つを時間的に組み合わせる必要があることは誰にでもあてはまります。それには相手から自分がどう見えているのかという「他者性」が重要です。二枚目には二枚目のやり方があり、二枚目じゃない人には二枚目じゃない人のやり方があります。二枚目じゃないことは少しもハンディキャップになりません。アイドルの「出待ち」で行列ができるかどうかとは、関係ないんですね。加えて、「違いを印象づけるやり方」には小手先のものと本質的なものとがあります。小手先のものは単なる「ナンパ術」ですが、本質的なものは真に「ひとかどの人」になること。そうすれば技術に関係なく、歩留まりが上がります。

それなりに「ひとかどの人」になれれば、そのあとは単に相手の日常の延長線上に自然に位置づくように配慮すればいいだけ。こうしたことが分かるようになるだけで、ナンパ術は、営業術にも外交術にも応用できるようになります。そこには「自分自身を分かってもらおう」とせせこましく振る舞う余地などありません。「ひとかどの人」が「自然に見えるように」振る舞えばいいだけです。これを古くから「能ある鷹は爪を隠す」と言います。僕自身について言うと、僕は仕事上のイメージが極めてアグレッシブなので、逆にプライベートでは完全にアグレッシブさを控えます。そうすると、さきほどの二つの要素「無害さ」と「違い」とを同時に印象づけられるわけですね。アメリカで開発されたアウェアネス・トレーニング(自己啓発)のいろんな手法が、会社の研修などに応用されていますが、僕はほとんど全ての手法の訓練を受けてきています。

僕から見ると、その本質はたった二つです。一つは、自分自身を規定している文脈(心理的枠組や社会的枠組)を、自ら停止したり変えたりできるようにすること。わかりやすく言えば、自分自身の潜在意識の観察と操縦です。もう一つは、他者の言うことにベタに反応せず、他者の行為を規定している文脈(心理的枠組や社会的枠組)だけに反応してこの文脈の操縦に力を集中できるようにすること。いわば、他者の側の潜在意識の観察と操縦です。この二つを実行するのに有効な実践法は、自己防衛の前線をできるだけ手前側に引くこと。最低限の防衛線が侵されない限りは、余計な防衛をせずに全て譲るようにするのです。そうすれば、自己観察と他者観察の余裕が得られます。

 
 

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「あ丶ブルース」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド from album "あゝブルース Vol.2" 1976年

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大学在学中に一度会社でバイトをした事があるが、私は嫌だったが、「従兄弟らも学生時代バイトに来た、お前が来ない手はねえんだ!!」とバカ親父がうるさいので、こっちはギターやらbluesharp(ハーモニカの一種)。の練習で時間が足りないぐらいなのに無理をしてバイトに行った。勿論、従兄弟らは私の事は無視をしたが、一人、駄菓子屋から会社に入って来た人間が煩かった。車に乗ってラジオを付け様とすると、「ラジオを聴くより、おらさの話の方が面白いぞ」と言い。くだらないバカ話とエロ話ばかり聞かされた。私が「今日は5時までに帰らないとライブがあるので。」と言うと「ライブってなんだ?」と言う。「あのですね、ライブハウスと言う音楽を聴かせながら飲み物やら食事をする店があって、そこで今日は夕方から演奏する事になって居るんですよ...。」と言ったら。「嘘も休み休み言え!、そんな店がある訳無いだろう!!。おらさは聞いた事もないぞ、丸嘘つきやがって!!」と言うので「あんたが知らないだけだろ!!あるんだよ!そう言う店が!!」と怒鳴ったら。「いや、おらさにも解るぞ。きっとロカビリー聴いてゴーゴー踊るんだろ...。」と言うので、もうウンザリだと思い「ブルースとジャズですよ!!」と言ったら「おらさが思うに、そう言う店に来るのは芸術家だぞきっと、〇〇ちゃんはそう言う人たちと付き合ってるのか?」と聞いて来たので「ええ!💢😤」と言ったら要約、黙った。

本当に嫌だった。だから親父の会社ではバイトはしなかったのだ。それなのに。病気を発症した後にその会社で働かされた。こんなに嫌な事は無かった。私は大学時代は生活費を稼ぐ為にバイトをしたが、親父の会社ではしなかった。あんな会社!!何が会社だ!!馬鹿しかいなかった。一度、仕事中に歳が行った社員と車に乗って居て、あまりにも訳が解ら無い話をするので、「それはこう言う事でしょう!!解ら無いんですか!!!」と怒って言ったら、「俺、解ら無いんだよ、、」とポツリと言うので呆れて黙ってしまった事がある。そう言う人たちと生活して居たので、私はもともと利口では無いけど、学ぶ時に何も学べなかった。学生時代は中古ビデオやら中古レコードやCD、書籍を買い込んで帰って来ると。昔の実家は、会社と一緒だった為に玄関先に車が停めてあり、そこに社員が車の中に乗って寝て居て、、私がその前を通るとガバッと起き上がって車のドアを開けて「〇〇ちゃん、何買って来たの!!」と言うが早いか、勝手に、私から買った物が入って居る紙袋を、取り上げて封を切って中を見てしまうと言う事が度々あった。私はその都度、激怒して怒った。「人のものでしょう!!」と怒鳴って取り返すと言う事が続いてあった。本当に嫌だった。程度の低い学の無い人間ほど厄介なものは無い。私は学歴差別をしたくは無いが。会社で働いて居る人間たちはどいつも駄目人間だった。今、親父の会社の社長はゆきかずだ。あいつには良い会社なのだろうよ。私は2度と会社のかの字も見たくは無い。以上愚痴にまた成ってしまいました。すみませんでした・・・・・・・。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

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「ベース・キャンプ・ブルース」ダウン・タウン・ブギウギ・バンド from album "続 脱・どん底" 1975年

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毎日眠くて仕方がない。1日眠たい。大体が訪問看護師が来る日でも。来る直前まで寝て居る。さっきも12時頃に、昼食べてから、眠くなり寝て居たが3時まで寝て居てまだ眠たかったが、いい加減に起きないとと思い起きたら。頭はフラつくは 、足がもつれて転びそうになるわ、この間は近くのコンビニまで歩いて行ったら。横を走って居た車と接触しそうに成り、クラクションを鳴らされて、要約、踏み止まったぐらいだ。今もだるくて眠い、すべて薬が強すぎるせいだ、診察日は一昨日だった。薬は以前に比べたら、半分の量に減っては居るが。薬剤師が以前に睡眠薬が処方された時に、「物凄く眠くなるので気を付けて下さい」とは言っては居たが、そして「最近嫌に太ったと言う事が無いですか?」と聞かれた。そして「今回、処方された抗精神薬は物凄く太るから気をつけて下さい」と言われた。しかし、そう言った薬剤師の若い女の子は辞めたらしい。恐らくは辞めさせられたのであろう。本当の事を言うから.....。だから、一日中眠くなるとは思わなかった。医者は患者が飲む薬を医大時代に飲まされては居るが、症状があって飲むのと、何も症状がなくて飲むのとは。薬の効用の聞き方が違うのだと思う。それにしても体の調子が悪すぎる。皆、薬のせいですよね。それなのに主治医に眠くて堪らないし、頭が痺れると言うと、「おかしいなあ、そんな事は無いのになぁ....。」と惚ける。私が「薬の副作用でしょ?」と言うと「薬では無いよ〜。」と嘘を吐くのですよね。私は大学受験の時に地理を塾から派遣された先生に教えて貰った事が有ったのだが、その人曰く、アメリカでマリファナとコカインを吸ったそうだが、マリファナはいい気持ちになったが。コカインは凄い効き目で自分には何でも出来ると思ったし、現に途方も無い事が出来たそうだ。

また病院に入院中にコカインをやって入院して来た人が居て、その男はバンドをやって居るボーカルで、またライブハウスで働いて居た事があったそうだが。ある有名バンド(可也有名)がライブ打ち上げでケーキの中にコカインを大量に入れて食べて居たそうだ。そいつが言って居たが、今はライブハウスでは立川から向こう方面は麻薬で全滅だと言って居た。以前にあるミュージシャンが保釈されて頭を下げて居たが、一度麻薬をやるとその効果を持続したく成り、辞められなく成る様だ。しかし、これも、だらしがない話だ。薬でしか作曲やら楽器演奏が出来ないとはね。あのGACKTくんもそう言って非難して居る。そう言えば私の同級生だった友人でヘビメタのバンドでリードギターを弾いていた男は麻薬をやっておかしくなり数年間も精神病院の独房室に入って居たらしい。歳が私と同じなのだから、もう今は60歳を超えて居るのでバンド活動はして居ないだろうが。その男はライバル心が強く、私がバンドでビパップ調のブルースを演奏したのを聴いて。自分は負けたと家出をしたらしい。当時のベーシストから聞いた。私は私だ、誰に胡散がられようが、邪険にされようが、バカにされようが私は私なのだ。私は自分の心情に誠実に忠実に生きて行くだけだ。バカにしたかったらバカにして居ればいい。私は何ももう言わない。勝手に言いたいだけ言えばいい......。

 

 

 

 

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『御先祖様万々歳』

 Gosenzosama Banbanzai! - "Detectives Do Not Believe In Love"

The Guard Dog of Time

 

「ご先祖様万々歳」は特殊系アニメです

うる星やつらの時も思いましたが押井守監督にはこういった膨大なセリフの応酬で笑わせてくれるタイプのアニメをもっともっと作ってほしいです。監督の手法だと脚本の領域が平均的なアニメよりも重点が置かれている感じがうするので視聴者の脳も耳もフル回転モードで観賞すると良いでしょう。というのもあまりボーっとしながら見ていると置いていかることもあるかもしれないと思いますので。でもちょっと集中力を高めて見ているだけでOK.それだけで密度の濃さを堪能できます。

舞台喜劇風のアニメです

5章仕立てで舞台が章ごとに登場しますがキャラクター達は基本その舞台内でストーリーを進行させていくので舞台劇を見ている感じでしょうかね。かなり変わったアニメで最初は何だこりゃと思いましたが大成功です。声優さんもすべてベテランで演技が恐ろしく達者なレベルの方々ばかりなのでその点はこのアニメに置いてとてつもなく重要なポイントだったのではないでしょうか。確かにステージ内でうまくカメラアングルを切り替えたりして絵としても飽きさせない工夫はされていますが朗読劇的な要素もわずかながら入っていますので並の演技力の声優さんではこの作品を成立させるのは難しかったとつくづく思います。あえてうる星やつらキャストにしたんでしょうがイメージもダブらず見ることができましたよ。あと鷲尾真知子さんの演技ってちょっと変わっててこの作品のキャスト全体的にもそうですが演技に遊びの様な部分があるせいなのか妙なリアルさがあります。

こんな独創的なアニメはあまり類を見ない

流行とかファンを作りやすい主流を行くとかそういった流れを一切無視して作りたいものを作ったという感じがします。日常ドラマでありながら非日常空間でありアットホームな場所にいながらも家族のメンバーが突如敵の様な立場に変化、結局一家は離散したりとかいう何か全てが相反したものと常に重なり合っているというか皮肉がとにかくもの凄く多いですね。ただ物語的には結末は割と不可解です。ヒロインの麿子の目的は?何故、どうしてこういう方向に向かってしまった?みたいな意味不明なことが盛りだくさんです。そのわけの分からなさもシリア風とギャグ風の両方の路線が同時進行して笑えるわ、でも悲しいわでなんだかもう見ていると自分の心情さえも説明できなくなってしまうほどなんです。最終的に行きつく感想は「やっぱり至極面白かった」という結論にはなるんですがね。

演出では、極端な長回しが多用されているのが特徴。というか完全に演劇ですね。キャラクターがカメラに向かって(つまり誰もいない真正面を向いて)話しかけたりしていますし、「作り話」という感覚が強調されている。『天使のたまご』もそうですが、都合のよい設定に対して何らかのエキィスキューズをつけずにはいられないのが押井監督の気質なのでしょう。長回しという点では、以前公開された『スカイ・クロラ』も800~900カット程度だという話なので、原点は案外この辺にあるのかもしれません。

 

『御先祖様』を語る上で、全話の作画監督を務めている、うつのみやさとる(全部平仮名だと読み辛い)の話は避けて通れないかと思われます。例えば第1話、黒い背景と緑のドアの前で主人公の四方田犬丸(某評論家のもじり)が長広舌をふるうシーン。ここ、動きのリアリティもさることながら、影の付け方が非常に面白い。光源の位置が特定できるような付け方がされている。前者はみんな真似しているのでそれほど新しく感じないのですが(『ef』の第7話でも、影絵の蓮治がじたばた動くシーンがありましたね)、後者は今見ても結構独自の表現かもしれません。関節を異常に強調するマリオネットのようなキャラクタデザインも「舞台的」という印象を強めています。

 Gosenzo-sama Banbanzai EP 2

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立花隆事務所(猫ビル)訪問

ON THE WAY ジャーナル 瀬尾傑 本のソムリエ 立花隆

 

 

立花隆は本名を橘隆志と書き、1940年5月28日長崎県の長崎市に生まれました。父親は教師でしたが、彼が2歳の時、文部省の職員として北京で働くことになり、家族で中国へと移住しました。1945年に日本が戦争に負けると家族は命からがら日本へと引き上げ、茨城県の水戸に落ち着きます。この時の喰うや喰わずのギリギリの逃避行は、その後彼が世界各地で放浪の旅をする原点になったようです。どうやら彼の一族は家系的に天才の血筋だったようで、彼もまた子供の頃から頭の良さは抜きん出ていたようです。小学生から中学生にかけて、彼は図書館にびっちり通いつめ、世界中の有名文学を読み漁りました。例えば、中二から中三にかけて、彼が呼んだ本の中には、「カンタベリー物語」(チョーサー)、「ボヴァリー夫人」(フローベル)、「若きウェルテルのなやみ」「ファウスト」(ゲーテ)、「嵐が丘」(ブロンテ)、「罪と罰」(ドストエフスキー)などがあったといいます。まさに、「恐るべき子供」です。

しかし、文学大好き少年だった彼ですが「科学」への興味はそれ以上だったようで、高校一年生までは科学者になることを目指していたそうです。ところが、高校の先生が「色盲」では科学者になれないと言われ、仕方なく文系の道へ、小説家になる道へと進むことにしました。分野によっては、色盲では困難な分野はあるかもしれませんが、・・・日本の科学界は大きな逸材をこの時逃したかもしれません。
 

ただし、後に彼は自分は科学者には向いていなかったと語っています。
「・・・僕は浮気性だから、大体わかったというところまでいくと、次は違うことがやりたくなる。もともと研究者は合わなかったんだなっと。・・・」

<混乱する大学で>


 その後、彼は東大の文学部に合格。大学の先輩、大江健三郎のような文学者になることを目指して小説を書き始めました。しかし、彼が東大に入学した1959年という年は、60年安保闘争真っただ中、「文学」よりも「政治」の時代でした。そんな中、彼は学生運動に参加するのではなく、彼らしくまったく異なる道を選びます。原爆関連のドキュメンタリー映画や資料をもって世界各地を旅する「反原子爆弾世界キャンペーン・ツアー」を自ら企画、実行に向けて動き出したのです。

当時、海外ではバートランド・ラッセルやアインシュタインらの呼びかけにより、反核運動が市民運動として盛り上がりつつありました。そのおかげもあり、彼らの計画に対し、海外の受け入れ先は見つかりましたが、問題は高額な渡航費用でした。そうでなくても、日本人が自由に海外旅行をする時代は、まだ先のことで、友人との二人旅に必要な費用は当時のお金で100万円にのぼりました。(現在のお金なら1000万円にはなるでしょう)募金活動だけでは、到底足りず、各新聞に記事を載せてもらい寄付を集めることと、直接新聞社から資金を提供してもらうことでなんとか旅に出ることが可能になりました。

翌1960年の4月、ついに彼らはヨーロッパへ飛行機で出発。ロンドンをスタートしてフランス、イタリア、オランダなどで映画の上映会を開催し、各地の市民運動グループとの交流を行い、彼らは船で日本へと帰国します。この時、政治運動ではない市民運動としての活動を体験した彼は、日本で繰り広げられていた中核派や革マル派による勢力争いの展望の無さ、ナンセンスさに気づかされました。こうして、彼は学生運動から離れ、ジャーナリズムの道へと進むことになります。

<ジャーナリストとして>


 大学を卒業した彼は文藝春秋社に就職。そこで「週刊文春」に配属され、その編集部で「この人と一週間」などの企画を担当します。話題の人物に一週間密着して、その人物の人間像を浮かび上がらせるというそのルポルタージュで彼が書いた人々は、ハナ肇、山本富士子、ザ・ピーナッツ、倍賞千恵子、今村昌平、三国連太郎など様々な分野の人々でした。改めて当時の文章を読んでみると、彼がごく自然に主人公の内面までも引き出してみせていることに感心させられます。著者の存在を消すことで、読者は著者とともに一週間の取材に参加している気になります。こうした、彼の客観性にこだわる文章スタイルは、この頃からすでに出来つつありました。それともうひとつ、彼がどんな人物を描く時も、けっして単一の視点で描くことはなく、常に対象に対する敬意や優しさをもって望んでいることにも感心させられます。そうした彼の姿勢が伝わるからこそ、彼の取材対象は裏表なく心の内を明かしてくれたのでしょう。

<フリーライターへ>


作家を目指していた彼は、金銭的にも時間的にも不満を感じ、二年で文藝春秋社を退社。1967年に東大の哲学科に再入学します。そこで学びながら彼はアルバイトで講談社に通い、女性週刊誌「ヤングレディ」のアンカーマンを勤めました。アンカーマンとは、記者が取材して集めてきた情報ををもとに紙面に載せる最終的な記事に仕上げる仕事。他誌との争いもあるので、時間との闘いの場合も多いようです。この仕事により、彼は様々な取材結果を文章にまとめる技術を身につけることになりました。こうした経験を生かして、彼はフリーのライターとして、古巣の「文藝春秋」や「諸君!」、「潮」などの雑誌に次々とルポを発表してゆきます。この頃、彼が書いたルポをいくつかあげると・・・。「60年安保栄光と悲惨」、「実像・山本義隆と秋田明大」、「この果てしなき断絶 - 三派全学連・父と子の記録」など、当時の政治闘争についての作品群。これらのルポには、60年安保と70年安保、二つの時代の運動の違いや英雄たちの生い立ちと挫折が描かれ、その後訪れることになる悲惨な運動の行く末とその延長線上に登場することになるオウム真理教の影を感じることができます。

「最近の学生のデモにはプラカードもビラもない。シュプレヒコールは呼びかけのためではなく、もっぱら自分たちの決意の確認のためである。60年のデモ隊の顔には見物人と機動隊に半々に向けられていたが、今は機動隊にだけ向けられている。周囲の人間から、マスコミからいかなる非難をあびせかけられようと、彼らは少しも動じない。」僕が高校生の時、教室にアジりにきた学生も今思うと教室でアジるだけアジって、生徒たちに協力を呼びかけることをしないまま、あっさりと教室を出ていったような気がします。「安保問題」自体が過去の出来事として忘れられつつあるだけに、こうした記憶はもっと語れるべきだと思います。

「『少年マガジン』は現代最高の総合雑誌か」


 1969年「諸君!」に発表された「『少年マガジン』は現代最高の総合雑誌か?」では、大人まで読むようになったマンガ雑誌が今後社会を変えていくだろうという予測が書かれています。彼はマンガという絵と文書による総合メディアは、情報量が急激に増えつつある世界において、より早くより直感的に情報吸収を行うために不可欠なツールになるだろうと指摘。しかし、そうしたメディアの変革は、その予測をはるかに越えることになりました。マンガからアニメへ、そしてインターネットの登場によって、「ユーチューブ」のような映像メディアも生まれ、世界中の情報が瞬時に見られる状況が生まれつつあります。そして、その傾向はますます加速しています。そう思って読むと当時のマンガ黄金時代はなんとものどかだった気がします。

「十七世紀にはじまる西欧文明=科学は、幾何学の精神に導かれてきた。しかし、ここにきて、幾何学の精神がもたらした過剰情報に幾何学の精神は首をしめられつつある。論理を追って受容できる限度以上の情報量に対して反応していくことが要求されている。頼るべきは直観しかない。」
「『少年マガジン』は現代最高の総合雑誌か?」

さらに情報化が進む日本社会について、こんな記述もあります。

「・・・歴史的に近代をとびこして発展してしまったので、否定すべき個もなく、はじめから情報社会的なejectの段階にあるんですよ。良くも悪くも日本ははじめから連帯してしまっているようなところがある。この意味じゃ、今の日本は世界で一番情報社会的になっているんじゅないですか。これからも個が失われる方向に進んでいくでしょう。」
川添登(建築評論家)

「毛沢東の徹底的解明 - 革命家・毛沢東とは」


21世紀にまでつながる中国独自の共産主義政治体制の原点となった毛沢東の生い立ちから、中国統一までの歴史が客観的な視点から描かれています。未だに民主的な政治とは程遠い中国の管理された政治体制や「大衆重視・人命軽視」の考え方がたった一人の男の思想からもたらされたことに驚かされます。21世紀の世界にとっては、もしかするとキリスト教よりもイスラム教よりも、「毛沢東」教こそが最大の影響力をもっているといえるでしょう。

これらのルポを次々と発表するかたわら彼は新宿ゴールデン街でバー「ガルガンチュア」をオープンさせ、半年間その店のマスターを勤め業界人の間で有名に店にしてしまいます。この頃から彼のグルメとワイン通は有名で、後に彼はフランスにワイン製造施設付の別荘を購入することになります。しかし、彼の性格上、そうした店をいつまでも続けることは無理な話で、1972年、店の経営権を売却。彼はイスラエル、ヨーロッパ、中東への旅に出発しました。その途中、彼はあの有名なテルアビブ空港の乱射事件に遭遇。唯一生き残った犯人、岡本公三との対話を「週刊文春」に発表。大きな話題となりました。その後、1974年にも彼は中近東の旅をしながらパレスチナ問題に関するルポを次々に発表してゆきます。そして、この年、彼が取りかかった仕事として特筆すべきなのが「文藝春秋」に発表された「田中角栄研究 - その金脈と人脈」です。

「田中角栄研究 - その金脈と人脈」


 戦後日本の政治を象徴する存在ともいえる総理大臣田中角栄についての取材はその後も、様々な形で続けられ、その集大成ともなる分厚い作品「田中角栄研究全記録(上・下)」(講談社)が1976年10月に発表されます。彼の名前を海外にまで広めることになるこれらのルポ作品は当初マスコミの間では、それほど重要視されてはいなかったといいます。大方の見解は二つに分かれていました。ひとつは「そんなことはどの記者でも知っていることだ」というもので、もうひとつは「確かに事実化もしれないが、もしそうならすぐに握りつぶされるはずだ」というものでした。ところが、彼のその記事について、意外なところから大きな反響が起きることになります。

海外の記者たちによって行われる外国人記者クラブ主宰の記者会見に現職の総理大臣田中角栄が登場した日、彼らの中の一人が立花氏の記事についての真偽を問いただしました。すると田中角栄は相手が日本人記者ではないことに油断したことと通訳の行き違いから、記事の内容を認めてしまいます。ところが、それがあっという間に「総理大臣による犯罪」として世界に向けて発信されてしまうことになったのでした。こうして、あの有名な「ロッキード事件」が始まることになるわけです。
 

現職の総理大臣が罪に問われ、なおかつ裁判によって有罪判決を受けるという歴史上類をみない大事件は、決して大掛かりな調査チームによる壮大なプロジェクトではなく、立花隆という一人のライターとその助手数人によって実現されました。しかし、その調査の根本にあったのは、時の総理大臣を引きずり下ろそうという野望などではなく、素朴な疑問「なぜ田中角栄はあんなに金を集められるんだろう?」を解決したいという好奇心だったようです。あとは、その疑問を解決するために総理大臣へのお金の出入りを丹念に調べることで結果は自ずと明らかになってきました。

当時、検事として田中角栄の追及を行い一躍有名になった判事、堀田力氏は、「田中角栄研究全記録」について、こう書いています。

「・・・立花さんの田中研究は、単なる日本型政治のすぐれた分析書にとどまるものではない。この研究は、ほかの研究や分析とは、決定的に異なる特徴を持っている。それは、この研究自体が政治腐敗との闘争の武器であったという点である。・・・市民は、この研究により事実を知り、腐敗の実像に怒り、変革を求めた。そのエネルギーの源となったのであり、その根源には、立花さんの憤りがあった。・・・」

<立花隆の取材、分析手法>


 優秀なスタッフやブレインを多数抱えているわけでもない彼は、どうやって取材相手を追い込み、事実を語らせるのか?その秘密はについて、かつて立花氏と仕事をした人物はこう語っています。

「情報源や取材チームの力が関係ないといわないが、重要なのは、立花隆の仮説の組み立て方だ。優れた仮説を組み立てるためには、精緻な情報の分析が必要である。この点で立花隆は天才だ。膨大な資料を読みこなし、情報を見事に整理する。強くて広い好奇心が、分析の馬力になっている。・・・」
「・・・凡人は違うのは、膨大な情報がまるでコンピューターで呼び出すように立花隆の頭の中では整理されているという点だ」
蜷川真夫

 小説家、池澤夏樹は、立花隆のルポの特徴についてこう書いています。
(1) 日本人全体あるいは人間全体に関係する大きなテーマを取り上げ、
(2) それについて正確なデータを幅広く集め、
(3) それをダイナミックに分析して、
(4) 結果を簡単明瞭な文章につづる。

こう書くとジャーナリストや評論家なら誰もが考えそうなことばかりです。しかし、(1)のように広いテーマを扱うためには、科学も文学も政治も、すべてのジャンルの知識をおさえる必要があります。それぞれのスペシャリストではなく、すべてを知り、総合できる能力をもつ人材は日本という国の教育制度からは、非常に貴重な存在です。(2)(3)は、応用数学的、統計学的、科学的な分析力を必要とされる分野。(4)は、文学的才能を必要とされる分野といえます。統合的な能力をもつ彼だからこそ、四つの特徴をすべて合わせもつことができるのです。

さらに池澤は、もうひとつ重要な点についても言及しています。
「立花についてもう一つ大事なことがある。それは彼が決してアジテーターではないということだ。データを集め、それを分析して、一つの結論を出す。彼がやるのはそこまでで、その結果をもって大衆を脅かし、生活の変革を迫り、それを運動化することで自分の力を強めるという回路に彼は決して近づかない。権力の欠如といってもいい。・・・」

彼にとってのルポは、元々彼が大好きな放浪の旅と共通しているともいえます。旅の中で新しい何かを発見する喜びが、机に向かって頭の中で新しい物語を作る喜びを上回ったということなのでしょう。
「・・・だからある意味では、ずっと探検ばかりやってきた。暗黒大陸というか、未知の領域、世界を見つけたとき、それがいちばん面白いんじゃないかって気がするね。・・・」
湯川豊(文藝春秋社)との対話より

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アメリカの白人の天才的なブルースハープ奏者です。騙されたと思って聴いて見て下さいね。

 

Harmonica Master, Jason Ricci, Live!

Kim Wilson and his Blues All Stars . You're The One . December 2016.

The Kim Wilson Blues All-Stars Live at KNKX Public Radio

Jason Ricci & the bad Kind - Hip Shake - Live for bluesmoose radio

 

此処まで読んでくれて有難う。また来て下さいね。それではまた。更新出来たら会いましょう...。

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