7日、日本を経ちジャカルタ経由デンパサール、迎えの車でウブドに来ました。
写真は9日ビューポイントでの食事と言うことで行ったLereng Agung
Twitter、facebookで滞在記を更新しております。
なお、twitter,facebookのアドレスは
https://twitter.com/yoshidakiyoshi
https://www.facebook.com/kiyoshi.yoshida.7
です。
よろしくお願いいたします。
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今回もジャカルタでの乗換は大変でした。JALからガルダ―インドネシア航空の乗り継ぎはいまだによく理解できていません。
① 最終目的地のデンパサールまで手荷物の託送ができず、ジャカルタで引き取ることになる。
バリ島行きの座席前のディスプレー 31Aに座った
② JAL便からガルーダへの乗り換えで乗り換え通路がよく分からない。JALの案内がインターネットにもない。追う全ガールだにもないようだ。
ジャカルタ空港のスターバックス前で
③ 掲示板のゲート案内が古い(最新時点に更新されない)
など思わぬことが続いています。
特に今回はインドネシア国内線に乗り換えでチェックイン時に渡された搭乗券のゲート番号と掲示板のゲート案内が相違し、右往左往したのですが、結局、搭乗券のゲート案内が正しいということになりました。私に思い違いか、掲示板に表示される案内が古かったのです。よくほかの国の場合、印刷物の案内が古い場合があるので掲示板の案内を確認しろと言われていたような気がしましたが、インドネシアではそのようなことが無く、今回の拙い経験からは印刷物が正しいようでした。
宿のテラスから
しかし何はともあれ、無事デンパサールにつき、娘ともドッキングでき(娘は羽田からシンガポール経由でバリ島デンパサール空港に)、ウブドの宿でのんびりした時を過ごはじめました。
宿のプール 初泳ぎをしました。
ウブド行きまであと10日、そんな中、最近「バリ島デンバサール日本国総領事館」とある「旅行会社」のお知らせを知った。そのお知らせを抜粋して紹介したい。
1 インドネシアのバリ島においては,3月23日(金)にニュピ祭(釈迦暦新年)が行われます。当日、バリ島では火や電灯が一切使われないほか、飲食店や商店などの営業が禁止され、これに伴い、外国人であっても様々な制約を受けます。
2 バリ州政府は外国人に対しても理解を求めるとともに、以下の内容の通達されている。
(1)3月23日の午前6時から翌24日の午前6時までの24時間、外出、異動、車両の使用、火と電灯の使用及び娯楽など静粛を妨げる行為は禁止する。
(2)バリ島のングラ・ライ国際空港においては国内線・国際線ともにトランジット便及び緊急着陸便を除き、全ての離発着を禁止する。
(3)バリ島に出入りする船舶に対する全ての海運サービスの提供を禁止し、海港を閉鎖する。
3 ニュピ祭の行動制限が外国人を含むバリ島内の全ての人々に適用され、警察、医療機関、消防等の治安及び人命に関わる特殊かつ緊急を要する活動を除き、島内での屋外行動が禁止される
ということでこの日は「断食と瞑想に専念する精神修養の日」、われわれは家の中で何をして過ごせばいいのだろう、食事は、電気は使える?、パソコンは、プールは・・・・。
次のページはホテル、ヴィラ、エステ、各種ツアーを扱うバリ島の旅行会社からのニュピ日前後の休業のお知らせ http://partenza.jp/index_nyupi.html
昨日、東京に行く用事があり、ついでにJALプラザ有楽町で、ウブド行きのEチケットの印刷依頼に行ってきた。
今回の帰国便はデンパサール空港からジャカルタに行き、ジャカルタでJALに乗換るが、このガルーダ航空のジャカルタ行飛行機の出発時刻が変更になり、メールでJALから連絡があった。インターネットでその変更承諾手続きをしたが、何の手違いか、変更後のJALのEチケットがエラーで印刷できなくなってしまった。
JALプラザ有楽町ではエラーの原因は分からないということで、Eチケットだけを受け取ってきた。ところが、受け取ったEチケットを家で確認すると、馬鹿なことに、変更前の古いEチケットを再発行していたのだった。 古いチケットを持っていったらどうなったのだろう、今は日本にいるときわかったのでホッとしている。
振り返ってみると、受取時の窓口でのやり取りでJALの窓口嬢はEチケット上の「出発時間の変更」の確認はなく記名人だけを確認していた(違った人のEチケットを渡せば大問題になるのだろう)
また、JALの変更連絡メールはお役所的でメールでの連絡であるのに客からは「メールでは連絡するな」の文言であった。
昨年、ANAでバリ島に行ったがやはりガルーダ航空の出発時刻が変更になりメールをもらったが
そのメール内容・デザインがJALとは雲泥の差、また、メールでの連絡がつくような案内文言が記載されていた。(別件だが、このANAの古いメールを簡単に見られたが、これはグーグルの無料メールソフトGmailを使っているから、大量にメールを保存できるシステムはこうゆう時に役に立つ優れもの)
特に海外では日本への電話代金が高額になることからメールでの連絡を考えるがJALではその方法が無いことになる。
また、今回のEチケットのエラー原因は驚いたことに私の「顧客承認」手続き結果をJALがその入力を漏らしていたとのこと。(自社便以外の変更はこのように手作業で入力)
今朝JALプラザ有楽町に電話して何とか解決し、私のパソコンで正しいEチケットが印刷できた。
このところ放送大学期末試験の準備(相変わらずの一夜漬け)、次学期の受講手配、OB会のHP編集ボランティアなどに追われていた(ブログアップができなかった言い訳)。その間、ウブド行きの航空券の手配、宿泊先の確認、また、急遽、娘が一緒にウブドに行くことになりスケジュールの策定、宿泊先のレスタリーに変更の連絡となにかと気ぜわしい日々が続いた。
写真は今回のウブド行きで持っていく予定のパソコン、スマートフォンと携帯電話
パソコンは毎回持参しているNECのノート型パソコン、メインの機器でOB会のHP編集、このブログ編集、メールチェック、スカイプなどに使用
パソコンの上に載っているスマートフォンはWIFI環境のワルン、レストランでの日本国内へのスカイプ利用、Twitterの編集、カメラ、メモ作成などに使用
右側の携帯電話は主にバリ島内での連絡用に使用、NOKIA1280、格安の約3000円で購入、SIMカード交換で日本、韓国以外のほぼアジア全土、ヨーロッパで利用可能、通話とSMSが主体の携帯電話
2012年3月23日はサカ歴の新年にあたるバリ島の祝日(インドネシア全体の祝日でもあるが) ニュピ日で、この日までに、
3月20日は各寺院のご神体を海辺に運び(海から遠い村は川?)、それらを清める儀式
3月22日大きな人形を(オゴホゴ)を村中を練り歩き、村を清める儀式
3月23日ニュピ当日 一切の活動はできず、火と電灯も使えず、外出も禁じられ、静寂の日。
バリ・ヒンドゥ―の連続した儀式が続いてる。
バリ島では西暦と伝統的な暦であるサコ暦とウク暦の3つが共存、暮らしに密接なのはウク暦で主要な宗教的行事はほとんどウク暦に基づいており、サコ暦の中ではニュピ(新年)日などとなっている。
昨年、2012年5月頃、ニュピ日を教えてとメールしたら、「来年のニュピ日を知ってる人は周りにはいない」ということでそのままになっていたが、年末ころから2012年のニュピが3月23日であるとの記事が日本語のホームページに掲載されるようになってきた。ニュピが分かったのはバリ島で新年のカレンダーが発売されたのであろう。
来年の祭日が分からないのは、
バリ人気質もあるのだろうが、
バリで生活と繋がっている暦が3種類もあり、
暦(カレンダー)が発行されないと行事の日が分からない
各暦の計算が難しい
などの理由が考えられるが
暦は、古代から支配者が暦を定め自らの権威を示したと言われているように一般人は次の年の暦は複雑すぎて作れなかった(分からなかった)のだろう。
2011年2月滞在の時ウブドで撮った製作中のオゴホゴ
今年もウブドに行く予定、今年はバリ島の新年(3月23日)前後の日をウブドで過ごしてみたいと考えている。
この日は
島内では火や電灯が一切使われないほか、
いかなる活動をしてはならず、
レストランや商店等も一切営業が禁止され、
航空機の離発着や交通機関も制限され、
外国人もこれら静寂を妨げる行為を禁止される
とのことで
外国からの飛行機もこの日は離・発着できず、また、港は閉鎖され入・出港できななど、日本では到底考えられない祝祭日のようです。
なお、前日の22日は悪魔が人間の生活を妨げないようにと、人々がオゴホゴという悪魔の化身としての人形を引き回して町中を練り歩き、町を清めて翌日のニュピの日を迎える儀式が行われる。(続く)
この写真のオゴホゴは2010年6月デンバサールのバリフェスティバルで撮った。
数日前、町内のカメラ好きに誘われ、久し振りにあけぼの山に行ってきました。
平日でしたが天気が良かったせいかそれなりに大勢の人がチューリップ鑑賞に来ていました。
柏 あけぼの山農業公園のチューリップ
なお、あけぼの山農業公園は千葉県柏市にあるの公園で、ユーリップ・菜の花・ヒマワリ・コスモスなど四季折々の花が大風車の回りの約3ヘクタールのスペースを飾ります。毎年4月にはチューリップフェスティバルが開催されますが、今年は東日本大震災の関係で中止になりましたが、例年のようにチューリップがきれいに咲いていました。
2月28日(月) 晴れ
早いものでもう帰国の日、午後5時のGA411便でバリを離れジャカルタへ、
21時10分発の全日空NH938便で成田に(先ほど民宿のオーナーから連絡がありGA411が1時間遅れの出発になったとのこと)
2月4日からカメラを片手にウブドを散歩したが、ウブドでは
「スラマッ シアン」(こんにちは)
「ボレ アンビル フォト・・」(写真を撮っていいですか)、
「マニス」可愛いですね、・・・
言わなくても(言うべきであるが)カメラを向けただけで自然な笑顔が返ってくる。
カメラがコミュニケーションの代わりをしているようだ。
今回の滞在でバリの財産は自然、バリ舞踊、信仰の厚さ・・・いろいろあるが、バリ人のこの自然な笑顔も大きな財産のようだ。
ではまた。
(以下、3月2日追記)
今回の帰国便の飛行機は、日本で予約した便は19時15分発GA725便であったが、2/11に「10分遅れる」とANAからメールがあり、ジャカルタは初めてであり乗り換えに間に合わないことになるのでは考え、早めの17時発GA411便に変更してもらった。
さらに帰国当日「GA411便の出発が1時間遅れの18時に変更」になった旨、オーナーの奥さんから連絡をもらった。(奥さんが私たちのためにガルーダ航空の窓口になってくれていた)
何回も変更になっているので、ジャカルタに時間通り到着し、21時10分発のNH938に乗れるか一抹の不安があった。(変更だらけで便が廃止など・・・)
民宿を出る時間を遅くしたりの調整をしたが車は渋滞に会わず早めにデンパサール空港に着いた。早かったので有料のラウンジに入り、のんびりと?出発を待っていた。
またまた、同じゲートを使う他の便は1時間遅れと表示されていたが、その便の影響もなくGA411便はデンパサール空港を定刻通り離陸し、ジャカルタ空港に到着、乗り継ぎのチェックインも、出国手続きもスムーズに進み、搭乗口には1時間以上前に到着していた。無事ANAに搭乗でき、昨日早朝帰国した。
2月26日(土) 曇り時々晴れ、
夜、スコール 前日のスコールの影響で朝から涼しく、しのぎやすい日になったが、
朝テラスからの写真
日中はさすがに暑く、歩いていると汗をかく。
昼にかけて「トロピカル・ビュー・カフェ」に行き田んぼを見ながらのんびり食事をし、写真を撮っていた。
明日は日本に帰る日、早いものだ。
民宿を午後2時ころ出て、デンパサール空港 ガルーダ411便17時の国内線でジャカルタ空港に、ジャカルタで乗り換えて21時10分ANANH938便で成田へ、成田は翌日の午前6時30分着。何とか問題なく行ってほしいものだ。
2月25日(金) 曇り
(このブログを編集中、スコールの雷で民宿の無線LANが停止、26日朝編集アップした)
帰国まであと3日、早いものだ。
民宿の周りを散歩。
本日のインドネシアローカルな2回の食事を紹介したい。
民宿の朝食(トースト、ホットサンド、それにフルーツ)
下の写真は朝テラスから取った写真、昨夜のスコール(おとなしかった)の滴、毎朝やってくる鳥、庭を彩る花など。
10時ころから周りを散歩、市場、王宮に、王宮では次のセレモニーの準備が始まっていた。
25日の王宮内部
昼食はバリ島で一番おいしいバビグリンを食べさせてくれるという王宮前の「イブ・オカ」でバビグリン(子豚の丸焼き)を初めて食べた。ぱりぱりした子ブタの皮(北京ダック似の感触)、肉、塩味の利いた野菜を痛めたもの、日本米と似た粘りのある料理、美味しかった。昼食代900円。
(「イブ・オカ」の店頭)
(バビグリンのナシチャンプル)
民宿に帰ってプールに入り汗を流す。部屋のパソコンから「日本の社会と文化」コースの受講を申し込み、午前の散歩中にオーナーとその子供のKチャンに会ったときに撮った写真などをプリントに頼むためデータを整理。
夕方、スコールが来そうなので写真依頼のため必要なデータをICカードに保存(写真は日本の半額なので必要な分を印刷している)して食事に出た。
食事はいつものリーズナブルの価格と料理が我々にも合っている「ディアン」に、ここはいつも西洋人なども多く、早い時間に行かないと満員になることも、本日は数日前に撮った下の写真をプレゼント、
(左から、鳥肉入りライスヌードル、ソトアヤム(鶏肉スープ)、チキンのオレンジかけ)
ここでいつものビールとインドネシア料理、夕食の食事代2人で850円。
本日の食事代二人で1750円でした。
東の空が真っ暗、雨が少しずつ降り始め、スコールが来そうなので急いで帰宅。
2月24日(木) 曇り 昨日、民宿のオーナーと話して車をチャーターしてウブドの郊外にある寺院と史跡を訪ねることにした。
9時に迎えの車が来たが運転手はバリ・デンパサール空港に迎えに来てくれたドライバーであった。
オーナーから「寺院と史跡巡り」に行くにあたって、
それぞれの場所で話しかけてきてそれなりのガイドをして法外な料金を請求する、
あるいは遺跡で寄付するところに高額な紙幣を置いてあとから来た人にそれと同額の寄付させるテクニックがあるなど・・・・
2、3気をつけたほうがいいことを教わった。
やはりその通りのことが発生したが、事前に聞いていたので、何とか切り抜けたが、1カ所の寺院でそのテクニックに引っ掛かってしまつた。
ゴア・カジャの洞窟寺院
最初に行ったのはゴア・カジャの洞窟寺院 ウブドの南東にあり、11世紀ころに作られた寺院遺跡、あとでわかるのだが観光客が一番多かった、と言うよりその後行った遺跡・寺院で観光客は我々だけだった。
イエ・プルのレリーフ
2番目に行ったのはプドゥル村の「イエ・プル」岩肌に神話世界を描いたレリーフが刻まれている。11~14世紀ころのものとされている。ここではこの遺跡を管理?している老夫婦の寄付高額化のテクニックを見た。着いたとき老夫婦を遠くから見ているとわれわれが最初の観光客のようで老夫婦は一生懸命祭壇を準備していた。その祭壇場所に行くと高額な10万ルピア札が置いてあったが1000ルピアを寄付としておいたところ、少ないと言われたがそのまま帰ってきた。後ろのほうで老夫婦の話し声と笑い声があり、「朝一の客が少ないお布施を置いて言った」?と騒いでいるようだった。
サムアン・テガ寺院
3番目にサムアン・テガ寺院、ここはバリ・ヒンドゥ教の礎が作られた場所、聖地である。ここは寄付金名簿がありそこに日付、名前、国籍と金額を書くが、1日に数組、金額も一人1万ルピア程度、また、受付兼管理人?は非常に親切で我々が頼まないのに写真を撮ってくれた。
プナタラン・サシ寺院
4番目はプナタラン・サシ寺院、ここは紀元前3世紀頃のものとされる銅鼓が有名、ここでガイドのペテンに騙された。ちょうど火葬式の準備中で大勢の人たちが働いていたが、その中の一人が寄ってきて説明しくれたので、お寺の信徒がこの寺を説明ているのかと思ってついて行った。そのうちどうもガイドらしい感じがしたので途中でガイドを断った、その後、最後までついてき、説明していたが、断ったことが影響していたのか法外な金銭は要求されず、我々が決めた金額で済んだ。
クボ・エダン寺院
5番目は「クボ・エダン寺院」で大きな巨像で有名、寄付金名簿にサインしたが我々の前は2/19となっていた。観光客はほとんど来ないようだ。
以上で遺跡・寺院観光を終えたのでドライバーを食事に誘ったらまだ早すぎるということで断られ、以前、行った日本人も経営者の一人との「ソパ」ワルンに送ってもらい、昼食を取った。
帰り道に「カメラを見つけて写真を撮れというワルンの主人」、「若いウェイターが同僚のウェイトレスの写真を撮ってくれと言われ、追いかけて撮った写真」、「子供から安いから買えと勧められた屋台の風景」・・・・
2月23日(水) 曇り
昨夜(22日)、激しいスコールが1時間ほどあり、雷が低いところを走っていて、落ちて停電になるのかと思っていた。パソコンはプラグから外し、部屋でジッとしていたが、雷は落ちなくまた停電もなかった。スコールが始まったのはバリ舞踊公演終了時間帯なのでバリ舞踊を見に行っていたら帰り道での遭遇、大変なことになるところだった。バリ舞踊行きは直前で止めたのでラッキー。
スバリ村風景
本日(23日)は、曇り空の中、妻が午前中買い物、午後ヨガに行く予定なので、一人でスバリ村に散歩、途中のビューポイントのワルンで先日撮った写真を渡す予定で外出した。
学校前にて
途中、サッカー場の学校の前で生徒たちが道路に置いた砂を学校の中に運んでいた。また、今日も生徒たちにお菓子・おもちゃなどを売る行商がでていた。
田んぼの神様たち
スバリ村ではいつもながらその信仰心の強さ、寺院の多さに驚きながら散歩した。
スバリ村バナナ畑
道路沿いにバナナ畑?があり無造作にバナナがなっているのを見た。
スバリ村にて
何匹かの犬の集団にほえられ、途中から引き返した。
午後、ウブドに戻る途中、昨夜以上のスコールに会い、スコールのピークでは台風のような状態になり、びしょ濡れになりながら戻ってきた。
スバリ村にて
2月22日(火) 晴
昨夜、19時30分からバリ舞踊をサッカー場隣の「ウブド・クロッド集会場」で観賞。
昨年はバリの三大舞踊「レゴン」、「バロン」、「ケチャックダンス」を見ているので、今年は特色のあるものを鑑賞したいと考えた。
今回は手始めに
ガムランを女性だけで演奏するグループと子供が参加するバリ舞踊公演を見に行った。
オープニングの「ガムラン演奏」が終わって、子供たちによる「ウエルカムダンス」でバリ舞踊が始まった。
これは供物の花をもった銀盆を手に子供たちが神々の降臨を祝福し踊るものだそうだ。
「バリス」の踊り 元来は祭礼時に男性が列をなして踊る、公演ではソロ。
蝶々の舞、二匹の蝶々が花に戯れるさまを踊っていた
「バリネシア風 蜂の愛の踊り」
子供たちも全員参加してフィナーレ
2月21日(月) 晴
昨日は静養と言うことで主に部屋で写真データなどの整理。
本日は、朝食後、2月7日に歩いた時にココナッツ売りのおじさんの写真を撮ったのでその写真のプリントを持って会に行った。写真とココナッツを交換しようと言うと[OK]と言うことだったが、結局、ココナッツ代1万ルピアを請求された、この程度の意思疎通力で2月初めからウブドで生活しきた。
サッカー広場の前を通ると涼しいうちに運動をというのか生徒がサッカーの練習をしていた。使っているサッカーボールの皮が剥がれていた。
ジャラン・カジェンの入口・石畳1枚一枚に
ジャラン・カジェンに入ると石畳の1枚1枚にメッセージが彫られており、気になったものを撮ってみた。
ココナッツ売りのおじさんに写真を渡し、田舎道を奥まで歩いた。両側は田んぼ、遠くにヤシ畑、その奥に山が見えた、バトゥール山か?、広いライステラスには何人かの農夫が牛の草取りなどをしていた。
その道中で下手な鉄砲数撃ち当る式に多くの写真を撮った。
田んぼの奥に山、ココナッツ畑が見えたり・・・。
こんな花が咲いていた。
観光客、農夫、立ち話中の人、荷物を運んでいる人などいろいろな人に出会った。