連れずれの記

声なき者の叫びを映す(思い上がりのたわ言)

離島大島

2024-06-17 10:50:07 | 夢の中の話
松前より約50km沖合にある無人島・渡島大島
東経139度23分、北緯41度30分。
東西6キロメートル・南北3.5キロメートル
海岸延長周囲約16キロメートル、三角錐楕円形.
1.江良岳737m、2.清部岳722m、3.寛保岳648mを
頂点に海岸線部まで急傾斜地が続き、海岸部には
島東部にトリカラス浜、南西部に北風泊浜(アイドマリ)、
西部に東風泊(ヤマセドマリ)、バンヤ浜等小規模な
海浜地や入り江があります。
大島の海底地形は、急深で距岸約500メートルで
水深100m、約2kmで水深500メートルに達し、
特に北部の海域は起伏が激しい。
 ※天然記念物 オオミズナギドリ繁殖地(国指定)
 生態・野生化したウサギ・子猫ほど大きいネズミが生息
 ウサギはもともと大島にはすんでいませんでしたが、
 1930年代ころ島に持ち込んだ後、天敵がいないこと
もあって爆発的に増え 「オオミズナドリ」の巣を
 占拠する形跡が発見されている。

【衝撃】日本最大の無人島「渡島大島」がとんでもなくヤバい・・・
https://www.youtube.com/watch?v=2px0AyRKLBA

離島大島江戸時代の噴火
寛保元年7月19日(1741年8月29日)
松前藩での死者数は2083人に上り、
大災害であった。日本海側での
津波としては史上最大級のものとされる。
特に松前の江良地区では死者450人と
被害が甚大であった・・・
故郷での言い伝えでは
大島の噴火と地震さらに津波。
子供の頃より、地震が起きたら
津波んび警戒しろと言われていた。
津波で神社が流されはるか
沢奥に残骸が流れ着き其処を
新しい神社の建築場所にしたのだと伝承されている。。

又、前兆として地震前夜に 白馬に乗った何者かが、
村中を走り回ったという云う言い伝えもある。
蝦夷大島のある風景はきれいですが、同時に怖さも
想定させられる。噴石は大島の石として、植栽用に
持ち帰ってきていた。大島にはうさぎが持ち込まれ
繁殖していた。ミズナギドリ繁殖地保護のため、
うさぎは狩られた。

松前町江良が一番近い漁港なためかっては
 江良は大島村と呼ばれ、大島小学校(現有)、中学校(廃校)が
 名残として有り 各行政機関も大島支所と呼ばれている。
離島大島江戸時代の噴火
寛保元年7月19日(1741年8月29日)
松前藩での死者数は2083人に上り、
大災害であった。日本海側での
津波としては史上最大級のものとされる。
特に松前の江良地区では死者450人と
被害が甚大であった・・・
故郷での言い伝えでは
大島の噴火と地震さらに津波。
子供の頃より、地震が起きたら
津波に警戒しろと言われていた。
津波で神社が流されはるか
沢奥に残骸が流れ着き其処を
新しい神社の建築場所にしたのだと伝承されている。。

松前町江良が一番近い漁港なためかっては
 江良は大島村と呼ばれ、大島小学校(現有)、中学校(廃校)が
 名残として有り 各行政機関も大島支所と呼ばれている。


刺客の本質

2024-04-22 16:04:48 | 夢の中の話
モノノフ
刺精魔
 武士と民、所謂市井の衆人が根本的に違うのが、
 人を斬る事への覚悟。迷いなき「殺」の修練であろう。
 生きざまとして刀を持ち、目的は斬る事のみそこに、
 戸惑いや迷いを見せてはならない。これは血脈として
 「DNA]が受け継がれるのではないかと思う。幼い頃より
 人と争わず、諍いを避けてきた本当の理由は王手にある
 「殺」の恐怖からだった。映像などでやたらと語る侍、
 対峙した時おびえる者。まったく嘘であろう。物言わず
 人を斬れる。抜き身を握ったとき何をすべきかを迷いなく
 行動できる.その為に訓練しているのだから。映像で怖がり
 震える演出は、作者の希望であり「侍」じゃない普通人の
 感性だろう。私の中の「殺」の血がそう言っている。

 心の中に顰むモノ
 じっとしてると闇が広がり、身動き出来ず、悶え抗い
 夢中を彷徨う。その大元が「殺」の輩だったと気づいた。

まひるの情景Vol.1

2024-03-24 13:21:34 | 夢の中の話
  春白昼(はるまひる)ここの港に
  寄りもせず 岬を過ぎて行く船のあり

「 若山牧水 」

  歌集「別離」の巻末の歌

 無学で本も読まず、流浪して下田の町を
 さまよい暮らしていた頃に、知り合いの
 経営する喫茶スナックで額にはいっていた
 此の短歌が50年たっても覚えている。
 何ともないような下田の情景だが、海岸沿いの
 ホテルで、エセバンドマンだった時に春の午後
 けだるいような五階の窓からの情景が
 此の「歌」にぴったりだった。きっと
 易しい文面が読みやすく、暗記できたのだ。
 初めて、日常をさらりと詠んだ「歌」に
 惹かれたのだろう。啄木や賢治のような詩人、
 作家と違う空気感が人間らしさを、共感させて
 くれたから、心に残ったのだろう。

心の中の「鬼子母神」

2024-02-12 20:54:40 | 夢の中の話
鬼子母神⇒ 鬼ノ子ノ母ノ神
 神として祀られ寺社まであるが、毘沙門
(多聞天)四天王や金剛力士、八部衆、
 十二神将、二十八部衆、八大竜王、
 さらに鬼神ともいわれる阿修羅や
「鬼子母神」十羅刹女、八大夜叉大将
 堅牢地神、風神雷神など、さらには
 本地垂迹の神や権現、雨宝童子など
  特に仏法および仏教徒を守護する神を
 「護法善神、護法神」と云うんだってさ。
仏法では諸天の一人として登場するが、
 実際に仏と出会うまでは、我が子第一
 (十羅刹女)を愛おしいが為に、夜毎
 他人の子を拐い、斬殺し死肉を食らう
 鬼女。ある時仏がこの噂を聞き及び
 十羅刹の一人(ピンガラ)を秘す
 鬼子母神は半狂乱で探し回り、仏に
 返してくれと訴える。爾 時に世尊は
 「多くの子を持ちながらも、ただ一人の子
を失うだけで嘆き悲しむお前、子を失う
親の苦しみをわかったであろう」と。
仏の言葉に、涙ながらに頷く。自らの罪を悔い、
 三法に帰依し仏法を守護すると誓いを立てたことで、
 隠していた子も 無事元に戻ったとか?
 我が子可愛さに、他人を殺し、悪鬼の所業
 をしたが、仏に帰依することで,善神に鳴に
 変わりそれ以降子を守り、多産信仰の対象
 になった。母性の強さと、強さを象徴する
 話である。昨今は我が子ですら、殺す悪虐
 な女性もいる。救いの道はあるのだろうか。
 


中(恥)坊時期

2024-02-12 20:54:40 | 夢の中の話



 [Usio] 初めての友
 中2の頃学年で一位の成績のU君と、
よく一緒に過ごすようになっていた。
 小さい町で、顔見知りばかりなのだから、
名前や家庭環境も隠せない。
 一人で生きている自分と海の事故で。
父親を亡くした彼とは、 余計な気を遣わずに
話し合え、分かり合える仲間だった。
彼は 1日何時間も勉強していた。時間が空いた
時だけ外に出る。たまたま 勉強をしない自分が
そこいる。だからよく遊んでいただけで、
何か大きな必然性が、あったわけではない。
彼の頭脳は ずばねけていた。理科室に
「マグネシウム」等の薬品を見つけた時は、
 調達役が自分で手に入れ、化学反応?を試した。
 火薬の作り方を調べ、手製花火の製造!実験。
今思うと,所謂 「中2病」マグネシウムBombを
人がいない海岸で、着火w!しかし着火がうまくいかず、
 暖めようと?焚火に入れた???。最初は反応がなく、
恐らく失敗したと思いその場を少し離れた。
5分位-過ぎた頃突然大きい音!間一髪だった。
夏が過ぎるころに彼から、転校を告げられた、母親が
 家計を背負っていたが、先年卒業していた兄が一緒に
住めると言ってきたとの事。別れは淋しいが仕方のない
 現実に抗うだけの力もない自分や彼の年齢。
夕暮れの河原で焚火をしながら、もう一人の友人と3人
 時間を過ごしていた。

「初めての家出」 K君という友人はやはり
父親がいなくて淋しかったのだろう。K君の兄も
 東京方面に働きに出ており彼は無性に、会いたがっていた、
私も母が函館の病院に入院していて会いたいというより、
 行きたかった。「中2病」の考える事に「善悪」
等の基準はない。ただ思い付いた事を実行するのに
 尽力し突き進むだけだった.
なけなしの郵便通帳、僅かな金をおろし、K君
 とバスの中、廃線前だった城下町の駅で函館
までの切符を買い乗り込む。先の見えぬ旅は
 抵抗もなく滑り出した。函館で駅前旅館に
一泊。不思議と捜索の手はなく、安堵しながら
 眠りについた。翌朝母のいる病院に行こう
と思ったのだが、K君は一刻も早く「東京」
 に行きたいと言う。彼を唆したような形の
家出だったので、幾分後ろめたさもある。
 ・・・従おうと思った。早朝の駅で「青森」
までの切符を手配し、初めて内地へ渡る。
 ここで問題が起こる。青函連絡船での渡航中、
K君が酷い船酔いを起こした。これは想定外、
 漁師の町の育ちなので思いもしなかった。
どうにか青森に着いて船を降りそして考えた。
 彼の乗り物酔いは本物だ。とても東京には
行けないだろう。薄々彼も気づいてるだろう。
 青森まで来てそのまま帰るのも、悔しい。
未だ「中二病」の思考から抜けられない二人は、
 ここで観光しようと思い立つのである。
何という頭の中だろう恐ろしいほどの短絡さ。
 青森からK君が酔わない程度の距離で何処か
無いだろうか駅の地図で探す。目についたのが
 「浅虫」の文字、有名な温泉らしい近そう
だから行ってみようこの時点で持ち財産と
 帰りの運賃を計算していたのだから恐るべき
中坊である。バス路線を探して、一路浅虫温泉へ
 穏やかな日差しの中バス停から海岸へ・・・
内地の海だ。好き透り暖かく穏やかな海
 北の日本海の荒れ狂う海との対比・・・
そういえば空気までなにかが違うこれは
 思うとニコンレンズとユーロレンズの
違いでもあろうか、透明感が微妙に違うのだ。
初めて、海を渡り着いた異郷は、幼い頃から
海越に眺めていた、本州最北端だった。