志津子の韓国生活

韓国アジュマになった志津子の新しい出発。

お葬式

2015-03-31 18:32:23 | 日記
おじさん(チャグン アボジ)が亡くなった。
タバコは好きだったけど、お酒は飲めない人だったのに 肝臓がんでした。
去年の秋に肝臓癌どといわれたのですが、最近は調子がいいのかオートバイに乗り気分転換したり散歩したりしていたのに
突然悪化してなくなりました。
お父さんも大腸がん、お母さんもすい臓がん、がんで亡くなる人が多くなりました。

韓国のお葬式はお葬式場(チャンレーシクジャン)というところで行われます。
お父さんがなくなっところまでは家で行ったのですが、最近は少し楽になりました。
ふつうは亡くなった日から3日目にお墓に入るので(教会式ではお墓に入るとき日曜日と重なると4日になります)
はっきりしたことはわかりませんが、3日間ねむれません。(死んだ人がさみしくないように?)
友達や村の人が来てお酒を飲みながら花札をして夜を明かします。
そのためお嫁さんたちはその人たちの接待で忙しいです。
一日中お客さんが来るとスルサン、パプサンと言ってお酒が飲めるようにご飯を食べれるように準備しなけれはいけません。
今回の食費も1000万ウォンをこえたようです。お金がないと死ぬこともできません。

私の住んでる村(マウル)には統一教会で結婚した日本人がたくさんいます。
私を含めて5人です。(都市に住んでいる日本人の嫁は私が知っているだけで5人ですね)
多文化家庭と言って、外国人(中国、フィリピン、ベトナム、カンボジア。。。)のお嫁さんが最近は多くなり、各村に1~2人ぐらいいますが、
日本人がこんなに住んでる村は韓国でもここだけだと思います。
そのうちの一人がおじさんの嫁です。
酒タバコが禁じられている統一教会ですが、ほとんど教会にも通わず酒煙草も当たり前のいとこ。
もちろん今回なくなったおじさんも教会に足を運んだこともないのに、教会式のお葬式になりました。
新しい出発と言って子供が生まれた時のように、よろこばなければいけないようです。
お墓に入る丸くお墓を作るのを友達が手伝ってくれるのですが、祈祷など儀式を1時間半以上やっているため
雨が降りそうだし 立ちっぱなしの人たちは不満でブツブツ。。
こんな儀式が喜びの儀式なのか私には理解できません。
そんな統一教会で結婚したのだから私もばかですよね。
娘に教会の話をしたら ミチョッソ(くるったの)といわれました。

3日間眠れずにお客さんの接待。
ダウンです。
こんなに苦労したのに感謝の言葉もありませんでした。
(お墓の写真を載せたかったのですが探せませんでした。)

韓国に来た理由

2015-03-26 08:00:43 | 日記
末っ子が学校に行って、主人は外泊。。
少し時間ができて、何か書いてみようと思いました。

私が住んでいるところは、韓国の左の下のほうにある霊岩(ヨンアン)というところです。
月出山(ウォルチュルサン)という岩山が有名ですが、写真を探せませんでした。
カンチョクチ(干拓地)と言う平野で稲作中心、お米が有名です。

韓国に来た理由
大体わかりますよね。
私も桜田淳子、山崎浩子と一緒に、1992年統一教会の合同結婚式に参加しました。
反対も多かったですが、あの時は(これしかない)と思い何の迷いもなくここに来ました。
先輩家庭(先に結婚した人達)の話では、田舎の長男、小学校卒業、農業、背も低く。。。
結婚の条件としては最悪ですよね。
私の相手は、パン屋の従業員、背が180(後でわかったのですが179)次男、3歳年下、条件としてはまずまずです。
何よりも韓国人と結婚できるのが最高の幸福でした。
文鮮明(統一教会の教主)が韓国人だから、韓国人と祝福(結婚式)を受けるのが自慢のエリートコースだったようです。






月出山(ウォルチュルサン)の写真です。主人が撮ってきました。

韓国に来て3年間は教会生活をしました。伝道活動と世界日報の配達をしながら、韓国生活に適応して満30歳になり一緒に住むことが許されました。
1995年の9月です。
長女が1996年6月、長男が1997年7月に生まれました。
時間がないので今日はここまで。。。

お手製セラミック作り

2015-03-24 14:38:09 | ヒーリング ドリーム
インターネットのカフェ(ヒーリング ドリーム)の集まりの日です。
ケクタン マウル(きれいな村)からヒーリング ドリームに名前を変えてから初めての集まりです。


突然だったため参加した人は少なかったけど、みんな一生懸命です。


これは作品です。
水の浄水、お部屋の中の電磁波防止、枕の中身などお好みのものを作りました。


末っ子です。一緒に作りました。
ネックレスを作っています。台所にあったクッキーのかたをもってきました。


作品です。

韓国にある白い土と黄土(ファント)と言って赤っぽい粘土のような土でつくりました。

このセラミックは不思議な力を持っていて、痛みを和らげる効果があるようでちょっとした人気です。

秋田の母にも送ろうと思っているのですが、もう少し研究してからにします。

唐辛子を育てる

2015-03-23 20:45:20 | 田園日記

3月に入りいよいよ農業が始まります。
韓国ではなくてはならない唐辛子。今年は苗から育てることにしました。
韓国に来た時には辛い物が食べれず、胃がわるくなりましたが、
今ではキムチも大丈夫。
ただ、うちの主人が辛い物が苦手になりました。

この人がうちの主人です。
苗に水をあげてます。
丈夫に育ってくれますように。

ひとりごと

2015-03-19 05:23:41 | 日記
日本語をうまく書けるかどうか不安です。
日本に生まれて26年。韓国生活22年目です。
すっかり浦島太郎になりました。
1男2女の母、妻、農家、復職など毎日が忙しい中、長女が大学生活をはじめ自分の人生を歩き始めるのを見て<このままではだめ>と思い
何かを始めるためにブログを始めました。
私が日本に住んでた時はコンピューターがこんなに発達してなかったので、どうやってブログを作って行ったらいいのかもわかりませんが、
習いながらいろいろやってみたいと思います。
韓国では<カペ>と言って、同じ趣味や考えを持った人のインターネットの集まりがありますが
このブログを通して友達を探し、新しい友達を作りたいと思います。

私の紹介
名前  長岐志津子
歳   昭和40年9月生まれ 
出身  秋田県 鷹巣町(今は北秋田市ですか?)
学校  鷹巣南中学校
    大館桂高校(看護科)
    神奈川県立衛生短期大学 衛生看護科
職業  東海大学付属伊勢原病院 ICU 2年
    慶応大学病院 nicu 1年 勤務

なぜ韓国に来たのかは、またの機会に。。。
1992年12月に韓国に来ました。