1928年、パリのある画廊で開催された「エコール・ド・パリ展」が語源だといわれています。印象派のようにグループ展を開いたり、キュビスムのようにある芸術理論を掲げて制作したわけではなく、「パリ派」とはいっても、一般に言う「流派」「画派」ではありません。ピカソとマティスは、パリ派の双子のリーダーと形容されました。キース・ヴァン・ドンゲン、マリー・ローランサン、モーリス・ユトリロ、アメデオ・モディリアーニ、レオナール・フジタ、マルク・シャガール等がいます。<
「佐伯祐三」1898年-1928年16
佐伯は画家としての短い活動期間の大部分をパリのモンパルナス等で過ごし、フランスで客死した。佐伯の作品はパリの街角、店先などを独特の荒々しいタッチで描いたものが多い。佐伯の風景画にはモチーフとして文字の登場するものが多く、街角のポスター、看板等の文字を造形要素の一部として取り入れている点が特色である。作品の大半は都市風景だが、人物画、静物画などもある。
「佐伯祐三」
「独特のパリ街角を荒々しく 旺盛に描く都市風景を」
「テラスの広告」1927年
佐伯祐三のアトリエから程近い、ポール・ロワイヤル通り周辺のカフェを描いた作品です。右上の"UZO SAHEKI/ A PARIS/ NOV 27/ HOTEL DU MARCHE"という文字から、この作品は2度目のフランス滞在時期である1927(昭和2)年の11月に制作されたことがわかります。画面を踊るいくつもの黒い文字は、作品全体の中で装飾的に再構成され、画面に動きを与える要素として重要な役割を果たしています。この作品は、佐伯の没後開かれた1929年の第4回一九三〇年協会展の特別陳列に出品されました。
参照
https://www.artizon.museum/collection/category/detail/192
「アンリ・ルソー」1844年~1910年17
19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの素朴派の画家。20数年間、パリ市の税関の職員を務め、仕事の余暇に絵を描いていた「日曜画家」であったことから「ドゥアニエ(税関吏)・ルソー」の通称で知られる。ただし、ルソーの代表作の大部分はルソーが税関を退職した後の50歳代に描かれています。
「アンリ・ルソー」
「いつの世も戦争体験悲惨さで 画家の感性影響受ける」
「戦争」1894年
ルソーが本作《戦争》を描いたのは、1870年のフランコ・プルシアン戦争や1871年のパリ=コミューンより20年以上経過した後のことであった。彼は依然としてこれらの出来事の影響を大きく受けていた。中央では、しかめ面をした女性が剣とたいまつを持っている。ローマ神話の戦争の女神ベローナのようなこの女性は、モンスターのような馬に乗っている。暗い地面は死体の山で覆われており、カラスがその死肉をついばんでいる。木々は黒く焦げたようであり、雲は赤い。逸話や物語の要素を使わずに、ルソーはイメージで出来事を伝えている。多数のギザギザした形や、特に色の選択が、このイメージに寄与している。希望を表す緑は皆無であり、哀悼と地の色である黒と赤が画面を支配している。
参照
https://www.musey.net/16947
「シュザンヌ・ヴァラドン」1865年~1938年18
ルノワール、ロートレックらの画家のモデルを務めながらも独学で絵を描き始め、エドガー・ドガに師事した女性です。ヴァラドンは、サーカスの曲芸師として活躍していたのですが、空中ブランコから転落し、重症を負ってしまいサーカスを退団。その後、母親の洗濯婦の仕事を手伝い、画家たちへ洗濯物を届けて回っているうちに、画家たちのモデルも務めるようになります。
「シュザンヌ・ヴァラドン」
「シュザンヌは多くの画家のモデルにも ドガに師事して天賦を発揮」
「自画像」1898年
参照
https://www.tabitobijutsukan.com/
ヴァラドンは、ルノワールのモデルを務めてもいます。ヴァラドンはルノワールの恋人でもあったと言われています。
「ブージヴァルのダンス」1883年
ピエール=オーギュスト・ルノワール ボストン美術館蔵(アメリカ ボストン)
ヴァラドンはルノワールの他、ロートレックのモデルも務めました。
ロートレックはルノワールとは対照的にヴァラドンを厳しい生活を生きる女性のモデルとして描きました。
「二日酔い」1888年
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック フォッグ美術館蔵(アメリカ マサチューセッツ州ケンブリッジ)
「アンリ・マティス」1869年~1954年19
アンリ・マティスは、フランスの画家。野獣派(フォーヴィスム)のリーダ-的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。自然をこよなく愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる世界を描き続けた画家であった。彫刻および版画も手がけています。
「アンリ・マティス」
「色彩の魔術師マティス野獣派は 緑あふれる世界を描く」
「リュート」1943年
参照
https://media.thisisgallery.com/20221068
「ジョルジュ・ルオー」1871年~1958年20
ジョルジュ・ルオーは1871年パリに生まれ、ステンドグラス職人修業を経て画家に転向。進学したエコール・デ・ボザールでアンリ・マティスと出会い、ともにギュスターヴ・モローに師事。黒く太い輪郭線や厚塗りが特徴的な油彩画や、版画作品などを多く残した。ルオーが描いたのは、疲れ果てた道化師の姿、暖かな光を放つ秋の夕暮、そして、苦しみの果てにうつむくキリストだ。人間が抱える苦しみや悲しみに向き合い、その果てに見出される生命の輝きを表現しているとして高く評価されてきた。
「ジョルジュ・ルオー」
「人間が抱える苦しみ向き合いて いのちの輝き画家は表現」
「秋の夜景(部分)」1952年
参照
https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/17107
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