「浅間山明鏡止水」あさまやま めいきょうしすい

歌川広重「名所江戸百景⑩」19景王子音無川堰棣世俗大滝ト唱(おとなしがわ えんたい せぞく おおたきととなう)~写真と短歌で綴る世界文化紀行

歌川広重「名所江戸百景⑩」19景王子音無川堰棣世俗大滝ト唱(おとなしがわ えんたい せぞく おおたきととなう)~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
歌川広重は、葛飾北斎と並んで、徳川時代の浮世絵版画を代表する画家である。その名声はヨーロッパにまで及び、いわゆるジャポニズム・ブームを呼んだほどだ。広重の風景版画としては、東海道五十三次のシリーズや、木曽街道六十九次のシリーズが有名である。名所江戸百景と題した大きなシリーズものは、安政三年(1856)から同五年(1858)にかけて刊行した。名所江戸百景とうたっているとおり、江戸の府内、府外合わせて119の風景を描いており、名所といわれるようなところはほとんどすべて網羅されている。写真のなかった当時、風景版画は人々にとっては身近な名所案内であり、また芸術鑑賞ともなった。そんなこともあって、大きな評判を呼び、版画としては異例の発行部数を誇った。

広重の絵の特徴は、独特の構図と、豊かな色彩感覚にある。広重は遠近感の表現がうまく、手前のものを巨大微細に描く一方、遠景を非常に小さく描くことで、その間にある空間を、遠近感をもって人々に認識させた。色彩については、ヒロシゲブルーという言葉があるように、独特の青の表現が特徴である。このブログでは、歌川広重の「名所江戸百景」119点のすべてについて、描かれた場所の解説とか、絵そのものの鑑賞をしたいと思う。


「19景王子音無川堰棣世俗大滝ト唱(おとなしがわ えんたい せぞく おおたきととなう)」
「大滝の江戸の情緒は滝野川 飛鳥山望む豊かな名所」



音無川は、飛鳥山と稲荷神社の高台の間をぬって流れている。その上流部にはいくつかの滝が連なっていることから、滝野川とも呼ばれる。滝野川は、北区の南部を総称する地名にもなっている。この絵にある音無川堰棣とは、いま音無親水公園になっているあたりにかけられていた。絵は、音無川の下流から上流を望む構図だから、左手が飛鳥山、右手が王子稲荷の高台になっているはずだ。この堰棣は地形からして、実際には高低差もあまりなかったと思われるが、絵には十メートルもあろうかと思われるような、大きな滝として描かれている。江戸の庶民はこの堰棣を大滝と呼んでいたそうである。

「20景川口のわたし善光寺」



川口の渡しは、岩槻街道の岩淵宿と川口宿を結んでいた。橋がかかっていないので、人々は船で川(隅田川)を渡って対岸に行った。善光寺は、川口宿の近くにあった。信濃の善光寺の別院だという。徳川時代には善光寺信仰が高まったので、人々は信濃まで行かずにお参りできるとあって、参詣者が絶えなかった。将軍家が日光参りをする際に、警備上の理由などで、千住大橋を渡らずに、この渡しを船で渡った。その際には、船を並べてその上に板を渡し、その板の上を進んだという。八代将軍吉宗が日光参りをしたときには、御供の武士13万人、人足22万人、馬32万頭がこの渡しを通過したというから、渡り終えるまでに一日を費やしたのではないか。この絵は、岩淵側から対岸を見たもの。多くの船の行き違う様子が描かれている。向こう側に見える建物が善光寺だろう。

参照
https://j-art.hix05.com/33.2.hiroshige/edo001.nihonbashi.html
https://j-art.hix05.com/33.2.hiroshige/edo010.ouji.html
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