「日本画家三山・東山魁夷(かい)1908年~1999年」~口語短歌と写真で綴る「世界文化紀行」
2022-01-07 07:17:36
皆さんは日本画家三山をご存じでしょうか?東山魁夷、平山郁夫、加山又造の三人を指します。私は東山魁夷の大ファンです。彼の特徴は、透明感のある色彩と、穏やかさの中に厳しさを感じさせる独特な佇まいです。青や緑を使った作品が多いことから「青の画家」「東山ブルー」と呼ばれることもある東山魁夷の作品は、色遣いだけを見ると西洋画のような印象を受けますが、作品全体が持つ水墨画のような静謐さと神々しさから、紛れもなく日本画であると感じられるのではないでしょうか。シンプルな構図と平明な色使いでありながら、奥深い精神性を感じさせる東山魁夷の作品です。新年早々ですので日本画も良いと思います。
「残照」1947年東京国立近代美術館
口語短歌
「刻々と 変わりゆく光 山の綾 心の安らぎ 万感迫る」
「日経ポケットギャラリー・東山魁夷著1991年」
東山は昭和20年の春に軍に召集された。ある日訓練として熊本城へ走った時に肥後平野と阿蘇山を眺めた。画家はその風景を見て涙が落ちそうになるほど感動したという。
「人影のない草原に腰をおろして、刻々に変わってゆく光の影と綾を、寒さも忘れて眺めていると、私の胸の中にはいろいろな思いがわき上がってきた。喜びと悲しみを経た果てに見出した心の安らぎとでもいうべきか、この眺めは対象としての現実の風景というより、私の心の姿をそのまま映し出しているように見えた。」
「道」1950年東京国立近代美術館
口語短歌
「切実で 純粋な祈り 自然との 自己の繋り 充足感も」
「一枚の葉・日本の美を求めて・東山魁夷著1976年」
初めて自然の風景が、充実した命あるものとして眼に映った。強い感動を受けた。私自身も、どん底にいたのだが、冬枯れの寂寞とした山の上で、自然と自己との繋り、緊密な充足感に目覚めた。切実で純粋な祈りが心に在った。風景画家として私が出発したのは、このような地点からであった。その後に描いた「道」にしても、ただ、画面の中央を一本の道が通り、両側にくさむらがあるだけの、全く単純な構図で、どこにでもある風景である。しかし、そのために中に籠めた私の思い、この作品の象徴する世界が、かえって多くの人の心に通うものらしい。誰もが自分が歩いた道としての感慨をもって見てくれるのである
「月篁げっこう」(京洛四季)けいらくしき1967年東京国立近代美術館
口語短歌
「静謐な 生命力を 内に秘め 嵯峨野月下に 竹林茂る」
月下の竹林を描いた作品です。この静謐な生命力をたたえて生い茂る木々の描写は東山魁夷ならではの作品です。この取材場所は京都の嵯峨野で、川端康成に「いま描いておかないと京都の風情がなくなってしまう」と強く勧められていたとも言われています。
「静唱せいしょう」1981年長野県信越美術館 東山魁夷館
口語短歌
「単純化 極めた画面 求道心 生かされている 自然に感謝」
静唱(せいしょう)は1981年の作品でパリ郊外・ソー公園を描いたものです。単純化を極めた画面構成に独自の追求を求め、色もしぼりグラデーションで遠近感を出しているのが東山魁夷の特徴です。「描くことは祈ること」という東山魁夷の創作の心です。自然に感謝しながら自然によって生かされている人間も、自然の一部と感じていることや心の中の葛藤が共鳴していることを感じます。
「夕星 ゆうぼし」1999年長野県信越美術館 東山魁夷館
口語短歌
「夢の中 心の風景 巡る旅 憩いの場こそ 誰も知らない」
絶筆とされている作品です。
「心の風景を巡る旅・東山魁夷著2008年」
これは何処の風景と云うものではない。そして誰も知らない場所で、実は私も行ったことが無い。つまり私が夢の中で見た風景である。私は今迄ずいぶん多くの国々を旅し、写生をしてきた。しかし、或る晩に見た夢の中の、この風景がなぜか忘れられない。たぶん、もう旅に出ることは無理な我が身には、ここが最後の憩いの場になるのではとの感を胸に秘めながら筆を進めている。
参照
https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s44.html
東山魁夷の作品は東京国立近代美術館や長野県信濃美術館のほか、岐阜県中津川市の「東山魁夷 心の旅路館」、香川県坂出市の「香川県立東山魁夷せとうち美術館」、千葉県市川市の「東山魁夷記念館」でも観ることができます。
「2021年軽井沢レイクガーデンに咲いた薔薇」
「オリビア・ローズ・オースティン」2021年8月7日撮影
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