園のザクロの木にさがっている鬼子母神のこれは何ですか?と、あるお母様からお尋ねがありましたが、これはザクロの「絵馬」です。
雑司ヶ谷の鬼子母神へ行くと入手でき、子育てや安産などの祈願のためにお堂にたくさん下がっていますが、園児のお守りとして、お寺には下げずにここへ持ってきて、ザクロの木に吊しました。
雑司ヶ谷の鬼子母神は、「恐れ入りやの鬼子母神」で知られる「入谷の鬼子母神」と並んで有名です。暖かくなったらお出掛けになってみてください。境内の秋のイチョウもきれいです。
2年半ほど前に行ってきて、そのときの事を当時のブログに書きましたので、再掲します。
>>>>>>>>2010年11月
雑司ヶ谷の「鬼子母神」へ来ました。
鬼子母神には、もともと子どもが1千人も(人数は諸説あり)いましたが、よその子供を取っては食らう鬼女でした。
ある時、お釈迦様が、鬼子母が溺愛している一番末の子を隠してしまうと、鬼子母は狂乱し、子どもを返して欲しい、とお釈迦様に泣きつきます。お釈迦様は「子どもを取られた親の気持ちを知るがよい」と諭すと、鬼子母は回心し、以後、仏様の教えを守護する神となりました。
今、鬼子母神は、片手に幼児を抱き、もう片方にはザクロの実を持ち、子宝・子育ての神様として広く敬われています。ザクロを持っているわけは、たくさんの種実を内包しているザクロに、子宝に恵まれるようにという願いを込めているからです。
(一説には、二度と子どもを食らわないように「人肉の味がする」といわれるザクロを持たされたという説もあり、日本でも地方によっては「ザクロを食べてはいけない」という風習を持つところもあります。私の祖母も「ザクロは食べるものではない」と言っていましたが、どういう理由か、真偽のほどはわかりません。インドでは、ホテルの朝食で山盛りたくさんのザクロの実をデザートで食べたことがあります。)
雑司ヶ谷の鬼子母神の名物といえば、ススキでつくった「ミミズク」です↓。
江戸時代、貧しくて病気の母親の薬代が買えない親孝行の娘の夢の中で、鬼子母神が「枯れたススキでミミズクを作りそれを境内で売って、薬代にするとよい」とお告げしたのが始まりと言われます。
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