井草幼稚園 ブログ*零れ話つづれ織り~ こぼればなし・つづれおり

はな子とのお別れ会 2016.9.3.

この前日9月2日は、はな子が世を去って百ヶ日にあたり、また67年前(1949年)の今日9月3日はバンコクを出発したはな子が神戸港を経て、東京・汐留に上陸した日にあたります。

《↓民放テレビのインタビューを受けるご父兄と園児》




はな子とのお別れ会〉は、近隣小学校からも大勢の児童が参加の中、代表の小学生達がお別れの言葉を述べる……当初のそんな勝手な想像を大きくはずし、実際の式典に子供の数は少なく、芝生広場が全て埋め尽くされるほどの人ということもありませんでした。

テント内に並んだ一般者用のパイプ椅子はさすがに満席で私たちは座れませんでしたが、芝生のほぼ前の位置で、子供はしゃがんだりロープの外に出られる余裕もありました。
 9月3日(土)11時を少し回って始まった〈お別れ会〉は、はな子と共に成長し、時を過ごした大人たちのためにこそありました。

 主賓は、武蔵野市・三鷹市両市長、タイ駐日大使、そして67年前、はな子の日本寄贈に尽力した実業家、故、ソムアン・サラサス氏の御子息方。

冒頭、井の頭自然文化園園長さんが「上野動物園に就職した年に、戦後最初のゾウ、インディラの死を看取り、定年最後の年にこうしてはな子を送ることになったのは感慨深い」と述べ、

この日のためにタイから来日した故・サラサス氏の御子息は「はな子が東京に着いた時に父も来日し、はな子の歓迎式で挨拶した。『日本はこれからもっと立派な国になる。勤勉で誠実な日本人なら達成できる』と話していたのを思い出す。父は今ごろ、天国ではな子と再会しているでしょう。はな子を大切に育てて戴いたことに心から感謝し、日タイの友好がいつまでも続くことを祈ります」と話しました。

最後にはな子担当の4人の飼育員が紹介され、代表の方がはな子の最後の頃の様子を紹介しました。「歯が抜けてからバナナはずっと皮をむいたものしか食べていなかったが、死ぬ1カ月くらい前には、皮付きのバナナをねだり、それを食べた」という不思議な話し。死ぬ前日まで、自分で水浴びをしていた、とのこと。

冒頭での園長さんはまた「昨日(9月2日)ははな子の百ヶ日に当たります。仏教で百ヶ日を『卒哭忌(そっこくき)』とも言い、慟哭の悲しみが徐々に薄らぎ、その悲しみからは卒業することを意味します。はな子の死を受け入れられない方も多いと思いますが、今日で卒業しましょう」とも話されていましたが、
飼育員代表は挨拶の最後では涙をこらえきれず、列席者からは長い拍手が送られました。

団体参加を申し込んでいたのは当園だけのようでしたが、ご参列のご家族様には誠にありがとうございました。

待ち時間を含め献花まで2時間以上、日差しもあった暑い中を、子供たちは良く頑張りました。
全員が一人づつ、ガーベラの花を献花することができ、記念品をいただきました。
 式典後の献花の列はどんどんと長くなり、最終的には、2時過ぎまで、報道によると2,800名もの献花の列だったとのことです。








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