実はーーー、、3月某日は、そんな二人の命日でして、、それも(同年同日)ーー。午前と午後の出来事でした。
もう ずいぶん経ちました〜私が大学生の時ですから大昔^^;
叔母は母の妹。私の通っていた大学の近くに嫁いでいたので 1番親しい親戚の(おばさん)でした(^^♪)叔母は若かったし 明るい人だった❤(ӦvӦ。)
高田馬場駅の近くだったので 大学の行き帰りにちょいと寄ってご飯ご馳走になったり ご主人の叔父も優しかったなあ。叔母たちには息子しかいなかったから余計に!そうだったんだと思います。
そんな元気いっぱいの叔母だったのに、突然重い病気にかかりました。叔母の母(私の祖母)が、、⤵️
『あの子は、小さな頃は健康優良児で表彰されたんだよ。それが何でこんなに早く逝く。』
そう言ったことも鮮明な記憶です。
そして、、まだ小学生の息子(私の従弟)を残し亡くなってしまいました。
叔母は、とっても無念だったろうと もちろん当時も思いましたが、、自分も同じ母親となった今はもっともっと強く思います。
時系列に〜、、3月某日の朝に 叔母の危篤の知らせを受け 母の実家の人たちは、皆 病院へ向かいました。
その頃、、母や叔母の父親(私の祖父)は風邪をこじらせた状態。 娘(叔母のこと)のもとへは行けず 1人 自宅で臥せってました。
そして 午前中に 叔母は息を引き取りました。
「そうだ!おじいちゃん1人にしていたわ)と なり、、
お嫁さん(母の弟の奥さん、私には叔母にあたりますね)が実家へ急ぎました。
もう その頃は、午後になっていたと思います。
しかし お嫁さんが実家へ戻った時にはもう、、祖父は亡くなっていました。
看取った人は誰一人いません!
この場合は警察を呼ぶことになってますよね。そこで検死。事件性も認められず。となった次第です、。
祖父と叔母〜つまり2人は親子です。
(〇〇おばちゃんが1人ぼっちじゃかわいそうだから、、おじいちゃんも一緒に逝ったんだ。)そう思ったの私。
いや私だけではなく 周り皆 そう思いました。
祖父は無口な人だったので 私はそんなに話をした思い出が無い。
私の兄とはずいぶん楽しそうに話してたけどやっぱり昔ニンゲンだから男の孫がね!なんたってさ、思いが強かったんだと思った。
おじいちゃん!1人で天国へ逝ってしまって 寂しかったろうなあ、。でも 自分の家で亡くなったことだけは幸せだったかなあとも思います。
それから 毎年 実家と叔母の嫁ぎ先のお墓参りを母と一緒に行ってました。
でも母が弱って行けなくなった時からは👇
『行けるようになりたい!』といつもの口癖。
『私が行くから』と言うと、、
『そうね〜でも 』と。これも決まり文句。。
今年も少し暖かくなったら 〇〇おばちゃんのお墓参りに行こう!
天国の母に聞こえていると良いなあ。聞こえてるよね!お母さん♡
最後に 元気だった頃の叔母は食べること大好きだったので💕美味しいモン載せよう😋
👇こちらはシンガポールのリッツカールトンのアフタヌーンティー☕
母とも行ったシンガポールですが 夫と行ったときの写真です。もうずいぶん前になるけど。チョコ好き夫も最後のチョコ食べられなかったぐらい多かった笑
以上です。
お読みくださってありがとうございました😊
では~(^_^)/~
いつもありがとうございます。
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