こんにちは。一日一日を大切にしながらも祖母も母も私も必死に生きています。自分で「必死」と書くのもどうなのかと思いながらも、命と向き合って、気の抜けない緊張感がある毎日なので、この言葉も妥当かなと思って選びました。
在宅介護を始めて一年になりました。ここまで本当に色々とありました。酸素吸入が在宅でも始まったり、オムツ交換や清拭など清潔に保つためのスキルを身につけてきたり、祖母の怒りや悲しみに寄り添いつつも、「脚を返せーーー」と激しい罵りに心折れそうになったり。
さらに、時に各セクションと折り合いをつけたり、グッとこらえたり、話し合ったり。夏のある日、ひどいめまいがして医師に伝えたら「慢性疲労と睡眠不足ですね」と言われて、「あー。慢性疲労っていう言葉があったな。」と身に染みて感じた日もあれば、頻繁に起こる腹痛に我慢ならず、予約をとって消化器内科に駆け込んだ日もありました。30代でも体のあちこちに異変が生じることがあり、肉体的にも精神的にも介護する側の大変さを身をもって知りました。
ところで、祖母は今月91歳になります。その誕生日を迎えられる可能性が高くなってきました。奇跡としか言いようがない生命力です。先日の血液検査の結果を見ると、間質性肺炎をみるKL-6は正常範囲内ではないものの、前回よりは良くなっていました。NT-proBNPという心不全の値は、変わらずとても悪かったです。
一方で、今月はすでに悲しいお別れがありました。祖母がかわいがっていた弟が12月に入って亡くなりました。母の従兄弟から私の携帯に着信履歴があったときに嫌な予感がしましたが、残念ながらその予感はあたっていました。
幼かったころ、私と妹が香川県の祖父と祖母の家で過ごすことがよくありました。私は「◯◯おっちゃん」と呼んでいて、色々とよくしてもらっていました。最後に会ったのは祖父の四十九日に行ったときなので、もう6年も前になります。その頃は、おっちゃんも祖母も元気で、たくさんおしゃべりしていました。
祖母は四人きょうだいで、兄、祖母、弟、妹です。兄と妹はだいぶ前に亡くなっており、この度、弟も他界したので、きょうだいで生きているのは祖母ひとりだけになってしまいました。祖母がとてもかわいがっていた弟だということを母も私もよく知っていたので、伝えるか否かを考えたうえで、祖母に筆談で伝えました。認知症の祖母にもきちんと伝わり、理解し、涙していました。
でも、伝えたあと数分後には忘れてしまったと思います。これは仕方のないことです。本当は、母も私も香川県に行って通夜と葬式に参列したいところですが、仕事と在宅介護(現在、デイサービス利用は諸事情があり、週一回程度に絞っている)があるので、日を改めてお墓と仏壇に手を合わせに行くことにしました。
それがいつになるか、今はまだ決められません。でも、必ずおっちゃんに感謝を伝えに行こうと思います。そして、その時に祖父のお墓にも手を合わせに行こうと思っています。
香川県。羽田から高松までは1時間と少しの空の旅です。車や新幹線でも行ったことがありますが、時間がかかるので、いつも飛行機を選んでいます。通常の生活なら、日帰りでも飛行機で往復できます。しかし、介護がある今の私にはすぐに行動に移せる場所ではなく、香川県が遠くに感じます。
祖母の容体が日々変わるので、先を読むことができません。そのようななかで、羽田までの道のり、高松空港でレンタカーを借りる時間、そこから西に向かう道中。そして、帰り。先日、羽田から伊丹まで飛び、日帰りで神戸に行きましたが、ずっと祖母のことが気にかかり、それだけで疲れてしまいました。スイッチを切り替えることが難しいことを痛感しました。
心を落ち着けて行きたいので、いつの日にか香川県を訪ねたいと思います。
追記
祖母の場合、在宅介護を行ううえでも「特別、大変かもしれない」と言われています。
これまでも書いてきたとおり、
1.施設を姥捨山と思い込んでおり、施設で大きな声を上げたり、手が出たりすることが多いようで、施設の利用を極力少なくしています。
2.中途失聴で耳が聞こえなくなったから、人の様子を細かく見るようになりました。そのため、被害妄想に陥っているときもあります。
3.急性下肢動脈閉塞症により、右脚の太ももから切断手術を受けました。そのため、寝たきりの生活で、認知症を発症しました。また、ベッドから車椅子、車椅子からベッドへの移動には必ず移乗が必須なので、介護する側の人間が最低2人は必要です。
4.下肢切断によりPTSDも発症したことや認知症で自分の感情をうまく言語化できないことから、大きな声で叫んだり、罵ったりするようです。感情のコントロールが難しく、よく泣き、よく怒ります。特に「脚を返せ」「誰が切ったんや」「切るときは本人に確認をとるべき」と言います。
*当時、祖母は血栓が詰まった痛みや入院生活のなかで認知症が入ってきていたのか、意思疎通がはかれる状態ではありませんでした。病院でもあまりの痛みでモルヒネもフラッシュするほどでした。
5.私の個人的なことですが、いつも祖母は母ではなく、まず「あみちゃーーーん」と呼びます。そしてヒートアップすると、「あみーーー💢」となります。そのため、深夜でも早朝でも私を呼ぶ声がするので、私は必ず目が覚めてしまいます。施設でも私の名前を呼んでいるそうで、施設のスタッフも皆さん「あみちゃーーーん」はよく聞くとおっしゃっています。
など。祖母が施設でも静かにおとなしくしてくれていれば、ここまで大変ではなかったと思います。なので、祖母の在宅介護の大変さは、ほんの一例で、個人差がものすごくあると思います。