「母親」になりたくて
新卒でフジテレビに入社後、フリーに転身。テレビ報道の第一線を走りながら、世界の難民を支援する国連機関のディレクターを務めたり、大学で教鞭をとったりと華々しい活躍を続ける彼女には
「どうしても克服できなかったコンプレックス」があるという。それは「母親になれなかった」ということ。
人生は「コンプレックス克服ゲーム」振り返ってみると、コンプレックスだらけの人生を送ってきました。
小学生の頃の私は、丸々と太っていて、足は遅くて、勉強もできない。いつも誰かの影に隠れているようなタイプでした。
あまり覚えていないのだけど、当時のことを母に聞くと、私は家でいつも「〇〇ちゃんはこれができてすごいんだよー」と、友だちを褒めてばかりだったんだそうです。「あなたは?」と聞かれても、ニコニコしているだけ。痩せたいな、足が速くなりたいな、とは思っているけど、努力もしないのんびりとした子供だったんです。
しかし小学校から中学校にあがるタイミングで、多くの「コンプレックス」が少しずつ克服の兆しを見せます。
大きかったのは、小6の国語の授業での一幕。
大学卒業してまもない男の先生が私をさして、みんなの前で教科書の一節を朗読させたんです。その時に「長野さんは読むのが上手だね!」と褒められて。それが今でも忘れられないくらいとても嬉しかった。ああ、私でも褒めてもらえることがあるんだ、と。
運動も勉強も「何ひとつできない私」が、自分の中にある小さな可能性に目を向けた瞬間でした。
今思えば、あれは「目覚め」のような体験だったのかも。
その後、バドミントン部に入って身体を動かし始めたら体重が減り、成績の良い友人が通う塾にも仲間入りさせてもらって勉強を始めました。
少しずつ結果が出てくると嬉しくて、ますます頑張れるようになりました。
中学3年生の時、学校の先生との面談から帰ってきた母親の一言を今でも覚えています。
「あなた、国立(大学)狙えるって。先生に言われたの」。母の喜びと驚きが混ざり合った顔を見て、私は胸いっぱいになりました。
そう、私にとってコンプレックスとは、克服して次々とパワーアップしていくための原動力でもあったのです。
ある時までは…。
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