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10月14日、テヘラン~(カタール航空)~ドーハ~(カタール航空)~バンコク~(ANA)~羽田
というチケットが取れたそうだが、バンコクでの乗り換え時間が少なく走らないといけないらしいが・・・・まずはヤレヤレである。
今日も午前中はフリーである。「地球の歩き方」を持って来てよかった~フェルドゥスィ・グランドホテルから歩いて行けるところに世界遺産がある!
入り口で入場券を買おうとしたら7つの博物館があって全部で100万リアル(10ドル)。
もう最後の日だからありあわせが足りない。両替しようと銀行を探しに門を出ると目の前に日本人らしき3人組が!!声を掛けるとテヘラン大学にデッサン会議で来ているとか。事情を言って両替をしてもらった。とてもラッキー!ありがとう。
世界遺産「ゴレスターン宮殿」はテヘランが首都になった直後にガージャール朝の王宮として使われていて、現在は博物館になっている。
ゴレスターンはバラの園を意味し、ペルシャ式庭園が美しい。
「タフテ・マルマル」は19世紀の王座。大理石でできている。
ペルシャ芸術の中でも最高峰に位置すると言われている。
鏡だらけ。
「ネガー・ハーネ」は絵画を保存するために作られたスペース。
今も絵画を保存展示している。
美術品の数々。
「タラーレ・アズリ」はヨーロッパからの使節団を迎えるために作られた応接の間。
豪華絢爛!
食器のコレクション。
伊万里焼もある。
「シャムス・オル・エマーレ」はヨーロッパ建築を取り入れたもの。2つの塔がある。
ホテルに戻り合流して、最後のシシカバブを食べる。
バスに乗り「サアダート・アーバード宮殿」へ。かつてのパフラヴィ(パーレビ)王朝の夏の離宮だった。テヘラン北部。
メインの建物シャムス宮殿はパーレビ王の父の宮殿で、中は撮影禁止。
300haもある広大な敷地で所々小型バスで移動。
パーレビ王のメットラ宮殿。居間、食堂、応接間。
イラン・イスラム革命の時まで使用された。
観光を終えてイマーム・ホメイニ空港へ行く。イマーム・ホメイニ・モスクが見えた。
無事にチェックイン。バンコクまでの搭乗券しか受け取れなかったがまずはイランを出国。
カタールのドーハに着き、バンコク行きのカタール機で15分遅れでバンコクに着いた。
降り口で係員に呼ばれ、荷物が間に合わないが次のゲートまで連れて行ってくれた。広い空港で走った!!
やっとANA機に乗りこみ、10月15日夜10時ごろ羽田到着。しかし荷物は出てこなかった。
羽田のホテルで宿泊して16日の飛行機で高松に帰ることもできたが、もうすでに12時近かったので空港で少し仮眠をして朝一番の新幹線で帰ることにした。
10月16日、10時ごろ帰宅した。荷物は翌日17日に宅配された。
台風で最後は予想外のことになったが、すべてが無事でよかった。また行きたいイランだった。日本で報道されるようなイランではなくて国内は平和で落ち着いている。アメリカの制裁はおかしい。
余分に泊まったホテル代は3泊で4万ほどで、ただ今保険を申請中である。
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