良い映画、なんだろうと思う。
ただ、私には合わなかった。
ここ何年かで自分の中で顕著になってきたのは、ドラマや映画におけるセリフ劇なるものが苦手ということ。
テクスト、文字、文章。左脳を使うもの。インプットに際しロジカル優位に脳を使わなくてはならないものが好きでなくなってしまった。
もちろん、セリフの中にはこころにストレートに響くものもある。でも、そこに至るまでにあまりにも文字数が多くなると、途端に気持ちが萎えてしまうのだ。
言葉で描くなら小説でいいよ、と思ってしまう。ドラマや映画なら映像で見せて!…と思う。(わがままだ。😅)
『ドライブ・マイ・カー』も、文字数の多い映画だ。ニコニコ動画だったら画面が文字の流れに埋め尽くされそうである。もちろん言葉のない静かなシーンも少なくないのだが……。戯曲やロシア文学、村上春樹の世界が好きな人には刺さると思う。あと、車が好きな人にも。(赤いSAABはエンジン音と共にこの映画の魅力の1つだと思う。)
しかし、若い頃はそんなことは感じなかったのにな……。
これは脳が怠惰になったせいだろうか?老化現象?劣化なのか……?同じ理由で坂元裕二氏脚本のドラマも見れていない。単なる食わず嫌いで、見たらハマるかもしれないけれど。
年齢と共に、思っても見なかった変化が起こることはよくある。動物が好きなので、NHKの『ダーウィンがきた!』などの野生動物(生物)を取り上げた番組を割と見る。若い頃は自然の摂理として、捕食するものとされるものの生命のやりとりを見ることが出来ていた。
しかし、ここ何年かはちゃんと見ることが出来ない。そういう場面が来そうになると目を逸らすかチャンネルを変える。加齢と共に肉体的な弱まりを自覚して、どうしても捕食されるものの方に気持ちが寄ってしまうせいだろうか?
それから、殺人事件がないと始まらない刑事ドラマも見なくなった。あんなに好きだった『相棒』すらずっと見ていない。(まあ、個人的にネタ切れを感じているせいもあるけれど💧)以前、『徹子の部屋』に水谷豊さんと寺脇康文さんが出演した時に、黒柳徹子さんが同ドラマを全く見ていないと知って驚いたのを思い出す。あんなに面白いのに!と。
確か、徹子さんは「人が死ぬの見れないの」といった意味のことを語っていた。当時は、ドラマなのに?フィクションなのに?……と理解出来なかったけれど、今は徹子さんの気持ちがわかる気がする。
身近に死がありすぎると、たとえフィクションであっても辛いのだ。絵空事ではなくなるから。私も職業柄、死がとても近いところにある。(今月いったいいくつのサマリーを書いただろう?)
もしも、定年退職してこの仕事を辞めたら、また刑事ドラマをフィクションとして楽しめるようになるのだろうか?
老化なのか劣化なのかわからないけれど、私の中で確かに変化が起きている。