明智光秀と言えば、「謀反人」「三日天下」。そんなキーワードがまず浮かぶ。どんなに主人公の人生を丁寧に描いても、主人公に心を寄せても、結末は変わらない。光秀は秀吉に討たれて死ぬのだ。
そんな最後って一年間見てきた視聴者にとって辛すぎないか?
少しだけそんな心配をしながら、見始めた。
予想通り主人公の明智光秀は、皆が好きになるような、正直で知力も剣の腕もある男に描かれており、主演の長谷川博己さんがこれ以上なく魅力的に演じていた。
私も安定の、【光秀推し】になった。
そう。歴史というものは大体が勝者によって描かれるもの。つまり敗者からの視点だと世界が逆転する。もう、このドラマを見てからは、光秀の「謀反人」のイメージはきれいさっぱり消えて無くなった。
現代の用語で言うなら「ポリティカル・コレクトネス」と表すれば良いのだろうか?光秀は【麒麟】というシンボリックイメージの下、常に中立や和平を求め、人道的な姿勢を貫こうとしていた。生きるか死ぬか、群雄割拠の戦国の世で……。しかし、そんな光秀が最後の最後、信長を武力で倒してしまう……。
これが、光秀の唯一の誤ちだったのだろうか。もっと他のやり方はなかったのだろうか?
総集編のオンエアも終わり、本当に『麒麟がくる』が終わってしまった今、私はそんな事を考えている。実際、あの時代はああするしかなかったのだろう。信長と対話で解決できるような次元はとうに超えてしまったのだから。しかし……。
こんなに最終回が辛かった大河ドラマは初めてだ。
そして、こんなに気持ちを持って行かれた主人公も初めてだ。
持って行かれたまま消えてしまった。
今でも思い出すと泣いてしまう。
こんなに主人公を好きにさせて、一点の曇りもなく好きにさせてくれて、「最高のバッドエンディング」を描いてくれた『麒麟がくる』。
キャスト、制作の皆さん、本当に心から感謝します。総集編の編集も素晴らしかった。
ありがとう!!
(そして、また泣く……。)