偕楽園 ~ 弘道館 へ

2015-03-16 | 日記

 

気楽な母と娘の旅

お仕事忙しwomanでお休みとれないので

今回は一泊二日 

水戸&袋田温泉 へ行ってきました

 

 

 mamaのリクエストで水戸偕楽園へ

一度行きたかった 日本三大名園のひとつ

 

水戸9代藩主 徳川斉昭 (15代将軍慶喜の父)

自らが造園構想をねり

1842年に開園されたとか

 

梅まつり期間の土日のみ

 常磐線は偕楽園臨時駅に停車します

 

東門のロッカーに荷物をあずけて

 先ずは常磐神社にお参り

そこからぐるっと回って

 

           

 

好文亭表門から入ります

この入り方が 徳川斉昭公の本来の趣意だそう

孟宗竹や杉林をぬけ

確かに

「陰から陽」へと変化が感じられます

 梅が満開なら尚更だろうに

 

    吐玉泉 

 

                     好文亭入口の梅 (残念ながらまだ三分咲き)

 

 

                                           好文亭の中は気品に満ちた設え

            趣味の良さが感じられます

 

                                        

 

         なにより、圧倒されたのが 各部屋の襖絵

 

 

         

 

 

                   

 

このモダンさは創建当時のものではないことは確か

(戦火で焼失し昭和33年に復元建築されている)

帰ってネットで検索

作者は

東京芸大の 須田珙中 と 田中青坪 (漢字変換できました)

 

 

三階の楽寿櫻から庭と千波湖を望む

 

こけら葺きの屋根が趣あり

           

斉昭公はこの景色

どんな思いで眺めていたのでしょう

湖のむこうにビルが見えるけど

それ以外はあまり変わっていないのでは

 

 

  

 

その後 梅林を鑑賞

100種類3000本の梅が植わっている

色々趣意をこらした名前が付いていて

名札をみながら そぞろ歩き

 

パンフレットのような満開の時に

もう一度来てみたいと感じました

 

お昼は

千波湖畔にある 好文カフェで

 

                       

 

 

袋田行きの電車の時間まで

水戸駅近くの 弘道館を見学

 

丁度、東京へ出向く前日の夜

NHK 歴史秘話ヒストリア 「桜田門外の変」をみました

それは去年11月に友人と彦根城を旅した時

 井伊直助の埋木舎で丁寧な説明をうけ

興味をもっていたからでしたが・・・

でも内容は

なんと、井伊直助と敵対関係にあった徳川斉昭のはなし

 

桜田門外の変で

井伊直助が何も反撃できなかったのは

鉄砲で足腰を打たれたからで

その鉄砲を水戸浪士にさずけたのは斉昭だったというもの

 

 なんとタイムリーな衝撃的内容

にわかに徳川斉昭に興味がわいてきました

 

 

 

弘道館は斉昭が創建した水戸藩の藩校

その当時 国内最大級の今でいう総合大学というべきもの

学問と武芸 両方が重視され

文官、武官、医学館、天文数学所、兵学局などが有り

確かに大砲や鉄砲の製造もここで行われていたようです

 

 

 この桜 さぞ見事でしょうね

 

 

               

 

 

 

 「日本古来の道徳は永久に変わらないものであるから、

日本人である者はこの道を踏みちがえることがあってはならない」 

という意味だそうです

 

 

 丁度この日は運よく

通常非公開の 孔子廟と八卦堂が 観れるようになってました

 

  

弘道館記碑(建学の精神)が掘られています
 

東日本大震災で被害を受け復元されたようです

 

弘道館を見学して

日本を立派な国にしようという斉昭の気概が伝わってきました

 

 

 

隣の鹿島神社でお参り 

 

いつもなんと唱えようか迷うけど

祓え給い 清め給え    

守り給い 幸(さきわ)え給え

(三唱)

と書かれている通り唱えてみたら

心が落ち着いた

これからは迷わずに

 

 

 

 

地元の方が製作された ひょうたんの彫り物

とっても綺麗な 灯り でした


最新の画像もっと見る

コメントを投稿