「歴史を探る」というのは難しいというより掘りさげるほど恐ろしく嫌な面が多くて出てきて、「どっちが本当に正しいのか」分からなくなることがある。このことは歴史だけに限らないのだろう。一人を殺せば重罰だが、大勢を殺せば英雄だ、はまさしくその通り。アインシュタインの例が一番分かりやすい。相対性理論という偉大な理論が人類にあたえた影響は計り知れない。でもその延長線上に原子爆弾が出来てしまった。
今回も、特集上で、「レーモンド」が引っかかってしまった。彼は、一般的にいえば親日派で、日本をこよなく愛していたと思うのだがその日本家屋における多大な情報が米軍部には、焼夷弾のデータとして重宝された。木と紙の家。
第二次世界大戦がはじまりタウトが亡くなった1938年にはスイスを経由してニューヨークに戻っている。ジュネーヴでレーモンドは松岡洋右に会って戦争の回避を訴えようとしたが、レーモンドが国際連盟本部に着いたのは,日本代表が既に脱退した後だった.しかしながら、その後もやはり日本に来日している。「(中略)一九一九年の日本到着の最初の日に代わるのは,幽鬼のような人びとの姿であった。人びとは廃墟のあちこちで灰にまみれ,やせ衰え,凄惨な姿をしていた」という記述以外に心中を察するものは今のところないが彼の家族の殆どはナチスによって殺されている。