次の世代のために 今できることを

目に見えない不安

2日から福島県へ。

今回のスケジュールでは津波の被害が大きかった地域に行くことはできませんでしたが、子ども達の作った手作りうちわを届けに行きました。

最初に、福島県田村市の特別養護老人ホームへ。



行く途中には自衛隊車両と何度かすれ違いました。


瓦屋根の家は地震で瓦が落ちているものが多く見られました。


同一法人が運営している別の特別養護老人ホームが原発30キロ圏内にあるため、そこの施設の職員・利用者の方々が一緒に生活を送っているとのことでした。

田村市は、原発の30km圏内にかかっている町ですが、実は放射線量が高くない地域です。
震災発生から1ヶ月くらいは風評被害で他の被災地と比べて支援物資などがなかなか届けてもらえなかったとのことです。

地震の被害も比較的少なかったようで、震災から3ヶ月が経ち、町全体は普通に動いているように見えましたが、住民の方々とお話をすると、原発に対する不安や国の対応に対する不満を口にされ、誰もが原発への不安を心に抱えながら暮らしている方ばかりだということがひしひしと伝わってきました。


次に福島県安達郡大玉村の知的障害者更正施設へ。

地震被害が比較的小さい地域だったようですが、ここの施設は地盤に問題があったらしく地盤が沈下したため、建物も全体的に傾いていました。
 

すぐに建築士に来てもらい、耐震強度を確認してもらったようで、“危険”の赤札が貼られていました。


施設の方にうちわを渡し、お話をお聞きしました。


入所されている障がい者には自閉症の方も多く、地震で避難した先では普段とは環境が大きく変わったことで避難所でパニックになる方や全く食事がのどを通らなくなった方などもいたということで、その対応が大変であったと話されていました。

それぞれの避難所について、障がい者の方々への配慮点なども考慮しておく必要があると感じました。


お話の中で、何よりもつらかったのは子ども達のことです。

幼稚園や小学校の子ども達は園庭や校庭など、放射線による被害を防ぐために外で遊ぶことを禁止されており、晴れた日でも外で遊ぶことができず、大きなストレスを感じている状態にあるようです。

恐らく親のストレスも非常に大きいことと思います。


放射能の影響が子ども達にどんな形で出るのか、ここに住んでいて本当に良いのかと、悩み苦しんでいる親も多くいるとのことでした。

“みんな普通に暮らしているように見えても心の中は不安だらけ”


復興について国会でゴタゴタが続いていますが、その議論は霞ヶ関ではなく福島でなされていくべきことであると実感しました。
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