仏像彫刻と共に歩む侊慶の記録

仏師 紺野 侊慶の記録

善光寺仁王像2

2012年01月01日 | 木彫刻
開けましておめでとうございます。
今年もどうぞ宜しくお願いいたします。


高村光雲
明治大正期の彫刻家で江戸下谷生まれ。
文久3年仏師高村東雲に入門し東雲の姉の養子となり高村姓を継ぐ。
明治維新後の牙彫の流行のなかで木彫を通し、明治22年、日本画と木彫という伝統美術の陣容で開校した東京美術学校(東京芸大)の雇,翌年教授となった。
以後、多くの万博や国内の博覧会で高賞を受賞。
40年からは官展の審査員を毎回務めた。
制作は、明治30年代に頂点を迎えた感があるが、伝統の木彫に西洋の写実を加え、日本近代木彫の祖ともいうべき足跡を残している。
長男の高村光太郎をはじめ,山崎朝雲,米原雲海,平櫛田中ら多くの俊秀を門下に輩出した。


高村光雲の作品

老猿



西郷隆盛像




米原雲海
同じく明治大正期の彫刻家で島根県安来市に生まれる。
16歳で米原家の養子となったり、初め塔大工などに建築彫刻を学び大工となったが,京都,奈良の古仏に感銘を受け、彫刻家を志す。
明治23年上京し,高村光雲に師事。
光雲の右腕と称され27年より雲海と号す。
内国勧業博覧会,文展などに出品。写実をもとに独自のデフォルメを加えて木彫人物像を得意とした。
28年,東京美術学校(東京芸大)雇となり,30年まで勤務。40年,岡倉天心の指導により日本彫刻会を結成した。


米原雲海の作品


清宵 



曠野


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