~~~ヾ(^∇^)おはよー♪じゅんです。
「正力ちゃ誰け?」の知的美女から、新元号の由来について質問ありましたので、取り急ぎ調べて書いてみました。
万葉集巻五「太宰帥大伴の卿の宅に宴してよめる梅の花の歌三十二首」
天平二年の正月の十三日に、師老の宅に萃まりて、宴会を申ぶ。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぐ
天平2年(730年)の正月の13日、大伴旅人(家持の父親)の九州太宰府にある邸宅で開かれた梅花の宴で詠まれた歌の詞書(ことばがき)です。
詞書は「師老」すなわち旅人自身が書いたと思われます。
この宴で詠まれた歌は、
わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも 大伴旅人
です。
60歳過ぎてからの太宰府赴任は藤原氏による左遷人事ですからな。
パーティやって酒でも飲まなきゃ、やってらんねーよ😿
この歌を踏まえて菅原道真の歌があります。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな 菅原道真
雷になって藤原のやつら皆殺しにしてやるぜー(怒)
万葉集の注釈本には旅人の詞書が文選の張衡「帰田賦」の、
「於是仲春令月 時和気清」
(仲春の令(よ)き月、時は和らぎ気は清し) (岩波文庫編集部ツイートより)
からの丸パクリじゃね?と指摘されています。
いくら万葉集を強調したって、しょせんは文選からの孫引きになっちゃうのは、しょうがないっすな。
漢字自身が中国からの借りものなんですから。
「万葉集」ちても、越中じゃなくて太宰府、家持じゃなくて旅人です。
富山県は残念でした。
チャオ( ´Д`)ノ~バイバイまたねーお気軽にコメントどうぞ_(._.)_