【お手伝い】や【ボランティア】って・・・。いったい何なんだ?
今日の夕方、里芋1号が学校からのプリントを持って帰ってきました。
そこには、お手伝いを募集しているというようなことが書いてありました。
よーく見ると、それは、保護者向けの内容ではなく、子どもに向けて、「休み時間に少しだけ先生のお手伝いをしてほしい」というお願いが書いてありました。
「コレ、里芋に向けてのお願いだよ。お手伝いしたら?」なんて言ったところ、里芋1号はこう答えました。
「別にやってもやらなくてもいいんでしょっ。」
つまり、里芋1号はあまり乗り気じゃないということですねぇ。
「確かに強制ではないけれど、こんなプリントがあるってことは、きっと誰かに手伝って欲しいということなんだよ。」
と優しく説明できる母ならよかったんですが・・・。
なぜか虫の居所が悪かったのか?母は、カチーンときてしまいまして・・・。
「なんでお手伝い出来へんのん!困ってはるんやったら、みんなで助けたりーや。別にやらなくてもいいけど、やってもいいんやで!!」と、かなり荒っぽいセリフを吐いてしまいまして・・・。
ただ、よーく考えてみると、そんなやる気の無い人間が、【やらされてる感】丸出しで、作業したところで、いやーな雰囲気が回りに見え見えだし、だらだらされてもなぁ・・・。
子どもに無理やり命じたところで、それは、本来のお手伝いとは違うんだろうなぁ。それに、【やる】か【やらない】かを決めるのは、子ども自身なんだもの。
依頼者の意図としては、子どものちょっとしたやる気や、親切心や、好奇心や、人の役に立っているという充足感(満足感)やら、何やかんやが存在しなければ、それは、何の意味も成さない(お手伝いを頼む意味が無い)んでしょう。あくまで教育的観点から、子ども達のやる気を引き出したいんだろうなぁ。
だって、おそらくそのくらいの仕事ならば、大人がさっさと済ませる方が、早く完了することだもの。あえて子ども達の有志に手伝わせるというのは、それなりの意図があるんですよ。
言い方は悪いですが、そこのところをを上手くそそのかしてやればよかったんだろうけど・・・。時すでに遅し。うーん、母きんとんのバカ!!
その話は、ひとまずそこで終わりまして。
夕食後、筆者は一人で洗濯物をたたんでいました。
洗濯物をたたむなんて、たいしたことじゃないんですが、たまたま今回は量が多くて、おまけに一人だと結構時間もかかってまして・・・。
途中から、(見かねたのか?)相棒が手伝ってくれました。おかげで、かなり進んできました。そこで、その場でそれを見ていた里芋1号にも「お手伝いして。」と言って手伝ってもらいました。
里芋は、夕方のやりとりがあったものだから、【お手伝い】という言葉に、やや過敏になっており・・・。
「だからこそ、ここでお手伝いさせて、思いっきりほめてやろう」なんて思ったんですが・・・。さほどほめないうちに、作業が終わったらそそくさとその場を去ってしまいまして・・・。
いやー、ますますアホな母でございます。
言い過ぎたために、かえって逆効果だったんでしょうねぇ。
ホント、バカな母だこと。
物事の意味(理由)を理解させなければ、やってる意味がない。それは、大人でもそうですよ。ただただ、命令されるだけだと、【やらされている】だけなんだもん。一人でやれば大掛かりで大変なことでも、二人でやれば、仕事は二分の一になります。それが、三人、四人と増えてきたら、もっといろんな事まで出来るんだよ。(まぁ、作業内容にもよりますが・・・)
「何でこんな事までやらなきゃいけないんですか?」って、いい大人から真顔で聞かれたことがあります。言ってる方は悪気なんて全く無くって、まじめに質問してるんですよ。その仕事をする意味がわからないから。
でも、ソレを言われた側(というか、その仕事を依頼した側)としては、やって欲しいからお願いしてるんですよ。ちゃんと意味だってあります。
この場合、相手にきちんと意味を説明できてないコッチが悪いんです。うまくお願い出来ない、説明できないことがイケナイんですよ。
それでもなんだかなぁ???
今日の夕方、里芋1号が学校からのプリントを持って帰ってきました。
そこには、お手伝いを募集しているというようなことが書いてありました。
よーく見ると、それは、保護者向けの内容ではなく、子どもに向けて、「休み時間に少しだけ先生のお手伝いをしてほしい」というお願いが書いてありました。
「コレ、里芋に向けてのお願いだよ。お手伝いしたら?」なんて言ったところ、里芋1号はこう答えました。
「別にやってもやらなくてもいいんでしょっ。」
つまり、里芋1号はあまり乗り気じゃないということですねぇ。
「確かに強制ではないけれど、こんなプリントがあるってことは、きっと誰かに手伝って欲しいということなんだよ。」
と優しく説明できる母ならよかったんですが・・・。
なぜか虫の居所が悪かったのか?母は、カチーンときてしまいまして・・・。
「なんでお手伝い出来へんのん!困ってはるんやったら、みんなで助けたりーや。別にやらなくてもいいけど、やってもいいんやで!!」と、かなり荒っぽいセリフを吐いてしまいまして・・・。
ただ、よーく考えてみると、そんなやる気の無い人間が、【やらされてる感】丸出しで、作業したところで、いやーな雰囲気が回りに見え見えだし、だらだらされてもなぁ・・・。
子どもに無理やり命じたところで、それは、本来のお手伝いとは違うんだろうなぁ。それに、【やる】か【やらない】かを決めるのは、子ども自身なんだもの。
依頼者の意図としては、子どものちょっとしたやる気や、親切心や、好奇心や、人の役に立っているという充足感(満足感)やら、何やかんやが存在しなければ、それは、何の意味も成さない(お手伝いを頼む意味が無い)んでしょう。あくまで教育的観点から、子ども達のやる気を引き出したいんだろうなぁ。
だって、おそらくそのくらいの仕事ならば、大人がさっさと済ませる方が、早く完了することだもの。あえて子ども達の有志に手伝わせるというのは、それなりの意図があるんですよ。
言い方は悪いですが、そこのところをを上手くそそのかしてやればよかったんだろうけど・・・。時すでに遅し。うーん、母きんとんのバカ!!
その話は、ひとまずそこで終わりまして。
夕食後、筆者は一人で洗濯物をたたんでいました。
洗濯物をたたむなんて、たいしたことじゃないんですが、たまたま今回は量が多くて、おまけに一人だと結構時間もかかってまして・・・。
途中から、(見かねたのか?)相棒が手伝ってくれました。おかげで、かなり進んできました。そこで、その場でそれを見ていた里芋1号にも「お手伝いして。」と言って手伝ってもらいました。
里芋は、夕方のやりとりがあったものだから、【お手伝い】という言葉に、やや過敏になっており・・・。
「だからこそ、ここでお手伝いさせて、思いっきりほめてやろう」なんて思ったんですが・・・。さほどほめないうちに、作業が終わったらそそくさとその場を去ってしまいまして・・・。
いやー、ますますアホな母でございます。
言い過ぎたために、かえって逆効果だったんでしょうねぇ。
ホント、バカな母だこと。
物事の意味(理由)を理解させなければ、やってる意味がない。それは、大人でもそうですよ。ただただ、命令されるだけだと、【やらされている】だけなんだもん。一人でやれば大掛かりで大変なことでも、二人でやれば、仕事は二分の一になります。それが、三人、四人と増えてきたら、もっといろんな事まで出来るんだよ。(まぁ、作業内容にもよりますが・・・)
「何でこんな事までやらなきゃいけないんですか?」って、いい大人から真顔で聞かれたことがあります。言ってる方は悪気なんて全く無くって、まじめに質問してるんですよ。その仕事をする意味がわからないから。
でも、ソレを言われた側(というか、その仕事を依頼した側)としては、やって欲しいからお願いしてるんですよ。ちゃんと意味だってあります。
この場合、相手にきちんと意味を説明できてないコッチが悪いんです。うまくお願い出来ない、説明できないことがイケナイんですよ。
それでもなんだかなぁ???