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中途障害で車椅子だけど、ふつーの主婦「おー」より 人生色々日記

父のこと

そういえば
父のこと
以前からいつか
書こうと思うてた

それを
ひょっこり
思い出しまして
書いてます


父はもうこの世には
居てません
旅立ってから
どのくらい経つのか
その後
色々あって記憶が
曖昧な為
年数も思い出せない

父は
子供思いの
楽しく優しい人
だったと思う

近所の子供とも
私とも
仲良く遊んでくれ
よく
山に山菜や果実を
取りにも行ったっけ

ひょうきんな人だった

でも
男としては
だらしない所が
あったようで
母にとっては
苦労させられた
相手だった

歳を重ねてからは
母への贖罪の気持ちか
はたまた愛情か
母をとても大切にし
尽くしていた父

死ぬ間際まで
母の為と
働いていた

母が突然
私を捨てて夜逃げ
同然で居なくなった時も
父は母を独りには
出来ないからと
母についていった

歳を重ねてからの
父の口ぐせは
「お母さんがしんどいから」
「お母さんの為に」
だった

男としては
確かに
変なプライドの為に
仕事を辞めたり
女性にやたら
優しくだらしない
そんな
ダメ男だったのかも

けれど
父親としては
子供の我儘にも
付き合い
時には本気で
喧嘩したり笑ったり

私には
本音でぶつかって
くれていた
良い父親だった

ちょっとした事で
登校拒否になった時
父は何も聞かず
ドライブに
連れてってくれた
それに
救われ翌日から
学校に行った

父は癌と闘い
旅立った

その闘病中
毎日
近くの駅までは
自転車で行き
電車に乗り
病院へ通った

夏の暑い時期だった

病院には
数時間大抵居たが
Dr.の説明など
緊急の時は
都合をつけては
付き添った

旅立つ数日前
私と
半分こしたパン
それが
父の最期の食事

血を吐いたと
母から連絡がきたのは
夜遅くだったな

駆けつけた時
父は
まだ闘っていた
病とも苦しみとも

私が
傍に行くと
手を強く握り
私の名前を
呼んだ

絞り出すように
苦しみの中で
私の名前を呼んだ

それが
最期の言葉だった

その後
薬のお陰で
父は眠り
そのまま
静かに逝った

私の中に
父は生きている
時々
父に語りかける
そんな時
思い出すのは
笑顔の父だ

でも
ふとした瞬間に
思い出すのは
悲しいかな
最期の父だ
苦しみに耐えて
鬼の形相の
父だ

私は
父が好きだった


男としては
ダメな人でも
父親としては
凄い人だった
今はそう
思えるから


父の子どもで
幸せだった



ありがとね……


ダンナには
父と酒を酌み交わして
欲しかったな

我が家には
子供は居てないから
ダンナが
どんな父親になったか
それは分からへん
でも
自分で言うよりも
(女性に限らずだろうが)
明るく周りに
優しくひょうきんで
飲み座が好きな
ダンナは
きっと父と話が
合っただろう


私の地元の
酔っ払い恒例の
足相撲と
やたら固い握手
見たかったなぁ‪w


父ちゃん…
お母さんを
面倒みれなくて
ゴメンね…








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