月曜、SUDAさんを出た後、家とは逆方向へとZZR1400を転がした。
神奈川県相模原市。
人口は70万人を越え、政令指定都市以外では日本一人口の多い市である。
都心から電車で30分と、いわゆるベットタウンってヤツだね。
俺が行ったのは、その相模原市の最南端に位置する小田急相模原駅近辺。
SUDAさんから西へ、15分ほど行ったところにある。
実は俺の実家は引越しが多く、杉並区→相模原市→世田谷区→板橋区→練馬区と
各地を渡り歩いていた。
小学校を卒業するまでのほとんどの期間は、この街で過ごした。
「東海大相模高校」と言えば、聞き覚えのある人もいるだろう。
巨人現監督、原辰徳氏が高校生の頃、この商店街で優勝パレードをやった。
小学生の俺は、原選手に握手してもらったっけ。
2,3年前にも一度訪れており、およそ30年ぶりに訪れた街は、
所々記憶と一致する風景はあるものの、とんでもなく変貌していた。
そもそも全てが小さく見えた。
どこかの大通りのように広く思っていた商店街も、
あれ?こんなに細かったっけ?とかね(笑)
月曜に、ここを訪れたのは、かなり遅くなってしまった昼食を摂りに。
で、入ったのは「らうめん丸善」さん。
前回訪れた時も、ここに入った。
TEL 042-742-5032
俺のオヤジは祖父の後妻と折り合いが付かず、
半ば親元から縁を切るような形で家を出た経緯もあり、共働きだった。
今でこそ共働きなんて普通だけど、その時代は俺みたいな子供を称して
悲哀の意味を込め「鍵っ子」と呼んでいた…(苦笑)
給食の無い土曜とか日曜は、
2歳下の妹を連れ、決まってこの丸善さんに食事しに来ていた。
今は当時の面影は無く、喫茶店のような店構えだが
俺が通っていた頃は、中華屋然とした店構えだった。
ここのチャーハンがめちゃくちゃ旨いんだよね♪
前回訪れた時は、何しろ30年ぶり以上経ってからの再訪問。
はたして店長さんは、未だ健在なのかどうかも分からなかった。
今はいったい何歳になっているんだろう…
おじいちゃん?
もしかして2代目?
はたして、あのチャーハンは食べれるのだろうか?
などと、不安を抱きながら入店した。
店に入り、店長さんを見てびっくり。
おじいちゃんどころか、若いんだよね。
どうやら子供だった俺は、店長さんを実際よりかなり
年を上に見ていたようだ。
注文したのは、もちろんチャーハン。
その味は・・・・
涙が出るほど美味しかった。
レンゲを口に運ぶたび、
その一口一口に想い出が詰まっているかのようにも思えた。
食べて初めて思い出したのが、蟹。
そう、ここのチャーハンは、カニチャーハンでもないのに
蟹が入っているんだよ。
「こっ、これだぁぁぁ、うっっっっまい♪」
と、おもわず声が漏れてしまった。
とても感情豊かに食している俺に、店長さんが声をかけてくれた。
そして、かくかくしかじかと、思い出話を語った。
店長さんは「へえ~、そうだったんだぁ♪」と
なにやら照れくさそうにしながらも、昔話に花が咲いた。
アレから2,3年経っての再訪問。
沢山訪れるお客一人一人を、いちいち覚えてはいないだろうと、黙っていた。
この街は観光地でも何でもない。
それに加え このお店は、大通りから少し入ったところに位置している。
なので ほとんどのお客さんは地元の人だ。
そこへバイクジャケットを着た人間が、変な時間に訪れたワケだ。
よほど奇異に思ったのだろう、
店長さんは、また話しかけてきてくれた。
「バイクで来たの?」
「ええ…」
「ここへは何か用事で?」
「ああ、ちょっと町田のバイク屋さんに用事かありまして…」
「え?じゃ、東京とは反対方向じゃない」
「あはははっ、そうなんですよ…、実は・・・・」
と、また子供の頃の話を…
すると、話の途中で
「ん?この前のお客さん?」
と気が付き、また昔話になった。
覚えてくれていたんだね。
今回は「チャーハン」ではなく、「五目チャーハン」を頼んだ。
これにも蟹が入っている。
恐れ入るのは、ここにはちゃんと「カニチャーハン」もあるんだよね。
なのに他のチャーハンにも蟹が入っているという、かなり良心的なチャーハンなのだ。
いやあ、旨い、旨いねぇ~♪
今回は大盛りを頼んだので、なにやら洋風なお皿に盛られてきた(笑)
俺としては、中華なお皿の方が、気分が盛り上がるんだけどね(爆)
あと、餃子も注文したのだけれど、話に夢中になって
写真を撮るの忘れた…(;´▽`A``
餃子もメッチャ美味しかったよ~♪
「三つ子の魂なんとやら」と言うが、俺にとっての理想のチャーハンといえば
この丸善さんの味なんだよねぇ。
チャーハンは好きで、色々なお店のものを食べたけど
どこへ行っても、違うと感じていた。
30年ぶりに丸善さんのを食べて、
改めて「ああっ、これが俺の求めていた味なんだ」と気が付いたんだ。
ラードの香りや、卵の炒める順番、具材…
全てが俺の好みなんだね。
よくよく話していると、実は俺が通っていた頃というのは
店長さんが独立したばかりで、まだ20代だったらしい。
どおりで若いはずだ。
そしてその店長さんも、バイク乗りだというのも判った。
BMWに乗っていて、月1で決まって水曜日にツーリングへ行く
WEDNESDAY RIDERS CLUBという集まりに参加しているそうだ。
かれこれ20年も続いている、会則の全く無い自由な集まりらしい。
略してWRC、って どこかのレーシング団体のようじゃ(爆)
今度の水曜に、よかったら来ませんかと誘っていただいたが
あいにく仕事が詰まっているので諦めた。
てか、仕事が詰まって無い時って、あるのか?俺…ははは(;´▽`A``
楽しい食事の後は、少し街中をプラっとした。
通っていた小学校の隣にある、米軍ハウス↓
金網越しに見える世界は、まさにアメリカ。
各家には広大な芝生、見慣れない標識…
税金も何も知らなかった当時の俺には、憧れの世界だった。
生徒が4人という、かなりプライベートな英語の塾へ通っていたりもしたんだけど
その先生の伝で、米軍ハウス内のスクールに体験入学したり
映画館へ行ったり、ハロウィーンをしたりと、
今思うと、非常にいい経験をさせてもらった。
う~ん…
昔話をし始めると、どうも記事が長くなるなぁ…(笑)
キリがないので止めるが、そんなこんなの
ちょっとした思い出巡りでしたとさ。
ちなみにTOPの写真、
これは実はメーターから見た世界で、自分撮り。
MotoGPの車載カメラ風に撮れるかなって…(笑)
少し角度をズラすと ご覧の通り、スクリーン越しの画になる↓
これがホントのスクリーンショット♪
なんちって…( ´艸`)ププ
私は、横須賀生まれで、小学生の時期は藤沢に住んで、厚木基地の公開日にはよくベースに通っていたので、共感できる事項も多々です。日本全体が「明日を夢見る」ことができた時代の、貴重な体験ですね。
どんな時代でも、人それぞれ貴重な体験はあると思うけど
はははっ、この時代はねぇ…(;´▽`A``
砂利道も多く、マイカーなんてのもほとんど無かった時代…
そこら中の空き地にあった土管…
今の若い人は、ドラえもんに出てくる土管の
意味が判らないだろうなぁ…(笑)
何もかもが満たされていなかった時代。
だからこそ、無いものを手に入れる夢を
持ちやすかったのでしょう。
最近は全てにおいて満たされているので
子供が夢を持つ事が困難な時代になってしまいましたね。
俺も厚木基地には行きましたよ。
まだ歩くのもおぼつかない歳の頃にも(笑)
その影響なのか、今でも戦闘機は好きですねぇ♪
当時小学生低学年だった頃の自分はまさに黒影さんの言う「鍵っ子」でした。両親共働きで、授業の後は校内にある児童館で時間をつぶし、友達や兄と誰もいない家に帰るという毎日でした。当時、両親は一戸建ての家を購入したばかりで中学校の教員をしていた父の収入では生活出来なかったため母も働いていました。
しかも後から聞いた話ですが結婚当時は駆け出しの一教員だった父よりも母の方が収入が多かったそうで、食卓に上る母の湯のみには「係長」という文字が書かれていました。実際係長だったそうです(笑)
その後、父の収入でなんとかやりくり出来るようになって、子供が家に帰って誰もいないようではかわいそうと思ったのか母は勤めていた共済組合を辞め、専業主婦となりました。
十数年ぶりに訪れた母校は想像していたよりもとても小さく、「平和台」と呼ばれていた校庭もイメージよりも二周りほど小さく朝から日が落ちるまで毎日のようにソフトボールに明け暮れていた日々を懐かしく思い出しました。
米軍基地といえば岩国基地の近くに叔父が住んでおり、5月5日のこどもの日には一般公開されていて、従姉妹たちと行き、右も左も分からぬおバカな自分はなぜかその辺にいた米軍兵にその日駄菓子屋のくじで当てたガンダムのポスターにサインをしてもらいました(何でその様な行動を取ったのだろう)(苦笑)
当時の自分は今頃の同年代の子供達よりも多分かなり幼く、狭い世界の中で「井の中の蛙」でしたがその「井の中」で自分なりに世界を作り、何もない中からいかに楽しみを見つけ出すかを楽しんでいたような気がします。
3歳の娘は実家にあるノートパソコンをいつの間にか立ち上げ、今は亡きNOVAのタイピングソフト(父親の練習用だった)でアルファベットを打ち込み遊び終わったら通常の手順でシャットダウンまでやるようになりました。もし自分が3歳の頃にその様な意味不明な物体があってもキーボードをバシバシ叩いてぶっ壊していたでしょう。こいつが成人した頃の世界は一体どうなっているだろう?健全な世界になっていることを祈るばかりです。っていうかその様にしなくてはならないのが自分達世代の役目ですね。
放課後は「くすの木学級」なんてな留守家庭教室?で5時くらいまでかなぁ、宿題やったり、同じ境遇の友達と遊んだりしていました。
(ラジバンダリってつい言いそうになるw)
その頃って、みなさんと同じような感じだったと思います。
すべてにおいて満たされていない時代。
戦後からの復興はすさまじかったとは思うけれど、それでもモノが無かった時代。
本当に今はモノにあふれて、想像からの創造、考えることを忘れてしまった時代になっているような気がします。
バイクを始め、すべてにおいて便利ではあるけれど、何か大切なモノを忘れてないかい?って思うような時代でもあるのでしょう。
米軍基地は、最近になって数回行った岩国の、くらいでしょうか。
国内は「自衛隊」海外は「軍隊」、パッと見は同じようなモノだけれど、やっぱ軍隊はスケールが違いますねぇ♪
支離滅裂ですみません^^;
長ーい、長ーいコマーシャル?有難うございます。
へたなタウン誌の記事よりとても説得力があり
読んでる者を引き寄せますね!
こちらにお越しのせつは是非またお立ち寄り下さい。
ところで怪我は大した事有りませんか?
お大事に!
米軍兵のサイン…ぶははははっ(≧▽≦)ノ彡☆
米軍兵も戸惑ったろうなぁ。
しかし、たった3歳で、そこまで使いこなせるとは…、
やるなぁ…(*⌒o⌒)
子供の才能を見つけるのも、子供に目標を選ばせてあげるのも
我々大人の役目ですからねぇ。
そういった、より良い社会を作らねばですね。
それには政治家や官僚より
まず、俺ら身近にいる大人が、良い背中を見せてあげられるよう
努力することが、重要なんでしょうね。
おや、広島のkazuさんに続いて、ガーランドさんも鍵っ子でしたか。
なんかバイク好きの人間って、
独りでいる事が多かったり、戦闘機が好きだったり、銃が好きだったり、
ラジバンダリー!
…いや、失礼。
なにか共通したモノがあるのかもしれませんね(笑)
おおお~っ、もしや丸善の店長さん!!!Σ(゜Д゜ノ)ノ
わざわざ読んでくださって、ありがとうございます。
そして、本当に美味しい御食事、ありがとうございました。
是非とも、また御邪魔させて下さい (*≧ω≦)ノシ
事故の記事も読まれたみたいで…(^ヮ⌒〃;)>
丁度その水曜日だったんですよねぇ。
事故の直後も、
『今頃店長さん達は、楽しくツーリングしているんだろうなぁ』
と、思ってました。
仕事なんかキャンセルして、
WRCのツーリングへ行っとけば良かった(爆)
幸い怪我は軽傷だったので、元気しております。
ご心配おかけして、すみませんでした。
おおお~っ、丸善さんをご存知ですか♪
もしかして母校も同じだったりして(笑)
ちなみに、このブログの左枠の中の「CATEGORY」の中に
「カスタム」という項目があるんですが
そちらを覗くと、SUDAさんネタがいくつか見れると思います。
よかったらどうぞ♪
お会いした際は、こちらこそ宜しくお願いいたします。