大きな山門をくぐる。とうとう着いた、いややっと着いたと言うべきかも。
最後の般若心経、やっぱりソラではできず教本が頼りだった。
お大師さまに会えただろうか、会えてないかも知れない。そんな気がして心細くなった。
いやいや無事に廻れたのはお大師さまのお陰、お顔は見てないが会っているはず。
そう思いなおした。 「巡礼日記」より
(後日の日記)
巡礼を終えて自宅に戻り写真の整理をして、知ったことである。
当然あるはずの大窪寺の本堂や大師堂の写真がない。そう、撮っていなかった。
撮ったといえば、大師さんを背中に自撮り写真1枚切り。
嬉しかったんだろうけども、何と舞い上がっていたことよ。