自分の実体験があって
必要性があって それの必要なモノを作るのは かなり切実なのです。
意識の混濁から周りも自分の意識があるのだと認められてからの
葛藤や体力の回復自助努力・・これはね語れるモノじゃないんだ。
しばらくして、自分自身の意識も生活も平常だったり
緊急事態が周りに起きて それと自分の今までを平行に考えてみての置き換えをしてみないと
自己満足なモノに成ってしまう事には今まで何度も経験した。
呼吸器がとれても自力呼吸は意識的にしていかないととてもしばらくは辛かった
呼吸器にも種類や圧力があるのは体験しないとわからないし
余り元気な人とは話すことじゃなかったようだ。
ただ、今、「ん?それって・・・」が毎日どこかで聞こえてくる言葉になってたりする。
ベットから起き上がり毎日少しづつの歩行練習
そのあとのリハビリ、でもねその後は自分で自分を良くする予後。
ベットから起き上がって「くつ下」を履く その前にはトイレに行けるようにするとか
身体を自分で動けるようにするとか 数日 数日 毎日少しづつ自分で自分を元気にする
自分でくつ下を作る人だから、くつ下を履けるようになった時は嬉しかったんだ。
リハビリは「運動靴」が指定だったし
いま、入院はなるべく短くなっている、自宅での自力回復はとても大切。だけどね個々別々なので
加減しながら元気にならないといけない。
どんな病気も怪我もだけど 「ここまで」「次はここまで」どうしたってやっぱり自分で元気にならないといけないよ。
くつ下で足元から少し元気を送ります。
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